淑女ならざる者の脳科学

 畳一枚程度の面積をした板切れに飛び込むとその縁に9mmの弾痕が開く。
 それを先途に、激しい乱射が狭い路地の一方向から浴びせられる。耳を弄するばかりの乱射。自動拳銃。9mm口径。軽く15発以上は撃っているし、再装填と思しきロスも極端に小さい。
 自分たちのような処刑専門の人間よりも鉄火場をくぐっている数が多いのは明らかだ。
 防弾としては役に立たない薄っぺらい合板に期待しない。目を強く閉じて、壁に背中を押し付ける。頭部への被弾を恐れて左手の肘を肩まで上げて腕を直角に折り、辛うじて左側頭部から後頭部を肘下で以て防弾処置とした。
 伏せると起き上がりの動作で隙を作ってしまう。
 再装填のロスを狙って反撃するつもりで即座に背中を壁に押し付けたのだが、乱射が途切れない。しかもその乱射は狙って発砲されているものではない、完全なランダムな着弾を見せているのでベニヤ板にも満遍なく孔が開いている。
 これさえ耐えれば!
 美妙は祈るような気持で銃弾が自らの体に食い込まないように目を強く閉じる。
 この期に及んで『護り屋』が直接打撃に近い牽制を選んだということは、警護対象はこの現場から離脱しつつあるということだ。『護り屋』が最後の障害になって足止めを担当している。残存する1人が増援の到着を待たないのが不思議だった。
 そこまで『護り屋』の増援が来ているのに何故、乱射する人物は増援と合流することを最優先としないのだろう。
 それに、先ほどよりも銃声が少なくなっている。罵声や怒声が聞こえる距離まで一団は近付いている。なのに、合流相手であるはずの乱射する人物とは違う方向で……まるで……あたかも……『あれではまるで、第三勢力と銃撃戦をしている様子に聞こえる』。
 あれは『我が社の社員』ではない。増援が来る予定もないし要請もしていない。
 そもそも『正体不明の敵』の襲撃で全戦力が半減している状態だ。うちの部署では余剰兵力は温存していない。『名前のない部署』の処刑人が多数存在するとそれこそ、都市伝説で謳われる程の脅威として浸透しない。少数精鋭で未知数、未確認だからこその噂を利用した組織内部の引き締めに役に立つのだ。
 では……。誰だ?
 ふと、脳内の一部分が現実逃避していた。今はどこかの誰かより目前の乱射を何とかしなければ。
 一部分や一か所に集中する火力よりも、今いる場所のように狭い路地では盲撃ちを意識した万遍のない牽制射撃の方が被弾する確率が高い。相手からすれば遮蔽のベニヤ板が邪魔で美妙が何処のベニヤ板の後ろに潜んでいるか分からないし、距離も分からない。故に、路地を制圧するつもりの拳銃での乱射。
 自動拳銃しか得物が無い場合としては正しい判断だ。
 広い路地だと満遍なく牽制射撃をしても着弾の間隔が広くなり、脅威度が低くなる。然し、左右の道幅が2m程度の細く長い、直進か後退かしか選択肢がない状況だと、互いに距離や位置が分からなくとも、先に発砲してイニシアティブを握った方が有利だ。
 美妙も今更ながらに気が付く。手榴弾のトラップの『密度、濃度』や突然のベニヤ板の登場……気が付けば、自分が最も、『足止めされやすい場所に誘いこまれて』いたのだ。
 15発以上の実包を装填できる大型軍用自動拳銃からの乱射。僅かなロス。……先ほどから僅かなロスを頭の中で足し算をしてその度にロスの回数で割る。すると、再装填のロスが発生する平均時間が割り出せる。
 訓練された人間は非常時に於いては経験や勘や直感が理論よりも速く働くので、体が自然と『その動きをしてしまう』。
 再装填。時間。平均時間。弾数。発砲音。捨てられた空弾倉の音。そしてその空弾倉の数……。
 美妙は背中が壁に張り付いたような姿から無理矢理、全身を剥がして、右足裏で壁を蹴る。その勢いを殺さずに前方2m程の位置に左右に広がる壁に体当たりして更に左足裏で押すように蹴る。それを2度3度と繰り返す。
 視界を遮るベニヤ板を次々と倒す。ベニヤ板自体はただそこに立てかけただけで固定はされていない。
「!」
 ―――動いた!
 動いた。それは自分に対して放った言葉でもあったし、相手に対して放った言葉でもあった。
 美妙自身が『護り屋』は彼らのマニュアルやテンプレートで行動していた時期と、目の前にいるはずの1人の『護り屋』の腕前に乖離が発生した瞬間を見逃さなかった。
 プロならば。
 プロとして生きている時間が長ければそう判断する。
 『護り屋』はマニュアルやテンプレート以外の事態が発生したと判断するよりも早く体が動いた。経験と勘と直感が為した技だ。
 美妙は、相手は人間なのだから、必ず生理的乖離が発生すると信じて再装填のロスを数えていた。
 『護り屋』の再装填の僅かなロスに美妙は行動を起こし、背後を蹴り、勢いを殺さないまま前方の壁を蹴り更にその反動で壁を蹴り、狭い路地をピンボールの球のように撥ねてベニヤ板を薙ぎ倒し、前進していた。
 それ自体が『護り屋』には信じられない行動だった。
 ベニヤ板はこの狭い直線の路地で唯一身を隠せる事ができる貴重な遮蔽で、読み通りに追跡者はベニヤ板の陰に隠れて、阻害が目的の牽制射撃で足止めに成功していた。
 それはこちらが用意したベニヤ板が有っての作戦だ。
 そのベニヤ板を『自ら無視して路地をジグザグに進んでくる』とは思わなかった。ジグザグに進むのなら、それは遮蔽が何も無かった場合の最後の手段のはずだ。
 即ち、予想外。
 正気の沙汰ではない。
 ベニヤ板を蹴倒して直進するのではなく、ベニヤ板を『まき散らすように蹴り倒して』で壁に当たる反動を足裏で蹴り続けて不規則な蛇行を描き、近接してくるではないか!
 『護り屋』の男からすれば『その3mの距離は30cmにも思えただろう。そんなに近くまで来ていたとは』。
 自分が設置したベニヤ板が自分の『感覚的行動』を遮っていたとは。自分の牽制射撃のパターンならぬ呼吸を読まれていたとは。
 美妙に凄惨な笑顔が浮かんだ。
 口角が吊り上がる。
 早くどけ。お前は獲物ではない。その向こうに居るのだろう? 獲物が。
 たった3m。
 『護り屋』は弾倉を叩き込んだHK USPと思しき角ばった金槌を連想させる無骨なデザインの大型軍用自動拳銃を両手で保持しながら銃口を美妙に向ける。
 美妙は弾倉が叩き込まれた拳銃の銃口がこちらを向きつつ有るのを視認しても尚、凄惨な笑みを剥がさず、アストラリボルバーを右手一杯に大きく伸ばして左足で地面を蹴り飛び上がる。
 銃声、轟く。
 それは2種類。
 たったの3mの距離。
 二人とも、判断は正しかった。
 中空にいる標的は自由落下に任せるしかないので恰好の的だ。だが、自分を見上げる視線と銃口は脅威でしかない。空に逃げ道は、無い。だが……。
「うっ」
 男は小さく呻いた。発砲したのは自分が早かった!
 被弾したのは彼の方だ。
 彼の目が強く閉じられている。
 背後に登る朝日に埋没した美妙をまともに視たために、網膜に焼きが付き、照準が逸れてしまったのだ。
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