カレンダーに無い二月

 教えてもらう側ではなく、教える側として技術を覚えて磨く。
 人間は反復することで学習する。知識や教養を教えてもらうのは一瞬だ。それはその場で終わる場合が多い。しかし、教える側に立った場合は人に教えるために様々な角度から『教える物』を観測して解析して万全の状態で自分の言葉で噛み砕いて人に伝える。教える側に立つとその知識や技術の披露は一度では終わらない。何度も他人に話す。それは他業種の人間と交流を持った際に情報交換や、その技術を応用できる業者に密かに受け入れられ、かなえをアドバイザーとして頼る者まで出てきた。それは六次の隔たりを経て、横の連携が他業種に広まり、普通は企業秘だと言われている裏の手口も惜しまずに開陳した。
 その結果、反復に反復を重ねて、知行合一。知識も技術も伴う能力が身に付いた。
 反動として、同業者から情報漏洩を生業にしている人間だと爪弾きにされることも多い。
 この人付き合いとの距離もSNSと同じ構造だ。
 自分の周りに居る5人の平均が自身の姿。……金持ちの友達は金持ちしかいない。芸能人の友達は芸能人しかいない。人間が変わるには3つしかない。そのうちの一つが付き合う人間を変える、だ。それを実行した。それだけ。そこから派生して自分が成長する一助となった。
 失う同業者――大半が急激に成長するかなえに対する妬み、やっかみを抱く者――よりも得た他業種従事者の方が人生を俯瞰すれば大きな利益だ。
 その一つに射撃術がある。海外で覚えた射撃術を国内で流布する人間は割と少ない。居たとしてもそれはおおやけに関連する人間で、裏の世界の最前線で働いている人間は少ない。上昇志向の有る人間や真新しいものに触れたいが機会に恵まれない人間が集い、かなえのコミュニティを形成している。かなえに海外の技術を乞い、かなえも彼彼女らから情報を得る。
 報酬を得るつもりは無くとも、謝礼として有料情報に匹敵する情報を横流ししてくれる人間にも恵まれた。
 当世風のSNSや動画活動者でいう投げ銭と同じ働きだ。かなえの知識に対して返報性の法則が働いているのだ。
 教えた技術の裏づけ。それが、今日、今夜、今、廃船の中での鉄火場だ。
 今までは頭でっかちだけの、知識を詰めただけの人間だと思われていただろうが、それは違うと胸を張って表明する機会が訪れた。張り切らない理由が無い。
 銃口の前に不思議と標的がのこのこと現れる。不思議なほどに。次々と打倒。
 ウレタンの耳栓越しにでも聞こえる。特殊なフィルターで作られたコンタクトレンズから見る世界でも分かる。この世界……この空間……この船の内部は、血煙と乾燥した空気と轍錆と腐った魚の臭いが席捲している。肺腑の奥深くまで穢れた空気と硝煙が混じった気体が侵入してくる。肺から取り込まれた気体は全身を駆け巡り吐き気を催す不快感を脳内に注いでくる。
「!」
 背後に……背中の見えない角度に何か居る!
 かなえは前方を注視していたスタンスを構わずに崩して、即座に左軸足を中心に体を反転させて背後を振り向く。振り向き様に発砲。2回発砲。今までのように命中させる為の発砲ではなく、得体の知れない何かを追い払う為の牽制と威嚇を込めた発砲。6発の9mmパラベラムは虚しく壁に当たり、散る。6個の空薬莢が舞い、落ち、転がり、停止する。
「……」
 ――――何か『居る』!
 動物的勘。そうとしかいえない直感が前方5mの左手へ折れる角の暗がりに居るのを報せる。一等、危ない何か。隠れるではなく、潜む。狙うと言うより仕留めに来る。見ているではなく、凝視している。いつ近付いた?
「?」
 動く気配。動いている気配。動くかもしれない気配。動いている事を悟らせる気配……が、する。
 ジリ、とかなえの爪先が動く。5m前方。左手へ折れる角。そこを遮蔽として何かが潜んでいる。かなえがピクリと動けば相手も小さく動く。幽霊幽鬼を相手にしているかのような不気味さ。恐怖が心の隅で小さく湧く。
 ――――駄目!
 ――――『呑まれる』!
 かなえはベレッタのセレクターを親指で操作してセミオートに切り替える。探りを入れるような間隔が開いた乱射。『距離を計る』。この場合の距離とは相手との物理的距離ではなく、人間が個々人で感覚的に持つ自分だけの間合いや自分だけの空間といった意味だ。
 全く狙っていない無為ともいえる銃弾が壁や天井で爆ぜる。銃弾の弾頭が跳弾で射手や戦友に当たったという逸話が有るが、それは特定の条件下で発生した事故だ。過去に何度も跳弾の検証が行われたが、一般的な軍用のフルメタルジャケットでは10000発中9680発は弾頭以上に硬い物体に当たると粉々に飛び散ってその破片が顔に当たる程度だった。それはとある実験で証明されている。非致死が目的のゴム弾なら全く不明だが、殺傷を目的とした弾頭をこの距離から発砲しても問題は無い。
 それにしても……。
「…………やるじゃない」
 暗がりの向うでもかなえの乱射の隙間を狙って発砲してきた。同時に銃口が向き、同時に発砲。相手の1発がかなえの左脇腹を浅く削った。肋骨が折れたか?
 かなえは左脇を押さえて喚き散らしたい恐慌を精神力でカバーして前方に集中する。
「当たった?」
 思わず呟く。
 自分にも、相手にも。決定打に欠ける被弾を与えたらしい。与えられたらしい。確かにピシャッという血飛沫が飛び散る音を、耳栓越しに鼓膜が拾った。
 遮蔽になっている角の向うを確認して自分が与えた手応えを確認したかったが、左脇腹から徐々に痛みが広がりつつある。被弾した衝撃で停止していた新陳代謝が再開しつつあるらしい。左脇腹より下を温かくも冷たい血液が不快に濡らす。
 冷や汗が一筋、頬を伝う。
 遮蔽の向こうを確認したいという知的探究心と負傷を早く処置しなければという危機感がせめぎ合う。ベレッタを保持する右掌から嫌な汗が吹き出る。ベレッタのフォアグリップを握る左掌に必要以上に力が入る。
 奥歯を噛み締める。
 他の階層で銃撃戦を展開しているはずの仲間が、互いに撤収と叫びながら後退しているのが声の移動で分かる。ここまでか……。
 かなえはセミオートで散発的な牽制射撃を遮蔽の向うに与えながらジリジリと後退して長い廊下を下がる。早足で歩きたい。小走りでもいいから走りたい。その願いを素直に聞かせてくれないのが、左脇腹の負傷だった。弾頭が浅く肉を削っただけだと思うが、その被弾箇所から瞬間的に広がった拳銃弾の衝撃波は全身を駆け巡り、想像以上の身体的疲労をもたらした。
 ここで粘るメリットは無い!
 自分にそう言い聞かせて奥歯を食い縛り、きびすを返すなり全速力で走る。背後から散発的な銃声。狙おうと思えば狙える距離なのに、この距離で、かなえのハーフコートの裾に孔を開ける程度の精度しか発揮していない。やはり、手応えはあった。何かしらの打撃を、得体の知れない相手に与えていたと判断した。
 今は逃走に集中。
 船内から飛び出したかなえの脳内にあったのは、これから頼るべき闇医者を手配師に注文する算段だった。

   ※ ※ ※

 左脇腹。5針の縫合。感染症を防ぐ為に抗生物質を投与される。適宜、鎮痛剤。肋骨1本に少々の皹。入院施設はもとより無い。針で縫われた直後に自宅に追い返されて安静にして療養。
 深夜の船での鉄火場から1週間。
 仕事の達成度としては及第点より少し高い。
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