カレンダーに無い二月

 その結果、毎月払っている、あらゆる業者への定額制課金で様々な範囲や可能性を無碍に捨てていた。むしろ、その程度の金に対する認識で今まで良く生きてこられたのだと、思い返して寒気がする。矢鱈滅多らと無為に金を撒いていた。金を稼いでも金を払い金に追われる生活。本末転倒に見える。目標と目的が合致していないからだ。
 今夜の地下での射撃練習を貸切にするのに大金をはたいた。
 投資だ。自分に対する投資。経験や技術や知識は物理的財産と違って、無くなることはない。更に磨けばなおも輝く。今、拠点にしている場所、環境、状況に胡坐をかきすぎていたと反省した。
 人間が大きく変わるには基本的に3つしか方法は無い。付き合う人間を変えるか、時間配分を変えるか、住む場所を変えるか、だ。かなえはその3つを全て変えた。
 今までは同業者の間でしか通用しない情報交換で満足していたが、機を見るに敏と謂われるように、交流を他の業種へと徐々に広げていく。顔を売る。名前を覚えてもらう。有益な情報を無料で与える。そうなれば人間は返報性の法則――他人の好意には自分も好意で返さないと、落ち着きがなくなる心理――が働くのでそれを利用する。
 毎日を、メールチェックと生命活動を維持するだけの動物のような生活を改めて、時間感覚を取り入れたスケジュールで日々を管理した。今までは自宅を警察や商売敵に押しかけられた場合にこちらの手の内を晒すヒントを与えないように全て脳内で管理をしていた。しかし、それでは可視化された認知性が皆無。紙や手帳に書き出せば効果的に時間が管理できた。
 そして、住む場所。一人暮らしで3LDKのハイツは広い。大きな金額で大きな間取りの部屋を借りるより、小さな金額で借りた複数の1Kのセーフハウスを渡り歩いた方が安全だ。帰る場所が一つしかないという恐怖感が無くなる。中国の故事にも狡兎三窟と云う言葉が有る。何より、部屋を引き払うのも掃除するのも簡単だ。時間の短縮に繋がる。不要なものや買ったまま使っていない物や何故か執着する物も売るか捨てるかした。
 ミニマリストに近い断捨離を実行した結果、日用品や消耗品だけに意識を向ければ、余計な物事に割かれる思考が少なくなった。
 今まで面倒で考えなかったことを心機一転や「決意を新たにここから始める」ということを最初から捨てた。心機一転しても決意を新たにしても自身が行動しなければ思考の停滞と同じだ。行動を起こしていないのと同じだ。
 過去と訣別する意味を込めて射撃場を貸切にして、自分に投資をした。
 それに伴い、選り好みしかしていない仕事の選び方も変えた。
 鉄砲玉稼業としては小口単発――夜道で標的を後ろから発砲して脅かせる。組事務所の窓や扉への数発の発砲の後、撤収。信号待ちしている標的の車の前で発砲し脅威のアピール。クライアントの敵対組織が与る縄張りの雑踏の中で銃声を轟かせるだけ――などのつまらなさ過ぎて誰も引き受けない依頼を次から次へとスケジュールへ入れる。今までは仕事の規模を選らずに測らずに、全力で実力以上の仕事を片付けることだけを考えていた。ハイリターンに目が眩んでいた。
 ……その考えも改めた。
 実力の7割程度で十分に片付けられる仕事を2つ3つと並べて少しでも早く片付けられる依頼から確実に遂行し、1日で複数の依頼を消化。更に明日以降に片付けられる依頼は明日へと予定として持ち越しした。
 今までは1つの依頼だけで疲労困憊で体力の挽回にも時間が掛かっていた。その間の収入は減る。しかしこの、7割の力で複数の仕事を片付けて、『今日でなければならない仕事は今日片付けて、明日に出来る仕事は明日へとタスク入りさせる』技術――通称【マニャーナの法則】と呼ばれるタスク管理術――を取り入れてから体力の温存と回復が効果的になり、心身への負荷が少なくなった。心身への負荷が少なくなれば、精神的余裕が大きくなり、自己の研鑽に割く時間と体力の余裕が生まれる。
 隙間時間に知識のアップデートを計り、他業種の業界人と交流を持ち、自前ながら広告と宣伝を考案する。そして、十分な休養。人間は生きている以上、十分な休養が必要な動物だ。殊に日本人は休養が苦手な国民性だ。休養と休息と睡眠の区別が付いていない人間も多い。8時間の就寝は休養とは言わない。
 心をリフレッシュし、体をメンテナンスし、気分も思考も解放する時間を休養という。
 かなえは趣味らしい趣味を持たない人間だが、『今の環境で楽しめる趣味を探すこと』がいつの間にか趣味になっている。金を掛けず、後悔が湧かず、心身ともに満足感が得られる趣味を探している。簡単に見つからないからこそ面白い。趣味探しを趣味にするのは、模索しても良し、行動しても良しで中々、気付きが多い。
 趣味探しの中で始めた趣味の中で、意外と面白いと感じているのが日記だった。
 スマートフォンの日記アプリではなく、紙のノートに書く。日々の思うところは3割程度。日々のライフログ7割程度。健康管理のために始めた記録にオマケが付いた程度で、読み返せば……過去を振り返ることの楽しさを知った。
 自分には過去現在未来もなく、生きているから生きているだけ。生きるために生きているだけ、という夢や希望とは遠い人間と思っていたが、紙に書き出した文字列がそれを正してくれた。
 日付に気温、起床時間と就寝時間、それに3食の献立を書いて、3行日記を付随させただけの日記が愛しくみえる。
 資産資金を運用するために地下銀行だけでなく表の世界の銀行も多用し、運用の元に捻り出す。長期運用と云う意味では投資は裏の世界では不利だ。いつ死ぬかもしれない人生だからと目先の金を追い、宵越しの金は持たない主義の人間が多いのは頷ける。それを敢えて逆から試算した。生存率が低い仕事で大きく儲けて根回しの資金として闇医者や運び屋や武器屋に毎月、金を払うのが通例だった。そしてそれが正しい『悪い生き方』だと認識されていた。
 その誰もが疑わない、裏の世界ではごく普通の金の使い方に着目した。
 小口の仕事を数でこなす。小額を分散させて表と裏の銀行で運用。闇医者や運び屋など、月額料金制の業者は選ばず、少し根が張るが従量制の業者を選択する。
 毎回命の危険に晒されているから高額な月額料金が必要で、命の危険が低ければ最低限、必要な業者以外は月支払いを停止して、必要な時に必要なだけ処置してくれる業者を頼ることにした。結果として、業者を手配する『業者の手配師』にだけは毎月支払うことにした。
 1件辺りの報酬は小額だが、それを効率よく回収。回収した端から貯蓄、投資、資産運用。……その上で生活費と、手配師に顔が利くだけの金を用意する。住居も住めば都で、狭いと思っていた複数の1Kマンションも掃除の手間がかからないと思えば心が楽だった。
 拠点とは別にセーフハウスとして扱っている住居を持つと、使いたいときに使いたい物が違和感なく使えて、万全の状態でスタンバイしているのが理想だが、いざ使うとなると、部屋の隅におきっぱなしの非常持ち出し袋のようなもので、賞味期限が切れた飲食物や使用期限が切れた薬、何年も洗濯していない下着や靴下、液漏れを起こしている電池を見て避難先で絶望する羽目になる。複数の住居をローテーションすることは……その憂いが無いのだ。
 かなえが自らを律して12ヶ月が経過。大寒波直前の仕事……廃船の中型タンカーでの失態を反省の糧に着実に『活きていた』。
 何も変わっていないのはベレッタM93Rだけだった。
5/19ページ
スキ