カレンダーに無い二月
その後に気が付いた時、車の後部座席だと分かった。そして直ぐに疲労で再び眠りに落ちる。
先日の廃船襲撃の折、クライアントが保険として第二陣を密かに用意していなければ本当にかなえは廃船の中で無様な最期を遂げていたに違いない。
全く以って無力。
クライアントが用意した第二陣。本命だと思われていた自分たちが梃子摺った場合に備えて、3人の荒事師を別途に用意していた。そのうちの一人が新堂美冠だった。
プロの荒事師が6人も集まっているのに、その場凌ぎの半グレ集団の反撃に時間を掛けすぎたのでクライアントが保険の投入に出た。あの夜に召集された『第一陣』の6人全員は依頼を遂行できなかったとして、報酬は無し。それどころか達成度も低かったので必要経費も落ちない。
あろうことか鉄火場で眠りに落ちたかなえは他の仲間に担がれて撤収する車に放り込まれて運ばれ、自宅の室内に放り出された。一般的なハイツに住むかなえのドアノブなど、ピッキングが達者なものからすれば鍵など無いのも同じだ。
幸いに、仕事道具のベレッタも回収されて、床に転がり出されたかなえの傍に置いてあった。
先日の廃船での敗退から3日経過した。チョコレートを齧って無理矢理、疲労を回復させる。脳疲労気味なのか、チョコレートが異常に甘く感じた。
夕方。自室。ダイニング。卓袱台の前に座り、ターキッシュブレンドのシャグをヘンプのペーパーでハンドロール。出来上がったばかりの手巻き煙草を口に銜えると使い捨てライターで着火。傍にはアルミの箱型灰皿。
瞑目し腕組み。胡坐をかいている。
自分の心の在り様を自問自答するかなえ。
かなえ自身はこの業界で、できるものなら長く居たくはない。生きていける場所がたまたま、裏の世界だっただけだ。
今の技術では……技術も精神も、全く、足りていないのを実感する。プロではある。プロを自称している。プロの矜持を持っている。……はず。
自分に足りないモノを指折り数える。
「…………あー」
思わず自分の頬を掌でタッピング。人間はふと思い出した過去のネガティブな記憶を消す為に意味を為さない発声をするか太腿や頬を叩く。これは過去に飲み込まれまいとする防御反応だ。浮かんだ記憶を雲散霧消させるために体の別の器官を無意識に無理矢理刺激して思考を蹴散らす。これをタッピングという。
何もかもが足りない。かと言って足抜けができる世界ではない。この世界に飛び込んだときから、暫くはこの世界で生きていくしかないと思っていた。ただ、この業界で長く居たくないだけだ。鉄砲玉稼業はハイリスクだ。ハイリターンともローリターンとも読めない。
折角のベレッタが泣いている。仕事道具だけは一人前。
「よし!」
口の端で銜えていた手巻き煙草の灰が落ちる。
基本に帰る。
勿論、そんな練習場なんて無い。手探りで練習をする。そもそも基本とは? と悩む事が多い。裏の世界で末端の使い捨てが意思を持っているのが発覚するとそれだけで嫌われる事が多い。察しのいい人間と賢しい人間は嫌われる。だから誰も彼もがどこか抜けた印象をわざと振りまいている。
それに対して自分はどうだ。自分は間抜けだが、それはフリではなく本当に間抜けだ。
かなえは左手側に置いていたスマートフォンを手に取り、とあるダイヤルへとコールする。
「……あ、私だけど。久し振りー」
※ ※ ※
【北興商事】人事部副部長。高科聡美(たかしな さとみ)。身の上調書が正しければ50歳。結婚しても尚、退職せずに職場で居続ける古株のキャリアウーマン。……を、演じている。噂では嘗て界隈を震撼たらしめた伝説の拳銃使い。噂ではトカレフを扱わせれば右に出る者は居ない。噂ではマカロフを使う強力な手下を従えて現場で暗躍している。噂では全ての事件をデウスエクスマキナのごとく片付けるトラブルシューター。
齢50歳とは思えない若々しい精気。風貌は歳相応だが、隠しきれない覇気は威勢だけで生きている若者など足元にも及ばない。
この業界では最大手の【北興商事】。表向きは外資系との提携を口利きする代理店。勿論、最大手の意味するところは裏の世界での話しだ。
高科聡美はヘッドハンティングを主要な職掌としている。
ガラスのパーテーションで仕切られただけの執務室。15㎡程の部屋。フロアの中に高科聡美の執務室が有る。辺りは全て消灯し、電灯が点いているのはここだけ。
「で……私がその子を鍛えればいいのかしら?」
高科聡美は左手の指で図太いドライシガーを弄ぶ。優しい微笑みを讃えながら目の前に立つ、新堂美冠を見た。高科聡美のドライシガーは独特の着香でコニャックの香りがする。
「その援護を。有望かどうかは分かりませんが、『鍛えれば即戦力に近い』能力を発揮します」
美冠は抑揚の無い声で静かに言う。
「あのねぇ……『鍛えれば誰でも即戦力に近付く』ものなのよ。欲しいのは鍛えなくても都合よく、こちらの契約でいい返事を聞かせてくれる即戦力よ……ということは……」
美冠は小さく頷く。高科聡美の返ってくる台詞は全て見透かしていると言わんばかりに。
「……」
「……」
暫し、二人は互いの眼光を交わす。互いが、その向こうに有る何かを測ろうとしている。
「ま、いいでしょう。『ウチにメリット』が生まれるまではあなたが責任を持つという事で」
「有り難うございます。では、少しの間……一時、戦線から離れます」
美冠はこうべを垂れる。
静かに下げた頭を戻すと、相変わらず表情の読めない顔できびすを返して執務室を出る。
高科聡美は指で弄んでいたコニャックフレーバーのドライシガーを銜えて先端をターボライターで炙りながら吸う。
長い紫煙を吐きながら、『次代の自分』と買っている人材が見つけた『有望な人材』に少し興味が出てきた。あの堅物が『あんなに優しそうな目をするとは思わなかった』。
※ ※ ※
かなえは文字通り地下に有る、違法射撃場でベレッタの射撃練習をしていた。セミオートによる射撃。3バーストによる射撃。片手、両手での保持。標的や距離や数や移動速度も様々。
地下道を違法改造した射撃場なのでレンジの距離も規模も知れている。空気は悪く、酸欠による中毒死と隣り合わせ。普段は照準を調整する時にしか利用しないが、今は貯金を大胆にはたいて貸切で習熟をしている。
それに伴う弾薬の入手やその経路にも惜しみなく金を払った。地下銀行経由の投資も学んだ。何もかも、金が発生する。それを惜しむのは経済的であっても『行動範囲やその可能性』が狭くなるのが普通だ。
愛銃だけに金を掛けていられない。それに付随する様々な……自分が活動していくのに関わる場面で金の出し惜しみは結果的に寿命を縮めるということを悟った。皮肉にも射撃場を借りるには? と云う基本的な視点で観測して初めて金の使い方を学んだ。
必要なサブスクリプションと投資。個人レベルの経済の循環が大きくまとまればこの不況の中でも何とか生きていける可能性が見えた。今まではハイリスクの末の収入にしか頼っていなかった。
先日の廃船襲撃の折、クライアントが保険として第二陣を密かに用意していなければ本当にかなえは廃船の中で無様な最期を遂げていたに違いない。
全く以って無力。
クライアントが用意した第二陣。本命だと思われていた自分たちが梃子摺った場合に備えて、3人の荒事師を別途に用意していた。そのうちの一人が新堂美冠だった。
プロの荒事師が6人も集まっているのに、その場凌ぎの半グレ集団の反撃に時間を掛けすぎたのでクライアントが保険の投入に出た。あの夜に召集された『第一陣』の6人全員は依頼を遂行できなかったとして、報酬は無し。それどころか達成度も低かったので必要経費も落ちない。
あろうことか鉄火場で眠りに落ちたかなえは他の仲間に担がれて撤収する車に放り込まれて運ばれ、自宅の室内に放り出された。一般的なハイツに住むかなえのドアノブなど、ピッキングが達者なものからすれば鍵など無いのも同じだ。
幸いに、仕事道具のベレッタも回収されて、床に転がり出されたかなえの傍に置いてあった。
先日の廃船での敗退から3日経過した。チョコレートを齧って無理矢理、疲労を回復させる。脳疲労気味なのか、チョコレートが異常に甘く感じた。
夕方。自室。ダイニング。卓袱台の前に座り、ターキッシュブレンドのシャグをヘンプのペーパーでハンドロール。出来上がったばかりの手巻き煙草を口に銜えると使い捨てライターで着火。傍にはアルミの箱型灰皿。
瞑目し腕組み。胡坐をかいている。
自分の心の在り様を自問自答するかなえ。
かなえ自身はこの業界で、できるものなら長く居たくはない。生きていける場所がたまたま、裏の世界だっただけだ。
今の技術では……技術も精神も、全く、足りていないのを実感する。プロではある。プロを自称している。プロの矜持を持っている。……はず。
自分に足りないモノを指折り数える。
「…………あー」
思わず自分の頬を掌でタッピング。人間はふと思い出した過去のネガティブな記憶を消す為に意味を為さない発声をするか太腿や頬を叩く。これは過去に飲み込まれまいとする防御反応だ。浮かんだ記憶を雲散霧消させるために体の別の器官を無意識に無理矢理刺激して思考を蹴散らす。これをタッピングという。
何もかもが足りない。かと言って足抜けができる世界ではない。この世界に飛び込んだときから、暫くはこの世界で生きていくしかないと思っていた。ただ、この業界で長く居たくないだけだ。鉄砲玉稼業はハイリスクだ。ハイリターンともローリターンとも読めない。
折角のベレッタが泣いている。仕事道具だけは一人前。
「よし!」
口の端で銜えていた手巻き煙草の灰が落ちる。
基本に帰る。
勿論、そんな練習場なんて無い。手探りで練習をする。そもそも基本とは? と悩む事が多い。裏の世界で末端の使い捨てが意思を持っているのが発覚するとそれだけで嫌われる事が多い。察しのいい人間と賢しい人間は嫌われる。だから誰も彼もがどこか抜けた印象をわざと振りまいている。
それに対して自分はどうだ。自分は間抜けだが、それはフリではなく本当に間抜けだ。
かなえは左手側に置いていたスマートフォンを手に取り、とあるダイヤルへとコールする。
「……あ、私だけど。久し振りー」
※ ※ ※
【北興商事】人事部副部長。高科聡美(たかしな さとみ)。身の上調書が正しければ50歳。結婚しても尚、退職せずに職場で居続ける古株のキャリアウーマン。……を、演じている。噂では嘗て界隈を震撼たらしめた伝説の拳銃使い。噂ではトカレフを扱わせれば右に出る者は居ない。噂ではマカロフを使う強力な手下を従えて現場で暗躍している。噂では全ての事件をデウスエクスマキナのごとく片付けるトラブルシューター。
齢50歳とは思えない若々しい精気。風貌は歳相応だが、隠しきれない覇気は威勢だけで生きている若者など足元にも及ばない。
この業界では最大手の【北興商事】。表向きは外資系との提携を口利きする代理店。勿論、最大手の意味するところは裏の世界での話しだ。
高科聡美はヘッドハンティングを主要な職掌としている。
ガラスのパーテーションで仕切られただけの執務室。15㎡程の部屋。フロアの中に高科聡美の執務室が有る。辺りは全て消灯し、電灯が点いているのはここだけ。
「で……私がその子を鍛えればいいのかしら?」
高科聡美は左手の指で図太いドライシガーを弄ぶ。優しい微笑みを讃えながら目の前に立つ、新堂美冠を見た。高科聡美のドライシガーは独特の着香でコニャックの香りがする。
「その援護を。有望かどうかは分かりませんが、『鍛えれば即戦力に近い』能力を発揮します」
美冠は抑揚の無い声で静かに言う。
「あのねぇ……『鍛えれば誰でも即戦力に近付く』ものなのよ。欲しいのは鍛えなくても都合よく、こちらの契約でいい返事を聞かせてくれる即戦力よ……ということは……」
美冠は小さく頷く。高科聡美の返ってくる台詞は全て見透かしていると言わんばかりに。
「……」
「……」
暫し、二人は互いの眼光を交わす。互いが、その向こうに有る何かを測ろうとしている。
「ま、いいでしょう。『ウチにメリット』が生まれるまではあなたが責任を持つという事で」
「有り難うございます。では、少しの間……一時、戦線から離れます」
美冠はこうべを垂れる。
静かに下げた頭を戻すと、相変わらず表情の読めない顔できびすを返して執務室を出る。
高科聡美は指で弄んでいたコニャックフレーバーのドライシガーを銜えて先端をターボライターで炙りながら吸う。
長い紫煙を吐きながら、『次代の自分』と買っている人材が見つけた『有望な人材』に少し興味が出てきた。あの堅物が『あんなに優しそうな目をするとは思わなかった』。
※ ※ ※
かなえは文字通り地下に有る、違法射撃場でベレッタの射撃練習をしていた。セミオートによる射撃。3バーストによる射撃。片手、両手での保持。標的や距離や数や移動速度も様々。
地下道を違法改造した射撃場なのでレンジの距離も規模も知れている。空気は悪く、酸欠による中毒死と隣り合わせ。普段は照準を調整する時にしか利用しないが、今は貯金を大胆にはたいて貸切で習熟をしている。
それに伴う弾薬の入手やその経路にも惜しみなく金を払った。地下銀行経由の投資も学んだ。何もかも、金が発生する。それを惜しむのは経済的であっても『行動範囲やその可能性』が狭くなるのが普通だ。
愛銃だけに金を掛けていられない。それに付随する様々な……自分が活動していくのに関わる場面で金の出し惜しみは結果的に寿命を縮めるということを悟った。皮肉にも射撃場を借りるには? と云う基本的な視点で観測して初めて金の使い方を学んだ。
必要なサブスクリプションと投資。個人レベルの経済の循環が大きくまとまればこの不況の中でも何とか生きていける可能性が見えた。今まではハイリスクの末の収入にしか頼っていなかった。