カレンダーに無い二月
これが鉄砲玉稼業だ。
今夜のように現場で初めて、面子が揃うことも珍しくない。美冠が後ろ腰から、思わず吹き出しそうになるような拳銃を引き抜いた時から完全にバカにしていた。
バカにしていたかなえも鉄火場が開かれたと同時に言葉を失う。
まさに、紫電一閃だった。かなえが呆気なくテナントのドアの蝶番を3バーストで破壊し、左軸足を踏ん張って右足裏でドアを蹴破る。ドアが甲高い悲鳴を挙げた瞬間に腰よりも低く頭を下げた美冠が室内に飛び込み、6発、発砲。無為な発砲は無かった。右足裏から伝わるドアの反動で一瞬、出遅れたかなえは耳に聞き慣れた、『助からない声と音』を聞いた。6発の銃声。6人の倒れる音。
助からない……そう直感したのは、人体に命中する重い水袋のような音を聞かなかったからだ。代わりに、硬いものが爆ぜる音を聞いた。
「…………ええ」
かなえは硝煙がまだ薄っすらと立ち昇るベレッタM93Rのセフティをかけて、正常を保とうと努力する。それでも声が漏れた。
美冠は小型の自動拳銃から弾倉を抜き、新しい弾倉を差し込んだ。弾倉にはまだ6発の実包が詰まっているはずだが、鉄火場では何が起きるかわからないので、弾倉は常に満タンのものを差し込んでおくのは半ばセオリーだ。
かなえの目の前で美冠のポニーテールが左右に揺れる。明らかに室内に潜伏する敵性戦力を探索している。そんなもの居るはずが無い。少なくとも、自分なら息を殺して出てこない。……かなえはそんな言葉を飲み込んだ。
6体の亡骸。頭部に頚部。人類ならば確実に絶命する部位を9mmパラベラムの熱い弾頭で破壊されている。壁や天井には血飛沫と共に脳漿の欠片が張りついている。
昨今の疫病の流行でマスクが奨励されているが、この現場では疫病が流行っていなくともマスクを装着したかった。呼吸のたびに肺を空気中に漂う鉄臭い成分で汚されそうだ。鉄火場を専門にするかなえは確実で速やかで的確な死の提供を行うタイプの鉄砲玉の外注ではない。
美冠のような、殺し屋と早撃ちのガンマンの腕を兼ね備えた遣い手と仕事をした事が無かったのであまりの凄惨さに度肝を抜かれたのだ。
「行きましょう。もうここには誰も居ないみたい」
「あ? うん……」
低くややハスキーな美冠の声。この現場でなかったら声だけで身を立てられそうに耳に深く長く残る。その声かけにかなえは間抜けな返事を返す他無かった。
今夜限りの顔合わせではない。
生きていればまだ何処かの現場で新堂美冠という女性と顔をあわせる事もあるだろう。尤も、今度会うときは敵同士として撃ち合うかも知れない。
この業界では珍しくない。寧ろ日常だ。今日の友は明日はどうなっているかは全く読めない。
――――それにしても……。
かなえはきびすを半分返して室内の惨状見た。誰も彼もたったの一発で絶命している。それも……ほとんど、反撃の意図すら見せないうちに、素早く部屋へ飛び込んだ美冠によって射殺。美冠の技量はそれだけで分かった。美冠の技量を全く見誤っていた。
ドアを開ける都合のいいスレッジハンマーとしか自分は見られていなかった。かなえと美冠は特に打ち合わせはしていない。かなえがドアを蹴破り、それを合図に美冠が飛び込みタマをばら撒いて数十秒で撤収するだけ。それを現場に来る途中で盗難車のクーペの中で見取り図を見ながら打ち合わせの真似事をしただけだ。
かなえとて、鉄火場請負のプロである。火力も本物だ。その彼女が、ただのドアを蹴破る装置として扱われたことに少し腹が立ったが、それと同じくらいに、人を見る眼が無いことを恥じた。
美冠は部屋へ突入するや否や視線と銃口を左右に振り、その焦点に捉えた『人の形』をなしたものは全て一撃で打倒。鉄砲玉請負としてはサービスが過ぎる。外注の鉄砲玉としての本分は人的被害も含めて壁、天井、床などに弾痕を残すことだ。この物件は反社会的組織の巣窟であるという痕跡を残すのが目的である。死傷者の処理費だけでなく、弾痕の修繕費もバカにならない上に司直に目をつけられて、今後は貴重な物件が組事務所として用いるのが難しくなる。
さながら、囲碁のようだ。碁盤の石が鉄砲玉だ。
今では何処の勢力も経済的に圧されてしまって子飼いの構成員を用いて勢力をアピールすることが少なくなっている。そこへ付け込むように海外の組織が流入し、国内で侵蝕するかのように橋頭堡を築いている。
昨今の疫病の流行で全てが様変わりした。以前から、経済的打撃による組織の勢力低下は危惧されていたが、それは二昔ほど前の米国に端を発する世界恐慌が原因で、緩やかに経済的苦境に晒されると予測されていた。しかし、近年、大陸由来とされる疫病の世界的流行で表の世界が大打撃を蒙り、ドミノ倒しのように裏の世界までが不況に喘いでいる。
カタギから搾取することで生きていた裏の世界の住人からすれば、搾取しようにも0から100は奪えない事実は死活問題だった。
そこで個人経営の……今まで鼻で笑われていた底辺の存在だった個人経営の事業者に脚光が浴びる。闇医者、運び屋、清掃人、護り屋、武器屋、銀行、仕入れ……様々な個人事業主はそれまで倒産や破綻を防ぐ為に同じ業種同士で寄り添い、互助会を作っていた。その互助会に、『都合のいい使い捨てを寄越せ』とかつての威光を振り翳す大手組織が依頼人となり適切な人材を派遣させる傾向が強くなってきた。
裏の世界でも終身雇用制度は死語になりつつある。若手は早々に組織を離れて個人経営を始めるか、組織に忠誠を尽くすフリをしながら投資や取り引きや口利きで副業をし、老後や万が一に備えている。
組織は強い――――残念ながら、悪どい手法で濡れ手に粟で権威を保っていた『強い組織』は国内では数えるほどしかなくなっていた。
結果的に、皮肉にも、棚から牡丹餅に、かなえや美冠のような個人事業主の出番が増えたのだ。組織内部に現場で死線をくぐった腕利きが居なくなり、ノウハウの引継ぎも難しくなり、そもそも引き止めるだけの給料や契約金も支払えなくなったので、『要る時だけ、要る分、人材を派遣する』商売を逸早くセールスした各業種の互助会が広く浅く、力を得つつある。人材派遣にしても完全にサブスクリプションの形態をとっているので互助会傘下の個人事業者が横の連携を繰り返して、複数の集団を形成している。
そうした背景の同じ業種のかなえと美冠だが、雇い主や加盟する集団が別な為に、次回の仕事では現場では殺しあう立場になっている可能性が高いのだ。今までかなえは何度も経験してきた。同じ現場で仲良くなってSNSのアカウントを交換した同業者を違う現場で殺害して虚無と悲哀と怒号が混じった涙を流したことは数え切れない。最近遭っていない同業者の死亡を風の噂で何度も聞いた。
いつ消えるか分からない存在。そんな儚い存在ほど脚光を浴びるのは皮肉でしかない。
世界が混乱しなければ自分たちが本当に必要とされないのなら、それは、世界がおかしいのか、自分たち、裏の世界の人間たちがおかしいのか。
かなえは愛用のベレッタを左脇へ滑り込ませると、先を行く美冠の後ろに付く。深夜の寒々しい廊下は本当に寒かった。気温が低い。心が冷える。頭が凍る。
いつも、仕事の後に不意に寂寞感に襲われるが、そんなときはいつも、この瞬間に心臓が止まってくれないものかとかなえは念じてしまう。
今夜のように現場で初めて、面子が揃うことも珍しくない。美冠が後ろ腰から、思わず吹き出しそうになるような拳銃を引き抜いた時から完全にバカにしていた。
バカにしていたかなえも鉄火場が開かれたと同時に言葉を失う。
まさに、紫電一閃だった。かなえが呆気なくテナントのドアの蝶番を3バーストで破壊し、左軸足を踏ん張って右足裏でドアを蹴破る。ドアが甲高い悲鳴を挙げた瞬間に腰よりも低く頭を下げた美冠が室内に飛び込み、6発、発砲。無為な発砲は無かった。右足裏から伝わるドアの反動で一瞬、出遅れたかなえは耳に聞き慣れた、『助からない声と音』を聞いた。6発の銃声。6人の倒れる音。
助からない……そう直感したのは、人体に命中する重い水袋のような音を聞かなかったからだ。代わりに、硬いものが爆ぜる音を聞いた。
「…………ええ」
かなえは硝煙がまだ薄っすらと立ち昇るベレッタM93Rのセフティをかけて、正常を保とうと努力する。それでも声が漏れた。
美冠は小型の自動拳銃から弾倉を抜き、新しい弾倉を差し込んだ。弾倉にはまだ6発の実包が詰まっているはずだが、鉄火場では何が起きるかわからないので、弾倉は常に満タンのものを差し込んでおくのは半ばセオリーだ。
かなえの目の前で美冠のポニーテールが左右に揺れる。明らかに室内に潜伏する敵性戦力を探索している。そんなもの居るはずが無い。少なくとも、自分なら息を殺して出てこない。……かなえはそんな言葉を飲み込んだ。
6体の亡骸。頭部に頚部。人類ならば確実に絶命する部位を9mmパラベラムの熱い弾頭で破壊されている。壁や天井には血飛沫と共に脳漿の欠片が張りついている。
昨今の疫病の流行でマスクが奨励されているが、この現場では疫病が流行っていなくともマスクを装着したかった。呼吸のたびに肺を空気中に漂う鉄臭い成分で汚されそうだ。鉄火場を専門にするかなえは確実で速やかで的確な死の提供を行うタイプの鉄砲玉の外注ではない。
美冠のような、殺し屋と早撃ちのガンマンの腕を兼ね備えた遣い手と仕事をした事が無かったのであまりの凄惨さに度肝を抜かれたのだ。
「行きましょう。もうここには誰も居ないみたい」
「あ? うん……」
低くややハスキーな美冠の声。この現場でなかったら声だけで身を立てられそうに耳に深く長く残る。その声かけにかなえは間抜けな返事を返す他無かった。
今夜限りの顔合わせではない。
生きていればまだ何処かの現場で新堂美冠という女性と顔をあわせる事もあるだろう。尤も、今度会うときは敵同士として撃ち合うかも知れない。
この業界では珍しくない。寧ろ日常だ。今日の友は明日はどうなっているかは全く読めない。
――――それにしても……。
かなえはきびすを半分返して室内の惨状見た。誰も彼もたったの一発で絶命している。それも……ほとんど、反撃の意図すら見せないうちに、素早く部屋へ飛び込んだ美冠によって射殺。美冠の技量はそれだけで分かった。美冠の技量を全く見誤っていた。
ドアを開ける都合のいいスレッジハンマーとしか自分は見られていなかった。かなえと美冠は特に打ち合わせはしていない。かなえがドアを蹴破り、それを合図に美冠が飛び込みタマをばら撒いて数十秒で撤収するだけ。それを現場に来る途中で盗難車のクーペの中で見取り図を見ながら打ち合わせの真似事をしただけだ。
かなえとて、鉄火場請負のプロである。火力も本物だ。その彼女が、ただのドアを蹴破る装置として扱われたことに少し腹が立ったが、それと同じくらいに、人を見る眼が無いことを恥じた。
美冠は部屋へ突入するや否や視線と銃口を左右に振り、その焦点に捉えた『人の形』をなしたものは全て一撃で打倒。鉄砲玉請負としてはサービスが過ぎる。外注の鉄砲玉としての本分は人的被害も含めて壁、天井、床などに弾痕を残すことだ。この物件は反社会的組織の巣窟であるという痕跡を残すのが目的である。死傷者の処理費だけでなく、弾痕の修繕費もバカにならない上に司直に目をつけられて、今後は貴重な物件が組事務所として用いるのが難しくなる。
さながら、囲碁のようだ。碁盤の石が鉄砲玉だ。
今では何処の勢力も経済的に圧されてしまって子飼いの構成員を用いて勢力をアピールすることが少なくなっている。そこへ付け込むように海外の組織が流入し、国内で侵蝕するかのように橋頭堡を築いている。
昨今の疫病の流行で全てが様変わりした。以前から、経済的打撃による組織の勢力低下は危惧されていたが、それは二昔ほど前の米国に端を発する世界恐慌が原因で、緩やかに経済的苦境に晒されると予測されていた。しかし、近年、大陸由来とされる疫病の世界的流行で表の世界が大打撃を蒙り、ドミノ倒しのように裏の世界までが不況に喘いでいる。
カタギから搾取することで生きていた裏の世界の住人からすれば、搾取しようにも0から100は奪えない事実は死活問題だった。
そこで個人経営の……今まで鼻で笑われていた底辺の存在だった個人経営の事業者に脚光が浴びる。闇医者、運び屋、清掃人、護り屋、武器屋、銀行、仕入れ……様々な個人事業主はそれまで倒産や破綻を防ぐ為に同じ業種同士で寄り添い、互助会を作っていた。その互助会に、『都合のいい使い捨てを寄越せ』とかつての威光を振り翳す大手組織が依頼人となり適切な人材を派遣させる傾向が強くなってきた。
裏の世界でも終身雇用制度は死語になりつつある。若手は早々に組織を離れて個人経営を始めるか、組織に忠誠を尽くすフリをしながら投資や取り引きや口利きで副業をし、老後や万が一に備えている。
組織は強い――――残念ながら、悪どい手法で濡れ手に粟で権威を保っていた『強い組織』は国内では数えるほどしかなくなっていた。
結果的に、皮肉にも、棚から牡丹餅に、かなえや美冠のような個人事業主の出番が増えたのだ。組織内部に現場で死線をくぐった腕利きが居なくなり、ノウハウの引継ぎも難しくなり、そもそも引き止めるだけの給料や契約金も支払えなくなったので、『要る時だけ、要る分、人材を派遣する』商売を逸早くセールスした各業種の互助会が広く浅く、力を得つつある。人材派遣にしても完全にサブスクリプションの形態をとっているので互助会傘下の個人事業者が横の連携を繰り返して、複数の集団を形成している。
そうした背景の同じ業種のかなえと美冠だが、雇い主や加盟する集団が別な為に、次回の仕事では現場では殺しあう立場になっている可能性が高いのだ。今までかなえは何度も経験してきた。同じ現場で仲良くなってSNSのアカウントを交換した同業者を違う現場で殺害して虚無と悲哀と怒号が混じった涙を流したことは数え切れない。最近遭っていない同業者の死亡を風の噂で何度も聞いた。
いつ消えるか分からない存在。そんな儚い存在ほど脚光を浴びるのは皮肉でしかない。
世界が混乱しなければ自分たちが本当に必要とされないのなら、それは、世界がおかしいのか、自分たち、裏の世界の人間たちがおかしいのか。
かなえは愛用のベレッタを左脇へ滑り込ませると、先を行く美冠の後ろに付く。深夜の寒々しい廊下は本当に寒かった。気温が低い。心が冷える。頭が凍る。
いつも、仕事の後に不意に寂寞感に襲われるが、そんなときはいつも、この瞬間に心臓が止まってくれないものかとかなえは念じてしまう。