カレンダーに無い二月
船長の横顔がデザインされたブルーのパウチの印象的なシャグ。アークロイヤルのターキッシュブレンド。
自宅。1Kマンション。ロフトベッドの下段の小さなデスクで煙草を巻こうと思ったら『依頼に関する』電話が舞い込んだ。
話の行く末が依頼の割には首を捻る曖昧な事が多かったので、その時は詳細は紙面――PDF――で寄越せと仕事の斡旋業者に言って通話を切った。
※ ※ ※
「『よく分からない』話だったんで直接来たのだけど……?」
彼女は、事前にもらった画像に有った新堂美冠なる人物が座るボックス席の前に遠慮も無く座った。美冠は活動的な水色のトレーナーに膝が薄れたデニムパンツ姿で寸鉄一つ帯びていない容姿だ。
ぶっきらぼうに言い放って対面に座った彼女を見ても美冠は表情を崩さず――感情の読み取れない表情――ハンバーガーに齧りついていた。勿論、スカウトの話なのは承知している。その上で委細を伺うフックとして乱暴な言い方で吹っかけた。
「単刀直入、好きかしら?」
美冠は本当に単刀直入に言い放つ。
「好きだけど……それが何?」
「結構よ。あなた、最近、自覚できるほどに自分が変わったと思っているでしょう? それと『まるで自分に誂えたみたいな仕事』ばかり舞い込んで渡りに船だったんじゃないかしら。自分を徐々に鍛えて力を溜めて……溜めた力を発揮するお披露目会みたいに都合のいい仕事が舞いこんで……心当たり、無い?」
「……!」
こちらを見定めるような目で美冠に舐められながら言われたその言葉に全ての辻褄が合う。フックを仕掛けたのに予想外の返答に戸惑う。
「そうか……」
「……そうよ」
美冠は初めてクスリと笑った。
全てが得心。一気に氷解。
自分の成長など、目の前のこの女に仕組まれた成長だったと確信。納得するのは早かった。仕組みも分かった。ただ、理性が怒りを覚える。
殺意が沸騰する。怒りのあまり脳天が熱くなる。心理的反応でテーブルの下で利き手の握り拳に必要以上に力が入る。直ぐ様、その憎たらしい女の顔面に鉄拳を叩き込まなかったのは、4ヶ月前の山中での負傷の痕が梅雨で疼いて痛かったからだ。
「『怪我をしていなかったら私は殴り飛ばされていたのかしら?』」
涼しい顔でハンバーガーを再び齧る美冠。
今まで自力で成長したと思っていた。自力でチャンスを掴んで成長したと思っていた。自力で独学で成長を促す方法を模索して実行していたと思っていた。
それが砂上の楼閣のように崩れる。
自分とは?
自力とは?
自分の『自力』とは?
『どこからどこまでが自力で、どこからどこまでが仕組まれた物なのだ?』
今までがトントン拍子で進んでいた。自分の先見性が誰よりも一歩分勝っていただけだと思っていた。
事実は……違う。
大手組織の人材不足の噂と話が繋がる。
大手の窓口らしい美冠が、スカウトしたいとのことで自分とこうして逢っている。その情報に加え、先ほどの『単刀直入』で十分、何もかもが視得た。
箱庭で育てた人材では形式の中でしか動けない。現在の大手組織の人材不足は箱庭で教育された人材ゆえに始まった、伝統と格式を重んじた為に始まった瓦解。それを補修、増強するには新しい『建材』が必要だった。それも他の山で品種改良した苗を育てて切り出した木材が。
今まで何もかも上手く進んでいた自分への投資が……。
「あ、そうそう。本当に殴り飛ばされる前に言っておくわね」
心がどす黒く濁っていくのを、美冠の涼しい声が切り裂く。
「『こちら』が手を入れて……仕事を宛がったのは事実だけども、あなたのお金と時間の使い方には全く驚かされてばかりで、先が読めなくて苦労したわ。まさか人脈まで開発するなんてね」
「……そうかい」
ふと、脳裏を悪い囁きが過ぎる。
このままおとなしく諸手を挙げる振りをしても悪くはない。
美冠が『金と時間と人脈』について言及した時に髪の毛一本ほどに余裕ができた。
目の前の、他の客と同じくハンバーガーを齧っている女は万能じゃない。その背後に指示している人間が居たとしても、全てを操作されているわけではない。そう考えれば1年と数ヶ月で培った逆の思考が鎌首を擡げる。
――――だったら……飼い犬の真似事をしていても、私の腹まで探られる心配は低い、ということだな。
眼光紙背。
その文言の背後に潜む真意を汲んだ方が勝ち。
相手は小学四年生だと思って対話してきたが、目の前に居る正体の知れない女は『わざと挑発する言葉を投げかけているが、実際のところ、全てこちらが誤解して捉えても良いように』話を紡いでいるのではないかと考え始めた。
そうなれば、美冠の言葉の繋がりが納得できた。
最初に挑発を繰り返して怒らせる。おそらくこれは性格や心理状態を試されている。
次に誤解しやすいレトリックと真意を混ぜて情報を開示して混乱させる。おそらくこれは読解力と判断力のテスト。
そうなれば次に試されるのは……。
「『言いたい事を正直に言ってよ』。話しはそれから」
強気に出た。
それに対し美冠は口中の物を嚥下して、言う。
「『私たち』があなたを育てたのは確か。『積極的に自発したのはあなた』。それも確か。その上で……あなたを『私たち』の人材として登用したい」
先ほどまでテーブルの下で握り締めていた握り拳が思わずガッツポーズ。
言質を取った!
理由如何は『理由』でしかない。怒りが鳴りを潜め打算する算盤が冷静に音を立てる。
最終的な話の落ち所を良く掴んでいる。彼女は満足そうに目を細めた。それを見た美冠は祝杯でも挙げるかのように炭酸飲料が入ったストローを咥えた。
数ヶ月前の山中の仕事で負傷した2箇所の弾痕が疼きが軽くなる。全身の筋肉が歓喜を代弁している。今にも踊りだしそうな彼女。苦労を積み重ねてきた成果が実った。感動に打ち震える表情はチラリとも表に出さない。
彼女は大人しく従う振りをすることで終身雇用とはいかなくとも安泰な老後や余生を過ごせるだけの硬い足場を手に入れたのだ。腹の中の怒りが完全に収まったわけではない。その怒りの矛先が違うエネルギーに転換されただけだ。ストレスなら仕事で発散すればいい。
仕事内容も大方想像がつく。荒事師が雇用、投入される時は現場の最前線だ。
「最後に質問だけど、『前のヤマ』で……私が依頼人から三下連中をシゴいてくれと言われたことがあったけど……その時の『あのベレッタ使い』もあんたの用意したステップアップの為の『サクラ』なのかい?」
話題のような、軽い質問のつもりで彼女はふと訊いてみた。
「? ……何の事?」
全く虚を衝かれた顔をする美冠。本当に何も知らない。本当に『ベレッタ使いの女』のことは知らない顔だ。大口開けてフライドポテトの紙容器を掴む美冠の顔には疑問符が浮いている。
不意に背中に氷が這い登ってきた!
「!」
襲撃だ! こんな時は必ず唐突。唐突でなければ襲撃の要素は成立しない。
襲撃する側は同時に自分達も襲撃される側だという危機感を持って生活を心掛けないと、スナック菓子感覚で生命が消費される。
新堂美冠は本来なら襲撃者であるはずの人間だった。襲撃を生活の糧として生業として糊口を凌ぐタネとして常に矜持を背負っていた。その彼女が、ファストフード店で、あたかもビールジョッキを呷るようにフライドポテトの紙容器を大きく開けた口に傾けている最中に銃弾の洗礼を受けることになった。
確かに美冠は裏の世界では名の通った鉄砲玉稼業専門のエースには違いない。その彼女が、襲撃された。白昼。割れるウインドウ。阿鼻叫喚の店内。薙ぎ倒されるテーブルに椅子に、『目の前で爆ぜる人の命』。何もかもが美冠の視界ではスローモーションに映る。
人間は命の危機に晒されると、過去に経験した記憶を引きずり出してなんとしても生きながらえようと脳味噌が勝手に暴走する。走馬灯は遥か昔の記憶を探り、窮地にどのようにして生きながらえたかを引っ張り出そうとしている、謂わば、最後の能動的防御反応なのだ。
自宅。1Kマンション。ロフトベッドの下段の小さなデスクで煙草を巻こうと思ったら『依頼に関する』電話が舞い込んだ。
話の行く末が依頼の割には首を捻る曖昧な事が多かったので、その時は詳細は紙面――PDF――で寄越せと仕事の斡旋業者に言って通話を切った。
※ ※ ※
「『よく分からない』話だったんで直接来たのだけど……?」
彼女は、事前にもらった画像に有った新堂美冠なる人物が座るボックス席の前に遠慮も無く座った。美冠は活動的な水色のトレーナーに膝が薄れたデニムパンツ姿で寸鉄一つ帯びていない容姿だ。
ぶっきらぼうに言い放って対面に座った彼女を見ても美冠は表情を崩さず――感情の読み取れない表情――ハンバーガーに齧りついていた。勿論、スカウトの話なのは承知している。その上で委細を伺うフックとして乱暴な言い方で吹っかけた。
「単刀直入、好きかしら?」
美冠は本当に単刀直入に言い放つ。
「好きだけど……それが何?」
「結構よ。あなた、最近、自覚できるほどに自分が変わったと思っているでしょう? それと『まるで自分に誂えたみたいな仕事』ばかり舞い込んで渡りに船だったんじゃないかしら。自分を徐々に鍛えて力を溜めて……溜めた力を発揮するお披露目会みたいに都合のいい仕事が舞いこんで……心当たり、無い?」
「……!」
こちらを見定めるような目で美冠に舐められながら言われたその言葉に全ての辻褄が合う。フックを仕掛けたのに予想外の返答に戸惑う。
「そうか……」
「……そうよ」
美冠は初めてクスリと笑った。
全てが得心。一気に氷解。
自分の成長など、目の前のこの女に仕組まれた成長だったと確信。納得するのは早かった。仕組みも分かった。ただ、理性が怒りを覚える。
殺意が沸騰する。怒りのあまり脳天が熱くなる。心理的反応でテーブルの下で利き手の握り拳に必要以上に力が入る。直ぐ様、その憎たらしい女の顔面に鉄拳を叩き込まなかったのは、4ヶ月前の山中での負傷の痕が梅雨で疼いて痛かったからだ。
「『怪我をしていなかったら私は殴り飛ばされていたのかしら?』」
涼しい顔でハンバーガーを再び齧る美冠。
今まで自力で成長したと思っていた。自力でチャンスを掴んで成長したと思っていた。自力で独学で成長を促す方法を模索して実行していたと思っていた。
それが砂上の楼閣のように崩れる。
自分とは?
自力とは?
自分の『自力』とは?
『どこからどこまでが自力で、どこからどこまでが仕組まれた物なのだ?』
今までがトントン拍子で進んでいた。自分の先見性が誰よりも一歩分勝っていただけだと思っていた。
事実は……違う。
大手組織の人材不足の噂と話が繋がる。
大手の窓口らしい美冠が、スカウトしたいとのことで自分とこうして逢っている。その情報に加え、先ほどの『単刀直入』で十分、何もかもが視得た。
箱庭で育てた人材では形式の中でしか動けない。現在の大手組織の人材不足は箱庭で教育された人材ゆえに始まった、伝統と格式を重んじた為に始まった瓦解。それを補修、増強するには新しい『建材』が必要だった。それも他の山で品種改良した苗を育てて切り出した木材が。
今まで何もかも上手く進んでいた自分への投資が……。
「あ、そうそう。本当に殴り飛ばされる前に言っておくわね」
心がどす黒く濁っていくのを、美冠の涼しい声が切り裂く。
「『こちら』が手を入れて……仕事を宛がったのは事実だけども、あなたのお金と時間の使い方には全く驚かされてばかりで、先が読めなくて苦労したわ。まさか人脈まで開発するなんてね」
「……そうかい」
ふと、脳裏を悪い囁きが過ぎる。
このままおとなしく諸手を挙げる振りをしても悪くはない。
美冠が『金と時間と人脈』について言及した時に髪の毛一本ほどに余裕ができた。
目の前の、他の客と同じくハンバーガーを齧っている女は万能じゃない。その背後に指示している人間が居たとしても、全てを操作されているわけではない。そう考えれば1年と数ヶ月で培った逆の思考が鎌首を擡げる。
――――だったら……飼い犬の真似事をしていても、私の腹まで探られる心配は低い、ということだな。
眼光紙背。
その文言の背後に潜む真意を汲んだ方が勝ち。
相手は小学四年生だと思って対話してきたが、目の前に居る正体の知れない女は『わざと挑発する言葉を投げかけているが、実際のところ、全てこちらが誤解して捉えても良いように』話を紡いでいるのではないかと考え始めた。
そうなれば、美冠の言葉の繋がりが納得できた。
最初に挑発を繰り返して怒らせる。おそらくこれは性格や心理状態を試されている。
次に誤解しやすいレトリックと真意を混ぜて情報を開示して混乱させる。おそらくこれは読解力と判断力のテスト。
そうなれば次に試されるのは……。
「『言いたい事を正直に言ってよ』。話しはそれから」
強気に出た。
それに対し美冠は口中の物を嚥下して、言う。
「『私たち』があなたを育てたのは確か。『積極的に自発したのはあなた』。それも確か。その上で……あなたを『私たち』の人材として登用したい」
先ほどまでテーブルの下で握り締めていた握り拳が思わずガッツポーズ。
言質を取った!
理由如何は『理由』でしかない。怒りが鳴りを潜め打算する算盤が冷静に音を立てる。
最終的な話の落ち所を良く掴んでいる。彼女は満足そうに目を細めた。それを見た美冠は祝杯でも挙げるかのように炭酸飲料が入ったストローを咥えた。
数ヶ月前の山中の仕事で負傷した2箇所の弾痕が疼きが軽くなる。全身の筋肉が歓喜を代弁している。今にも踊りだしそうな彼女。苦労を積み重ねてきた成果が実った。感動に打ち震える表情はチラリとも表に出さない。
彼女は大人しく従う振りをすることで終身雇用とはいかなくとも安泰な老後や余生を過ごせるだけの硬い足場を手に入れたのだ。腹の中の怒りが完全に収まったわけではない。その怒りの矛先が違うエネルギーに転換されただけだ。ストレスなら仕事で発散すればいい。
仕事内容も大方想像がつく。荒事師が雇用、投入される時は現場の最前線だ。
「最後に質問だけど、『前のヤマ』で……私が依頼人から三下連中をシゴいてくれと言われたことがあったけど……その時の『あのベレッタ使い』もあんたの用意したステップアップの為の『サクラ』なのかい?」
話題のような、軽い質問のつもりで彼女はふと訊いてみた。
「? ……何の事?」
全く虚を衝かれた顔をする美冠。本当に何も知らない。本当に『ベレッタ使いの女』のことは知らない顔だ。大口開けてフライドポテトの紙容器を掴む美冠の顔には疑問符が浮いている。
不意に背中に氷が這い登ってきた!
「!」
襲撃だ! こんな時は必ず唐突。唐突でなければ襲撃の要素は成立しない。
襲撃する側は同時に自分達も襲撃される側だという危機感を持って生活を心掛けないと、スナック菓子感覚で生命が消費される。
新堂美冠は本来なら襲撃者であるはずの人間だった。襲撃を生活の糧として生業として糊口を凌ぐタネとして常に矜持を背負っていた。その彼女が、ファストフード店で、あたかもビールジョッキを呷るようにフライドポテトの紙容器を大きく開けた口に傾けている最中に銃弾の洗礼を受けることになった。
確かに美冠は裏の世界では名の通った鉄砲玉稼業専門のエースには違いない。その彼女が、襲撃された。白昼。割れるウインドウ。阿鼻叫喚の店内。薙ぎ倒されるテーブルに椅子に、『目の前で爆ぜる人の命』。何もかもが美冠の視界ではスローモーションに映る。
人間は命の危機に晒されると、過去に経験した記憶を引きずり出してなんとしても生きながらえようと脳味噌が勝手に暴走する。走馬灯は遥か昔の記憶を探り、窮地にどのようにして生きながらえたかを引っ張り出そうとしている、謂わば、最後の能動的防御反応なのだ。