カレンダーに無い二月

 3バーストの直撃を顔面に受けた20代後半と思しき青年の顎の上から半分が消し飛び、身元照合を困難にした。
 スライドが後退する前に弾倉交換。護身用ではなく、戦闘用を意識した自動拳銃では弾倉が空になる前に、薬室に一発残っているうちに新しい弾倉と交換するのが最適だとされている。全弾撃ちきってからの弾倉交換だと再装填から撃発までのロスが大き過ぎて命取りになりかねない。
 今度は頭を死体の盾から出そうとしていた『葬儀屋』に向かって3バースト。彼女は被弾を恐れて死体に身を再び隠す。弾頭が秒速370mで叩き込まれた死体はまたも、血煙を上げて不快な飛沫がミカの頭上から降り注ぐ。
 かなえはカニのように左手側に左側面移動を全速力で行う。左手側に展開していた一番左端の青年は今し方絶命した。今度はその次の男……その男を援護しようとその向うにいる中年男性が大型軍用自動拳銃を振り翳すのが40m前方に見えたが、手前に居る男が視界を邪魔して発砲できない。援護してやりたいのに援護できない位置に。
「ひっ……」
 かなえと援護しようとしていた中年の男の間に挟まれた30代前半と思しきその男は両方から銃口を向けられて肝を冷やされた顔をした。
 それが命取りとなり、一瞬でパニックに陥った男の腹に3発の9mmがめり込む。腹に被弾した男が崩れ落ちたその向うに居た男もついでの駄賃のように撃ち倒された。
 左手側3人が全滅したのを確認する暇を捨てて、背中を巨大な掌で押されたように前のめりに勢いよく『自分から』倒れた。衣服が無残に汚れるのも、一切構わずに、だ。
 動きを停止すれば『葬儀屋』ミカの3バーストが襲い来る!
 一目散というには泥臭いが、顔を地面に擦り付けるような匍匐前進で移動し、土塊や用水路跡が形成する遮蔽に体を滑り込ませる。うつ伏せの状態から背中に背負ったままのナップザックを肩から下ろして脳天部に置いた。体の向きを調整。脳天をミカの方向へ。体を彼女に晒す面積を小さくし、ハイキング用ナップザックを遮蔽にした。
「……参ったなー」
 軽い口調で思わず呟く。現実は参ったどころではない。かなえを追って、9mmパラベラムの土煙がかなえの付近に立ち昇る。何発かはナップザックに命中したらしい。
 かなえの近辺に用水路跡のやや深めの遮蔽が無ければとっくにミカの凶弾に倒れていた。
 膠着した。走るより、伏せや匍匐前進の方が多い。それはミカも同じだろう。
 全ての手勢を狩られた『葬儀屋』ミカ。かつての傍若無人、傲岸不遜で雑な仕事をする人間だとは最早思っていない。『葬儀屋』の過去を持つ新しいミカだと脳内の情報を書き換えた。
 地面をゴキブリのように移動する。かなえの耳にもミカが移動する音――地面を蹴る音――が聞こえる。
 3バースト対3バースト。
 条件が同じならどちらの腕前が上か?
 装弾数の僅かな差異が決するか?
 フォアグリップとストックの差異が決するか?
 撃鉄露出式と撃鉄内蔵式の差異が決するか?
 どちらの設計思想が優れているかという『生まれる前』からの勝負で決するか?
 否、否、否!
 銃火器が全てを……暴力に用いる道具が全てを決するのなら鉄砲玉専門の荒事師は必要ない。全国の組織は深刻な人材不足に陥らない。
 いつでも、いつの世も、どのような状況でも勝敗を決するのは肝が据わった人間だけだ。
 ミカは変わった。かなえも変わっていた。
 トリガーハッピーのように無為に銃弾をばら撒いてその出費に毎回泣いて、学習しなかったかなえはここには存在しない。『生き続ける事を前提に生きている』かなえが居る。
 強風、一薙ぎ。
 頭と体の芯まで冷える。鼓膜が針で突付かれているように痛い。腰と背中に貼った使い捨てカイロが無ければ血行不良でもっと早くに正常な判断ができずに脱落していただろう。……この点もかなえの大きく成長した一部分だ。過去を顧みる。たったそれだけの事が、一人で脳内で反省会を開く事が明日の自分の生存率を上げるということに気が付いたのだ。
 今の自分は過去の積み上げ。過去のツケ。今の自分が10年後の自分を造る。今日は『今日』ではない。これから始まる新しい毎日への記念すべき初日だ。
 空が、鈍い色の底を見せたように灰色に染まる。これから更に雪が降るだろう。今は積もるほどでもない雪だが、後数時間にはこの辺り一帯は白く染まるかもしれない。今までのかなえなら、そんな先の事など考えもしない。
今のかなえはそれも考慮する。身体に不調が訪れる時間も計算。
「……」
 ――――撃ち過ぎたかな。
 ――――『看板』だ。
 左手で後ろ腰を探ると予備弾倉が一本だけ、ある。
 グリップ内部には今し方、弾倉交換をしたので20発、実包が詰まっている。
 ナップザックに予備の弾倉が何本か入っているが悠長に取りに行ってマグポーチに差し込む余裕など与えてはくれないのは明白。
 取り出した予備弾倉を口に銜える。大きく顎を開く。前歯と犬歯でしっかりと最後の予備一本を銜える。
 合計40発。
 これでカタをつける。
 これでカタガつかなければ自分は死ぬ。
 移動。地面を這う虫も大変だ。今の日本では寒くても暑くても地獄だ。
 地面を舐めるように転がる雪の粒。その中を匍匐前進で這う。ミカも移動している。風がミカの位置を教えてくれる。
 ふと、鼻をくすぐる臭い。
 ――――これは……枯れ草? 煙草?
 ――――何かに火を点けたな。
 かなえの胸に嫌なものが込み上げる。聴覚頼りに位置を探っていたかなえ。その狭窄気味になっていた世界に異質な……枯れ草を燃やすような臭いが風に乗って流れてくる。風上にミカが居る。今までは風が僅かな音を運んでくれるので30m近く離れていても十分に察知できていた。そこへ異臭の情報が紛れ込む。聴覚に狭窄を起こしているかなえからすれば一瞬で情報の渋滞が発生したのだ。
 意識していないレベルで様々な齟齬が発生した。
 情報の渋滞が発生し、耳に集中していた意識が今度は嗅覚にも割かなければならない。人間の神経はスイッチを切り替えるように違う方向へ一瞬で好きな割り合いを向ける事ができない。人間が具える五つの感覚は自分が思っている以上に頼りにならない。使い勝手が悪い。
 枯れ草を燃やしたような臭い程度で集中が撹乱するほど、かなえはミカの動向に耳で以って全身全霊を注いでいた。
 風上だからこそ思いつく撹乱作戦。
 風下のかなえは全身の汗腺から汗が噴出するようなパニックを起こす。体のパニックを理解していない、心と頭脳。
 軽く意識が解離する。口に銜えていた弾倉がボトリと落ちる。
 咄嗟に奥歯で頬の肉を強く噛む。口の中に血の味が広がる。今度は舌の根も血が浮くほど強く噛んだ。
 口の端を歪ませてかなえは自分の額を左手人差し指で強烈に弾く。タッピング行為。
 自分で自分の額を指で弾いておきながら、表層的な激痛に涙が出る。
 舐めていた。まだまだ自分は未熟だ。
 練習してから、達人になってから鉄火場に出ていたのなら足腰の立たない老人になってしまう。『1日の実戦は3ヶ月の訓練に相当する』……何処かで拾い読みしたそんな言葉が脳裏を過ぎる。
 同時に、自分の生き方が……改めた自分のライフスタイルと仕事に対する姿勢が最適解でないにしても『この方法でも長生きできる』と証明してやりたい想いが強くなる。そうでなければ過去の自分と訣別した自分を比較することなど不可能だ。
 腕はあいつと同等か『それ以下』。
 勝負は恐らく、一瞬。
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