カレンダーに無い二月

 かつての横紙破りで、薄利多売を厭わない、コミュニティ荒らしをしている荒々しさが一片も感じられない。
 もっと丁寧な……ともすれば柔らかい印象だ。何度か現場でカチあった事が有るが、荒く雑な仕事をするので自衛の意味も込めて同業であっても仲良くはなりたくないと思った。
 その『嫌われる顔』ではない。自分より年上の男連中を怒鳴る声こそは怒声に罵声だが、顔つきは厳しく、油断や手抜きを感じさせない。無闇矢鱈に死体を作ることから『葬儀屋』と呼ばれているが……その悪評を感じない。
 人間を見る目はそこそこだと自負している分、自分の評価にバイアスやフィルターがかかっているのだとかなえは自身を諌める。人はそう簡単に変わらない。ましてや、『自分の生き方に固執している事』が一種の武器であるこの世界では。
 兎にも角にも今は自分の仕事を遂行することを考える。
 強く愛銃のグリップを握る。
 負傷だけで終わらせるつもりだったが、脳内の作戦を書き換える。
 全員、致死たらしめる。
 特に『葬儀屋』は。
 明野ミカ。オリーブドラブのニット帽にMA-1フライトジャケット、ジーンズパンツに軽登山靴。右手に提げた拳銃はH&K VP70。樹脂フレームで、同じ素材の世界的に有名なグロックシリーズよりも先がけてヨーロッパや第三国でセールスされた9mmパラベラム18連発の軍用拳銃。のっぺりとした、魚のようなシルエットの拳銃。レバー類は最低限の物しか装備されていない。撃鉄すら内蔵式で衣服から抜く際に引っ掛かる部分が少ない。
 ベレッタを両手で構える。グリップを右手に。左手はフォアグリップを。右半身。顎を少し引く。右腕をハイエースの車体に委託し安定を図る。重心を軽く落とす。セレクターを3バーストからセミオートへ。1発で『葬儀屋』を始末したい。
 標的、『葬儀屋』のミカを前方30mに捉える。気付かれていない。照星、照準、かなえの網膜。一直線に並ぶ。その機を見過ごすことはしない。
 呼吸を止め、迷わず発砲。
 空薬莢が鉛色の空に弾き出される。
 乾いた銃声。
「……」
 かなえはハイエースに身を滑らせて反撃に備えた。
 ――――意外っ!
 途端、銃弾が、かなえが潜むハイエースに叩き込まれる。8人分の発砲だ。
 鳩尾が痛いくらいに締め付けられる。アドレナリンが瞬間的に沸騰する。
 意外にも、人望が有る。かなえが発砲する直前にその銃口を認めた一人が『葬儀屋』ミカを庇い、被弾して倒れた。
 雑多な銃声。発砲場所に移動の気配は無い。弾頭はことごとく、盾にしているハイエースに命中しているが何れも貫通してかなえに命中するに至らない。並ぶ車体のウィンドウが耳障りな音を立てて砕け散る。まともにウィンドウが残っている車体は無いだろう。サイドミラーを失った車体もある。
 頭を抱えて怖気づいているかなえではない。これは『海外での訓練』で経験済みだ。実際に足元や体の側面に実弾を撃ち込まれて、瞬発的に反応する訓練も積んだ。……座学でも実技でも。
 人間とは無闇矢鱈な発砲を受けたり、急に銃声を聞くと、咄嗟に利き手側に移動する確率が76パーセント以上だ。銃火器に達者な人間が標的を奇襲する時、わざと明後日の方向へ発砲し、標的が咄嗟に飛び退く地点に火線を合わせる。
 8人のうち、恐らく、『葬儀屋』ミカは発砲していない。7人に撃たせて――或いは、発砲させて――咄嗟に飛び出た位置でかなえを射殺する算段だったのかもしれない。
 トリガーハッピーに陥る前に、連中のアドレナリンが最高潮に達する前に反撃する。
 伏せる。車体下部の隙間から伺い、セミオートで発砲。
 連中の足しか見えないがそれで十分だ。
 遠くで悲鳴が聞こえる。強く冷たい風が連中の悲鳴を遠くへ押しやるように吹きつけるので30m程度の距離でも声は小さく聞こえてしまう。
 少なくとも4人、行動不能に陥れた。確実な死を提供するのは後でもいいだろう。車体下部から見れば4人が地面で膝下が千切れ飛んだ片足を押さえて半狂乱で喚いている。暴力の世界に住み、他人の血に慣れている人間でも、自分が『当事者』になると掌を返したような反応を見せる。
 5人は展開。足音が2方向へと散る。『葬儀屋』ミカの足を狙ったが、彼女だけはランダムな蛇行で大きい歩幅で走っていたので仕留める事ができなかった。
 連中は遁走したのではない。『展開したのだ』。
 この期に及んで逃げ出さないのは普段から一定の覚悟を迫られている人間だろう。
 遁走したのなら、2方向ではなく、人数分、すなわち多くとも5方向へと脱兎の如く全速力で走るはず。
 それが確認できない。
 牽制の発砲がかなえに向かって叩き込まれる。未熟ながらも弾倉交換の隙を互いがカバーしあっている。『展開』だと確信した理由としては、襲撃者のかなえに『選択肢を与えたことだった』。2方向、左右へ広がる。それが証左。
 迎撃態勢? 応戦か? 右手斜め側へ40mに2人。左手斜め50m側へ3人。伏せた状態。地面の起伏を利用して遮蔽としている。この距離なら拳銃弾でも土塊の小さな隆起など簡単に削る事ができる。遮蔽物の脅威は防弾ではない。そこに敵が潜んでいるかどうか分からないからこその脅威なのだ。遮蔽の陰に誰かが隠れていないか判断する時間……これこそが大きな脅威。大事な決断や判断を数瞬遅らせる。これの繰り返しでイニシアティブが知らぬ間に相手側へと移る。
 鉄火場に限らず、流動的な争いではイニシアティブの奪い合いが肝要になる。
 一人だから不利で多数だから有利とは限らない。
「……煙草、吸いたい……」
 口角に引き攣るような微笑を浮かべながらそう、漏らす。
 かなえもできるだけ頭を低くした匍匐前進でハイエースから遠のく。車体下部の隙間からの奇襲に成功したと云う事は、この場では二匹目のドジョウは期待できない。
 相手も同じだろう。二度とその手は食わないと学習した。
 ある程度の心構えができた連中だと見積もる。土塊の小さな凹凸の向うで匍匐前進で移動する姿が見える。絶え間ない移動。二手に分かれた戦力は動く時は同時に、動かない時は同時に停止した。あきらかにかなえを誘っている。
 遁走を選ばず、射撃の腕前は及第点に及ばず、幾度かの鉄火場の経験がある……。
 風の噂で聞いた。一部の大手組織は人材育成に力を入れた話を。今回の鉄砲玉の依頼は大方『候補生』の心と体に『負傷させる』ことだろう。
 牽制の発砲。散発的な銃声。かなえのベレッタが探りを入れる銃撃を浴びせた。
 ――――『引率の先生』は右手側か……。
 明らかに動きが違う影が右手側に居る。匍匐前進で移動するが、横へ動く時は一旦後ろへ下がって左右へと移動している。移動中に被弾する確率を下げるためだ。
 腹這いになった地面から凍てつきが這い寄る。顔に乾いた土の臭いが叩きつけられる。乾燥した風が地面を舐めてかなえの全身を包み込み体温を奪う。時折、雪が風に混じる。積もるほどの雪ではないが、雪が降っているという風景だけで更に体感気温が下がるような錯覚。
 身も心も冷える。ここで仕事を遂行せねば懐も冷える。
 かなえは移動を繰り返す。後を追うように銃撃される。元居た場所に着弾の土煙が立つ。ハイエースのタイヤの陰は角度によっては複数台が重なり、大きな遮蔽になるのでハイエース群より遠くに離れたくなかった。
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