カレンダーに無い二月
抜糸をした。引き攣るように少し痛む。それを押して、鉄火場に出る。少し背伸びした現場。鉄砲玉稼業らしい鉄砲玉。小口の営業からステップアップを狙ったものだ。
痛みは少々有るが、怪我の回復は順調。普通の医者ならば活動を中止させる程度の負傷。……この業界ではこれくらいの回復具合は普通だと思っている。寧ろ、裏の世界でも屈指の整った生活リズムを維持しているかなえとしては、自分の体はこれくらいの養生の徹底をしなければ怪我が回復してくれていなかっただろう。
午前8時。山の峰付近。標高約450m。県境の山脈の一部。曇天。強風。時々雪。気温マイナス2度。吹き降ろしの風が強く、湿度は皆無だと錯覚する空気。むき出しの土の香り。枯れ木枯れ草がざわめく。近場には放置された、荒れ放題の田畑と崩壊している廃屋。
登山コースからは遠く離れており、山道しかない。軽四車輌1.5台分の幅の私道が延々と伸びる。
それすらも遠くに見える。
ここは完全に陸の孤島。バス停も遠い。典型的イメージの終焉した田舎。
「…………寒い」
小さく呟く。背中と腰に貼った使い捨てカイロが唯一、暖かみを提供してくれる。アウトドアショップで買った高機能のフィールドジャケット。色は敢えて暗い黄土色を選んだ。ズボンは黒のカーゴパンツ風の防寒パンツで風を通さない。
背中に迷彩柄の小型のナップザック。弾薬だけでなく、水や食料など、本当にハイキングに臨めるだけの装備をコンパクトにまとめている。過去に自らの準備不足や装備不全で満足のいく仕事を提供できなかったのを悔いているのだ。
右手には既にベレッタM93Rを抜いてセフティをかけてある。現場は付近……目前の斜面を10mほど降りて100mほど荒地を進んだ位置にある広場――元は農協の駐車場だったらしい――に停車している4台のハイエース。そのハイエースを中心に鉄火場を形成する。独りで行う鉄火場は流石に喉や鳩尾が冷たくなる。緊張で喉が渇く。ミネラルウォーターのペットボトルを所持しているが、飲み過ぎると冷えて尿意を催すので唇と舌を濡らす程度で我慢する。手巻き煙草は今度は何本か巻いてステンレスのシガレットケースに入れて持ち歩いている。なのに、吸うのは断念した。乾燥した条件が揃っている山間部では火事の元だ。
斜面を降りながらベレッタのフォアグリップを展開する。手も寒いので人差し指と親指を切り落とした防寒手袋を嵌めている。
風が頬を切りつける。耳朶を持っていかれそうなほどの冷たさ。冷たい風に当てられて大粒の涙がボロボロと流れる。口を閉じ、舌で犬歯を舐めて唾液を分泌させる。その唾液で口内を湿らせる。
前回、小口の仕事から少しレベルを上げたが早速被弾して医療費の出費があった。それを挽回する為にも今回からは暫く僅かにリスクの高い仕事を積極的に取り入れる。必要な時に必要な金と欲をかかない金があればいい。
ベレッタM93Rのセフティを解除してセレクターを3バーストに合わせる。
後ろ腰から引き抜いた20連発の予備弾倉をフィールドコートのハンドウォームに落とす。20連発でも3バーストで引き金を引けば7回しか発砲できない。
ハイエース。黒が2台、白が2台。降車した人数は合計9人。ハイエースほどのラゲッジを活かしていない人数。ヤードから売ってもらった盗難車輌だろう。『連中』にはその辺りがお似合いだ。
相手は……9人は全員同じ組織の人間。この寂れた山間部の廃村に射撃練習に来た若手の三下だ。勿論、『引率の先生』こと射撃のコーチが居る。
自分の火力が優勢だと信じ込まない。敵が自分と同じ拳銃だと信じ込まない。
足の裏がしっかりと土を踏む。枯れ枝を踏むたびに乾いた音を立てて折れる。
真っ直ぐ吶喊はしない。斜面を蛇行しながら降りて、ハイエースが並列で駐車している後部へと回り込む。
「!」
――――!
――――早い!
9人全員が一斉に動く。あまりの判断の早さに自分の気配が悟られたのかと思った。ハイエース群まで20mもある。両掌に脂汗が滲み出す。
「?」
――――いや……違う?
9人全員が動く。しかし、3人一組で3方向へ散って、更に1人ずつ大きく広がる。アメフトのショットガンフォーメーションを連想させる。
冷や汗が背中を伝う。
射撃練習じゃない。連携の練習だ。
依頼人は敵対組織の三下構成員を怖がらせて戦意を削ぐ事を依頼してきた。
それは少し雲行きが怪しくなってきた。
射撃練習をするド素人の若手たちを襲撃した事は経験が有るが、連携訓練中の若手を襲撃するのは初めてだ。
緊張が全身を駆け巡る。
誰一人、『まともに帰してはいけない』。
一定以上のハジキの腕前が無いと連携の練習に借り出されない。脅威はそこではなく、それだけの腕前を持っている構成員なら『経験を次代へ引き継ぐ』ことを教育させられているはずだ。昔は定番の教育方法だったが、現在ではこの教育……射撃よりも連携を中心とした訓練に重きを置く連中は揃って強敵。
そして、この中の誰一人でも生きて帰れば経験が『活かされてしまう』。
連中は3人一組の連携を取ることを代表者――女の『引率の先生』――から大声で怒鳴られて何度も走る。集合と分散、展開を広場で繰り返す。全速力。
ハイエース後部に密着するほど近付く。リアウィンドウから車内の荷室を覗くとウォータージャグやアウトドア用保温バッグが幾つも見えた。本格的に人材育成をする為にこのような訓練を幾度と無く繰り返しているのが分かる。水に食料。長時間、体を動かす限り必需品だ。
ハイエースの長い車体の隙間から連携訓練を繰り返す連中の中でも、自分と同じ背丈の女が居る。ニット帽にフライトジャケットを着込んでいるその女が腕を組んで大声で怒鳴って8人に活を入れている。
――――あいつ……『葬儀屋』か!?
かなえの脳内のデータベースにヒットする顔だ。通称『葬儀屋』。名前より二つ名の『葬儀屋』の方が有名だ。かなえと同じ鉄砲玉稼業を生業にする荒事師で、ここ暫くは小さな仕事ばかりこなしていた。経費削減のために実包をばら撒く仕事はしていない……という噂だった。
彼女の名前は明野 (あきの)ミカ。書類上はかなえより1つ下の年齢だ。フリーの荒事師で鉄砲玉専門の使い捨てを喧伝し、薄利多売で売り出していたので一時期は業界の人間からも嫌われていた。同じ仕事の質でも、腕前を格安で提供するのは人材を探す側からすれば経済的に助かるが、同業者からは相場の値崩れを引き起こすので度々、衝突していたらしい。
更には鉄砲玉専門といいながら、一方の違う街では窃盗と強盗で糊口を凌いでいたので警察の手入れが入り易いリスクを犯していた。この業界では一人が検挙されれば芋蔓式に同業者が検挙される場合が多いので、他所の業種の縄張りを荒らすような『仕事』は暗黙の了解として法度な部分がある。それも横紙破りにした問題児だ。
「…………?」
かなえは怪訝な視線をミカに送る。
顔つきが……イメージしていた悪辣の顔ではない。もっと落ち着いており、もっと所作がスマートで、噂よりもコミュニケーションがまともだった。
痛みは少々有るが、怪我の回復は順調。普通の医者ならば活動を中止させる程度の負傷。……この業界ではこれくらいの回復具合は普通だと思っている。寧ろ、裏の世界でも屈指の整った生活リズムを維持しているかなえとしては、自分の体はこれくらいの養生の徹底をしなければ怪我が回復してくれていなかっただろう。
午前8時。山の峰付近。標高約450m。県境の山脈の一部。曇天。強風。時々雪。気温マイナス2度。吹き降ろしの風が強く、湿度は皆無だと錯覚する空気。むき出しの土の香り。枯れ木枯れ草がざわめく。近場には放置された、荒れ放題の田畑と崩壊している廃屋。
登山コースからは遠く離れており、山道しかない。軽四車輌1.5台分の幅の私道が延々と伸びる。
それすらも遠くに見える。
ここは完全に陸の孤島。バス停も遠い。典型的イメージの終焉した田舎。
「…………寒い」
小さく呟く。背中と腰に貼った使い捨てカイロが唯一、暖かみを提供してくれる。アウトドアショップで買った高機能のフィールドジャケット。色は敢えて暗い黄土色を選んだ。ズボンは黒のカーゴパンツ風の防寒パンツで風を通さない。
背中に迷彩柄の小型のナップザック。弾薬だけでなく、水や食料など、本当にハイキングに臨めるだけの装備をコンパクトにまとめている。過去に自らの準備不足や装備不全で満足のいく仕事を提供できなかったのを悔いているのだ。
右手には既にベレッタM93Rを抜いてセフティをかけてある。現場は付近……目前の斜面を10mほど降りて100mほど荒地を進んだ位置にある広場――元は農協の駐車場だったらしい――に停車している4台のハイエース。そのハイエースを中心に鉄火場を形成する。独りで行う鉄火場は流石に喉や鳩尾が冷たくなる。緊張で喉が渇く。ミネラルウォーターのペットボトルを所持しているが、飲み過ぎると冷えて尿意を催すので唇と舌を濡らす程度で我慢する。手巻き煙草は今度は何本か巻いてステンレスのシガレットケースに入れて持ち歩いている。なのに、吸うのは断念した。乾燥した条件が揃っている山間部では火事の元だ。
斜面を降りながらベレッタのフォアグリップを展開する。手も寒いので人差し指と親指を切り落とした防寒手袋を嵌めている。
風が頬を切りつける。耳朶を持っていかれそうなほどの冷たさ。冷たい風に当てられて大粒の涙がボロボロと流れる。口を閉じ、舌で犬歯を舐めて唾液を分泌させる。その唾液で口内を湿らせる。
前回、小口の仕事から少しレベルを上げたが早速被弾して医療費の出費があった。それを挽回する為にも今回からは暫く僅かにリスクの高い仕事を積極的に取り入れる。必要な時に必要な金と欲をかかない金があればいい。
ベレッタM93Rのセフティを解除してセレクターを3バーストに合わせる。
後ろ腰から引き抜いた20連発の予備弾倉をフィールドコートのハンドウォームに落とす。20連発でも3バーストで引き金を引けば7回しか発砲できない。
ハイエース。黒が2台、白が2台。降車した人数は合計9人。ハイエースほどのラゲッジを活かしていない人数。ヤードから売ってもらった盗難車輌だろう。『連中』にはその辺りがお似合いだ。
相手は……9人は全員同じ組織の人間。この寂れた山間部の廃村に射撃練習に来た若手の三下だ。勿論、『引率の先生』こと射撃のコーチが居る。
自分の火力が優勢だと信じ込まない。敵が自分と同じ拳銃だと信じ込まない。
足の裏がしっかりと土を踏む。枯れ枝を踏むたびに乾いた音を立てて折れる。
真っ直ぐ吶喊はしない。斜面を蛇行しながら降りて、ハイエースが並列で駐車している後部へと回り込む。
「!」
――――!
――――早い!
9人全員が一斉に動く。あまりの判断の早さに自分の気配が悟られたのかと思った。ハイエース群まで20mもある。両掌に脂汗が滲み出す。
「?」
――――いや……違う?
9人全員が動く。しかし、3人一組で3方向へ散って、更に1人ずつ大きく広がる。アメフトのショットガンフォーメーションを連想させる。
冷や汗が背中を伝う。
射撃練習じゃない。連携の練習だ。
依頼人は敵対組織の三下構成員を怖がらせて戦意を削ぐ事を依頼してきた。
それは少し雲行きが怪しくなってきた。
射撃練習をするド素人の若手たちを襲撃した事は経験が有るが、連携訓練中の若手を襲撃するのは初めてだ。
緊張が全身を駆け巡る。
誰一人、『まともに帰してはいけない』。
一定以上のハジキの腕前が無いと連携の練習に借り出されない。脅威はそこではなく、それだけの腕前を持っている構成員なら『経験を次代へ引き継ぐ』ことを教育させられているはずだ。昔は定番の教育方法だったが、現在ではこの教育……射撃よりも連携を中心とした訓練に重きを置く連中は揃って強敵。
そして、この中の誰一人でも生きて帰れば経験が『活かされてしまう』。
連中は3人一組の連携を取ることを代表者――女の『引率の先生』――から大声で怒鳴られて何度も走る。集合と分散、展開を広場で繰り返す。全速力。
ハイエース後部に密着するほど近付く。リアウィンドウから車内の荷室を覗くとウォータージャグやアウトドア用保温バッグが幾つも見えた。本格的に人材育成をする為にこのような訓練を幾度と無く繰り返しているのが分かる。水に食料。長時間、体を動かす限り必需品だ。
ハイエースの長い車体の隙間から連携訓練を繰り返す連中の中でも、自分と同じ背丈の女が居る。ニット帽にフライトジャケットを着込んでいるその女が腕を組んで大声で怒鳴って8人に活を入れている。
――――あいつ……『葬儀屋』か!?
かなえの脳内のデータベースにヒットする顔だ。通称『葬儀屋』。名前より二つ名の『葬儀屋』の方が有名だ。かなえと同じ鉄砲玉稼業を生業にする荒事師で、ここ暫くは小さな仕事ばかりこなしていた。経費削減のために実包をばら撒く仕事はしていない……という噂だった。
彼女の名前は明野 (あきの)ミカ。書類上はかなえより1つ下の年齢だ。フリーの荒事師で鉄砲玉専門の使い捨てを喧伝し、薄利多売で売り出していたので一時期は業界の人間からも嫌われていた。同じ仕事の質でも、腕前を格安で提供するのは人材を探す側からすれば経済的に助かるが、同業者からは相場の値崩れを引き起こすので度々、衝突していたらしい。
更には鉄砲玉専門といいながら、一方の違う街では窃盗と強盗で糊口を凌いでいたので警察の手入れが入り易いリスクを犯していた。この業界では一人が検挙されれば芋蔓式に同業者が検挙される場合が多いので、他所の業種の縄張りを荒らすような『仕事』は暗黙の了解として法度な部分がある。それも横紙破りにした問題児だ。
「…………?」
かなえは怪訝な視線をミカに送る。
顔つきが……イメージしていた悪辣の顔ではない。もっと落ち着いており、もっと所作がスマートで、噂よりもコミュニケーションがまともだった。