襲撃だ！　こんな時は必ず唐突。唐突でなければ襲撃の要素は成立しない。
　襲撃する側は同時に自分達も襲撃される側だという危機感を持って生活を心掛けないと、スナック菓子感覚で生命が消費される。
　新堂美冠は本来なら襲撃者であるはずの人間だった。襲撃を生活の糧として生業として糊口を凌ぐタネとして常に矜持を背負っていた。その彼女が、ファストフード店で、あたかもビールジョッキを呷るようにフライドポテトの紙容器を大きく開けた口に傾けている最中に銃弾の洗礼を受けることになった。
　確かに彼女は裏の世界では名の通った鉄砲玉稼業専門のエースには違いない。その彼女が、襲撃された。白昼。割れるウインドウ。阿鼻叫喚の店内。薙ぎ倒されるテーブルに椅子に、『目の前で爆ぜる人の命』。何もかもが彼女の視界ではスローモーションに映る。
　人間は命の危機に晒されると、過去に経験した記憶を引きずり出してなんとしても生きながらえようと脳味噌が勝手に暴走する。走馬灯は遥か昔の記憶を探り、窮地にどのようにして生きながらえたかを引っ張り出そうとしている、謂わば、最後の能動的防御反応なのだ。生きている瞬間に視界の全てがスローモーションのように見えたのなら、それは脳が健在で、過去最高に思考シナプスが駆け巡り、生存する為の手段を模索している状態である。その結果、目から入るたくさんの情報は、情報として処理しきれずに一拍遅れて視床下部を経由して脳幹を通過して右脳と左脳が判断する。
　故に、生命の危機を感じたときには辺りは静かになり何もかもがスローモーションの世界だと感じてしまう。聴覚の情報ですら処理落ちしている世界なのだ。
　一拍、二拍遅れて激しい銃声と叩き割られるガラスや什器や悲鳴が美冠の耳目に入る。
　彼女が彼女足る由縁……彼女が名の通った鉄砲玉専門の荒事師としてその図太い神経を発揮したのは――フライドポテトを口の中にザラザラと流し込んでいる最中で、右手にした紙容器を投げ捨てずに座ったまま、生死の境地の狭間で居据わっていたことだ。
　数回の指切り連射か？　短機関銃？　短い間隔の連射。３バーストか？　長く連なる。弾倉一本分より少し量が多い銃弾。襲撃者は１人分の戦力。表の国道からファストフード店に向かっての乱射。殺意より悪意が強い。陽動ではない。
　脅迫だ。負傷でも致死でも構わないと云う迷いの無さを感じる。
「……」
　――――口に……埃が入った……。
　美冠の第一感想はそれだった。
　店内の全員は地面に伏せているか、致死に至り、床で転がっている。
　まともにカウンター席で座っているのは美冠だけ。
　解離を起こしている。現実を現実と認識できていないが故に発生する認識の齟齬。口の中のフライドポテトを咀嚼するべきか吐き捨てるべきか悩んでいる。今し方、短機関銃で白昼堂々襲撃された事実を受け入れるべきなのに、唐突過ぎて処理能力が追いつかなくなった。
　美冠は、世界が静かなスローモーションになる。視覚的聴覚的事実を認識できなかった。……認識できたかかもしれないが、前頭葉の細胞が記憶から都合よく削除したのかもしれない。彼女が、現場で一々、死体を作ったり見ていたりする度に心に傷を負っていれば重度のＰＴＳＤで自我が崩壊していただろう。それを防ぐ為にメタ認知の美冠が、本体の美冠より早く手を打ったのかもしれない
　訓練した心の防御ではなく、生存本能としての心の防御。
「……」
　刹那、迷った挙句に手中にあったコーラのＬサイズの紙コップを、親指でストローごと蓋を弾いて外し中身を嚥下する。味が分からなくなったフライドポテトを胃袋に流し込む。
　塵埃と血煙と喚き声が支配する店内でただ一人、着席。
　遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。
　どれくらい、どれほどの時間が流れたのかも錯覚してしまい、美冠は解離状態のままだった。





※　※　※

　全く以って酷い有様だった。
　彼女の記憶が正しければ、新堂美冠と名乗った女性は今年で３６歳だ。この世界では身の上調書や履歴書は紙の無駄。データ容量の無駄。便宜上の名前であり記号でしかない。
　立雪かなえ(たちゆき かなえ)自身、２６歳の高卒を自称しているが、実際には出鱈目だ。
　この業界に入って何でもいいから好きな経歴を書けと言われてその場で仕上げた書類だ。その経歴書がこの後になって永く使う自身のプロフィールになると分かっていれば、もっと真剣に考えた。
　何しろ立雪かなえという名前も「立ち行かない」からもじったものだ。本当に生活に困っていた矢先に見つけた世界がこの裏の世界だった。
　全く以って酷い有様だった。
　かなえは辺りを見回した。
　硝煙と塵埃が渦巻く空間。２５㎡ほどの空間に６体の亡骸が転がっている。どの亡骸のバイタルゾーンにも命中痕がある。
　２人とも職人の店で買える灰色の男性用作業着に身を包んで、足元だけ女性用安全靴を履いていた。……右手にだらりと提げた自動拳銃。
　かなえは本職の鉄砲玉稼業として働いているだけあり、手にしているのはベレッタＭ９３Ｒだ。大型軍用拳銃のベレッタ９２をベースに発展改良させた自動拳銃でセレクターを切り替えればセミオート射撃だけでなく、一度引き金を引けば３発だけ連射する３バースト射撃ができる。更に弾倉には２０発の９ｍｍパラベラム。拳銃の形をした実戦的な短機関銃として讃えられた。……今ではもう過去の拳銃だ。嘗ては英国特殊部隊ＳＡＳで多用されたので世界的に有名になった。今では時代遅れだが、それは重量と耐用性の問題で、それに目を瞑れば彼女にとって文句は無い。
　それに引き換え……新堂美冠が右手に提げた自動拳銃はプロの矜持が感じられない。それを心の中で軽蔑していたかなえだが、美冠がこの部屋に居た……事務所然とした無機質な部屋で居た６人をたった一人で撃ち倒した光景を見ていた身としては軽いギャップが発生して眩暈がしそうだった。
　身長１７０ｃｍ程度の美冠の右手にはＳＩＧ Ｐ３６５。全長１５ｃｍに満たない小型の護身用自動拳銃だ。世界中の軍隊や警察で使われている９ｍｍパラベラムを１２発、装弾する事ができるが、凡そ、プロが用いる拳銃ではない欧米では女性のコンシールドキャリー(護身用携帯拳銃)として愛用されている小型自動拳銃。戦うための銃ではない。護身用の拳銃だ。
　テナントビルの一室にカチコミをかけるべく日雇い同然で雇われて今夜が初めての顔合わせになる二人。衣服はクライアントが用意したものだ。証拠を処分しやすいように薄利多売の衣服を配ったのだろう。
　深夜２時。最初に吶喊の火蓋を切ったのはかなえだった。迷わず、３バースト射撃で３度引き金を引き、９発の９ｍｍパラベラムでテナントのドアの蝶番とドアノブを破壊した。打ち合わせも何も無い。『いつも通りに好きなだけタマをばら撒いて撤収するだけ』の簡単な仕事。殺傷の必要は無い。その場所に襲撃が有ったという事実を作ればいい。鉄砲玉は組織の子飼いでも外注でも、大方の場合、実情や内情は詳しく知らせてくれない。
　理由も聞かずに暴力を撒き散らして逃げる。