6インチは今日も多忙
町を出る訳ではない。この規模の町ともなるとそれなりに大金の匂いがしそうなものなのだが、ウインディア領の辺境とはいえ、冒険者ギルドが全く整備されていないのには驚かされた。
言い方を変えれば、特に目的も無いのでその日の内に出立しても良かったのだが、天候が悪かった為に仕方なく宿を取った。
これ程の……3000人規模の町ともなると何か面白い話でも転がっていそうなものだが。
そうでなくとも、夜になれば早々と眠りに就く大人しい町には見えなかったので様子を見る意味でも宿を取った。
ところが、この季節の意外な長雨で、この3日間、朝も夜も宿とその隣の居酒屋から活動範囲が広がる事は無かった。
待ちに待った雨上がりの朝。
腹癒せにも似た気分で居酒屋で朝食を摂る。
ゴロツキでも居れば『体』を資本に博打を打って有り金を巻き上げるつもりだったが、ドアを開けるや否や行き成り期待は裏切られた。
『善良な町民』達が質素だか粗末だか分からない食餌を腹に詰め込んでいる最中だった。
適当な厚さに切り分けた『長期保存が利く事だけがメリットで味の方は下の下』の灰色の塩パンに、蛆虫が這い出してきそうなゲル状のチーズを乗せて黙々と胃袋に酒精の低い果実酒と共に送り込んでいる風景が、あちらこちらで見られた。
皆、一般労働者という風体だった。
質素倹約に生きる事で生活を守る人間達が会話をする訳でもなく、胃袋を満たす為だけにゴル硬貨5枚を払う。ここで3食を済ませる、こういった連中は大概が独り身だ。
精神的な不況のため、刺激に乏しい今のエルマには少し不満な風景だ。健啖というわけではない彼女はゴート硬貨1枚を払って少し質の高い食事をする。
横咥えにしていた葉巻を左手の指に挟んで外すと抜き出した剃刀のように鋭い角刃のスティリットで火種を切り落とす。咥えて直し、一吹きする。葉巻の中の煙を追い出す為だ。その葉巻をシャツの胸ポケットに挿す。
「カウボーイ。ミルクを多めで。それと、キンダーチーズと焼きベーコンと刻みキャベツを挟んだライ麦のパンに卵の崩し焼きを乗せてくれ」
腰のショートサイズをカウンターに立て掛け、ストゥールに腰掛けると、目の前で野菜を刻んでいた主人と思しき中年の目の前にゴート硬貨を置いてオーダーする。
カウボーイとはモルト酒の牛乳割りだ。
食欲をかき立てるために状況が許せば毎食前にアペリティフを飲むのがエルマの習慣だった。
余り胃袋に物を詰め込むのも主義ではなかった。これからの行動の妨げになる可能性が大きいだけでなく、消化器系の臓腑を負傷するほどの怪我を負った時、胃袋の中に未消化物が残っていれば腹膜炎を起こして助かる怪我でも助からなくなる可能性が大きいからだ。
食前に適度な酒精を摂取して消化を促進し、出来るだけ早く胃袋を空にする事を心掛ける。
モルト酒は好物だが、ストレートで飲む事は珍しい。
度を越えた酒精の摂取は命取りだ。必ず、何かと割って呑む。
牛乳であったり果汁であったり蒸留水であったり……様々だ。
過去に駆け出し魔法使いを自称する少女と出合った時などは、大気中の水分を凍らせて創った氷塊をモルト酒に直接落として呑むという、粋な呑み方を見た事が有った。
一口呑ませて貰ったが、モルト酒本来のスモーキーでピートの効いたフレーバーを普段以上に感じて美味しいと思った。そんな呑み方を度々していたのでは、咄嗟の行動が採れなくなるので偶に嗜む程度にしておこうと自身に言い聞かせたものだ。
無愛想な主人が無愛想にオーダーした食餌を運んでくる。
主人が無愛想でも食餌が美味ければ文句は無い。
陶製ジョッキのカウボーイを3分の1ほど一気に飲む。
一息吐いてから、木皿に乗った、悠に2人分は有ろうかと思われる特製サンドウィッチを攻略に掛かる。
この店では1ゴートも払えば質の高い食餌が彼女の腹分量で2人分食べられるらしい。
健啖家ではない彼女には朝からこの量は度が過ぎている。
卵の崩し焼き――俗に言う、スクランブルエッグ――を先に胃袋に収めると主人に包丁を借りて半分程の大きさに切り分ける。半分は今食べて、半分はワインビネガーに浸した大柿の葉で包んで保存し、本日の昼食との繋ぎにする。
人間、空腹の時に、食べたい物を食べると表情は二つに分かれる。無口になるか、笑顔になるか……エルマは微妙に後者だ。
表情は無いように見えても口に食餌を運ぶ時だけ口元だけに、幸せそうに微笑が零れる。錫のナイフとフォークで一口大に切り分けた物をよく咀嚼し充分時間を掛けて胃袋を満たす。
清々しい朝だと云うのにこのフロアーには充分な光源が供給されていない。7m離れた人間の顔を辛うじて確認できる程の明るさだった。
小さな窓から差し込む陽射しは店内を舞う埃を浮かび上がらせるだけで、それを見ながらの食事は気分が悪くなるのでできるだけ視線を外して食事を進める。
食事を終えると、ポーチに特製サンドウィッチの残り半分を収めた。
ジョッキの底から1cm位の量の、この店で一番きついモルト酒をオーダーし、そのモルト酒の会計を済ませると一気に口に流し込み嚥下せずに直ぐに駆け足で外に出る。
舌が焼ける様な感触を我慢して店の裏手の溝まで来るとその口に含んだモルト酒で口を濯ぎ、吐き捨てる。
古来から伝えられている虫歯予防の方法だ。
酒精が強ければ強い程良いとされている。誰も科学的検証を行ったわけではないのでその真偽は定かではない。
古代人が言う事だ。半分迷信が入っているのは否めない。ただの嗽で虫歯が防げるのだから、酒で嗽をすればもっと効果が高いと信じられている。
「……」
口腔の最後の一滴まで酒精を追い出すと、袖で口元を拭く。
「……」
程好い酒精に中てられて頭が漸く体に付いて来た。
胸ポケットに挿していた葉巻を取り出し、手を翳して火口棒で火を点す。
馬宿で愛馬シグを引き取りに行き、他の宿を探すために他の通りを廻ってみる。長雨のお陰で、この町に来て碌に観光も済ませていない。尤も、金の匂いはしないし、風光明媚が売りの観光都市でもないのでそれは全く期待していない。
期待しているのは、今日出会うかもしれない金の匂い。
誰でもいい。この腕を高く買ってくれないだろうか?
非合法でもいい。ヤバイ橋ほど儲けが良いい。
どこにでも宝の山を溜め込んだドラゴンが付近の住民を脅かしているほど穏やかでない状況など滅多に無い。
推定人口3000人の町バルメ。
ウインディア西部に位置し、主に地方貿易のための予備街道の駅伝として栄えている。
他にも、辺境からの納税で町政を切り盛りしている。
エルマの予備知識が正しければ、30人前後のチンピラで構成されたケチな無法者の集団が幾つか有るとは聞いていたが、町自体の治安が中程度で、その活動範囲は限られており、お互いの縄張りを狙っているのにも拘わらずに大々的な行動が執れずに水面下で一進一退を繰り返しているという。
跳梁跋扈という言葉からはほど遠いただの小物供がシマ争いに明け暮れているのが実情らしい。
一攫千金は期待できそうに無い。力押しを用いれば逆に役場から懸賞金でも貰えそうな予感がした。
「まあ……ドブ浚いも悪くは無いけど……」
言い方を変えれば、特に目的も無いのでその日の内に出立しても良かったのだが、天候が悪かった為に仕方なく宿を取った。
これ程の……3000人規模の町ともなると何か面白い話でも転がっていそうなものだが。
そうでなくとも、夜になれば早々と眠りに就く大人しい町には見えなかったので様子を見る意味でも宿を取った。
ところが、この季節の意外な長雨で、この3日間、朝も夜も宿とその隣の居酒屋から活動範囲が広がる事は無かった。
待ちに待った雨上がりの朝。
腹癒せにも似た気分で居酒屋で朝食を摂る。
ゴロツキでも居れば『体』を資本に博打を打って有り金を巻き上げるつもりだったが、ドアを開けるや否や行き成り期待は裏切られた。
『善良な町民』達が質素だか粗末だか分からない食餌を腹に詰め込んでいる最中だった。
適当な厚さに切り分けた『長期保存が利く事だけがメリットで味の方は下の下』の灰色の塩パンに、蛆虫が這い出してきそうなゲル状のチーズを乗せて黙々と胃袋に酒精の低い果実酒と共に送り込んでいる風景が、あちらこちらで見られた。
皆、一般労働者という風体だった。
質素倹約に生きる事で生活を守る人間達が会話をする訳でもなく、胃袋を満たす為だけにゴル硬貨5枚を払う。ここで3食を済ませる、こういった連中は大概が独り身だ。
精神的な不況のため、刺激に乏しい今のエルマには少し不満な風景だ。健啖というわけではない彼女はゴート硬貨1枚を払って少し質の高い食事をする。
横咥えにしていた葉巻を左手の指に挟んで外すと抜き出した剃刀のように鋭い角刃のスティリットで火種を切り落とす。咥えて直し、一吹きする。葉巻の中の煙を追い出す為だ。その葉巻をシャツの胸ポケットに挿す。
「カウボーイ。ミルクを多めで。それと、キンダーチーズと焼きベーコンと刻みキャベツを挟んだライ麦のパンに卵の崩し焼きを乗せてくれ」
腰のショートサイズをカウンターに立て掛け、ストゥールに腰掛けると、目の前で野菜を刻んでいた主人と思しき中年の目の前にゴート硬貨を置いてオーダーする。
カウボーイとはモルト酒の牛乳割りだ。
食欲をかき立てるために状況が許せば毎食前にアペリティフを飲むのがエルマの習慣だった。
余り胃袋に物を詰め込むのも主義ではなかった。これからの行動の妨げになる可能性が大きいだけでなく、消化器系の臓腑を負傷するほどの怪我を負った時、胃袋の中に未消化物が残っていれば腹膜炎を起こして助かる怪我でも助からなくなる可能性が大きいからだ。
食前に適度な酒精を摂取して消化を促進し、出来るだけ早く胃袋を空にする事を心掛ける。
モルト酒は好物だが、ストレートで飲む事は珍しい。
度を越えた酒精の摂取は命取りだ。必ず、何かと割って呑む。
牛乳であったり果汁であったり蒸留水であったり……様々だ。
過去に駆け出し魔法使いを自称する少女と出合った時などは、大気中の水分を凍らせて創った氷塊をモルト酒に直接落として呑むという、粋な呑み方を見た事が有った。
一口呑ませて貰ったが、モルト酒本来のスモーキーでピートの効いたフレーバーを普段以上に感じて美味しいと思った。そんな呑み方を度々していたのでは、咄嗟の行動が採れなくなるので偶に嗜む程度にしておこうと自身に言い聞かせたものだ。
無愛想な主人が無愛想にオーダーした食餌を運んでくる。
主人が無愛想でも食餌が美味ければ文句は無い。
陶製ジョッキのカウボーイを3分の1ほど一気に飲む。
一息吐いてから、木皿に乗った、悠に2人分は有ろうかと思われる特製サンドウィッチを攻略に掛かる。
この店では1ゴートも払えば質の高い食餌が彼女の腹分量で2人分食べられるらしい。
健啖家ではない彼女には朝からこの量は度が過ぎている。
卵の崩し焼き――俗に言う、スクランブルエッグ――を先に胃袋に収めると主人に包丁を借りて半分程の大きさに切り分ける。半分は今食べて、半分はワインビネガーに浸した大柿の葉で包んで保存し、本日の昼食との繋ぎにする。
人間、空腹の時に、食べたい物を食べると表情は二つに分かれる。無口になるか、笑顔になるか……エルマは微妙に後者だ。
表情は無いように見えても口に食餌を運ぶ時だけ口元だけに、幸せそうに微笑が零れる。錫のナイフとフォークで一口大に切り分けた物をよく咀嚼し充分時間を掛けて胃袋を満たす。
清々しい朝だと云うのにこのフロアーには充分な光源が供給されていない。7m離れた人間の顔を辛うじて確認できる程の明るさだった。
小さな窓から差し込む陽射しは店内を舞う埃を浮かび上がらせるだけで、それを見ながらの食事は気分が悪くなるのでできるだけ視線を外して食事を進める。
食事を終えると、ポーチに特製サンドウィッチの残り半分を収めた。
ジョッキの底から1cm位の量の、この店で一番きついモルト酒をオーダーし、そのモルト酒の会計を済ませると一気に口に流し込み嚥下せずに直ぐに駆け足で外に出る。
舌が焼ける様な感触を我慢して店の裏手の溝まで来るとその口に含んだモルト酒で口を濯ぎ、吐き捨てる。
古来から伝えられている虫歯予防の方法だ。
酒精が強ければ強い程良いとされている。誰も科学的検証を行ったわけではないのでその真偽は定かではない。
古代人が言う事だ。半分迷信が入っているのは否めない。ただの嗽で虫歯が防げるのだから、酒で嗽をすればもっと効果が高いと信じられている。
「……」
口腔の最後の一滴まで酒精を追い出すと、袖で口元を拭く。
「……」
程好い酒精に中てられて頭が漸く体に付いて来た。
胸ポケットに挿していた葉巻を取り出し、手を翳して火口棒で火を点す。
馬宿で愛馬シグを引き取りに行き、他の宿を探すために他の通りを廻ってみる。長雨のお陰で、この町に来て碌に観光も済ませていない。尤も、金の匂いはしないし、風光明媚が売りの観光都市でもないのでそれは全く期待していない。
期待しているのは、今日出会うかもしれない金の匂い。
誰でもいい。この腕を高く買ってくれないだろうか?
非合法でもいい。ヤバイ橋ほど儲けが良いい。
どこにでも宝の山を溜め込んだドラゴンが付近の住民を脅かしているほど穏やかでない状況など滅多に無い。
推定人口3000人の町バルメ。
ウインディア西部に位置し、主に地方貿易のための予備街道の駅伝として栄えている。
他にも、辺境からの納税で町政を切り盛りしている。
エルマの予備知識が正しければ、30人前後のチンピラで構成されたケチな無法者の集団が幾つか有るとは聞いていたが、町自体の治安が中程度で、その活動範囲は限られており、お互いの縄張りを狙っているのにも拘わらずに大々的な行動が執れずに水面下で一進一退を繰り返しているという。
跳梁跋扈という言葉からはほど遠いただの小物供がシマ争いに明け暮れているのが実情らしい。
一攫千金は期待できそうに無い。力押しを用いれば逆に役場から懸賞金でも貰えそうな予感がした。
「まあ……ドブ浚いも悪くは無いけど……」