6インチは今日も多忙

「じゃ、そう云う事だ」
「姉さんっ! 何がそういう事なのか解らないよ!」
 
 家族との暫しの別れの間際に交わした会話。
 歳が二つ離れた弟に尤もな突っ込みを貰ってから数年が過ぎた。
 エルマ・ルマットは兄が旅先から送ってきた、プリムの広い革製のテンガロンハットを被って、お気に入りの角度に正すと裾が極端に短いマント――外套――を翻して、宿の自室から出るべく、ドアノブを捻った。

 路行く異性はどの様な面持ちで彼女を見て振り返ったのだろう。
 腰下まで有る、ボリューム豊かでウェーブの掛った、滑らかな蜂蜜の様なブロンドは艶やかに陽光を乱反射させて彼女の容貌を引き立たせていた。
 細い顎先と筋の通った鼻筋を中心に構築される精悍な美貌。
 小さく整った淡いピンクの唇。
 すっと引かれた様な、併し意志の強さを代弁するように存在を誇示する眉。
 見つめる者を得体の知れない深遠に引き摺り込む不思議な輝きを湛えたブルーの双眸。
 無言で異性を惹き付けるには充分だった。
 彼女の外見を語るに駄目押しの如く形成されているボディライン。
 豊かに実った胸の二つの肉球は、彼女が一挙一動する度に窮屈そうシャツの下で拉げて、恵まれた発育を無言で主張する。
 彼女自身は、乱暴に扱っている割には健気にもすくすくと育ってくれた体躯にあまり、好い感情を抱いては居ない。理由は様々だが第一に、宜しくない妄想に耽る男共の好奇の目を集める事だ。その上、同性からの蔑みや妬みが入り混じった視線まで雑ざっているのだからたまったものではない。
 蜂の如く括れた……と形容するのが陳腐で恥ずかしく思えるほどに、上半身と下半身をバランス良く繋ぎ止めているウェスト。
 大腿部に到るまでに傾斜と勾配がなだらかな稜線によって素晴らしく描かれている水密桃のようなヒップライン。
 惜しくも野暮ったいデザインの革ズボンに拠って靭やかな肢体は包み隠されてはいるが、バネが良く利いた筋肉は躰の全個所に必要な部分に必要なだけ「配置」されていた。
 非合理に無闇矢鱈に鍛えた筋肉ではない。
 実戦でのみ効率良く鍛えられた筋肉だ。故に、彼女の外見は、華奢な体躯に豊満な胸だけが独立した生体器官のように突き出ている。
 基本的には全身が生まれつき優れた筋骨で構成された頑強な造りをしている。
 マテリアル出身の人間にしては肌がやや褐色。日焼けの為ではなさそうだ。思わず撫でてみたくなるほどの肌理の細かい素肌。
 平均的なマテリアル人女性より頭一つ分ほど高い。実際に至近距離で対面しなければ意外に低身と見られてしまう。
 右腰に得物を提げている。刃部に革製のシースを被せた刃渡り30cm強、柄の長さが75cmほどのショートサイズ……所謂、陣鎌を左腰に佩き、後ろ腰に大きなウエストポーチを一つベルトに通している。
 それとは別に腹の辺りのベルトにルマット式――6インチ銃身45口径6連発の輪胴型パーカッション式――拳銃を1挺、差している。ホルスターも無く、裸で差しているが右手で抜ける様に、グリップを右手側に傾けている。
 更に左上腕部にスティリットが逆さにシースごとベルトで固定されている。
 拳銃を除けば何れもメインウェポンとしては心許なく感じる。
 左腰のショートサイズが伊達ではなかったら……の話だが。
 テンガロンハット、革ズボンに外套の他は綿の白いワイシャツが一枚。
 袖のボタンは止めずにだらしなく風に靡くままにしている。防具らしい物は見当たらない。
 父親譲りの嗜み事の一つに、彼女には喫煙の習慣があった。4つ年上の長男はかなりのヘビースモーカーでフレリアム産の葉巻を好んでチェーンスモークしていた。彼女も同じくフレリアム産の葉巻を愛用していたが、ルマット家の人間、それも火精を専科とする錬金術師になる事を運命付けられた者達にとって喫煙は、火薬を扱う上で「火の元」「火気」に慣れるための通過儀礼のようなものであった。
 常に「火」を手元に置く事により、火薬に細心の注意を払う精神を養うのが目的だ。
 火薬と火は決して分別して考えてはならない物だ。
 故に、同時に扱う事を普段の生活環境の中で訓練する。その結果、ルマット家の人間は常に紫煙と硝煙を身に纏う事になる。
 一見すると危険極まりない。
 併し、一番効率がいい。危険を肌で覚えるからだ。
 スリルジャンキーになるかエキスパートになるかそれとも、腰抜けに成り下がるか試される瞬間でもある。
 今年24歳に成る彼女だったが、兄と同じく無頼放蕩の旅を続けている。
 どうせ実家の……等と、思っていたら足元を掬われる結果になる。
 慎ましやかにお淑やかに狭い家中で収まっていればいずれは政略結婚の道具にされる。
 現在ルマット家は先代家長にして父親のサコーが病に倒れ他界し、時期当主として長男のギリアスにその座を渡すべく早い帰宅を、首を長くして待っている最中なのだ。
 その間、アトリエはエルマの弟、つまり次男グロックが代理でアトリエを管理している。
 当主不在の現況は錬金術の一流儀の名門としては些か不名誉な出来事だ。
 家訓に縛られるのは彼女の性格ではない。
 断じて、政略結婚だけの道具に収まる彼女ではない。
 長男ギリアスが新型拳銃の性能テスト(と、云う名目)のために家を飛び出た1年後に彼女も実家を飛び出た。ギリアスを呼び戻す(と、云う名目)のために。
 勿論、真剣にギリアスの行方を追っているわけではないので、自由気ままな無宿人をしている。
 偶に冒険者ギルドを通して紹介される仕事を引き受けては、生活していけるだけの日銭を稼ぐ事も有るし、犯罪組織に用心棒として売り込む事も有る。
 決して自慢できる仕事は何一つしていない。
 実際にヤングドラゴンを斬り殺す腕と技術を持っていても武術測定所で正式なソーズマンのランクと称号を貰う事も無いし、シニアドラゴンの巣から6頭立ての馬車10台分の財宝を盗み出しても決して誇らしげに語る事は無かった。
 そんな些細な出来事は心の日記に書き留めておけばいい。……それが彼女の性分。
 さて、宿の自室から一歩踏み出すと兄が贔屓にしていた物と同じブランドの葉巻――ドワーフの親指よりも太く、人の中指の3倍以上の全長をしたマデュロの肌をしたフレリアム産葉巻――をポーチから取り出して、吸い口をスティリットの角で切り落とす。それを無造作に咥える。
 手品の様に左手の指の間から伸びてきた火口棒を宿の廊下の壁――薄汚れて罅が入った漆喰――に擦り付けて火を点すとそれで葉巻のフットを炙る。
 口腔で一服目を堪能すると濃厚な紫煙を吐き出す。
 背後でドアが静かに閉まる音が聞こえる。
 立て付けが悪い所為か、軋む音と共に今にも歪みで蝶番が外れそうな音が微かに聞こえてきた。安普請の廊下に革靴の底と床板が刻む無機質な硬質音が響く。
 3日間、滞在した宿だったが、これといった金の匂いがしないので今日限りで宿を代える。
1/7ページ
スキ