6インチは今日も多忙

 生前の極限状態の恐怖のために緊張しきっていた肛門からは、夥しい量の死後の脱糞をする。
 両手の得物をいつもの部位に仕舞うと、自分が座っていたストゥールに戻って未だ手をつけていなかった腿肉を毟るように取って齧り付きながら店を出た。
 後には退けなくなった。
 少なくともトカジプト団を敵に回した。
 『突然訪れてしまったエルマの宣戦布告』。
 幸か不幸か、宿も馬宿もトカジプト団の縄張りの中に有る。
 逃げも隠れもする積りは無いが、火元は自分とは言え、歯向かう者や降り掛かる火の粉を薙ぎ払う覚悟は出来ている。一悶着起こして金儲けする……遅かれ早かれ、こうなっていた。
 彼女は内に秘めていた『鍛えられた能力』の一つである警戒心を全開まで解き放った。
 待つのは好きじゃない。彼女の哲学は攻めに有る。
 その日の晩、自警団の団長を務めているというウェブリーと言う男の家に出向いた。普段は武具屋を営んでいるが有事ともなれば自警団団長になって、この町の自警団を組織する。
 それなりに地位が高い身分の人間なのだろうか。ウェブリーの家は3階建てだった。1階は武具屋兼倉庫で、20人ぐらいで満員になるだろうと予測できた。2階3階は居住と倉庫のスペースで、建物全体の佇まいも瀟洒な造りをしていた。
 表口を兼ねている1階の武具屋で、冷やかしの客を装って、店内から自分と店番をしている中年の二人きりになるのを待っていた。
 まさか、人前で見ず知らずの女に人払いを頼まれても目を白黒させるだけで埒が開かないと思ったからだ。
 機を見計らって、中年の店番に「自警団の団長に会いたい」と申し出ると、呆気無く、その男が自警団団長ウェブリーだという事が判明する。
「明日、トカジプト団を強襲する予定だ。報酬を考えてくれ」
 エルマの突拍子の無い申し出にウェブリーは一瞬、このブロンドの娘の言いたい事が飲み込めないで居た。
「え、ええと?」
「聞こえなかったか?」
「そうじゃない……あ、あんたがトカジプト団を?」
「文句あるか?」
「早まっちゃいかん! あの荒くれ者供は……」
「昼間、ロームの飯屋で2人を殺して1人を不具にした奴の噂は未だ聞いていないのか?」
 それを聴くと、ウェブリーの顔色がさっと青褪めた。
「……あんたが?」
「そうだ」
 不遜な態度で応えるエルマ。
「は、早まった事を……」
「そうかどうかは、これから起こる事を見ていてくれれば分かる。三下を殺ったからって報奨金は出ないんだろ? だったら全滅させて、ナンブ・トカジプトの首をここに持って来ればいいんだろ? そして私が報奨金を貰う。何も難しい話をしている訳じゃない」
「そりゃ、そうだが……どうしてトカジプトなんだ?」
「随分と質問の多い人だな……まぁ、いい。昼間の一件で、私は完全に連中に目を付けられたはずだ。生憎お礼参りを待つほど気長な性格じゃないんでね。だから、こちらから挨拶代わりに潰してやろうと思ってね」
 完全に難癖に便乗した恐喝屋の理屈だ、とウェブリーは目の前の無法者以上に無法な思考の女を見て肝が冷えた。
 エルマはスティリットを抜き、取り出した葉巻の吸い口を切る。ウェブリーが暗い顔で思案している最中に火口棒で火を点す。
「今までに……」
「?」
 紫煙を目で追っていたエルマが暗い表情になるウェブリーに小首を傾げて怪訝な表情を見せる。
「何か難点でも?」
「今までに何人かの賞金稼ぎが同じ事を言って……」
「返り討ちに遭った、と」
「……」
 ウェブリーが黙る事でエルマの台詞を肯定する。中空に薄っすらと紫煙の層が出来始める。
「悪い事は言わない!」
「おっと、その先は無し。前金を貰う訳じゃない。見ていてくれればいい。私が死んだところで、誰も困らないだろう? 何処かの流れ者が勝手に始めた事で、タナボタ式にその流れ者の懐に報奨金が入るだけの事だ。違うかい?」
「……解った。この件は議会に提出して……」
「おっと、それも無し。何処から情報が漏れるか知れたもんじゃない。この場の話は私とあんただけのものに」
 人差し指を口元に持ってきてウインクする。
 目の前の娘は、全て自分一人で企んだ事として、この話を終わらせたいらしい。町の議会にこの話を提出して通過させないと町の予算から報酬が出ない仕組みも『聴いていない』ことにして、ただの流れ者が無法者に喧嘩を売っただけの瑣事として処理しろと言っている。
 確かに、それならば自警団やウェブリーや議会に被害は及びにくい。誰もが考えるが、割に合わないので誰も実行しない手法だ。
 町の北部を縄張りにするナンブ・トカジプト率いる無法者集団強襲のための計画を頭の中で薄っすらと立てながら歩く。宿に着くなり、6インチ拳銃を抱いてベッドに潜り込む。
 恐らく、暫くは今夜のようにゆっくりと眠られる機会は当分無いだろう……この町で居る限り。
 翌日、軽い朝食を済ませると町の北部に位置するささやかな歓楽街の中心に有るサロン【スリーピングハーミット】へと出向いた。
 テンガロンハットを目深に被り、葉巻を横咥えにしている。
 いつもと違う点は左腰のショートサイズを抜いている事だった。未だ革シースは払っていない。
 【スリーピングハーミット】はトカジプト団の実質的な屯場だった。
 常に半分の構成員が朝から酒を浴びていると聞く。
 過去数回に渡る検分の際に店の内部を向かいの居酒屋から覗いたが、いずれも、両手の指では足りない人数が酒をかっ喰らって酔い潰れている様子が窺えた。
 どいつもこいつも御揃いの様に誂えたレザーブレストアーマーをだらしなく着崩していた。
 得物は全員が何らかの刃物を所持しているのが一目で判る。長物や飛び道具の類は揃えていない。尤も、腰のナイフを投げる事を得意とする者が居れば話は少し違ってくる。
 身内が3人も旅の女に屠られたと言うのに実に暢気なものだ。
 サロンの前に来ると、ゆらりとショートサイズの革シースを解いて払った。
 正確には刃渡り34cmの鎌。
 三日月は浅く、切っ先はナイフのように鋭い。峰は切っ先諸刃で研ぎ澄まされている。鋭利で剣呑。さしもの名刀ですら敵わぬであろう冷たい輝きを放って己の真価を発揮する瞬間を拱いて待っていた。
 間違い無く業物。
 装飾を意識した死蔵ではなく、実戦で使用する事を大前提とした、バランスの良い合理的な拵え。
 柄は満遍なく血と手垢で汚れ、刃は明らかに人間の血を啜ったが認められた。尚、カチコミの際に慣例の如く行われる、刃部に対して景気付けの清めの吹き付けは行わない。彼女にとっては美しくない行為だ。自分が男ならば別だろうが。
 半分程の長さになった葉巻を唾を吐き捨てる。左手でショートサイズの後端から一握分の位置を握る。
 右手は軽く刃の付け根の有る前方辺りに添える。
 自然と体勢は右半身を取る。
 それに加えて足の裏の重心も微妙に変化させる。
 いつでも体捌きが行えるように。
「さて、久し振りのチャンバラだ」
 そう呟くと、サロンの表口に右肩から『靠』――肩から背中に掛けての筋肉を用いた体当たり――をぶつけ、決してチャチな造りでは無い木製のドアをドアノブと蝶番ごと破壊して吹き飛ばす。
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