ブギーマンと弔えば

 中型ながら複合商業施設も近くにあり、生活の利便性は高い。何より、付近には学校や未就学児を預かる施設が皆無だった。
 教育施設やら託児所が有る地区だと『万が一』が発生した時には悲惨なことになりかねない。
 玲子とて人の子だ。無為に人の命を奪う趣味は無い。勿論、業界には『万が一』が発生した場合、人質の数に困らないようにと人口密集地帯を選ぶ人間も居る。
 窓を開け、隙間を空け、室内のドアも開け放つ。その状態でコルトピースキーパーのクリーニング。クリーニングで用いられる液体は酸性や揮発性の液体が多いので、引火すると火事になる。
 クリーニングと言っても通常分解で済む範囲のみ清掃。間違えても銃身は外さない。照準もできるだけ触れないようにする。銃身を外すどころか、銃身を締めているネジをコンマ数mm捻っただけで射撃精度に差が出る。フレームの後端上部に取り付けられている、咄嗟に精密射撃が出来るように設計されたリアサイトは玲子の得意な距離でゼロイン――狙った場所と実際の着弾点が一致――するように、こまめに『我が社』が手配した地下のシューティングレンジで調整している。
 玲子は数発しか発砲していなくとも、48時間以内にクリーニングをする。
 発射残渣を放置しておくとそこから錆が発生して作動不良を起こす。 一般的にリボルバー拳銃は堅牢だからマグナム弾が撃てると思われているが、実際は少し違う。稼動部位が少なく部品数が少ないので自然と故障する要素が少ないのだ。それに使用する材質に厚みを持たせれば強力な弾丸を発砲できるだけの話で、リボルバーが生まれた当時でさえ、最初からハイパワーを目論んで設計されていない。
 どんなに信頼性が高いマグナムリボルバーでも、クリーニングやメンテナンスを怠ればその他大勢の銃火器と同じく作動不良を起こす。
 普段から小さな問題を小さなうちに効率的に片付ける。……それも、この世界で生き残る秘訣だと思っている。
 スイングアウト式ダブルアクションリボルバーのクリーニングは非常にシンプルだ。
 銃身内部に液体を浸したブラシを通し、それを拭き取る。薬室内部も同じく。そして引き金や撃鉄やラッチの隙間にオイルスプレーを吹き付けるだけだ。
 通常はそれ以上の分解のしようが無い。リボルバー拳銃とはそれくらいに簡単な構造だ。
 簡単な構造でも工業製品であるからには必ず耐用年数が来てこの固体とも別れなければならない時が来る。この骨董品――コルトピースキーパーは80年代の製品――が市場に出回っている可能性は殆ど無い……。 少し前なら部品ごとに磨耗が激しくなった順に交換するパーツが手に入っていたらしいが、『このモデルは玲子よりも年上なのだ』。
 骨董品のような……今ではリボルバーといえばS&Wと言われるほどに市場を奪われてしまい、嘗ての栄光はもう無い。
 玲子がその骨董品を気に入った理由の一つ目は、自分の掌に合うグリップの形状だったからだ。18歳の時に初めて握った。どんな拳銃でもグリップパネルを交換すれば幾らでも選択肢の幅が広がる。
 二つ目はコルトピースキーパーを選んだ理由は357マグナムの期待を裏切らない破壊力だった。
 この銃が生まれた当時、本場の米国の警察官でさえ、357マグナムで人を撃つのは正気じゃない! と、敬遠されて、リボルバーで撃てる範囲で357マグナムよりマイルドな38spl+やそのバリエーションが開発された。
 それほどに357マグナムの破壊力に魅せられた。
 他の拳銃や他のマグナムリボルバーも遍歴したが、最初に握ったコルトピースキーパーに回帰。
 獲物を逃がしたくない。持っているだけで絶対の安心感が得られる。土壇場でも故障する心配をしなくていい。
 何より、弾薬が底を尽きても38spl――国内に於いては、日本警察の制服警官が腰にぶら提げているリボルバーが使用することで有名――が撃てる。
 357マグナムの単価は高いが、38splは割りと安い。基本的に357マグナム弾を使うリボルバーはそれよりも薬莢の長さが短い38splを装填して発砲する事が出来る。勿論、この逆は不可能だ。薬室を具えたシリンダーの長さが足りないので38splのシリンダーに357マグナムを装填すると弾薬の先端が飛び出てしまい、シリンダーをフレームに嵌め込むことは出来ない。
 従って、急場凌ぎの弾薬の選択肢として38splが選べるのは心強い。何しろ、見た目と寸法は38splでも、限りなく357マグナムに近い性能を目指して開発された38spl+P+も発砲できる。
 今の自分にとって最適解の相棒……それがコルトピースキーパーだった。
 この銃が壊れる様子など想像もしたくない。……必ず来るその時を見越して、嫌でも想像しなければならないが……。
 窓やドアを開放して換気してのクリーニングが終了。
 リビングの床に敷いた新聞紙やウエスを片付ける。全ての部屋の換気を入念に行ってから漸く、壁に掛けた時計を見る。
 午前11時30分を少し経過。
 通常分解での通常清掃なのに、念入りに行ったためか、1時間も経過していた。記憶が正しければ相棒のクリーニングを開始したのは午前10時30分頃だったはず。
 直ぐにでもシガリロを吸いたい気持ちを堪えて、キッチンに向かう。
 銃のクリーニングをする前に、1ヶ月ほど前に買ったホッケの開きを冷凍庫に押し込んでいたのを思い出してあらかじめ取り出して放置して常温で解凍していたのだ。これが今日の昼餉となる。
 実を言うと、これはこれで都合がいい。
 クリーニングリキッドやオイルの成分は十分に換気したとはいえ、その臭いは衣服の布などの繊維に沈着して洗濯するまで取れない場合が多い。ホッケを焼く匂いで誤魔化そうとしているのだ。化学薬品だけの臭いなら人間の鼻腔に鋭く突き刺さりやすいが、焼き魚の匂いと混同させれば近隣にもごまかしが利く。
 クリーニング用の液体でこの神経の使いようなのだから、映画でもよく見かける……しかも実在する、大型のショルダーホルスターを装備したユーザーは衣服の臭い対策に困らないだろうか? 脇に短機関銃や銃身を短く切り落とした散弾銃をぶら提げている人はガンオイルが衣服に滲みこむと、そのままシミとなって普通のクリーニング屋では綺麗に洗濯できない。臭いは消す事ができても、シミはどうにもならないのでは? と考えてしまう。
 ガスコンロのグリルで、程好く解凍したホッケを乗せて、ガスコンロに備え付けられた機能の焼き魚専用タイマーに焼き加減を任せる。
 換気扇、作動。
 冷蔵庫から取り出したキャベツ――あらかじめ4分の1の大きさにカットされて売られていたもの――を取り出して芯を取り除き、可食部位だけを荒く包丁でカット。
 野菜室から取り出したトマトも葉を切り落として6分の1にカット。冷蔵庫からは常備菜の胡瓜とワカメの酢の物を取り出す。冷凍庫で一昨日に炊いた白飯を押し込んでいたのを引っ張り出して、電子レンジで解凍。
 なんとも代わり映えの無い……普通の食卓しか想像できない風景。
 映画やドラマのように闇社会の人間は全て、荒くれた生活をしているとは限らない。
9/19ページ
スキ