ブギーマンと弔えば
追跡してきた襲撃側は退かなかった。
誘き寄せた『我が社』は敵対存在を殲滅するプランを遂行しようとした。
それが真正面からぶつかれば……殺し合いしかない世界に早変わりする。
3人。彼我の距離150m。玲子一人。
右掌に脂っぽい汗が吹き出る。鳩尾と喉に違和感。喉が渇く。犬歯を舐めて唾液を分泌させて少しでも喉を潤す。
暗い。光源の間隔が広い。電柱の直下しか照らされていない。バイクの男はどうやら重傷を負ったらしく反撃の気配すら感じない。
直線距離で対峙する。
セダンに乗っていた3人は既に降車してそれぞれの手に自動拳銃を握っている。
150m。
拳銃からすれば遥かなる距離。
弾頭を届けることは出来ても、命中させることは出来ても、十分に負傷させるだけの打撃力は見込めない――9mmパラベラム程度なら。
だが、玲子のコルトピースキーパーは話が少し違ってくる。357マグナムの単純なエネルギーは一般的な9mmパラベラムと比較して1.75倍以上。命中精度を度外視すれば150m先の的に命中させ上に無力化させるだけの打撃を与える事が出来る。
もう既に両手で構えて最初の標的を狙っている。
先頭を歩く1人ではない。その一番後方に居る、セダンの近くに居る人影だ。
あと5m前進しろと願う。
あと5m前進すれば……。
「……来い……来い……」
黒ブチ眼鏡の奥にある彼女の双眸が獲物を捕らえた山猫のように光る。
鼓動が五月蝿い。僅かに聴覚が狭窄。アドレナリンが更に沸騰。意識的に抑えられない生理的反応に心の中で舌打ち。
5m。
来た。
最後尾を歩いていた男が5m、前進。全体的に戦線も……3人も5m前進していた。
その目算5mを通過した途端に玲子は引き金を引いた。
コルトリボルバー特有の油が切れたようなインプレッションが指先に伝わった途端に空気を震わせる轟音。誰もが頭を低くして発作的に身構える。
自分の拳銃も相手の拳銃も同じだと思っていたのが間違いの一つ。
そして、5m前進したのが間違えの一つでもあった。
コルトピースキーパーのアジャスタブルサイトの向うで、電柱に取り付けられた外灯の下で『最後尾を歩いていた男』の胸部、ど真ん中が破裂したように肉を爆ぜさせて大型自動拳銃を放り出し、仰向けに倒れる。
5m。それだけ歩けば、全員の姿が外灯の下に来る。外灯の照射範囲に全員が納まる。
連中からは玲子は外灯の照射範囲を背中にしているので、その辺りに玲子が居ると全員が分かっていても、玲子までの正確な距離は掴み難い。
対して、玲子は外灯……と云うより、電柱の間隔を定規として距離を計り、更に狙いやすい位置に全員が移動するのを待っていた。
幅が狭い直線の道路の真ん中に立つ、女一人にどのように展開するかはさすがに連中の連携マニュアルには無かっただろう。
連中の大きな間違いの一つ。
それは数少ない遮蔽であり、掩蔽である自分たちが乗ってきたセダンから離れたことだ。
一番早くセダンの陰に滑り込める最後尾の男を最優先で狙ったのもそれが理由だ。
手前の2人を倒しても、マグナムでは撃ち抜けない乗用車の陰に隠れられると殲滅が難しくなる。現況、最後まで残りそうな標的を先に仕留めたのだ。
手前の2人は150m先からの精密な狙撃に肝を潰されて、地面に伏せてそのまま縫い付けられたように農道に張り付く。選択としては間違いではない。玲子は呼吸を乱さない自分と好き勝手に暴れる交感神経を宥めるように呼吸を整えながら歩みを進める。
残りの2人に戦意も敵意も無い。
玲子の職掌は殲滅だ。一人とて生かさず仕留めるのが仕事だ。
筋の通った眉目が歪む。
2人に近付けば近付くほど危険。9mmパラベラムの有効な射程に入る可能性が高くなる。
玲子は人間の命を弄ぶ趣味は無い。地面にうつ伏せになったままセダンの陰に逃げ込もうとする2人の背後から撃つ。
彼女の顔には表情は無い。
背中に巨大な弾痕を拵えた2人の死体。転がっているスイカを撃つような感情で2人を殺害……否、排除。心臓を狙って1発ずつ叩き込んだが、357マグナムの衝撃で2人の背骨が外れる音を聞いた。
「…………居ない」
その場で羽虫のように呟きながら前後左右を確認する。
外灯の照らす範囲には誰も居ない。
奥歯を噛み合わせる音をインカムに伝える。インカムからは警護対象が無事に逃走先に移動したのを伝えてきた。
コルトピースキーパーのシリンダーから使用、未使用構わず、全ての薬莢を取り出して新しいスピードローダーを押し込む。
警戒。目視で索敵。第三梯団や伏兵の存在は確認できない。開いた距離からの狙撃も勿論考慮している。
ライフルなどの狙撃による暗殺はコストがかかり過ぎる。映画で見るように全ての殺し屋が狙撃銃を使えるわけではない。
その腕前を磨くのにかかった時間や経験などを、金額で請求するので外注で狙撃手を雇うくらいなら三下を用いた人海戦術の方がコスト的に安い。ましてや、組織として腕のいい狙撃手を雇うとなれば、弱みを握らない契約に至る例は少ない。
踏み潰したカエルのように地面でへしゃげている2人を確認。更にその向うで胸骨を叩き割れて心臓を破壊された1人の死亡も確認。早々に田圃に突っ込んだまま動かなくなっていたバイクの男の死亡も確認。
追跡者が皆無であることと別働する襲撃者の存在が今のところ確認できない様子をインカムに奥歯を噛み鳴らす音で信号として伝える。
左脇のショルダーホルスターにコルトピースキーパーを仕舞う。
今度はカーディガンのポケットからクリーム色の平たい紙箱を取り出して中身を一本抜く。
シガリロを口に銜えたまま、死体から財布を漁る。
いつぞやの夜は同じ357マグナムを使う女を相手にしたので、仕留めた直後に弾薬も拝借したが、この場で絶命している連中が用いているのは大型軍用自動拳銃で、口径は同じでも薬莢の長さと拵えが違うので自分の銃で撃つ事が出来ない。従って、弾薬は無視。死体から漁った財布にしても金だけ抜くと財布そのものはその場に捨てる。
死体漁りは人道的倫理的には卑怯で冒涜だが、死体を尊厳あるものではなく、たんぱく質の塊として看做した場合、金や弾薬は無用の長物で、何処かの誰かが使ってやらねば経済が回らないと解釈できる。……思わぬ臨時収入にありつけるし、同じ弾薬ならセーフハウスに貯蔵しておくのに丁度いい。現場で使った弾薬は経費で落ちるが、護身用や逃走用としては経費外なのだ。
世界情勢が不透明で経済も不景気が続く昨今では、誰しもが複数のセーフハウスを持ち、複数の逃走経路を自前で用意している。
玲子は立ち上がり、背中を丸めてマッチの火でシガリロの先端を炙りながらこの場所まで乗ってきた原付バイクの方に歩く。
しつこくないバニラフレーバーの紫煙が雲に付き纏われる月に向かって吸い上げられる。
マッチで火を点ける余裕も無い時にシガリロを吸いたくない。
※ ※ ※
窓を開放。全て。
玄関ですら数cm解放。
3LDKハイツの南側2階。そこが玲子の自宅。賃貸。駅まで徒歩20分。徒歩10分圏内に煙草が吸える喫茶店が2軒もある奇跡のような立地条件。
誘き寄せた『我が社』は敵対存在を殲滅するプランを遂行しようとした。
それが真正面からぶつかれば……殺し合いしかない世界に早変わりする。
3人。彼我の距離150m。玲子一人。
右掌に脂っぽい汗が吹き出る。鳩尾と喉に違和感。喉が渇く。犬歯を舐めて唾液を分泌させて少しでも喉を潤す。
暗い。光源の間隔が広い。電柱の直下しか照らされていない。バイクの男はどうやら重傷を負ったらしく反撃の気配すら感じない。
直線距離で対峙する。
セダンに乗っていた3人は既に降車してそれぞれの手に自動拳銃を握っている。
150m。
拳銃からすれば遥かなる距離。
弾頭を届けることは出来ても、命中させることは出来ても、十分に負傷させるだけの打撃力は見込めない――9mmパラベラム程度なら。
だが、玲子のコルトピースキーパーは話が少し違ってくる。357マグナムの単純なエネルギーは一般的な9mmパラベラムと比較して1.75倍以上。命中精度を度外視すれば150m先の的に命中させ上に無力化させるだけの打撃を与える事が出来る。
もう既に両手で構えて最初の標的を狙っている。
先頭を歩く1人ではない。その一番後方に居る、セダンの近くに居る人影だ。
あと5m前進しろと願う。
あと5m前進すれば……。
「……来い……来い……」
黒ブチ眼鏡の奥にある彼女の双眸が獲物を捕らえた山猫のように光る。
鼓動が五月蝿い。僅かに聴覚が狭窄。アドレナリンが更に沸騰。意識的に抑えられない生理的反応に心の中で舌打ち。
5m。
来た。
最後尾を歩いていた男が5m、前進。全体的に戦線も……3人も5m前進していた。
その目算5mを通過した途端に玲子は引き金を引いた。
コルトリボルバー特有の油が切れたようなインプレッションが指先に伝わった途端に空気を震わせる轟音。誰もが頭を低くして発作的に身構える。
自分の拳銃も相手の拳銃も同じだと思っていたのが間違いの一つ。
そして、5m前進したのが間違えの一つでもあった。
コルトピースキーパーのアジャスタブルサイトの向うで、電柱に取り付けられた外灯の下で『最後尾を歩いていた男』の胸部、ど真ん中が破裂したように肉を爆ぜさせて大型自動拳銃を放り出し、仰向けに倒れる。
5m。それだけ歩けば、全員の姿が外灯の下に来る。外灯の照射範囲に全員が納まる。
連中からは玲子は外灯の照射範囲を背中にしているので、その辺りに玲子が居ると全員が分かっていても、玲子までの正確な距離は掴み難い。
対して、玲子は外灯……と云うより、電柱の間隔を定規として距離を計り、更に狙いやすい位置に全員が移動するのを待っていた。
幅が狭い直線の道路の真ん中に立つ、女一人にどのように展開するかはさすがに連中の連携マニュアルには無かっただろう。
連中の大きな間違いの一つ。
それは数少ない遮蔽であり、掩蔽である自分たちが乗ってきたセダンから離れたことだ。
一番早くセダンの陰に滑り込める最後尾の男を最優先で狙ったのもそれが理由だ。
手前の2人を倒しても、マグナムでは撃ち抜けない乗用車の陰に隠れられると殲滅が難しくなる。現況、最後まで残りそうな標的を先に仕留めたのだ。
手前の2人は150m先からの精密な狙撃に肝を潰されて、地面に伏せてそのまま縫い付けられたように農道に張り付く。選択としては間違いではない。玲子は呼吸を乱さない自分と好き勝手に暴れる交感神経を宥めるように呼吸を整えながら歩みを進める。
残りの2人に戦意も敵意も無い。
玲子の職掌は殲滅だ。一人とて生かさず仕留めるのが仕事だ。
筋の通った眉目が歪む。
2人に近付けば近付くほど危険。9mmパラベラムの有効な射程に入る可能性が高くなる。
玲子は人間の命を弄ぶ趣味は無い。地面にうつ伏せになったままセダンの陰に逃げ込もうとする2人の背後から撃つ。
彼女の顔には表情は無い。
背中に巨大な弾痕を拵えた2人の死体。転がっているスイカを撃つような感情で2人を殺害……否、排除。心臓を狙って1発ずつ叩き込んだが、357マグナムの衝撃で2人の背骨が外れる音を聞いた。
「…………居ない」
その場で羽虫のように呟きながら前後左右を確認する。
外灯の照らす範囲には誰も居ない。
奥歯を噛み合わせる音をインカムに伝える。インカムからは警護対象が無事に逃走先に移動したのを伝えてきた。
コルトピースキーパーのシリンダーから使用、未使用構わず、全ての薬莢を取り出して新しいスピードローダーを押し込む。
警戒。目視で索敵。第三梯団や伏兵の存在は確認できない。開いた距離からの狙撃も勿論考慮している。
ライフルなどの狙撃による暗殺はコストがかかり過ぎる。映画で見るように全ての殺し屋が狙撃銃を使えるわけではない。
その腕前を磨くのにかかった時間や経験などを、金額で請求するので外注で狙撃手を雇うくらいなら三下を用いた人海戦術の方がコスト的に安い。ましてや、組織として腕のいい狙撃手を雇うとなれば、弱みを握らない契約に至る例は少ない。
踏み潰したカエルのように地面でへしゃげている2人を確認。更にその向うで胸骨を叩き割れて心臓を破壊された1人の死亡も確認。早々に田圃に突っ込んだまま動かなくなっていたバイクの男の死亡も確認。
追跡者が皆無であることと別働する襲撃者の存在が今のところ確認できない様子をインカムに奥歯を噛み鳴らす音で信号として伝える。
左脇のショルダーホルスターにコルトピースキーパーを仕舞う。
今度はカーディガンのポケットからクリーム色の平たい紙箱を取り出して中身を一本抜く。
シガリロを口に銜えたまま、死体から財布を漁る。
いつぞやの夜は同じ357マグナムを使う女を相手にしたので、仕留めた直後に弾薬も拝借したが、この場で絶命している連中が用いているのは大型軍用自動拳銃で、口径は同じでも薬莢の長さと拵えが違うので自分の銃で撃つ事が出来ない。従って、弾薬は無視。死体から漁った財布にしても金だけ抜くと財布そのものはその場に捨てる。
死体漁りは人道的倫理的には卑怯で冒涜だが、死体を尊厳あるものではなく、たんぱく質の塊として看做した場合、金や弾薬は無用の長物で、何処かの誰かが使ってやらねば経済が回らないと解釈できる。……思わぬ臨時収入にありつけるし、同じ弾薬ならセーフハウスに貯蔵しておくのに丁度いい。現場で使った弾薬は経費で落ちるが、護身用や逃走用としては経費外なのだ。
世界情勢が不透明で経済も不景気が続く昨今では、誰しもが複数のセーフハウスを持ち、複数の逃走経路を自前で用意している。
玲子は立ち上がり、背中を丸めてマッチの火でシガリロの先端を炙りながらこの場所まで乗ってきた原付バイクの方に歩く。
しつこくないバニラフレーバーの紫煙が雲に付き纏われる月に向かって吸い上げられる。
マッチで火を点ける余裕も無い時にシガリロを吸いたくない。
※ ※ ※
窓を開放。全て。
玄関ですら数cm解放。
3LDKハイツの南側2階。そこが玲子の自宅。賃貸。駅まで徒歩20分。徒歩10分圏内に煙草が吸える喫茶店が2軒もある奇跡のような立地条件。