ブギーマンと弔えば
月が雲に隠されている。ミニバンと玲子の原付バイクとの相対距離100m。刈り入れ前の田圃がやや強い風の一薙ぎ。稲穂が触れ合う。稲穂の触れあいとコオロギの鳴き声で、さらっと涼を得られる音声。
原付バイクのエンジンは切らずにそのまま、降車。
口を閉じたまま奥歯を噛み鳴らす。玲子は現場に入る前から何かと奥歯を噛み合せて鈍い音を発していたが、それは全て本隊に対する指示を送る信号だ。
この場所を選びたがるだろうから、この場所に連れて来い。と、指示を出していた。どうせなら敵の残存戦力は一網打尽にした方が給料の査定が上がる。
連中が走りたがる方向や取りたがる戦法から逆算してこの場に誘導した。連中からすれば『自分たちがこの場所に追い込んだ』と胸を張っているだろう。
広い。何処からでも狙える。遮蔽は殆ど無い。
見渡す限り田圃しかない一帯の前後左右を大きく視界に捉える。
奥歯をコツコツと噛み合わせる。
玲子の前方で一時停車していた警護対象を乗せたミニバンが再び発車。そのまま玲子の脇を通り過ぎる。『車輌が通れるとすれば、この道一本しかない』のだ。
インカムからの連絡で襲撃者は1台のセダン型乗用車と1台の250ccバイクで追跡して来ている事が解っている。
矢張り、第二梯団以降の構えも揃えていたか。
或いは襲撃ポイント付近に追跡用と逃走用を兼ねた車輌を用意していたか。
兎も角、襲撃者は、自分たちに課せられた任務を捨てずにここまで追跡してきた意気やよし。
さぞや連中は鼻が高いだろう。自分たちは相手を逃げも隠れも出来ないような田園風景しか広がらない場所へと誘い込んだのだと信じている。
後続に、1台の白いトヨタのセダン――レクサス――と1台のヤマハのバイク。一本道の向こう側……玲子の前方300m辺りを明らかに法定速度を無視して突進してくる。
玲子はシガリロの紙箱を取り出すかのような脱力したモーションで左脇から相棒のマグナムリボルバーを抜く。
抜いて、腰の重心を落とす。
半歩、左足を左後方へ引く。やや右半身。右手でグリップを握り。左手をグリップ底部に添えて右手の震動を抑制する。顎先を引く。小脇を締める。肩甲骨から余計な力を抜く。
「…………いい子ね」
小さく呟く。
刹那、広大な緑の匂いの世界に轟音が襲い掛かる。
357マグナムの弾頭はバイクに乗る男の右肩を大きく抉る。
カエルを踏み潰したような破裂音が玲子の居る場所まで聞こえてきた。肉が大きく爆ぜて肺腑の空気を吐き出すような悲鳴しか出なかったのだろう。バイクを運転していた男と思しき影は畦から逸れて田圃の中に車体ごと突入し、沈黙した。
続けて発砲。2発。
フロントガラスの運転席側と助手席側に1発ずつ。勿論、それで停止はしない。これだけ暗くて距離があるとセダンに何人乗っているか分からない。
残存する3人が乗っているのか、1人か2人か。……絶好のロケーションで戦力の分断はしない! それが玲子の本当の読みだった。
一網打尽にしやすい環境への誘導。
誘導されているとは勘繰られにくいルートを走らせる。自分たちが獲物を追い込んだと錯覚させる演出。
本当に『我が社』は面倒なプランを考案して発売したものだ。更にそれがそこそこ売れているのだから強い声で現場は泣き言を言えない。
残弾4発。予備のスピードローダーはまだ余裕が有る。
冷静に2発、発砲。向かってくるセダン。目前に立つ女を轢き殺さなければ事態は好転しないと悟ったか、はたまた、自分たちはまだまだ何の罠にも嵌っていないと思い込んでいるのか。
その2発はフロントパネルの真ん中に吸い込まれるように命中する。アクション映画ではないのだから、それくらいで突進してくるトヨタのセダンは止められない。
――――レクサスかぁ……勿体無いなぁ。
自分でマグナム弾を4発も叩き込んでおきながら、セダン自体を可哀想に見る。
レクサスは彼女の趣味ではないが、ヤードに転売すればそこそこいい値段で買い取ってくれそうなので小遣い稼ぎには丁度いい、などと考えていた。
2発が命中した車体は玲子の目前200mの辺りで突然、ボンネットから白煙を上げて労咳のように小刻みにつんのめって速度が低下していく。
357マグナム程度ではエンジンブロックを撃ち抜くことは出来ないが、外装の薄い真正面からエンジンブロック以外に打撃を与えればパイプやコードの断線が発生しやすくなり、不具合を来たす確率も跳ね上がる。
現行の自動車の車体は態と脆く設計してあり、衝撃に晒されても、車体が凹んだりへしゃげることで内部の人間の安全性を確保している。
それを鑑みれば、357マグナム程度でも『当たるべき場所にまともに当たれば、【結果的】に、速度を低下させることは可能だ』。
残弾1発もフロントガラスの真ん中に叩き込む。
日本車はフロントガラスを銃弾で撃ち抜かれてもクモの巣が張ったような皹を残さない。視界を確保する為と、前シートに座る人間を破片から守るためだ。
その1発は思わぬ効果が出た。徐行速度寸前まで速度が低下したトヨタ・レクサスの後部座席から一人分の人間の影が転がり出てきた。シリンダーの最後の1発が後部座席に座る人物を驚かせたのだろう。
銃口を空に向ける。
シリンダーをスイングアウト。シリンダー軸を兼ねるエジェクターロッドの先端を押す。星型のエジェクターが空薬莢の尻を迫り上げて薬室から押し出してそれらは地面に転がる。
実物の空薬莢は炸薬が爆発した圧力で膨張してシリンダーの薬室内部に張り付いているので日本国内のモデルガンのように、シリンダーをスイングアウトした状態から銃口を空に向けても空薬莢は自重で落下しない。
シリンダーをフレームに押し戻す。玲子の顔にはある種の余裕が有る。
距離だ。
確かに追跡者はそこそこ練度が高い。
残念なことに、連携に全力を注いで射撃の腕を磨いていないのが手に取るように分かる。
襲撃者たちの身元は割れている。警護対象が某組織の幹部で、その依頼者が警護を外注した時点で、襲撃してくる敵性対象はある程度絞り込まれてきた。
複数の『襲撃するかもしれない、敵対存在』の中から襲撃に参画する可能性が低い組織や個人を排除。最後に残った一番大きな可能性を優先して作戦を立案。勿論、予定外や予想外も計算して、別のチームが候補から外れた『敵対存在』を監視して報告を逐次、寄越す。
その結果、今夜の襲撃で何人の人間が動員されていたのかは不明だが、襲撃に寄越された人間の練度から『この場所』で決戦だと大まかに予想できた。
練度はそこそこ。火力と鉄火場の経験は低い。
恐らく、外郭団体の三下。
この時の使い捨てだろうが、指揮官の作戦立案は高い。指揮官の能力が高いと、『流動的な現場』の意見を最優先で取り入れて次々に指示を出す。……この連中の悲劇は『そこ』だった。作戦立案者と指揮官が同じ人間なのだ。
ワンマンオペレーションで遂行すれば必ず綻びが発生する。
優秀な頭脳だからこそ、陥る視野狭窄。
陥るように仕向けられやすい。
尤も、この場で警護側に藤枝玲子なる人物が控えていなければ、今夜の勝負は襲撃側の勝利で終わっていただろう。
原付バイクのエンジンは切らずにそのまま、降車。
口を閉じたまま奥歯を噛み鳴らす。玲子は現場に入る前から何かと奥歯を噛み合せて鈍い音を発していたが、それは全て本隊に対する指示を送る信号だ。
この場所を選びたがるだろうから、この場所に連れて来い。と、指示を出していた。どうせなら敵の残存戦力は一網打尽にした方が給料の査定が上がる。
連中が走りたがる方向や取りたがる戦法から逆算してこの場に誘導した。連中からすれば『自分たちがこの場所に追い込んだ』と胸を張っているだろう。
広い。何処からでも狙える。遮蔽は殆ど無い。
見渡す限り田圃しかない一帯の前後左右を大きく視界に捉える。
奥歯をコツコツと噛み合わせる。
玲子の前方で一時停車していた警護対象を乗せたミニバンが再び発車。そのまま玲子の脇を通り過ぎる。『車輌が通れるとすれば、この道一本しかない』のだ。
インカムからの連絡で襲撃者は1台のセダン型乗用車と1台の250ccバイクで追跡して来ている事が解っている。
矢張り、第二梯団以降の構えも揃えていたか。
或いは襲撃ポイント付近に追跡用と逃走用を兼ねた車輌を用意していたか。
兎も角、襲撃者は、自分たちに課せられた任務を捨てずにここまで追跡してきた意気やよし。
さぞや連中は鼻が高いだろう。自分たちは相手を逃げも隠れも出来ないような田園風景しか広がらない場所へと誘い込んだのだと信じている。
後続に、1台の白いトヨタのセダン――レクサス――と1台のヤマハのバイク。一本道の向こう側……玲子の前方300m辺りを明らかに法定速度を無視して突進してくる。
玲子はシガリロの紙箱を取り出すかのような脱力したモーションで左脇から相棒のマグナムリボルバーを抜く。
抜いて、腰の重心を落とす。
半歩、左足を左後方へ引く。やや右半身。右手でグリップを握り。左手をグリップ底部に添えて右手の震動を抑制する。顎先を引く。小脇を締める。肩甲骨から余計な力を抜く。
「…………いい子ね」
小さく呟く。
刹那、広大な緑の匂いの世界に轟音が襲い掛かる。
357マグナムの弾頭はバイクに乗る男の右肩を大きく抉る。
カエルを踏み潰したような破裂音が玲子の居る場所まで聞こえてきた。肉が大きく爆ぜて肺腑の空気を吐き出すような悲鳴しか出なかったのだろう。バイクを運転していた男と思しき影は畦から逸れて田圃の中に車体ごと突入し、沈黙した。
続けて発砲。2発。
フロントガラスの運転席側と助手席側に1発ずつ。勿論、それで停止はしない。これだけ暗くて距離があるとセダンに何人乗っているか分からない。
残存する3人が乗っているのか、1人か2人か。……絶好のロケーションで戦力の分断はしない! それが玲子の本当の読みだった。
一網打尽にしやすい環境への誘導。
誘導されているとは勘繰られにくいルートを走らせる。自分たちが獲物を追い込んだと錯覚させる演出。
本当に『我が社』は面倒なプランを考案して発売したものだ。更にそれがそこそこ売れているのだから強い声で現場は泣き言を言えない。
残弾4発。予備のスピードローダーはまだ余裕が有る。
冷静に2発、発砲。向かってくるセダン。目前に立つ女を轢き殺さなければ事態は好転しないと悟ったか、はたまた、自分たちはまだまだ何の罠にも嵌っていないと思い込んでいるのか。
その2発はフロントパネルの真ん中に吸い込まれるように命中する。アクション映画ではないのだから、それくらいで突進してくるトヨタのセダンは止められない。
――――レクサスかぁ……勿体無いなぁ。
自分でマグナム弾を4発も叩き込んでおきながら、セダン自体を可哀想に見る。
レクサスは彼女の趣味ではないが、ヤードに転売すればそこそこいい値段で買い取ってくれそうなので小遣い稼ぎには丁度いい、などと考えていた。
2発が命中した車体は玲子の目前200mの辺りで突然、ボンネットから白煙を上げて労咳のように小刻みにつんのめって速度が低下していく。
357マグナム程度ではエンジンブロックを撃ち抜くことは出来ないが、外装の薄い真正面からエンジンブロック以外に打撃を与えればパイプやコードの断線が発生しやすくなり、不具合を来たす確率も跳ね上がる。
現行の自動車の車体は態と脆く設計してあり、衝撃に晒されても、車体が凹んだりへしゃげることで内部の人間の安全性を確保している。
それを鑑みれば、357マグナム程度でも『当たるべき場所にまともに当たれば、【結果的】に、速度を低下させることは可能だ』。
残弾1発もフロントガラスの真ん中に叩き込む。
日本車はフロントガラスを銃弾で撃ち抜かれてもクモの巣が張ったような皹を残さない。視界を確保する為と、前シートに座る人間を破片から守るためだ。
その1発は思わぬ効果が出た。徐行速度寸前まで速度が低下したトヨタ・レクサスの後部座席から一人分の人間の影が転がり出てきた。シリンダーの最後の1発が後部座席に座る人物を驚かせたのだろう。
銃口を空に向ける。
シリンダーをスイングアウト。シリンダー軸を兼ねるエジェクターロッドの先端を押す。星型のエジェクターが空薬莢の尻を迫り上げて薬室から押し出してそれらは地面に転がる。
実物の空薬莢は炸薬が爆発した圧力で膨張してシリンダーの薬室内部に張り付いているので日本国内のモデルガンのように、シリンダーをスイングアウトした状態から銃口を空に向けても空薬莢は自重で落下しない。
シリンダーをフレームに押し戻す。玲子の顔にはある種の余裕が有る。
距離だ。
確かに追跡者はそこそこ練度が高い。
残念なことに、連携に全力を注いで射撃の腕を磨いていないのが手に取るように分かる。
襲撃者たちの身元は割れている。警護対象が某組織の幹部で、その依頼者が警護を外注した時点で、襲撃してくる敵性対象はある程度絞り込まれてきた。
複数の『襲撃するかもしれない、敵対存在』の中から襲撃に参画する可能性が低い組織や個人を排除。最後に残った一番大きな可能性を優先して作戦を立案。勿論、予定外や予想外も計算して、別のチームが候補から外れた『敵対存在』を監視して報告を逐次、寄越す。
その結果、今夜の襲撃で何人の人間が動員されていたのかは不明だが、襲撃に寄越された人間の練度から『この場所』で決戦だと大まかに予想できた。
練度はそこそこ。火力と鉄火場の経験は低い。
恐らく、外郭団体の三下。
この時の使い捨てだろうが、指揮官の作戦立案は高い。指揮官の能力が高いと、『流動的な現場』の意見を最優先で取り入れて次々に指示を出す。……この連中の悲劇は『そこ』だった。作戦立案者と指揮官が同じ人間なのだ。
ワンマンオペレーションで遂行すれば必ず綻びが発生する。
優秀な頭脳だからこそ、陥る視野狭窄。
陥るように仕向けられやすい。
尤も、この場で警護側に藤枝玲子なる人物が控えていなければ、今夜の勝負は襲撃側の勝利で終わっていただろう。