ブギーマンと弔えば

 『我が社』のスタッフこと、警護要員は逃走ルートに就いた。
 インカムから次々と情報が流れ込んでくる。そのたびに脳内の地図を書き換える。警護要員は現在4人と交戦中。足止め専門のチームが応戦中。本隊は無事に離脱しつつある。襲撃者4人は2人一組の二手に分かれて挟撃を仕掛けようとしている。
 彼我の残存戦力を比較させる。
 自分が仕留めた6人だけが襲撃者の総戦力とは元から信じてはいない。必ず梯団を組んでいるはずだ。襲撃の規模にもよるが、襲撃の初撃を担当するチームで一気に型をつけるケースは割と少ない。陽動の意図を含むために圧倒的な火力と人員を見せ付けておいて、炙りだされた対象を要所で仕留めるのがセオリーだ。
 玲子が仕留めたのはその第一梯団。要所に控えている第二梯団が警護対象を追い詰めつつある。襲撃者側の第二梯団と『我が社』のスタッフが鎬を削っている。
 襲撃者は4人。
 その数すらもその場での総戦力だと信じ込まない。同じ規模の第三梯団や伏兵が潜んでいる可能性も考慮する。
 ――――えー……と。
 ――――この付近からは……。
 腕時計の回転ベゼルが残り0分を無言で報せる。
 そろそろ通報が完了して警官が殺到してくるだろう。
 『自分なら、警官が殺到してくることも考えて』この先を読んで、その場所に誘い込む。
 脳内麻薬に焼かれた頭脳が働けば働くほど、鳩尾の不快感が増す。
 新陳代謝が過剰に働いて自律神経が昂ぶっている。生理学的に夕方から優勢に働く副交感神経が脳内麻薬で炎上させられて本来、昼間に働くべき交感神経が過剰労働させられている状態だ。
 この仕事が終わったら脳疲労で倒れる。
 またもあの得も言えぬ不快な疲労感で2、3日寝込むのかと思うと少し気が重い。
 少しでも回復を促す為に、吐き気を覚えるほどのチョコレートのドカ食いでエネルギー補給するというのは何度経験しても慣れない。味覚は拒否しているが体が欲している。……近い内に人員を増強して自身の負担を軽くしてもらうように申し出ようと考える。
 走る。靴の裏が、確かに地面を踏ん張っていると云う感触を玲子に伝える。
 シリンダーの空薬莢を抜く。空薬莢はポケットへ押し込み、空になった分だけ、薬室に実包を押し込む。残弾2発しか銜え込んでいないスピードローダーもデニムパンツのポケットに押し込む。新しく、スピードローダーを抜き、左手の指に挟む。
――――少しは頭が回るね……。
 玲子は悪い微笑を浮かべる。
 付近住民が警察に通報して約5分後にサイレンを鳴らしてパトカーが駆けつける。その頃には主戦場は住宅街から離れていた。
 『我が社』の本隊は警護対象を車輌で郊外側へと運び始め、襲撃者もそれを追っている。足止め要員の『我が社』のチームは飽く迄足止めだ。
 その場で戦って膠着させるのが目的ではなく、本隊が下がればそれに従って下がってそこでまた戦線を構築。遅滞戦術の繰り返しで襲撃者のタイムテーブルを狂わせつつ更に襲撃者の弾薬や人員などのリソースを消費させる。
 その背後から掃討を請け負っているのが玲子一人。
 玲子に最前線から矢継ぎ早に入電。
 その内容と脳内の情報と襲撃者の練度や布陣から『先を読む』。
 後に出番が有るのに先を読めと言われる理不尽な部署だ。
 コルトピースキーパーを左脇に差し込んで、走る。郊外の境を越えようとする。途中、原付バイクを窃盗する。玲子にとってはチェーンのキーもイグニッションも針金とヘアピンがあれば数秒で何とかなる。
 ブレードを起こしていないアーミーナイフのファンクションの隙間に針金やヘアピンの先端を差し込んで90度に折り曲げるとピッキングツールの出来上がりだ。
 ラゲッジスペースからヘルメットも取り出す。
 路上での違法駐車の原付バイクなので通報する方も気が引けるので僅かに時間が稼げる。
 法定速度を守って走る。スピード違反や違法運転を匂わせてはいけない。
 彼女の脳内では『少しは頭が回る』と評した襲撃者の第二梯団を警戒していた。
 読みが正しければ、『深追いしないフリをして、別ルートを通るか、別ルートで待機している第三梯団に交代するだろう』。
 真夏の殺人的暑さの最中ならこんなに機敏には動けなかった。
 台風一過の涼しい季節で助かる。昔はこれが秋という季節の到来だと言われていたが、30歳に成ったばかりだと公言している彼女には四季も二十四節句もどうでもいい。活動するのに適した気候が巡ってきただけだ。
 ヘルメットのバイザーの隙間から流入する相対的な風が沸騰する頭部を心地良く冷ます。
 ――――敵は……もうすぐ、『変わる』。
 ――――『変わる』タイミングが分からない。
 ――――どうしたもんかねぇ。
 インカムから注ぎ込まれる情報に真新しいものは無い。心の隅に湧く焦り。背中や腋の汗は軽い緊張で湿る。
 盗んだ原付バイクで路地を何度も曲がり、一般道を走る。
 先の先を目指す。必ず自分の視点で観察しない。相手の視点で観察する事を肝に銘じる。
 自分の立てた作戦は必ず上手くいかない。
 作戦や計画と云うものは必ずトラブルや予定外が発生する。優れた作戦立案者はそのアクシデントも予想して必ず善後策や代替案を用意し、速やかにシフトさせる。
 例外に漏れず、『我が社』も様々なパターンを想定している。しかし、それでも尚、発生するから『問題』と謂われるのだ。
 もっとフレキシブルに。
 もっと柔軟に。
 もっと臨機応変に。
 もっと先見性高く。
 その観点で見た場合、藤枝玲子と云う人材は優秀に尽きた。……問題は人材不足ゆえに部署の人員増強が難しいことだ。この分野はもはや職人芸だ。職人の域に達した人材は既に老年で引退。もしくは時代に迎合できずリタイア。
 自称30歳でその域に達しようとしている玲子が如何に優秀であるかは『社内』では誰もが知る。……問題は、人材不足だった……。
 調子悪く咳き込む原付バイク。公僕に呼び止められないように整備不良が伺えない個体を選んだつもりだが、マフラーからの排気音を聞いて不安を感じる。
 気に入らない原付バイクを法定速度で最短距離を走る。自分が思う接敵ポイントまで最短距離で。幸いなことにインカムからの連絡で微調整が出来る。
 微調整のお陰で半分以上の確率で玲子の読みが当たっていた。
 一般道から郊外の住宅街へ。住宅街から橋で渡河して隣町に。繁華街からも鉄道からも離れているので人気は少なくなる。腕時計を見る。午後11時40分経過。
 夜の空気が心地良いのだろうが、車の排気ガスが染み付いた道路だと、疫病禍でなくとも使い捨てマスクをしたくなるほどに悪臭が漂う。これで更に往来の多い国道だとさぞや排気ガスで息苦しいだろう。バイクユーザーでなくて良かったと心底思う。
 一般道を外れて田畑が広がるのどかな地区へと到着。
 自分なら、この広い場所を『選ぶ』。
 何も無いこの場所。見渡す限りの田園風景。夜であっても土の香りが豊かで、虫の鳴き声が優しくて心地良い。
 何も無い。
 何も無いからこそ、ここに来る。
 読み通りに、何も無いからこそ、警護対象、つまり依頼人を乗せたミニバンがやってきた。
 軽トラックが横に2台並ぶ幅が有る農道。左右は田畑。一定間隔で電柱と外灯。民家は離れている。数件の家屋のシルエットが遠くに浮かぶ。
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