ブギーマンと弔えば

 『護り屋』とはアンダーグラウンドではボディガード全般を指す。
 専業兼業様々な『護り屋』が存在する。形態も個人から企業、組織まで様々。
 警護専門ゆえに高い専門性が要求される。何でもありのアンダーグラウンドだからこそ発生する問題も多い。例えば、狙撃専門の殺し屋が対狙撃専門の『護り屋』を兼業し、両方の依頼主から頼られ忌とわれる。例えば、個人経営の鉄砲玉専門の荒事師が対鉄砲玉対策を講演して日銭を稼いで両者から嫌われて失職するなどだ。
 何処の業界でもオールマイティは難しい。
 特に玲子は個人経営ではなく、中小企業に相当するレベルの多角経営企業で勤務している分、自分の意見が通り難い。従って緊急の呼び出しがあれば、直ぐに組織こと『会社』へ連絡を返さなければならない。
 玲子が『護り屋』の中にあってやや異質だと喩えられる理由は、オプションプラン要員としての出番が多かったからだ。
 玲子は火を点けたバニラフレーバーのシガリロを更に大きく吸い込んで紫煙を乱暴に吐き出して、それを惜しそうな顔で灰皿に押し付ける。まだまだ吸えるのに勿体無い。
 スマートフォンのディスプレイには玲子が所属する部署への召集だった。
 玲子はストローを差しているアイスコーヒーのタンブラーを掴むとストローを抜いて直接口をつけて一気に呷る。
 半分ほど胃に収めるとカウンター席を立ち上がり、シガリロやマッチ箱をポケットに押し込んで歩きだす。
 その背中は、面倒な時にしか出番が無い自分の運の悪さを呪いたくても呪えない不遇に泣いていた。



 午後11時。やや経過。左手首に巻かれたメンズウォッチのタグ・ホイヤーが正しければそのような時間だった。
 国道を制限速度を守って走行するミニバンの後部座席で火の点いていないシガリロを銜えたまま、右手に保持したコルトピースキーパーのシリンダーを開く。薄暗い車内でも357マグナムの薬莢の尻が確認できる。雷管に打痕はない。未使用の実包。
 彼女の出番は携帯電話のプランで言うところのオプションでしかなかった。
 本来の警護は別の部署が総がかりで受け持つ。
 『護り屋』に限らず、ボディガードを生業とする職業の殆どは戦う事を教えていないし、主眼としていない。映画の警護要員のようにアクティブに討って出る姿はマニュアルから大きく外れた行動でしかない。
 戦えば『戦う方に人員が割かれて、守るべき対象を守る壁が薄くなる』。
 だから、警護は警護であり、戦闘員ではない。
 警護対象に万が一が発生したら、その場から離脱する為に留まって派手に囮となり、襲撃戦力を足止めして、別チームが別の逃避経路に就くまでの時間稼ぎをする。
 そこまでは、通常の契約プラン。
 それ以上……即ち、襲撃戦力に対する『徹底した排撃』を行い、同じ襲撃を受ける確率を下げるために玲子が所属する部署が存在する。表向きの部署の名前はない。その仕事を遂行するために『急遽造られたチーム』を装うためだ。
 割りと若手で腕利きの玲子がチームに組み込まれる依頼が来た。
 警護チームが守り、玲子が背後から撃つ。
 警護チームが逃走に就き、玲子が追跡して撃つ。……それが具体的な職掌だ。
 戦う必要が無い『護り屋』ことボディガードが、戦う事をオプションに加えるのだからかなり特殊な例だろう。
 依頼人に最大の安全と安心を提供する為に考案して導入したプランだ。このオプションプランを選択する客は少ないが、金の払いがいい客ばかりなので組織の上層部としてはヒット商品だと睨んでいるようだ。今は玲子と数人のスタッフしかいないが、順じ拡大して大々的に宣伝するらしい。
 コルトピースキーパーを弄ぶ。
 眼はやや虚ろ。仕事前の軽い抑うつ状態。
 玲子自身は自分に大した能力は無いと思っている。
 人間の行動を脳内で予想して、その行動をトレースする程度の能力しかもっていないし、それは場数を踏めば誰しもが会得する能力で特殊でもなんでもないと思っている。
 人生経験の差と置き換えることも出来る。誰でも齢を重ねれば狡兎三窟の如く頭が回るのと同じだ、と。
 頭の中で今夜の計画が書類として広げられる。
 何枚もの図面、地図、写真、動画ファイル、テキストファイル。
 次から次へと脳裏を往復する。視線はスイングアウトされたまま軽快に回転するシリンダーを生きる光なく見ている。
 自分が控えるべき場所や時間や経路……覚える事が多い。多すぎて頭がパンクすることは無い。まあ、いい。いつもの事だ。現場に出ればプロ根性だけでなんとかなる。
 先日の夜も新山和緒と名乗る30代前後の殺し屋を追い詰めて始末した。
 計算どおりに罠にかかった。それは過去に遂行してきた成功例の一つとして経験として蓄積された。その上、報告書を仕上げて提出し、それは巡り巡って後塵の育成に役立つマニュアルとして活きる。
 人間の生命の永遠性と云うのは、このような事を言うのではないかと、現実逃避。自分は死んでも自分が残した『何か』で何処かの誰かが生き残り、成長し、名を残し、更に完成度の高いマニュアルを構築する。
 ――――だからこそ……。
 ――――だからこそ生きないといけない!
 思考がふと、そこまで及ぶ。スイングアウトされて空回りの音を立てていたシリンダーがカチリと音を立ててフレームに押し戻される。
 玲子の頭脳がプロのそれに切り替わる。
 これが彼女なりの心の調え方なのだ。
 彼女の目には虚ろな精りは微塵も無く、真っ直ぐ先を見据える。黒ブチの眼鏡の向うで怜悧な輝きが灯る。
 脳内の端に押し込まれていた仕事用の資料がデスクの上に整然と並べられて、今度は雑念が段ボール箱に押し込まれて脳の端に押しやられる。
 頭の中でシナプスがつながる。
 脳内の回路が生体微電流の奔流に襲われる。
 あらかじめ部署内で立てられていた作戦の全容を洗い出す。十分なほどにミーティングが繰り返されてアイデアや盲点は全て浮き彫りになったはずなのに、更にアイデアや盲点が見つかる。
 玲子はそれを警護要員と共有しようとしなかった。
 今から情報の共有を行うのは時間が無さすぎる。
 襲撃者の始末が玲子の仕事だ。単独で襲撃者を刈り取って行く。下手に情報を共有するより、自由判断で行動した方が成功率は高い。
 それこそが、その判断こそが、玲子が若手の中でも有能だと評価される結果をいつも招いている。
 チームを組めば平々凡々。単独だと優秀。
 今夜は単独だ。
 午前0時。丁度。
 先行して展開して既に布陣している警護要員と合流。
 『護り屋』としてはありきたりな、取り引き現場での警護と警戒だった。
 現場は一般家屋。木造一戸建て。郊外の境目。辺りは凋落を見せる住宅街。空き家も幾つか。強制代執行待ちの廃屋も見られる。人影より野良猫と出会う確率の方が高い時間帯。
 夏の終わり特有の僅かな湿り気を帯びた微風。賑やかな繁華街とは全く違う閑散とした夜の空気は、どこか詩的で寂寥すら感じる。
 空を仰げばやや翳った月。名物の満月は先日に見ごろを終えた。群雲が月光に纏わり付く前に全てが無事に終わって欲しい。
 銜えっ放しで吸い口が唾液で潰れてしまったシガリロを眉を顰めながら吐き捨てる。現場付近での喫煙は社内ではマニュアルとして禁じられている。
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