ブギーマンと弔えば
目の前に居るであろう『あいつ』も不器用な人間だ。真正面から撃てばいいのに撃たない。撃てないのか? それとも不器用な人間ではないのか?
これだけ距離を詰めていれば勝負は一瞬だ。
『あいつ』が現れる。
足元だけが……膝上までが影から幽鬼のように現れる。
膝上は闇の中に溶け込んだままだ。
その暗闇の中で外の明かりに照らされて右手の獲物が照り返しを見せる。
――――クーナン・モデルB……。
357マグナム7連発の自動拳銃だ。
外見は嘗て米軍が正式採用していたコルト・ガバメントのデッドコピーでメカニズムもコピーだ。
頑丈で信頼性が高いのだから何もかもを大きくして357マグナムを撃てるほど巨大にした拳銃だ。再装填の速さと速射と云う点では『あいつ』の方が上。ダンベルのように重い点を無視すれば……。
玲子は柱から情報を拾う前に体を左側へと移動させて襖を体当たりで押し破る。『あいつ』もそれに倣って襖側へと肩から飛び込む。
発砲は簡単。命中が難しい。リボルバーである玲子のコルトピースキーパーでは再装填のロスが大き過ぎる。『あいつ』のクーナン・モデルBは弾倉を交換すれば一瞬で準備完了だ。
靴の爪先で畳の表を次々と蹴り上げて畳返しよろしく目前に遮蔽を造る。
小さな破裂音。
エコーロケーションで距離と位置を拾い始めた。中空に浮いて自重で落下する畳の表は小癪に感じるはずだ。
破裂音の正体は、『親指と中指をすり合わせて指を鳴らしているパターンと口の中で舌鼓を打っているパターン』があるのも『判別済み』だ。
襖と畳の表と障子紙と放棄された衝立などが次々と中空を舞う。足元の死体や空薬莢が気になって大きな動作で動けない歯痒さに悩まされる。
玲子も『あいつ』も互いが嫌がる遮蔽や妨害を作り出して廃屋の中を走り回る。体中、埃だらけだ。空間を満たすように舞う塵埃で髪がパサついている。時折『あいつ』の探る音が、小さな破裂音が聞こえる。
勝負は一瞬でたった一発。
お互い、再装填など考えていない。『あいつ』が再装填を考えているのなら、『玲子のフィールドにわざと誘い込まれはしない』。自分から飛び込んできた『あいつ』。
なんらかの執念や執着を感じる殺意や敵意も感じるが、それ以上に玲子に対する興味を感じる。
勝負の時期を探っていた。
互いが互いでばら撒いた遮蔽や障害物のお陰で何もかもが混然としていた。
1、2、3、4、5……立て続けに銃声が轟く。玲子の357マグナム。
「!」
「やあ! 初めまして!」
目前の障害を次々と凄まじいガス圧と発射炎で薙ぎ払った玲子。
『あいつ』が襖や畳の表を腕で大きく払いのけながら突進してくる。まるでドスを構えて突き刺しに来るヤクザ映画のワンシーンのようだ。
ピョン、と玲子は大きく後ろへ一歩飛んだ。『あいつ』は構わず突進してくる。
この女の拳銃にはあと一発しか入っていない。
こちらは7発も弾倉に詰まっている。
負ける要素が無い。
『あいつ』の……少し荒れたオールバック。30代後半の苦みばしった色が差す、野性味が少し強い男の顔が猛然と近付いてくる! スローモーションのように『あいつ』は大型拳銃の銃口を真っ直ぐ水平に構えようとする。……スローモーションのように見えた。
「あなた、煙草、吸う?」
玲子の目に悪い笑顔が浮かぶ。
「!」
刹那、彼の全身が暗闇の中で突如としてオレンジ色の光を足元から発して、鼻を衝く臭いと共に明るく照らし出された。
『あいつ』は目を白黒させて、『足元から湧き上がる火の塊』を遮るように両手を交差させて顔面を守った。
「!」
『あいつ』は理解した。玲子が無闇矢鱈に走っていなかった事を。
この足元から湧く火の塊の正体は分からない。
火傷するほどでもない。
一瞬だけ、噴き上がった火の漣。
チェックメイト。
玲子は1mの距離から彼の胸部に銃口を定めて、両手でコルトピースキーパーをしっかり握って発砲した。
彼と彼女の間で爆発のような発砲炎が起きる。
彼……『あいつ』は大の字になって大きく後方へ吹き飛ばされた。
今になって、全身から汗が吹き出て腰が砕けそうになる玲子。彼女はあらかじめマッチと擦り紙を解すように削ってこの辺りに撒いておいた。元は【ヤジマ興業】の連中に一泡吹かせるために仕掛けた簡易的なトラップだ。勢いよく踏みつければ擦過して次々と連鎖して着火する。その罠まで誘い込んだのだ。
これが本当に最後の最後に見せた奥の手だった。
「……あなた、誰?」
大の字に倒れたまま拳銃を放り出して今にも息を引き取ろうとしている男は視線だけを玲子に向けた。
唇から色が引き始め、眼がやや黄色みを帯び始める。
「まあ喋らなくてもいいけどね。それと、同じタマを使う仲で漁らせてもらうわ」
玲子はいつも通りに平静を装うように、死ぬのを待つだけの彼に近付き懐から357マグナムの実包を漁ろうとする。
「?」
玲子は彼のジャケットの内ポケットからラミネート加工された写真を摘んで取り出す。
「……」
写真には彼といつぞやかの夜に仕留めたコルトパイソンの女が並んで笑顔で映っていた。どこかの牧草地での撮影だろうか?
「お……男が……女の仇を……討つのは……当然……だ……ろ……」
彼は残りの力を振り絞って、口から逆流する血液で顔を汚しながら『全てを語った』。その一言で玲子は何もかもを悟った。
「どこの誰にどんな恨みを買ってるか分かんないよ……」
先手を読んで布石を打つことで生き残ってきた玲子だが、人間の根源的な感情の一つである『恨み』は解析できなかった。彼女が読めるのは心理だけで、その奥底に働く暗くて強くて深い情動は読めなかった。
この世には『たったそれだけのこと』でここまで人間は『強くなれる』とは。
否、この男のエコーロケーションの能力は元から具わっていたものかもしれない。
その能力を最大限に活かせる状況で、同じく震動の検出と心理学的な行動の逆読みを得意とする玲子と『フェアな環境』で正面衝突してこそ、彼の大願は成就――玲子に殺されたコルトパイソンの女の復讐を果たす――する。
狙撃や爆発物で一気に殺してしまうのは慈悲しかない。それでは苦痛も苦悩も恐怖も与えられない。
真正面からの衝突で尚且つ、自身が手を下して完結する……その冴えたやり方の一つ――もしかしたら、本当に『たった一つの冴えたやり方』だったのかもしれない――が、廃屋に玲子を誘い込んで殺害することだった。
恐らく、今回、『我が社』に舞い込んで出動と相成った依頼も、目の前で静かに命が消えていく彼がコネと金と根回しを総動員して仕立てた『劇場』だったのだろう。
ずず……と彼の左手が床の上を這い、人差し指が南東を指す。
「……?」
「行け……この方向……には罠……なんざぁ……無い」
彼は更に血の塊を口から吐き出してそれ以降、二度と口は開かなかった。開いたままの瞳には精気は宿っていない。
壁の弾痕から差し込む外の心許無い明りが、幾重もの柔らかな光線を演出し、彼の体や顔や指先を照らしていた。
玲子は立ち上がると、コルトピースキーパーをショルダーホルスターに仕舞い込み、男の亡骸に向かって、右手だけで片手拝みをした。
――――あー。あー。
――――あの女、イイ男捕まえてたじゃないの。
自分が殺したコルトパイソンの女を軽く羨む。
爪先を彼の指した方向へと向けて歩きだす。……確かに、罠など何も無かった。
ふと辺りを見回す。
背後も見る。
廃屋の中から悪臭が漂う。
たった一人の人間が一人の人間を仕留める為だけに……復讐を為す為だけに、これだけの惨状を迷わず作り出す事実に、過去に例が無く恐怖した。
この恐怖は暫く心の片隅に残るだろう。トラウマを植えつけるのも作戦なのかと疑うレベルだ。
廃屋から出て数歩進むと、口にへばりついていたと錯覚していた使い捨てマスクを外し、ジャミングで役に立たないインカムも外し、ブルゾンのポケットに押し込む。
大きく貪る空気がなんと新鮮でなんと甘露な味か。
夜の風が運ぶ味を肺で味わう。
ポケットから完全にへしゃげたシガリロの箱を取り出す。中身は見るまでもなく全部へし折れているだろう。へし折れていなくともマッチは全て消費した。
そういえば、あれだけの悪臭が立ち込める空間だったのに煙草の臭いはしなかった。
小さく舌打ち。こんなクソみたいな業界にも禁煙の波は忍び寄っているのを身を以って知る。
玲子は……そのまま歩きだした。
直帰して、風呂に入って、食べて、寝て、起きて、食べて、出勤して、この顛末を報告書に書かないと消費した357マグナムの実包が経費として申請できない。
これが彼女の日常で毎日。
ただ一つ、違ったのは、自分が仕留めた相手に弔いと畏敬を込めて亡骸に頭を垂れたのは、後にも先にもこれっきりだったことだ。
《ブギーマンと弔えば・了》
これだけ距離を詰めていれば勝負は一瞬だ。
『あいつ』が現れる。
足元だけが……膝上までが影から幽鬼のように現れる。
膝上は闇の中に溶け込んだままだ。
その暗闇の中で外の明かりに照らされて右手の獲物が照り返しを見せる。
――――クーナン・モデルB……。
357マグナム7連発の自動拳銃だ。
外見は嘗て米軍が正式採用していたコルト・ガバメントのデッドコピーでメカニズムもコピーだ。
頑丈で信頼性が高いのだから何もかもを大きくして357マグナムを撃てるほど巨大にした拳銃だ。再装填の速さと速射と云う点では『あいつ』の方が上。ダンベルのように重い点を無視すれば……。
玲子は柱から情報を拾う前に体を左側へと移動させて襖を体当たりで押し破る。『あいつ』もそれに倣って襖側へと肩から飛び込む。
発砲は簡単。命中が難しい。リボルバーである玲子のコルトピースキーパーでは再装填のロスが大き過ぎる。『あいつ』のクーナン・モデルBは弾倉を交換すれば一瞬で準備完了だ。
靴の爪先で畳の表を次々と蹴り上げて畳返しよろしく目前に遮蔽を造る。
小さな破裂音。
エコーロケーションで距離と位置を拾い始めた。中空に浮いて自重で落下する畳の表は小癪に感じるはずだ。
破裂音の正体は、『親指と中指をすり合わせて指を鳴らしているパターンと口の中で舌鼓を打っているパターン』があるのも『判別済み』だ。
襖と畳の表と障子紙と放棄された衝立などが次々と中空を舞う。足元の死体や空薬莢が気になって大きな動作で動けない歯痒さに悩まされる。
玲子も『あいつ』も互いが嫌がる遮蔽や妨害を作り出して廃屋の中を走り回る。体中、埃だらけだ。空間を満たすように舞う塵埃で髪がパサついている。時折『あいつ』の探る音が、小さな破裂音が聞こえる。
勝負は一瞬でたった一発。
お互い、再装填など考えていない。『あいつ』が再装填を考えているのなら、『玲子のフィールドにわざと誘い込まれはしない』。自分から飛び込んできた『あいつ』。
なんらかの執念や執着を感じる殺意や敵意も感じるが、それ以上に玲子に対する興味を感じる。
勝負の時期を探っていた。
互いが互いでばら撒いた遮蔽や障害物のお陰で何もかもが混然としていた。
1、2、3、4、5……立て続けに銃声が轟く。玲子の357マグナム。
「!」
「やあ! 初めまして!」
目前の障害を次々と凄まじいガス圧と発射炎で薙ぎ払った玲子。
『あいつ』が襖や畳の表を腕で大きく払いのけながら突進してくる。まるでドスを構えて突き刺しに来るヤクザ映画のワンシーンのようだ。
ピョン、と玲子は大きく後ろへ一歩飛んだ。『あいつ』は構わず突進してくる。
この女の拳銃にはあと一発しか入っていない。
こちらは7発も弾倉に詰まっている。
負ける要素が無い。
『あいつ』の……少し荒れたオールバック。30代後半の苦みばしった色が差す、野性味が少し強い男の顔が猛然と近付いてくる! スローモーションのように『あいつ』は大型拳銃の銃口を真っ直ぐ水平に構えようとする。……スローモーションのように見えた。
「あなた、煙草、吸う?」
玲子の目に悪い笑顔が浮かぶ。
「!」
刹那、彼の全身が暗闇の中で突如としてオレンジ色の光を足元から発して、鼻を衝く臭いと共に明るく照らし出された。
『あいつ』は目を白黒させて、『足元から湧き上がる火の塊』を遮るように両手を交差させて顔面を守った。
「!」
『あいつ』は理解した。玲子が無闇矢鱈に走っていなかった事を。
この足元から湧く火の塊の正体は分からない。
火傷するほどでもない。
一瞬だけ、噴き上がった火の漣。
チェックメイト。
玲子は1mの距離から彼の胸部に銃口を定めて、両手でコルトピースキーパーをしっかり握って発砲した。
彼と彼女の間で爆発のような発砲炎が起きる。
彼……『あいつ』は大の字になって大きく後方へ吹き飛ばされた。
今になって、全身から汗が吹き出て腰が砕けそうになる玲子。彼女はあらかじめマッチと擦り紙を解すように削ってこの辺りに撒いておいた。元は【ヤジマ興業】の連中に一泡吹かせるために仕掛けた簡易的なトラップだ。勢いよく踏みつければ擦過して次々と連鎖して着火する。その罠まで誘い込んだのだ。
これが本当に最後の最後に見せた奥の手だった。
「……あなた、誰?」
大の字に倒れたまま拳銃を放り出して今にも息を引き取ろうとしている男は視線だけを玲子に向けた。
唇から色が引き始め、眼がやや黄色みを帯び始める。
「まあ喋らなくてもいいけどね。それと、同じタマを使う仲で漁らせてもらうわ」
玲子はいつも通りに平静を装うように、死ぬのを待つだけの彼に近付き懐から357マグナムの実包を漁ろうとする。
「?」
玲子は彼のジャケットの内ポケットからラミネート加工された写真を摘んで取り出す。
「……」
写真には彼といつぞやかの夜に仕留めたコルトパイソンの女が並んで笑顔で映っていた。どこかの牧草地での撮影だろうか?
「お……男が……女の仇を……討つのは……当然……だ……ろ……」
彼は残りの力を振り絞って、口から逆流する血液で顔を汚しながら『全てを語った』。その一言で玲子は何もかもを悟った。
「どこの誰にどんな恨みを買ってるか分かんないよ……」
先手を読んで布石を打つことで生き残ってきた玲子だが、人間の根源的な感情の一つである『恨み』は解析できなかった。彼女が読めるのは心理だけで、その奥底に働く暗くて強くて深い情動は読めなかった。
この世には『たったそれだけのこと』でここまで人間は『強くなれる』とは。
否、この男のエコーロケーションの能力は元から具わっていたものかもしれない。
その能力を最大限に活かせる状況で、同じく震動の検出と心理学的な行動の逆読みを得意とする玲子と『フェアな環境』で正面衝突してこそ、彼の大願は成就――玲子に殺されたコルトパイソンの女の復讐を果たす――する。
狙撃や爆発物で一気に殺してしまうのは慈悲しかない。それでは苦痛も苦悩も恐怖も与えられない。
真正面からの衝突で尚且つ、自身が手を下して完結する……その冴えたやり方の一つ――もしかしたら、本当に『たった一つの冴えたやり方』だったのかもしれない――が、廃屋に玲子を誘い込んで殺害することだった。
恐らく、今回、『我が社』に舞い込んで出動と相成った依頼も、目の前で静かに命が消えていく彼がコネと金と根回しを総動員して仕立てた『劇場』だったのだろう。
ずず……と彼の左手が床の上を這い、人差し指が南東を指す。
「……?」
「行け……この方向……には罠……なんざぁ……無い」
彼は更に血の塊を口から吐き出してそれ以降、二度と口は開かなかった。開いたままの瞳には精気は宿っていない。
壁の弾痕から差し込む外の心許無い明りが、幾重もの柔らかな光線を演出し、彼の体や顔や指先を照らしていた。
玲子は立ち上がると、コルトピースキーパーをショルダーホルスターに仕舞い込み、男の亡骸に向かって、右手だけで片手拝みをした。
――――あー。あー。
――――あの女、イイ男捕まえてたじゃないの。
自分が殺したコルトパイソンの女を軽く羨む。
爪先を彼の指した方向へと向けて歩きだす。……確かに、罠など何も無かった。
ふと辺りを見回す。
背後も見る。
廃屋の中から悪臭が漂う。
たった一人の人間が一人の人間を仕留める為だけに……復讐を為す為だけに、これだけの惨状を迷わず作り出す事実に、過去に例が無く恐怖した。
この恐怖は暫く心の片隅に残るだろう。トラウマを植えつけるのも作戦なのかと疑うレベルだ。
廃屋から出て数歩進むと、口にへばりついていたと錯覚していた使い捨てマスクを外し、ジャミングで役に立たないインカムも外し、ブルゾンのポケットに押し込む。
大きく貪る空気がなんと新鮮でなんと甘露な味か。
夜の風が運ぶ味を肺で味わう。
ポケットから完全にへしゃげたシガリロの箱を取り出す。中身は見るまでもなく全部へし折れているだろう。へし折れていなくともマッチは全て消費した。
そういえば、あれだけの悪臭が立ち込める空間だったのに煙草の臭いはしなかった。
小さく舌打ち。こんなクソみたいな業界にも禁煙の波は忍び寄っているのを身を以って知る。
玲子は……そのまま歩きだした。
直帰して、風呂に入って、食べて、寝て、起きて、食べて、出勤して、この顛末を報告書に書かないと消費した357マグナムの実包が経費として申請できない。
これが彼女の日常で毎日。
ただ一つ、違ったのは、自分が仕留めた相手に弔いと畏敬を込めて亡骸に頭を垂れたのは、後にも先にもこれっきりだったことだ。
《ブギーマンと弔えば・了》
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