ブギーマンと弔えば

 あれだけの腕利き連中を惜しげもなく投入し、更に全滅する事を前提に行動している、非人間的な思想の何者かがこの廃屋の2階に居る。歩きまわって何かをしている。
 『自分なら、想像もしていない場所から攻撃をする。』
 囁き。これは脳内の声。
 彼女は弾かれたようにその部屋から飛び出した。床を強く蹴って畳みの表が捲れ上がる。
 腹にくぐもる銃声の連射。
「!」
 先ほどまで居た場所に357マグナムの弾頭が突き刺さり、表が捲れた畳が更に耕される。
 ――――シルバーチップ!
 畳の荒れ方から何で以って狙撃されたのか判明。
 誰かが2階の床に向けて発砲。床、1階の天井を突き抜けたシルバーチップホローポイントの弾頭は程好くマッシュルーミングして弾頭の面積が広がり、風化しそうな畳に派手に孔を開けた。
 マグナムの特質を知っている人間が居る。
 6発以上撃った! その事実は玲子には脅威以外の何物でもない。自分より一枚も二枚も上手の可能性が高い化け物が潜んでいる。
「!」
 壁に開いた短機関銃や自動拳銃の弾痕から差し込む明かり。その明かりの向こう……弾痕の向うに赤い細い『糸』が薄っすらと見える。
 ――――やっぱり!
 赤外線センサー。
 一箇所だけではない。眼を凝らせば弾痕の向うに幾重もの赤外線センサーの赤い筋が見える。このために夜戦特化型の荒事集団である【ヤジマ興業】を雇い、全滅を計算した上で罠を仕掛けさせて……恐らく、何も知らない【ヤジマ興業】の連中は殲滅させられた。
 【ヤジマ興業】の連中は都合のいい使い捨てではないのが、『腹立たしい』。
 業務の都合上、罠をセットする連中。そしてこちらの戦闘力を削ぐ――弾薬の消費。体力の浪費。感覚の失調――為に投入して玲子に返り討ちにされた。
 それも計算済みだろう。
 2階の化け物は明らかに【ヤジマ興業】の社員ではない。あの『会社』が増員した話や外注を雇う話は聞いた事が無い。
 並列した情報として、この街で『自分と同類』の357マグナムの遣い手を聞いた事が無い。
 あれほどの遣い手なら、あれほどの策士なら、社外秘として『我が社』で文書としてリストが配布される。『この街に現れたこの人物が現場に現れた場合の対処法』として。
 玲子は再び柱に手を添えようとしたときに小さな破裂音を聞いた。不穏。寒気。
 柱から手を引く。焼け火箸から逃げるような慄くような手つきで。
 その場から半歩飛び退く。
 途端、元居たその場所に弾痕が開く。廊下に飛び出る。小さな破裂音。357マグナムの銃声。足元に弾痕。天井から見えていないはずの玲子の位置に確実に柔らかい銀色の弾頭を叩き込んでくる。
 【ヤジマ興業】の赤外線暗視装置とは違う恐怖。
 連中は闇夜でも光量を増幅させるので、『見える範囲』ならほとんど全てを見通せた。しかし、2階に居る誰かは、全く姿の見えないはずの位置から全く姿が見えないはずの玲子の脳天を狙って発砲している。
 小さな破裂音。
 昔何処かで聞いた懐かしい音。
 小さな小さな破裂音。
 その懐かしさを覚える小さな破裂音が聞こえた直後に頭上から、天井を突き抜けて357マグナムの銃弾が降ってくる。
 静止して廃屋の限られた部分の震動を掌で検出して先手を打つ……この方法が使えない。
 この豪奢な廃屋にて最も信頼に足るのは、触れていられる物体からの震動だけなのに。
 静止した途端に頭上から銃弾が降ってくる。
 シルバーチップホローポイント弾は命中すると弾頭の形状がマッシュルーム状に変形して物体に働くエネルギーを効率よく浸徹させる。狩猟でも使われる強力な弾だ。それが脳天に直撃すれば即死は免れない。肩に命中しても、一生、その方の肩から下はただの飾りとなるだろう。
 背中や首筋の神経を尖らせても効果が有るのは狭い範囲。天井を貫いて2階まで索敵範囲は及ばない。
 ――――それじゃ……『あいつ』は何を使ってこちらの位置を掴んでいるんだろう?
 ――――熱源感知センサー?
 ――――いや、『もっと正確』なモノ……。
 小さな破裂音。
 チューインガムで作った小さな風船を口の中で押し潰して割るような音。
 脊髄反射で飛び退く。銃弾がまたもその場に叩き込まれる。
「……動いた?」
 マスクの下で疑問を呟く。銃弾が次々と襲い来る。違和感。精密さに欠けてきている。
 敵意というより殺意。銃弾が降る直前にその場所を飛び退いて移動する。
 玲子は玲子自身に違和感。恐怖が薄い。感覚が麻痺したのか?
 心理状態を逆算。
 自分がこのような場合に、このように挙動されれば困ると云う状況を何通りも脳内に描く。
 その中でも最も嫌なパターンを弾き出したが、最も現実的で最も解離した結果だった。
 そのパターンに至った瞬間に背中に冷たいものが走る。
「誘ってるな!」
 彼女は大声で叫んだ。廃屋の枯れた壁や床や天上や柱や襖や障子や畳に声が染み込んでいく。
 状況を逆算。
 自分なら……大声で叫べば……自分が狙ったとおりの思考で『あいつ』が行動しているのなら……。
 小さな破裂音。
 さすがに懐かしさすら覚える何処かで聞いた音でも耳障りだ。
 その破裂音がもう一度鳴る。
 階段をふと見る。
「!」
 ブルゾンの裾を残す速さで、自分で畳を荒らした部屋に飛び込む。
 直後に銃撃。
 階段の方向から銃声。厳密に姿と位置を確認したわけではない。この部屋に飛び込むので精一杯だった。
 銃弾より早く動いたのではない。
 『あいつは、【平行】方向でしか位置を特定できない』のだ。平行に居ないのなら直下に居る。そこにいるのは玲子。だから引き金を引いただけ。それが『あいつ』だ。
 赤外線でも熱源感知でもない。玲子のようにあらゆる震動を検知しているのでもない。
 音だ。
 エコーロケーション。
 特定の周波数の音を全方位に発生させて弾性限界を迎えた物体が聞こえない音響として反響させる。
 その音を拾っているのだ。
 『あいつ』にとってはそれが長所で短所だ。
 【ヤジマ興業】の連中は襖の存在を遮蔽として扱っていた。それに対して『あいつ』は遮蔽である2階の床――1階の天井――を遮蔽として扱っていない。
 ある種の音を反響させてその音を拾って、『何処にどんな形状の障害物があるのか』を耳で掴んでいたのだ。それは『障害物の硬さは推し量れない』。
 音はマッハ1。
 反響の反響を繰り返せば更に情報を拾う速度は遅くなる。それが彼女が飛び退く時間があった理由。玲子の震動を検知する能力も物質の弾性限界を応用したものだが、物体の形状や硬度で大きく誤差が発生する。
 分かっていることは、機械を使わずに生理的機能だけで、暗闇を友とするのなら何れも最適解を備えた人間だったことだ。
 足音が階段の方向から聞こえる。言うまでも無く、『あいつ』が降りてきた。
「……」
「……」
 姿は見えない。まだ、更に暗がりの2階へと通じる階段方向に眼が慣れていないからだ。壁の弾痕から差し込む明かりや灯かりで距離感も掴み難い。
 足音。足音。足音。コツコツと廊下を足裏が叩く。歩く歩幅。男。身長170cm前後。体重は成人男性としては平均。重心バランスは最良。歩幅から焦りが聞こえない。完全に勝負を決めに進んでいる。
 玲子は左手をそっと柱に押し当てた。
 大粒の汗が額に浮き出る。
 殺すつもりで臨む。下手に口を割ろうとは考えない。そんな余裕は恐らく無い。
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