ブギーマンと弔えば
辺りは完全に日没を過ぎている。
寂しげな外灯がポツンポツンと存在。空気が冷たく変わる。月明かりすらない。
外灯から伸びる僅かな光源だけを頼りに廃屋のシルエットが辛うじて闇夜に幽鬼のように浮かび上がる。それ自体が幽霊屋敷であるかのようだと言われても異論は無い。
その幽霊屋敷然とした廃屋の正門をドロップキックで蹴り破ろうとした寸手のところで、玲子は銃声を聞き急ブレーキを掛けたのだ。
全身の行き場を失ったバネは惰性と慣性の狭間を往復して、彼女の体を制御不能にさせて前のめりにつんのめらせた。
先ほど脳内描いていた、正門から吶喊してからのセオリーが全て台無しなる。
勿論、彼女もプロだ。万が一や想定外に対して急遽使える代替案や計画変更の予定も脳内に何通りも用意していた。
……残念なことに、それらは彼女自身が猛牛のように突入してからの展開の後に起こりえる状況に対してのみ万全だった。観測することのできない廃屋内部での予想の範疇外は『範疇外』だった。
玲子は前のめりになる体を、そのまま地面に前転をするように叩きつけて背中と両足で受身を取る。無駄に終わったエネルギーはこれでかなり軽減できる。
この処置をしておかなければ、無駄なエネルギー全部が顔面に集中して地面に顔を埋没させる事になる。
仰向けに倒れたままの玲子は起き上がろうとせず、ひっくり返されたゴキブリのように両足と背筋だけで這いずって正門に近付く。
右手に撃鉄をデコッキングした相棒。突入と同時に発砲するつもりだったので無意識に撃鉄を起こしていたらしい。
左手でブルゾンのポケットからコンパクトを取り出して正門の隙間から内部を伺う。
――――!?
――――『誰と誰』がドンパチしてるの?
廃屋の中ではまだ銃撃戦は続いている。
軽快な9mmパラベラムの銃声がどんどん消えていく。
時折聞こえるマグナムの銃声。44マグナムではない。聞き馴染んだ357マグナムの銃声。羽虫のような銃声も聞こえる。
「……え?」
――――『おかしい!』
誰が誰で、何が何なのか少しでも状況を整理しようと銃声や銃撃を聞いて位置関係や人数を把握しようとする。……把握に努めれば務めるほど、奇怪。
確かに357マグナムを使う人間が最低一人、居る。
確かに357マグナムが吼えるたびに最低一人、減っていく。
規格外の腕利きが居る。
玲子自身も同じ弾薬を使う拳銃を相棒にしている手前、その銃声と銃声の間隔を聞いただけで、どれほどの遣い手なのか判じる事が出来る。
玲子の経験と勘と具体的で根拠の有る推察から導き出すに、一人の人間が狭い空間で357マグナムを発砲して10数人居るらしい襲撃者たち――本来の、玲子の標的――を次々と無力化させている。しかも……無駄な発砲が無い。
腹にくぐもるような轟音が発せられるたびに、一人ずつ銃声が消えていく。
何よりも不可解なのが、再装填だ。
357マグナムのリボルバーは6連発。
『リボルバーならば』。
再装填の隙や時間を計測すると明らかに6発以上の実包を装填できる拳銃だと分かる。
訳が分からない展開に正体不明の人物。……複数人かもしれない。
自分が姿を晒しても撃たれない保証は無い。敵の敵は味方と云う単純な公式は捨てる。商売敵やライバル企業や過去に恨みを買った相手なら全く違う都合の展開になる。
逃げるか留まるか。どちらが賢い選択か。敵か、味方か、中立か、第三者か。
判断する材料が少なすぎる。
玲子はほんの僅かな知的好奇心に推されて、大多数の職務遂行上の理由でこの銃撃戦の顛末と襲撃者を襲撃している者を確認することに注力する事にした。
遅かれ早かれ、報告書を書いて提出しなければならない。ならば書き込む内容が充実している方が後々の給料の査定に良い効果が出るだろう。
ひっくり返ったゴキブリのような体勢からうつ伏せになり、片膝から立つ。
腰と頭の位置を深く下げて正門左手側から裏手口へ回る。ブルゾンのポケットに突っ込んでいたフラッシュライトを使いたかったが、本来の標的である襲撃者と襲撃者を襲撃している正体不明の人物たちの姿を視認するまでは、自分の位置を知らせる真似はしたくなかった。
銃声が段々と少なくなる。
罵声も勢いが無くなる。
恐慌状態に陥った者が居るらしく、同士討ちも発生しているようだ。……つまり、廃屋内部は光源が殆ど確保できず、標的たる襲撃者たちがお互いの位置関係すら把握できていないことも考えられる。
「……」
喉のずっと奥の方がザラザラとする感覚。胸騒ぎとは違う……得体の知れない焦燥感。
多数の敵が銃口を並べているど真ん中に吶喊するのとは違う恐怖。
足が竦むのとは違う。進めば死ぬかもしれないのに進まなくてはならないような……好奇心が大きく膨らんでいる複雑な『何か』。自分で自分を制御できないもどかしさに似ている。
銃声が止む。廃屋を囲む壁の裏手のドアが半開き。壁伝いにここまで移動してくる間にすっかりと静寂を取り戻している。
硝煙と血の臭いだけが風の合間に漂い始める。森閑な夜の空気を汚す臭い。
森閑な夜……唐突に銃撃戦が止んだのだ。
「『死んでる』……」
裏手口から警戒しながら敷地内に侵入しながら唇だけがそのように呟く。何度も経験した、何度も目撃した、何度も感じ取った、あの陰惨な静けさ。
生きている気配が無い。廃屋すら死亡したかのように静か。
裏手口から勝手口へ。銃口を左右に視線と共に振りながら遮蔽が皆無の裏庭を不規則な蛇行で走る。見えない選手を相手にフェイントをかけてサッカーをしているような機動だ。
廃屋の内側から飛び出したと思われる射出孔が幾つも見える。
姿の見えない幽霊に対して近付けないように物理的な弾幕を張っただけのような規則性の無い孔。そして勝手口から屋内に侵入。
「う……」
呻く。馴染んだ硝煙と生臭い鉄錆の臭いが混じっている。その上、長く積もった塵芥が空気中に舞っており、呼吸をしただけで口中から気道、肺胞まで得体の知れない病原菌に冒されている気分になる。……急いで左手でブルゾンのポケットを探り、使い捨てマスクを付ける。
気配を探るが、真っ暗闇で何も見えない。
背中や腋に冷や汗が吹き出る。
氷で背筋を撫でられたのに似た寒気がする。
『敵も味方も、誰も彼もが真っ暗な状況で襲撃者たちを襲撃して殲滅させた人間が居る』のが確かだからだ。
土間で玲子は足元を掬われる。転倒しそうになるが、なんとか耐える。空薬莢を踏みつけたようだ。
固い床や地面で派手に自動火器を発砲して無秩序に空薬莢をばら撒くと、転倒……このような事故を起こすので、空薬莢を掌で回収できる、合理的側面から見ても、玲子はリボルバーを頑なに使いたがった。
「…………これは」
右手でコルトピースキーパーを構え、左手でポケットから取り出したマッチを片手で擦って小さな温かい灯かりでその空間だけを僅かに照らす。
土間。後に付け加えられた近代的キッチン。床やその奥に続く廊下に死体。
やがて、マッチの炎が小さくなり、消える。マッチ軸を足元に落とす。
……敵が潜んでいるのなら赤外線暗視装置を装備していると想定。
そうでなければ、このような惨状は作ることは出来ない。土壇場で人間が逃げたがる方向や進みたがる方向に死体がある。一方的な殺戮だったのだろう。
寂しげな外灯がポツンポツンと存在。空気が冷たく変わる。月明かりすらない。
外灯から伸びる僅かな光源だけを頼りに廃屋のシルエットが辛うじて闇夜に幽鬼のように浮かび上がる。それ自体が幽霊屋敷であるかのようだと言われても異論は無い。
その幽霊屋敷然とした廃屋の正門をドロップキックで蹴り破ろうとした寸手のところで、玲子は銃声を聞き急ブレーキを掛けたのだ。
全身の行き場を失ったバネは惰性と慣性の狭間を往復して、彼女の体を制御不能にさせて前のめりにつんのめらせた。
先ほど脳内描いていた、正門から吶喊してからのセオリーが全て台無しなる。
勿論、彼女もプロだ。万が一や想定外に対して急遽使える代替案や計画変更の予定も脳内に何通りも用意していた。
……残念なことに、それらは彼女自身が猛牛のように突入してからの展開の後に起こりえる状況に対してのみ万全だった。観測することのできない廃屋内部での予想の範疇外は『範疇外』だった。
玲子は前のめりになる体を、そのまま地面に前転をするように叩きつけて背中と両足で受身を取る。無駄に終わったエネルギーはこれでかなり軽減できる。
この処置をしておかなければ、無駄なエネルギー全部が顔面に集中して地面に顔を埋没させる事になる。
仰向けに倒れたままの玲子は起き上がろうとせず、ひっくり返されたゴキブリのように両足と背筋だけで這いずって正門に近付く。
右手に撃鉄をデコッキングした相棒。突入と同時に発砲するつもりだったので無意識に撃鉄を起こしていたらしい。
左手でブルゾンのポケットからコンパクトを取り出して正門の隙間から内部を伺う。
――――!?
――――『誰と誰』がドンパチしてるの?
廃屋の中ではまだ銃撃戦は続いている。
軽快な9mmパラベラムの銃声がどんどん消えていく。
時折聞こえるマグナムの銃声。44マグナムではない。聞き馴染んだ357マグナムの銃声。羽虫のような銃声も聞こえる。
「……え?」
――――『おかしい!』
誰が誰で、何が何なのか少しでも状況を整理しようと銃声や銃撃を聞いて位置関係や人数を把握しようとする。……把握に努めれば務めるほど、奇怪。
確かに357マグナムを使う人間が最低一人、居る。
確かに357マグナムが吼えるたびに最低一人、減っていく。
規格外の腕利きが居る。
玲子自身も同じ弾薬を使う拳銃を相棒にしている手前、その銃声と銃声の間隔を聞いただけで、どれほどの遣い手なのか判じる事が出来る。
玲子の経験と勘と具体的で根拠の有る推察から導き出すに、一人の人間が狭い空間で357マグナムを発砲して10数人居るらしい襲撃者たち――本来の、玲子の標的――を次々と無力化させている。しかも……無駄な発砲が無い。
腹にくぐもるような轟音が発せられるたびに、一人ずつ銃声が消えていく。
何よりも不可解なのが、再装填だ。
357マグナムのリボルバーは6連発。
『リボルバーならば』。
再装填の隙や時間を計測すると明らかに6発以上の実包を装填できる拳銃だと分かる。
訳が分からない展開に正体不明の人物。……複数人かもしれない。
自分が姿を晒しても撃たれない保証は無い。敵の敵は味方と云う単純な公式は捨てる。商売敵やライバル企業や過去に恨みを買った相手なら全く違う都合の展開になる。
逃げるか留まるか。どちらが賢い選択か。敵か、味方か、中立か、第三者か。
判断する材料が少なすぎる。
玲子はほんの僅かな知的好奇心に推されて、大多数の職務遂行上の理由でこの銃撃戦の顛末と襲撃者を襲撃している者を確認することに注力する事にした。
遅かれ早かれ、報告書を書いて提出しなければならない。ならば書き込む内容が充実している方が後々の給料の査定に良い効果が出るだろう。
ひっくり返ったゴキブリのような体勢からうつ伏せになり、片膝から立つ。
腰と頭の位置を深く下げて正門左手側から裏手口へ回る。ブルゾンのポケットに突っ込んでいたフラッシュライトを使いたかったが、本来の標的である襲撃者と襲撃者を襲撃している正体不明の人物たちの姿を視認するまでは、自分の位置を知らせる真似はしたくなかった。
銃声が段々と少なくなる。
罵声も勢いが無くなる。
恐慌状態に陥った者が居るらしく、同士討ちも発生しているようだ。……つまり、廃屋内部は光源が殆ど確保できず、標的たる襲撃者たちがお互いの位置関係すら把握できていないことも考えられる。
「……」
喉のずっと奥の方がザラザラとする感覚。胸騒ぎとは違う……得体の知れない焦燥感。
多数の敵が銃口を並べているど真ん中に吶喊するのとは違う恐怖。
足が竦むのとは違う。進めば死ぬかもしれないのに進まなくてはならないような……好奇心が大きく膨らんでいる複雑な『何か』。自分で自分を制御できないもどかしさに似ている。
銃声が止む。廃屋を囲む壁の裏手のドアが半開き。壁伝いにここまで移動してくる間にすっかりと静寂を取り戻している。
硝煙と血の臭いだけが風の合間に漂い始める。森閑な夜の空気を汚す臭い。
森閑な夜……唐突に銃撃戦が止んだのだ。
「『死んでる』……」
裏手口から警戒しながら敷地内に侵入しながら唇だけがそのように呟く。何度も経験した、何度も目撃した、何度も感じ取った、あの陰惨な静けさ。
生きている気配が無い。廃屋すら死亡したかのように静か。
裏手口から勝手口へ。銃口を左右に視線と共に振りながら遮蔽が皆無の裏庭を不規則な蛇行で走る。見えない選手を相手にフェイントをかけてサッカーをしているような機動だ。
廃屋の内側から飛び出したと思われる射出孔が幾つも見える。
姿の見えない幽霊に対して近付けないように物理的な弾幕を張っただけのような規則性の無い孔。そして勝手口から屋内に侵入。
「う……」
呻く。馴染んだ硝煙と生臭い鉄錆の臭いが混じっている。その上、長く積もった塵芥が空気中に舞っており、呼吸をしただけで口中から気道、肺胞まで得体の知れない病原菌に冒されている気分になる。……急いで左手でブルゾンのポケットを探り、使い捨てマスクを付ける。
気配を探るが、真っ暗闇で何も見えない。
背中や腋に冷や汗が吹き出る。
氷で背筋を撫でられたのに似た寒気がする。
『敵も味方も、誰も彼もが真っ暗な状況で襲撃者たちを襲撃して殲滅させた人間が居る』のが確かだからだ。
土間で玲子は足元を掬われる。転倒しそうになるが、なんとか耐える。空薬莢を踏みつけたようだ。
固い床や地面で派手に自動火器を発砲して無秩序に空薬莢をばら撒くと、転倒……このような事故を起こすので、空薬莢を掌で回収できる、合理的側面から見ても、玲子はリボルバーを頑なに使いたがった。
「…………これは」
右手でコルトピースキーパーを構え、左手でポケットから取り出したマッチを片手で擦って小さな温かい灯かりでその空間だけを僅かに照らす。
土間。後に付け加えられた近代的キッチン。床やその奥に続く廊下に死体。
やがて、マッチの炎が小さくなり、消える。マッチ軸を足元に落とす。
……敵が潜んでいるのなら赤外線暗視装置を装備していると想定。
そうでなければ、このような惨状は作ることは出来ない。土壇場で人間が逃げたがる方向や進みたがる方向に死体がある。一方的な殺戮だったのだろう。