ブギーマンと弔えば

 離散したか撤退したか、玲子を迎撃する為に何処かで息を殺しているか。
 玲子のインカムに様々な情報が流れ込んでくる。今回のはったり作戦での先遣隊と本隊の分断に成功し、別働する同僚が先遣隊を押しつつある。この場は玲子一人が一切合財を刈り取れば成功裏に終わる。
 歩きにくい、荒れた田畑を踏みながら遮蔽伝いに……電柱や廃屋や放置された廃車の陰を伝いながら、全力で走る。
 このシチュエーションは玲子と云うより、玲子の相棒であるコルトピースキーパーにうってつけの条件だったのでこの場に誘い出したのだ。
 開けている。広い場所。遠くを見通しやすい。
 銃声がくぐもる心配がないので好きなだけ発砲できる。
 室内であれば耳栓が必要で、その分、情報も狭窄されてしまうがこの場では心配ない。
「……あ」
 ふと、小さく声を挙げる。
 目前、推定150m付近にある、廃屋になって久しいだろう、豪奢な和風建築の家屋が目に入る。
 更にそこへ集結する敵戦力。
 追っていた3人以上の影が集まる。
 篭城しての膠着。その隙に増援の要請。
 ……大方そんなところだろう。
 連中の作戦としてはセオリーどおりだ。鉄火場に放り込まれた人間とはかなりの確率で集団を形成する。効果的に分散すれば有利に働く局面でも集団で全周囲を警戒していれば絶対安全だという根拠の薄い安心を得られるのだ。
 セオリーどおりでは有るが、この場で……増援が到着するまで時間が掛かるこの山間部で、敵対者が一人だと解っている状況で密閉された空間に密集するのは及第点程度の作戦だ。
 個々人で活動していれば各個撃破されると思ったのだろう。
 及第点以上を目指すのなら、相手が一人だと判明すれば、少人数のグループを作って要衝で陣取り、互いをカバーして行動範囲を広く保ち、視界も広く確保することだ。
 そんな事を漠然と頭の中で考えながら歩みを止めず、豪奢な廃屋――元は地元の有力者の住居だったのだろう――へと進む。1kgを超えるコルトピースキーパーが錘のように腕を振る。
 それを抑制する為に両手でカップ&ソーサーの握り方で頭を低くして走る。
 足元が不定の硬さのために踏ん張りが利かなくて思った以上に体が上下に揺れて、道具でもある相棒があちらこちらへと振り回されてしまうのだ。
 想像以上に疲労する。明日は筋肉痛で動けないかもしれない。
 大型の廃屋。目前30m。山間部ゆえに日が暮れるのは早い。
 呼吸を整える。緊張で心拍数が上がる。
 相手の戦略や戦術が『読めても』、フィジカルはそれとは別に機能する。
 一見、掌の上で相手を弄んでいるように見えるが、それは『読めているから先を打てるだけ』であり、実際に現場で命を張って銃弾を撃ち込み合うのは玲子だ。
 それが仕事なのだから仕方がない。その生き方を選んで満足しているのだから仕方がない。
 短機関銃が数挺とその他大勢の自動拳銃。さてどうしたものか。
 ――――……!?
「え?」
 口を衝く。
 ――――何?
 正面から廃屋を見ている玲子。
 目前30mの廃屋の裏手口へと握り拳大のオレンジ色に光る球体が、人が歩く速さより少し早い程度の速さで吸い込まれていくのが見える。 裏手口は玲子からは死角だが、廃屋の四方を囲む壁には正門とその反対側の裏手口しかない。
 合理的に考えて『人が入るのなら裏手口』からだろう。その証拠に正面の門扉は蹴り飛ばせば破壊できそうに風化しているが、硬く閉ざされている。
 逡巡。
 悩んでも仕方ないと頭を伏せて駆け足で移動を開始。
 どんなに逡巡しても名案は出ない。いや、出ている。チェスのプレイの際、人は5秒で思いついた一手と30分悩んだ末の一手の合致率は86%に達する。これをファーストチェス理論と言う。
 これは素早い意思決定の一つとして持ち出される理論だ。
 それに従い、当初の予定通りに前進。
 正面から突入。正面には数は少ないが最大火力の短機関銃が揃っているはずだ。
 その他3方向には残りの人員を3等分しただけ配置。何処に指揮官に相当する人間が潜んでいるかは解らないが、指揮官に相当する人物は特権を活かして一人でも複数でも……少しでも多く、手下を従えている。
 身の危険を察知した人間で、権力の有る人間は、指揮系統を維持しなければならない問題と、自身の命を守る問題を同時に解決しようと目論み、自然と、自分を特別扱いする。
 連中を追い詰める段で、幾人かを葬ったが、何れも、頭部破砕や頚部損傷などの見た目に派手な致命傷を一発で……一切の無駄弾無しで叩き込んできたために、恐怖が増幅されているのだ。
 それもこのため。万が一、クモの子を散らすように好き勝手に瓦解して逃走されては面倒なので、自ずと団結力を発揮し易い状況に追い込んだ結果だ。
 決戦を目前にして突然、寒気がする。
 先ほどのオレンジ色の球体が人魂に思えてきたのだ。
 ……縁起でもない。
 コルトピースキーパーをカップ&ソーサーで保持。
 嘗て、リボルバー全盛だった時代に多用された握り方。右手でグリップを握り、左手でグリップ底部を包み込むようにして握る。上から押さえる力と下で支える力で素早いエイミングを目指して設計された握り方で、グリップの全長が長い自動拳銃全盛の現在ではこの握り方をする人間はごく少数だ。
 耳朶で空気の渦巻きが発生して風鳴りが聞こえる。
 眼前の正門を蹴り破ることしか考えていない。全力疾走。作業用ブルゾンの裾が風にはためく。先ほどの人魂は見間違えた事にする。誰かが懐中電灯でも持って警戒していたのだろう。
 5秒考えようが30分悩もうが、恐らく結果は同じ。ファーストチェス理論。
 思考半分、もう半分は博打。
 土を巻き上げながら玲子は顔に当たる羽虫も意に介さず走る。
 もう5m……太腿に一層のバネを溜める。……勢いに任せて飛ぶ。両足をそろえてドロップキックから正門を蹴破る。短機関銃の洗礼。惰性で落下し背中で受身。地面に寝転がったまま右手側へ側転。側転しつつ1人でも短機関銃の遣い手を黙らせる。
 数挺の短機関銃。大火力を突破されやすいウィークポイントに集中させるのは常套だ。
 常套だからバカ正直にそこへ吶喊してこないだろうと考えている甘い考えの隙を衝く。
 1人、357マグナムで頭部を吹き飛ばせば他の連中はその破壊力に恐慌を来たして唯のトリガーハッピーに変貌する。そうなればどんなに優秀な短機関銃でも殆ど真価を発揮できない。
 更に大きくなる隙。
 それこそが……『5m先にある正門をドロップキックで破壊した後』の展望と大まかな道筋だった。
 勿論、代替案や善後策も複数思い浮かんだ。
 太腿に一層の力が溜められる。軸足に全体重が乗る。空気の抵抗すら重たい。
 歯を食い縛る。足裏、脛、膝、太腿、腰、背中、両肩……理想的な『足の裏から伝わる物理学的抵抗を全身に伝える。伝わる。伝わってしまう』。
 ひゅうと喉が鳴る。
 ドロップキックを繰り出そうと、飛び上がろうとしたその刹那。
 廃屋の内部で激しい銃声! 多数の足音が右往左往する。
 誰が誰に向かって発砲しているのか解らない。
 最初は先手を打たれて玲子自身が十分に引き付けられたか? と疑った。そうではない。これだけ激しい銃声……否、銃撃戦が廃屋の中で展開されたというのに、流れ弾の一発も玲子に向かって飛んでこない。
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