ブギーマンと弔えば

 昼食を掻っ込んで空腹を鎮めることに成功した玲子は、淹れたての焙じ茶を啜りながら、漸く一息を吐く。
 本日は土曜日。
 完全週休二日制の『表向きの会社』で働いていると云う設定なので近隣の誰もが疑わないだろう。30歳になる女性が収入源不明のまま平日でも表を出歩いていたらそれだけで不審だ。
 その点、玲子が勤めていることになっている『表向きの会社』は優良なカバーだと言えた。
 後ろ暗い人間だけで構成される社員を世間から怪しまれないようにする為の工夫が細かい部分まで行き届いている。特に『社員』思いなのではなく、『社員』のプライベートを偽装することは曳いては『会社』の素顔がばれ難くなるので、世間の目を眩ませやすい。
 運命共同体で一蓮托生。
 社長だからと末端の社員をゴミクズのように扱わない。
 社長……組織の天辺だからこそ強固な組織を維持するには信頼が必要だと理解している人間だった。
 これもまた、玲子に言わせれば運がいいことなのだろう。
 映画やドラマに出てくる悪役の親玉のように、三下をいつでも切り捨てられる使い捨ての駒くらいにしか見ていないようでは人身掌握の第一歩を失敗していると言える。身内の中だからこそ信頼と信用が金品以上に重要なファクターとなる。
 尤も、『会社』とは言っても、玲子は全ての部署を知らない。
 何処の部署が何をしているのかも殆ど知らない。
 関連企業もどれが裏の世界の関係企業なのか判然としない。
 それは、ニード・トゥ・ノウの法則。
 知る必要が有る人間だけ、その情報を知っていればいい。万が一、玲子が逮捕されても、『会社』の全てを知らない玲子は全てを供述することは不可能だ。
 素顔は平々凡々ではない毎日の風景。
 胃袋に空腹に任せるまま食べて、食後に茶を飲み、シンクに置きっぱなしの食器類を見て辟易する……そんな平穏な悩みに溜め息を吐くのは幸せなことではないか。
   ※ ※ ※
 発砲。轟音が空気を震わせる。
 爆発したかと錯覚させるような銃声。
 357マグナム。
 50m先で玲子に銃口を向けていた男の頭部が美しく四散した。
 辺りは薄暗い。
 先ほど腕時計を見た時、時刻は午後7時10分を経過していた。今はそれよりも確実に時間が経過している。
 山間部。流石にこの地形と標高だと秋の風が身に染みる。
 いつものカーディガンではなく、女性用のブルゾン型の作業着を羽織っていて正解だった。
 作業着に防寒機能はないが、カーディガンよりは生地が厚いのでマシだった。それに予め、鉄火場は山間部になりそうだと予想していたので衣服も選んだ。
 作業着は見た目の通りに機能性が高く、大型のポケットが多いのでフラッシュライトやアーミーナイフや鎮痛剤も押し込んでいる。
 ダークグレーの作業着が迷彩効果を発揮して潅木地帯に潜む玲子の姿を相手から視認させなかった。
 この商売は実に因果。普通なら職務遂行に失敗したと悟った襲撃者は撤退する。その撤退すら許さず全滅させるのが玲子の職掌だ。
 時と場合によっては今夜のようにブラフを撒き散らして、襲撃者の本隊だけを先制攻撃し、戦意を削ぐ手段を取ることも有る。
 もはやこうなれば、『核ミサイルを迎撃するミサイルを迎撃するミサイルを迎撃するミサイルを迎撃するミサイルの発射ボタンを押す人を暗殺する人を暗殺する人を暗殺する人を暗殺する』のと変わらない。
 最後には先制攻撃が、純粋な暴力が、全てを決する。
 先制攻撃することで防御の効果が高くなるのだからそれは『護り屋』の立派な仕事だ。
 山間部……近くに有人の民家は無い。
 放置されたままの、荒れ放題の田畑が広がる。
 数年前に廃村した地区だ。半分に欠けそうな月が遠くで主張。雲が急いで流れていく。肌寒さを覚える乾燥した微風。草木の緑色をした香り。眼下に掘っ立て小屋のように朽ちたトラクター倉庫。今居る場所は斜面。潅木地帯を、遮蔽を利用して滑るように降りている。
 地面を蹴るたびに柔らかい足元が掘り返されて、瑞々しくも粗い土の香りが漂う。
 湿気を帯びている土。もう少ししたら雨が降るのかもしれない。
 秋の長雨というらしいが、都市部に住む玲子には長く続くだけの雨なのでネガティブなイメージしかない。
 銃声。軽い。連なる。複数。罵声が混じる。9mmクラスの自動拳銃と同じ口径の短機関銃も混じる。
 それが敵戦力が保有する火力。火力だけで見れば357マグナムの敵ではない。性能で比較すれば短機関銃は厄介だ。
 単純に銃身の長さが違う。銃身が長ければそれだけ銃弾に回転が加わって加速して命中精度も威力も射程も大きくなる。
 だからこそ、市街地ではなく、好き勝手に撃つことが出来るこの場所まで誘い出した。
 『ここに標的が逃げ込んだ』と云う嘘と、実際に移動したように見せる為に複数の『社員』がこの場所へ移動していると『書類上のはったり』を情報屋経由でばら撒いた。
 ここで玲子が交戦している連中は、本来なら依頼人である警護対象を仕留める本命として後ろに控えていた連中だ。
 その連中に嘘の情報を吹き込んで、『現場より後ろに居る自分たちの方がこそこそと逃げる標的に一番近い』と誘い出すことに成功した。
 つまり、襲撃者が襲撃の行動に出る前に本隊と先遣隊を分断した。
 分断された先遣隊は玲子の同僚が仕留める手筈になっている。
 今回の依頼は珍しくない。
 これはある種の鉄砲玉行為なのだ。
 敵組織の戦力や資金を削ぐために囮――即ち、依頼人――が目立つような行動を匂わせて、敵組織を随時戦闘態勢に切り替えさせる。それだけで精神力と云うリソースを消費していることになる。その上、実際に『存在しない標的』に踊らされて三下や外注問わずに玲子たち『護り屋』磨り潰されていく。
 割に合わない、赤字の押し付け合い。
 リソースが有る限り、根競べではどうにも成らない。……組織同士の潰し合いとは、このような小さな衝突の繰り返しで、いつ、どんな衝突を何処で吹っかけるかが鍵になる。
 間接的に『護り屋』が外注として利用されているだけだ。
 『我が社』の専売プランである殲滅専門プランを逆手に利用されている結果だが、『護り屋』としての矜持は何にも抵触していないので『社員』のモチベーションが下がることは無い。
 それを鑑みれば、『我が社』のマーケティング部門は大した腕利きが揃っていると言える。
 玲子は斜面を駆け降りながらラッチを親指で引いてシリンダーをスイングアウトさせる。今の内に発砲しただけの空薬莢を新しい実包と交換しておく。
 玲子のコルトピースキーパーはたったの6発しか装填できない。威力はオーバーキルなほどに強力だが、外れれば虚しく空を穿つ。常にシリンダーの薬室は未使用の実包で満たしていたい。
 斜面から駆け降りた玲子は足元を土だらけにしながら、前方50mの位置に倒れている人間の影まで近付く。
 先ほどの発砲で仕留めた男。……多分、男。下顎から上が357マグナム弾で破砕して表情も容貌も分からない。
 この場に居たはずの他の人影――記憶が正しければ3人――はここには無い。掘っ立て小屋同然の玉葱小屋。姿を隠す遮蔽になっても、357マグナムは停止できそうにない。
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