熱砂の中へと訪れた

 なのに啓子が部屋に篭った途端に遠慮なく嵐のように壁に向かって出鱈目な発砲。
 再装填のロスだ。
 タウルスM513ジャッジマグナムは6連発の大型リボルバー。ダブルアクションで全弾放つと、長大な薬室ゆえに再装填のロスが一般的なリボルバーと比較しても大きい。
 エジェクターを押しても、開いたシェルのクランプが薬室内で広がっているので、銃口を上に向けてエジェクターを押し込んでも空薬莢が押し出されて床に落ちる事がない。
 410番の尻が迫り出して、それを指で摘んで掻き出す必要が有る。金属薬莢のようにある程度リムを押し出せば後は勝手に自重で空薬莢が零れていくわけではない。
 故に、目の前で大柄な男を楯にしている男は残弾5発で吶喊してくる啓子に対抗しなければならない。
 散弾は確かに脅威だ。410番といえど、野生動物相手に停止力が劣ると云うだけで、人間相手ならばかすっただけで啓子の左肩のように肉を削られる。
 啓子は左肩の痛みを感じていない。アドレナリンが新陳代謝を停止させて痛みを『あやふや』にさせているのだ。
「おー。来るかぁ」
 青年と思しき声が危機感を感じさせない口調で言う。明らかに啓子を笑っている。啓子は更に2発、発砲した。9mmショートは楯にされている男の頭部を完全に破砕する。
「!」
 初めて、男を楯にする青年と思しき人物は焦りを見せた。
 自分より体躯のしっかりした死体を持ち上げるだけでも大した膂力。片手でタウルスM513ジャッシマグナムの6.5インチを振り回して発砲する腕力。その膂力は目を瞠るものがる。
 その青年の頭上に脳漿の破片を含んだ血液が降り注ぐ。生理的な嫌悪感からその青年は楯にしていた男を手放して、タウルスM513ジャッジマグナムをダブルアクションで2発発砲した。
 然し、遅い。動きが遅いのではなく、その判断が遅いのだ。
 十分に距離が縮まった。
 啓子と青年。
 彼我の距離3m。
 散弾は銃口から飛び出た瞬間に大きく広がりはしない。
 暫く一塊のコローンを形成して飛翔し、空気抵抗でワッズが外れて漸く広がりを見せてパターンとして散弾が広がる。これだけ近ければパターンを形成する距離も時間も無い。単純に口径が大きいだけのリボルバーだ。
「初めまして! さようなら!」
 捨て台詞のように啓子は言うと、頭から脳漿と血液を被って表情が判然としない30代前半と思われる、赤いTシャツにジーンズパンツの青年の額にエルマKGP68の銃口を定めた。
「え?!」
 足元がぐらりと揺れた。
 そして雑居ビル全体を襲う震動。地震とは性質が違う揺れた方。
 その隙にエルマKGP68の銃口は青年の額から僅かに逸れた。
「くそ!」
「この!」
 死体を放り出してフリーになっていた左手が伸びて啓子のエルマKGP68のコッキングピースを掴んで押し込んでいた。薬室の実包がピーンと音を立てて弾き出される。
 足元の揺れに意識を持って行かれていた啓子は右手の相棒が『青年に掴まれた瞬間に発砲不能になった』と判断して、咄嗟に予備弾倉を捨てて左手を大きく伸ばし、血塗れ顔をした青年のタウルスM513ジャッジマグナムのシリンダーを力強く掴んで握った。
 撃鉄を起こしていないダブルアクションリボルバーは、シリンダーを掴まれると引き金を引くことも撃鉄を起こすことも出来ずに、拳銃の形をした文鎮になる。これは弱点ではなくリボルバーの構造上の問題だ。
「……こいつ!」
「……『早い』わね!」
 血塗れの青年の顔には焦りしかない。
 遊びすぎた結果に招いたドジだったと理解したのだろう。
 啓子の顔には不敵な微笑こそ浮かんでいるが、心の中は全く勝利への計算式が見えていない。最悪の状態で膠着したと認識している。
 先ほどの足元の揺れは地震ではない。爆発だ。大量の爆薬や大型の爆発物ではない。寧ろ背中から襲い来る爆風が怖かった。
 このフロアを占拠する組事務所が増援を寄越したのだ。
 長く膠着すると思った瞬間。
「止めろ!」
 青年が啓子の顔に向かって叫んだ。
 叫んだように見えただけで、その向うに居る人物に叫んでいた。
 次の瞬間。
 空気が抜けるような間抜けな破裂音が聞こえたかと思うと、啓子の右手側を何かが高速で通過し、青年の背後にある15m以上向こうの壁に当たって爆発した。
 彼も啓子も爆風と爆圧で吹き飛ばされる。
 打撃的負傷と云うより、巨人の張り手で押し出しを受けたように体がフワッと浮いてそのまま風で煽られた感覚に似ている。
 仰向けに倒れた啓子は後頭部を打ちつけ、軽い脳震盪を起こす。
 大の字に倒れたままだったが、即座にセルフメディカルチェック。
 手足の指先から肘膝、肩股関節、下腹部腰鳩尾、背中、肩甲骨、頚部顎先、目耳鼻口舌喉という順番で痛みや強い違和感はないか神経や意識を集中させることで探る。自分が脳震盪でまともに立ち上がれないのは既に理解していた。
 立ち上がっても何も出来ない。
 まともに立ち上がれるか怪しい。
 沸騰しているアドレナリンが邪魔だ。鼓動が五月蝿い。耳鳴りが遊離感を誘う。
 寝たまま無抵抗の意思を見せるのではなく、死んだフリをしてやり過ごす戦法を取った。
 文字通りの死んだフリではなく、『無力化されてしまって反撃の余地が皆無』であることをアピールしているだけだ。熊でもあるまい。死んだフリをまじめに取り入れる馬鹿はいない。
 目の焦点が定まっていない。
 粉塵が舞う天井を見る。埃臭い。爆発音で耳の鼓膜が破れそうだ。セルフメディカルチェック終了後に、体のあちこちから不具合の報告が神経を通じ運ばれてくる。
 鼓膜、耳鳴り。背中全体、打撲。後頭部、中枢系に打撃による脳震盪。目、中枢系に連動して目の焦点が合わず。尻と太腿ならびに上腕部、軽い打撲。内臓、損傷なしだと思われる。
 あれほど鬱陶しかったアドレナリンが、新陳代謝を停止してくれたお陰で傷みの大部分は我慢できる程度で済んでいる。頚部や掌などの露出した部分の擦り傷からも出血は少ない。
 依然、大の字。
 右手のエルマKGP68は何処かへ放り出してしまったらしい。そういえば、後ろ腰が痛いと思ったら、予備弾倉のポーチが圧迫しているだけだった。
 寝ていても眩暈がするが、意識が徐々に回復してくる。
 甲高い耳鳴りの向うに足音が聞こえる。
――――……一人。歩幅から……男。身長170cm以上。重心の位置からして『訓練』された人間……。
 呆然とした表情ではあるが、頭脳と感覚は冴えている自分を認識。
――――生きている。けど、『無理』。
 頼みの綱の体が全く動かない。
 大の字に寝た状態から片膝を立てることも出来ない。
 全身に打撲のダメージが浸透したのではない。それだけ脳震盪が早くに回復する状態ではなかった。
 足音が耳鳴りの中に聞こえる。
「!」
――――え?!
 塵埃の中から突如として覗いたそれは、銃口と云うにはあまりにも大きすぎた。
 埃舞う空間。埃で視界が薄れる空間。
 そこへ現れたのは、啓子の頭元を過ぎ去って行ったのは、直径40mmの砲口を持つ火器だった。
 銃ではない砲だ。
 一瞬で心臓に氷の剣で貫かれたように目を剥く啓子。
 冗談ではない。
 砲弾の直撃を受けていたらタウルスM513ジャッジマグナムのような『綺麗な死体』は残らない。
 この人物は……今し方、頭元を過ぎていって人物は、本当に啓子は死体になったとでも云う素振りで彼女を素通りした。 
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