熱砂の中へと訪れた

 3階フロアまで誰とも出会わなかった。
 このビルに入っている企業は、殆どが零細企業の事務所で部屋の広さも大した事が無い。
 部屋の一辺は12m程度。
 デスクと電話が置いて有るだけの真っ当な企業だが、人の気配が感じられない。出払っているか、居眠りをしているか。
 薄暗い階段を昇り、3階フロアまで到達すると、階段から一番近いテナントのドアを開ける。右手は後ろ手に。左手でドアノブを廻して。
 ドアが開いた瞬間にエアコンの涼しい風が啓子の頬を撫でた。もう帰りたい。
 室内に居た3人の半袖カッターシャツにスラックス姿の中年が一斉に啓子の顔を睨んだ。
 火の点いていないドライシガーを横銜えにしたまま、啓子はこう言った。
「どうも。『郵便配達』でーす」
 その瞬間、室内は殺気だった。3人の男たちはそれぞれソファや事務椅子で座っていたが、テーブルやデスクの上に置いたズナブノーズや中型自動拳銃に手を伸ばそうとした。
 先制。
 啓子は部屋へするりと入り込みながら、腋を小さく締めて両手でエルマKGP68を顔面近くで構え、目前4mの位置で立ち上がった男の胸部の真ん中に9mmショートのジャケッテットホローポイントを叩き込む。
 その男が仰向けに倒れるのを確認するよりも早く、両足を肩幅に開いて重心を落とし、銃口を右手側に振る。
 即座に発砲。
 右手側のソファで安っぽいスナブノーズを構えようとした男の左頚部に9mmの弾頭が命中し、肉と血液が爆ぜるように飛び散る。
――――左、1m。1秒停止。発砲。
 確かに啓子は心の中でそう唱えた。
 だが、思考より反射的行動の方が……彼女の銃声の方が早かった。
 ブローニングM1910を両手で構えた男は、舌骨を銃弾で砕かれて首が不自然な方向に折れて床に糸を切った人形のように倒れる。
 極度に緊張してきたために思考と体が解離を起こしているのだ。思考するより体の方が早く動く。コンマ数秒後に思考が追いつく。体が鉄火場での身のこなしを行うようにスイッチが入った証拠だ。
 致死率は確認しない。
 計算しない。
 書類上の指令は鉄砲玉としてカチコミを仕掛けただけだ。
 短時間で人的打撃を与える事が主眼。
 硝煙や銃火が火災報知器や煙感知器に感応して、スプリンクラーが作動するかと思ったが、3発程度の煙とガスでは警報は反応しなかった。
 直ぐにこの部屋を出て隣の部屋へ乗り込むべく飛び出る。
 廊下に出るなり、左右を見て、瞬間的に発症したトンネル現象を解消。……アドレナリンが噴出して、照準に集中しすぎると視野狭窄が起きて、あたかもトイレットペーパーの芯を通して世界を見ているかのような視覚的生理現象が発生する。これをキャンセルするために首を左右に振り、左右方向にある、固定している物体を見て目のピントを合わせなおす。
 残弾4発。
 左手は予備の弾倉を抜き出す。
 専門の殺し屋ではないので、バイタルゾーンに2発以上銃弾を叩き込むことは考えた事が無い。
 必要が有れば殺害もするだけで、職掌には一撃必殺一発必中は無い。あるとすれば、一打入魂だろう。
 隣の部屋が早くも騒然として勢いよくドアが開いた。
 ドアが開ききる前にドアの真ん中に向かって発砲。
 ステンレスで造られたドアは殆ど至近距離でも貫通に至らない。
 9mmショートの弾頭は脆くも砕け散った。啓子が使っている弾頭はジャケッテッドホローポイント。貫通を目的とした、軍用のフルメタルジャケットとも世界中の警官が使う対人停止力を主眼としたホローポイントとも違う。……というよりもその中間だ。程好い貫通力、程好い停止力。
 扱い易いが、銃身内部で被甲が剥がれてライフリングに削られてこまめなメンテナンスが必要なことが難点だろう。ライフリングの谷径と山径の差が小さくなると弾頭に回転がかからなくなり、命中精度や停止力にも大きな影響が出てくる。この世には万能など無いと思い知らされる。
「うお!」
 ドアの向こうに居た中年の男が驚愕の声を挙げた。
 その男が一瞬だけ、動きを止めたのを見逃さずに、左手でドアを大きく開いて、目を丸くしている中年の男の脇腹に至近距離で1発叩き込む。
 これは死ぬかもしれない。
 右脇上部から侵入した弾頭は体内で停止し、男は手にしたガバ・クローンを落として、後を追うように自らも倒れる。
 残弾3発。
――――発砲。反撃。銃声。うるさい。空薬莢が壁に当たる。
 脳内に走馬灯よりも早く、この先の展開が投影される。
 またもアドレナリンが沸騰してきたらしい。
 喉がカラカラに渇く。唇の端に銜えたドライシガーを噛み潰してしまうが、吐き捨てる余地が無く、犬歯で噛んだままだ。鳩尾を冷たいものが激しく上下している。
 脳内で展開された映像が再現される。
 反撃の発砲を先途に、連なる銃声。
 弾き出された空薬莢が壁や天井に当たる音が聞こえる。
 罵声も混じる。
 鼻と口の隙間から大きく息を吸う。
――――4人。
 脳内世界の、室内からの反撃の銃声が止む。先ほどの銃声と罵声の数から既に人数と位置を割り出していた。
「……っ」
 解離した世界から意識が戻る啓子。
 超能力か神通力かと思う異能。
 直感と云うより、大き過ぎる違和感が彼女の心に直接訴えかける。
 その声に従った方がいいと彼女の意識が彼女自身を説得する。メタ認知の自分が空から俯瞰しているのかと疑うが、銃撃戦が完全に終了すると、いつもその存在や能力を忘れている。……安堵感の方が大きいのだ。
 現実世界の室内の銃声がぴたりと止まる。
 その間、3秒。
 全員が弾倉分の弾を撃ちきって弾倉交換している。
 クリーム色のジャケット姿を象った影がするりと室内に入り込み、即座に右手を右手側に大きく広げて発砲。
 その真正面5mの位置に居た男は腹部に被弾し、体を二つ折りにしてその場に顔面から倒れる。
 更に僅かに左方向へ銃口を振り、発砲、手から実包を滑り落として上手くリボルバーに再装填できないで居た男の右胸部に命中する。
 トグルジョイントが跳ね起きたまま停止。残弾ゼロ。
 啓子の顔に焦りは殆ど無い。
 彼女の目は既に左手側に大きく振られている。
「よっ! と」
 啓子は右手に、軸足から伝わった膂力と回転と撓りを全て乗せてエルマKGP68を大きなアクションで左側へ振る。
「がっ!」
 室内、啓子の真正面6mの辺りで居た男が突然顔面を押さえて俯く。唇の間から折れた歯と血を含んだ唾液が垂れる。
 その男を無視して、左手に待機させていた予備弾倉が吸い込まれるようにエルマKGP68のマグウェルに叩き込まれ、左手の小指側の掌が跳ね起きたトグルジョイントを叩く。
 トグルジョイントはストッパーが外れて独特の尺取虫アクションで定位置に戻る。
 薬室に実包が送り込まれる。
 目が既に捉えていた、マカロフと思われる中型拳銃を構えていた青年の腹部に9mm弾が被弾して、彼は目玉を飛び出さんばかりの勢いで喚き散らしながら仰向けに倒れる。
 7m以上離れた距離。
 弛んでいない腹筋が9mmショートのエネルギーを吸収したのだろうか。彼は死なないだろうが、この場では無力化された。
 続いて啓子の真正面6mの位置で顔面を押さえて悶絶していた中年に銃口を向けながら近寄り、無防備に晒す後頭部へ強烈な肘鉄を落として昏倒させる。
 白目を剥いて倒れる彼の足元からエルマKGP68の空弾倉を拾う。
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