熱砂の中へと訪れた

 他人の苦労を屁とも思わない顔で、銜えたハーフコロナシェイプのドライシガーに使い捨てライターで火を点ける。
「詳しくはこちらで」
 彩はそう言ってスマートフォンを取り出す。
「あー……ネット経由の伝達なら態々来なくても……」
 背景やら事情は理解していても思わず口から出る。
 彩を寄越した理由は情報漏洩を恐れた上層や管理職が手渡しで指令書を持ってこさせたのだ。全くの失笑でしかない。ネットやアプリの概念を理解していない人間が上層部を仕切っていると、このような頓珍漢な運用をしてしまう。
 時代に迎合できないくせに、最先端の機械を導入すればその瞬間に何もかもが刷新されて、快適なオフィスになると思っているのだ。
 物理的に彩を寄越さなくとも24時間365日の送受信が可能なのがネットの強みなのにそれを理解していない上に、どんなに大事な資料や指令書でもネットにアップロードした瞬間全世界の不特定多数に公開しているのと同じだと言う危機感まで想像できないのだ。
 スマートフォンやネットの利便性とその表裏を理解していない人間が蔓延っているうちは、まだまだこの業界の画期的成長は望めないと鼻で笑う。その小さな笑いに彩も肯定の溜息を吐く。
 そして間抜けにも対面でデータの送受信を行い、啓子はスマートフォンのディスプレイを眺める。
 心は引き締まってきたが、表情は変化させずに横銜えにしたドライシガーを吸っている、腑抜けた顔を保つ。
 日常の表情や仕草の変化から心の動向を読まれるのは往々にして有るので、味方陣営の前でも『緊張が解け易い状況ほど』省エネな態度で接する。
「私はこれで失礼します」
 彩は本当にバカバカしい仕事をさせられたと、露骨に顔に出して嫌そうな表情のまま啓子の部屋を出る。啓子は心の中でご愁傷様と一声かけた。
「…………少し、面倒……ね」
 左腋のエルマKGP68の重さが心の重さを代弁してくれている。
 広縁に出て籐で編んだ椅子に横柄に座り、指令書の内容を脳内で反芻する。
 銜えっぱなしのドライシガーの灰が折れて床を汚すが気にしない。
 この組織の非正規雇用として働いているのだから理不尽は仕方ない。
 それにしても……。

 それにしても、経費削減のために鉄砲玉としてカチ込まされるのが啓子一人なのは少し不満が出た。

 正午に郊外の高級住宅街に立っている啓子。
 今日一日は脱力する日だと決めていただけに、急遽入った仕事はそのストレスが何十倍にも重く感じる。
 こんな事なら、午前中に室内でエアジョギングだの『独房筋トレ』だのせずにいつも通りの時間に起きて腹八分目の朝食を摂って体力を温存しておくべきだった。
 左腋のエルマKGP68がズシリと重い。相棒も労働拒否をしているかのようだ。後ろ腰の予備マガジンポーチもただの錘に感じる。
 今回の仕事はカチコミ。
 鉄砲玉として送り込まれるだけ。
 事後処理……尻拭きのために組織は大金を叩いて警察の鼻の下の薬にする。
 裏の世界の住人の間……それも非正規雇用やフリーランスや個人経営者の間では『郵便配達』という隠語で通じている。
 組織の力、即ち財力を誇示する為に態と不要な火種を撒き散らして自分でその騒ぎを鎮火する。鉄砲玉を雇うのも、鉄砲玉のしでかした形跡も、『アシ』の消し方も、実行犯の隠蔽も大金がかかる。
 態と事件を起こし、恩着せがましく事件を鎮火させる。
 組織の健在性をアピールするために無駄に事件が『起こされて』、人が殺傷される。
 何処の組織でも定期的に行うようになったのは、矢張り、疫病が流行って少し経ってからだ。
 当初は海外から流入する新興団体や大組織の橋頭堡に対して橋頭堡を築かせまいと、互いの組織が団結して出来レース的に行っていた。
 海外に国内の実力を見せる為に、さも波乱な情勢であるかのような芝居をしていた。それが、疫病禍が長引くに連れて、目的が段々シフトしてきた。
 国外の勢力は海外から人材と物資の輸入が難しくなり、現状維持を決め込んだためだ。
 波乱な世情だと、報道では市街戦でも始まりそうな印象を与えるが、裏の世界に通じる人間なら芝居を見せているだけだと簡単に勘付く。
 全ては財力の誇示のため。
 そのためだけに三下はゴミのように殺される。
 勿論、忠誠心も高めなければならないために、誰でも死ねばいいわけではない。
 役に立たない人間、裏切り者が集められて襲撃されて死傷する。
 これが一角の名前を持つ組織の自浄作用だ。
 自浄作用にも様々な種類が有るが、この街ではこれがオーソドックスだった。
 人間の棚卸、人材整理。織内部では何とでも呼ばれているが、定期的にこのような依頼が舞い込むので個人で営業している荒事師たちは『郵便配達』と呼んだ。
 暑い。
 今日も高熱を放つ光線に晒されている。外回りの仕事は今回はナシ。鉄砲玉をやらされるだけ。
 本日の気温は36度。
 アスファルトから立ち昇る陽炎が僅かに見える。
 空気が湿っている。今日はゲリラ豪雨が降るかもしれない。その証拠に時折、涼しい風。隠密行動を良しとする仕事なので、各種プッシュ通知はオフにしているので天気予報アプリを使うのにも少し不便だ。潜んでいる最中に音は立てたくない。
 雑居ビルの3階フロア。建築基準法は5階建て以上からエレベーターの設置が義務付けられているが、このビルは地上4階。エレベーターは無い。外観は兎に角古臭く、資料を見るまでもなく歴史だけでは見て取れる。
 使い捨てマスクごしに肺に吸い込まれる空気が黴臭く不快。
 雲一つ無い僅かにくすんだ青空。商店街の中にある雑居ビル。鉛筆ビルと言い換えても遜色ない、細長いビル。一つのフロアに4つのテナント。
 用が有るのはその3階フロア全体。
 好きなだけ銃弾をばら撒いても良いと聞いているが、不安とも焦燥とも判然としない胸騒ぎがする。
 右を向き、左を向く。
 商店街の真ん中辺り。シャッター街。廃屋同然の店舗もある。早くに店舗を取り潰して自分の土地に住宅を建てている世帯が散見できるお陰で出鱈目なパッチワークを連想させる。
 人の気配は無い。
 このシャッター街は無人ではない。住宅もある。
 ただ、暑くて人が住んでいる住宅や住宅付き店舗は締め切ってエアコンを効かせているので、この世に啓子一人だけが放り出された感覚に陥るのだ。
 銃撃戦を行うには条件が揃っている。街角の防犯を意図したカメラは町内の予算削減でダミー。繁華街から離れている。交通の要衝からも遠い。
 白い紙箱のドライシガーから1本抜いて口に銜える。
 鳩尾辺りに湧き出る不快感を鎮める為に、逃げるように口に銜えた。火は点けない。煙草を吸いながらの銃撃戦はあっという間に酸欠を引き起こす。葉巻を吸いながらの銃撃戦はスクリーンの中だけだ。
 いつでも銜えているから、いつでも吸えると云う安心感を得て、啓子は雑居ビルの正面から入りながら、エルマKGP68を抜く。
 安全装置を解除。
 いつもの儀式のように薬室に1発送り込んで、新しい弾倉を差す。
 雑居ビル内部に入っても、経費削減のためにエアコンは効いていない。そのくせ、窓は殆ど閉まったまま。テナント内部はエアコンが効いているだろう。まるで、屋外で焼け死ぬか、屋内で蜂の巣になるか試されているような錯覚がした。
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