熱砂の中へと訪れた

 今までよくぞ手放さなかったと褒めてやりたい。右手にはエルマKGP68が張り付いたように握られていた。
 発砲。空気が破裂するような大きな銃声。
 彼は410番口径の散弾ではなく、強力なマグナム弾の一種、454カスールを装填して発砲した。
「……!」
 啓子の潜む遮蔽が障子紙のように孔が空く。
 化け物リボルバーの長大な銃身から弾き出される熱い454カスール弾はこの場に有るあらゆる遮蔽の、あらゆる防弾の効果はないとアピールしていた。
 続け様に発砲。
 一定の間隔を置いて5発発砲。
 そして訪れる空白。
 再装填のロスだ。
 啓子は飛び出して銃撃を浴びせなかった。
 何かがおかしい。
 それでいて何かが噛み合わない。
 違和感を覚えているのは確実だ。
 危険なのは絶対だ。
 耳鳴り。意識が解離しそうな緊張。自然と口と鼻からやや浅い腹式呼吸を行う。先ほどの自己暗示における倦怠感や頭重は回復していない。啓子の判断が鈍っているだけだろうか?
 じゃり、と地面を踏み、彼が初めてアクティブに行動した。
 彼が横っ飛びのように素早く右手側に移動する。
 啓子もその方向へと、飛びだしたように移動した。
 剣の達人が睨み合いながら円を書くように移動を繰り返すのにも似た動作。
 【広塚兄弟】の兄、和昌の手に提げられたタウルスM513ジャッジマグナムは両手で保持されて銃口がやや下方を向いている。
 啓子も同じく、エルマKGP68を右手で構えてはいたが、銃口はやや下方を向いていた。彼と彼女を繋ぐのは視線のみ。
 敵意や殺意が含まれない、純粋な視線。打倒する標的を見つけた、障害を排除する、そのような大いなる決意すら篭らない視線。
 もっとシンプルに、彼彼女は互いを仕留めたい欲望に駆られていた。
 再装填だの戦術的だの主導権だのといった、全ての戦いのイロハをかなぐり捨てた何かがそこには確かに有った。
 自己暗示。
 まだ解けていないのか、またもかかってしまっているのか。
 音が狭窄する。視界が狭くなる。呼吸が大きく深くなる。
 体をこんなに激しく動かしているのに、肉体的な疲労をあまり感じない。
 彼女の全身の神経が軽い麻痺を訴えている。
 彼はどうだろう。彼の顔からは全く表情が伺えない。口すら開いていない。そもそも呼吸をする生物なのかと疑ってしまう。
 彼はこの鉄火場に現れた理由を理解しているのか? 理由は有るのか? 真意はなんだ? ……恐らく、彼は『何も語らないだろう』。
 咄嗟に移動をやめた啓子は1m左手側に有った遮蔽――まだ破壊されていない資材の山――に身を潜めると、コンパクトを翳して彼を鏡に映した。そして態と彼にハレーションが当たるように反射する光で顔を舐めさせる。
「!」
 10m前方に居た彼は小さく呻いて目を閉じたが移動は止めなかった。彼も手近な遮蔽に身を滑らせる。
 啓子は自分たちが走り回っているのは……それこそが打つ手を探っているように見えるが実際には膠着しているのと同じ状況だと感じていた。
 それを打破するのに閃いたのが……。
 啓子は再び、遮蔽の角から頭を出している彼に向かってコンパクトでハレーションを浴びせるべく左手を突き出す。
 彼は脊髄反射的に遮蔽に身を引っ込める。
 それが狙いだ。
 啓子は遮蔽から飛び出て彼の潜む遮蔽へと真っ直ぐに走る。
 彼我の距離10m。
 たったの10m。
 『彼は学習してしまった。』
 不幸にも適応能力が高かったのだ。
 啓子が左手を翳すと必ずハレーションを発生させると学習し、彼女には武器が2つ有ると認識した。
 啓子は彼が潜む遮蔽に到達し、背中を預けて間髪入れずに左手側に移動する。
 啓子の位置からは彼が見えない。
 彼の位置からは啓子が見えない。
 気配は2人とも察知している。
 この身の丈を超える遮蔽を中心に、2匹の犬が互いの尾を追うような追いかけっこをしている。
 先手を打ったのは彼。
 彼は突如反転し、啓子の向かう方向へと走り、彼女の真正面に出た。
 啓子は突如目前に現れた……目前1.5m先に現れた彼に対して乱射する。
 何発撃ったか覚えていない。
 その弾痕は彼の胸部に全弾、命中した。
 エルマKGP68のトグルジョイントは迫り出していない。
 まだ残弾が有るはずだ。
 然し、これで勝敗は決した。
 彼は胸部に9mmショートの乱打をまともに受けたのだ。
 彼も体が撃たれるたびに細かく震え、衝撃を全て受け入れた。喩え9mmショートの初活力が低いと言われても、この距離でこれだけ命中すれば……。
「!?」
――――え?!
 啓子の呼吸が一気に乱れる。
 彼は倒れないどころかニヤリと笑った。弾痕からは血液が溢れてこない。
 防弾チョッキ?
 防弾チョッキを着ているにしても並みの体躯ではない。
 防弾チョッキは弾頭が止まるだけで、その衝撃をゼロにする防具ではない。骨折や内臓破裂は免れない。
 弾頭が体に侵入するのを防ぐだけ。それが防弾チョッキだ。それを着ていたにしても……化け物じみている。
 彼は倒れず、確信した顔でタウルスM513ジャッジマグナムの銃口を幽霊のように啓子の顔に合わせる。
 啓子も一拍遅れてエルマKGP68を発砲。
 弾は空を穿つ。
 まだ残弾が有った。
 その一発を放った瞬間にエルマKGP68はトグルジョイントを迫り出して、彼女に一発も残弾が無いことを報せていた。
 驚愕の顔をしたのはお互いの顔だった。
 外れたとはいえ、エルマKGP68の発砲が一拍速かった。
 その直後に来るはずのタウルスM513ジャッジマグナムの発砲音が襲いかかってこない。
「……」
「……」
 彼はゆっくりと手元に視線を落とした。
「!」
 彼の顔が驚愕の色に塗り変わる。
 あれほどの強面で焦りを知らぬ顔が一気に色を失う。
 タウルスM513ジャッジマグナムの撃鉄とフレームの間に……9mmショートの空薬莢が挟まっている。これでは撃発など不可能だ。物理的な阻害が存在しているのだ。
「く!」
 啓子は弾の切れたエルマKGP68を両手で抱え込むような体勢をとると腰を落とし、足を踏ん張り、全身の重心移動を一点に集約させて、彼に体当たりした。
 再装填する時間を稼ぐ為に、距離を離そうと目論んだのだ。
 3m程度、距離が開けば啓子の再装填は終わって発砲を完了している。
 彼は低く呻きながらゴーレムが倒れる様を想像させるかのように一歩退き仰向けになりながら、更に一歩退く。
 瞬間、彼の体は爆発四散した。
 啓子の視界が全て白くなる。
 彼女の全身に強烈な圧力が襲い掛かる。



 啓子の意識はそこで一旦途切れる。



 無情にもそこが終焉だった。



 非情にもそれが終局を飾った。






   ※ ※ ※
 啓子は、漸く完成した右足の義足に満足そうに頷いた。
 1年前に【広塚兄弟】と死闘を繰り広げたが、事故のような勝利だった。
 その代償に彼女は右足と右目と右の鼓膜を失い、左手の小指と薬指を失った。顔にも左半分に火傷の跡が有る。頭髪も今はかつらだ。体内に10個以上の鉄の欠片が埋まったままだ。
 【広塚兄弟】の兄は、啓子のタックルで後退りした後に地面にめり込んだまま爆発しなかったGP―34の不発弾を踏みつけて、起爆させて爆散した。
 その2mほど離れた位置に立っていた啓子も無事ではなかった。
 破片や爆圧で右太腿中ほどから下を失い、顔と頭皮を熱で焼かれ、顔を庇った左掌の小指と薬指を吹き飛ばされ、右目を圧潰し、爆発音で鼓膜を完全に破損し、腹部も裂け、腸が食み出ていた。
 体内には、大粒の破片が摘出が難しい位置にめり込み残留したままだ。

 それでも彼女は生きていた。
 生への執着と云うよりも、気が付いたら生き残っていたと云う幸運の要素が強いと思っている。
 雇ってもらっている組織の残存戦力の回収が間に合わなかったら本当に死んでいた。



 彼女は新しい右足を満足に見下ろすと、裏の世界の装具士を見て微笑んだ。

 相変わらずの簡素な下着姿。
 口には相変わらずのドミニカのドライシガー。
 全身に縫合や火傷の跡。
 だが、今の彼女からは絶望も失望も、況してや世を儚んだ無情な雰囲気やイメージは一片も感じられない。
 寧ろ、以前より瑞々しく生命力が輝いていた。



 その生命力の源は新しい義足を入手したからと云う理由も有る。
 あの街からは遠ざかったが、今でもエルマKGP68は相棒だ。



 そして新しい相棒が、装具士が目の前に立ててくれた姿見に映し出される。



 自分の右足膝下に、新しい脹脛といわんばかりに存在する、義足としてマウントされた『M203グレネードランチャー』。



 異形の美貌がその姿見に映っている。
 彼女の微笑みは、人の心持った投げかける優しい怪物のそれのように温かく、穏やかで、静謐だった。




 彼女がカウンターテロの専門家として名を挙げるのは数年後になってから……東欧の動乱が片付いた後に、世界各地に散った戦争の犬たちの侵略を守るべく国内で水際作戦を展開した時からだ。
 その頃には彼女はもう一人ではなく、一個の戦闘集団のリーダーとして旗手を務めていた。



 啓子にとって、静かな空間とは自分の精神や頭脳の中だけの世界ではなく、自分を取り巻く世界全てが守るべき静かな空間になっていた。



 啓子は正義の為でも日常の為でもなく、純粋に『自由への脅威』と戦うだけの闘士となったが、後の歴史書でも彼女の名前を探し出すことは出来ないでいる。



 これは、歴史に名の残らない、『片足のジャンヌ・ダルク』が登場するまでの前日譚である。



 とある、記録的な暑い夏を境に、彼女の姿は消えることになる。



 勿論、歴史の潮流の中で非業の死を遂げることは……誰も知らず、何処にも記されていない。

 《熱砂の中へと訪れた・了》
19/19ページ
スキ