『憐れかどうかは私が決める!』
背中に地面の感触を覚えた瞬間に上下が反転した世界で右手を一杯に伸ばし、視線を鋭く『背後に居たであろう人影』に向かって発砲。
不自然な体勢からの無理な発砲。
右手一杯に伸ばしたS&W M6904がマグナムのように暴れた。
背中と左手、大きく伸ばした両足で地面に対する衝撃をできるだけ軽減する。受身に右手の助力が無かったので不完全。
「がっ……」
その人影は呻いた。
数滴の血飛沫が良子の頬を汚す。
良子は背中を軸に両足を大きく開いて回転させてその遠心力でブレイクダンスのダンサーのように立ち上がる。
「……戸城」
「があああっ!」
右肘が9mmの直撃を受けて千切れ飛びそうな状態でぶら下がっていた。
戸城裕也。
心許無い光源でも確認できた。
血を吐き飛ばさん形相で右肘を押さえて苦悶している。
その場に転がって悶えたいのだろうが、目前の敵性脅威である良子の射程に納まっているので背中を見せての撤退は死を意味すると理解したらしい。
S&W M6904を右手で構えながら視線を地面にサッと落とす。サプレッサーが銃口に捻じ込まれたコルトウッズマンが枯れ葉に埋まりかけていた。
戸城がこれほどの腕前だったとは驚き……と云うより、現場主義の武闘派として鉄火場を潜ってきたのだろう。
元の組織で謀反を起こしたときに多数を殺傷したのも、手下や協力者が居たからでは無さそうだ。居たとしてもそれを否定したくなる。
これだけの腕前があれば、直ぐにでもヒットマンとして大成功を収めるだろう。尤も、利き手である右手を失ったも同然の彼には今後に就ける職は限られてくるだろう。
良子は戸城の顔面右側の虚空に向けて発砲した。
「くっ!」
戸城はS&W M6904の至近距離からの銃火で顔面を焼かれて右肘を押さえていた左手で咄嗟に顔を庇った。勿論間に合わない。顔の表面をガスで焼かれた。
その隙に良子は一足飛びに1mも無い距離を縮めて、体重がたっぷりと乗った右膝蹴りを戸城の鳩尾に叩き込む。
戸城は目を剥いて気絶した。
戸城とこのまま睨み合っていたのでは戸城が危険だ。
右肘からの出血で失血性ショックを引き起こす。良子は直ぐに戸城のベルトやハンカチを使って応急的な止血をする。
この賞金首は生死不問の添え書きがされていない。生きたまま捕らえれば報酬以外にボーナスが出る。助けたくて戸城を助けたのではない。金のためだ。
※ ※ ※
「何も無いっていいねー」
「そうね……」
夏喜が口にコーヒーの入った保温マグカップを運びながら言う。良子は目を細めて冬には珍しい汗ばむ陽気を享受していた。
午後2時。
自宅より近所の公園。日曜日。
昨夜の天気予報で季節外れなほどの好天に恵まれると聞いて、急遽、自転車で公園まで来た。
児童公園ではない。芝生が植えられ、整地されたスポーツ公園。ジョギングやウォーキングのコースとして申し分ない。フェンスで囲われたエリアではテニスコートや野球のグラウンドが並んでいる。
自宅のハイツがある場所から自転車で10分。名目上は公園だが、災害時には防災用の避難場所として使用されることを想定している。一定以上の人口密度になると、法律ではそれに比例した面積の防災公園を作るように明記されている。防災の機能を持った公園だ。
特に風光明媚と云うわけではない。
広い芝の上でアウトドア用の折り畳みチェアを展開して、自宅で淹れてきた熱いコーヒーを飲むだけの時間だ。
摘む為にウイスキーボンボンやホワイトチョコレートなど、家中に散らばっていたチョコレートを掻き集めて持って来た。良子も夏喜も頭脳労働を主軸にするので、手っ取り早く疲労回復したり、脳にエネルギーを供給するのに適したチョコレートはこまめに買い足している。
今日は珍しく、二人ともオフの日だ。
世間を晦ませる表の仕事も休みと云う設定で、裏の世界の仕事もたまたま、『何もない日が重なった』。
良子は食指が動く依頼が見つからず、夏喜は世界的疫病の流行で海の向こうの取引相手が出荷停止状態なので荷物が届かずに、勤め先の武器屋自体が臨時休業だ。
夏喜が眩しそうに太陽を仰ぐと、口にチョコレートを押し込む。
良子はここならば誰も何も文句は言うまいと、ドライシガーのグアンタナメラ・プリトスをくゆらせている。
賃貸のハイツだと隣近所に気を使うだけでなく、室内でも非喫煙者の夏喜に気を使ってドライシガーに悠々と火を点ける機会が見つからない。
結果的に風の強い日にベランダでさっさと吸って自室に戻るのが常なのだが、寒い日に屋外でせかせかと葉巻を吸っても今一つ、満足感に欠ける。なにより、風の強い日にベランダで火気を扱うと火種が飛んで火事の元にならないかと気が気でない。
良子は久し振りに、遠慮なく紫煙を吐いて心から安息を得ている。
好天とはいえまだ冬だ。
二人ともダウンコート、マフラー、ニット帽など着込んだ上に腋や背中、鳩尾に小型の使い捨てカイロを貼り付けている。その上で、折り畳みチェアに座り、腰からハーフブランケットを巻きつけている。
街中の運動公園だ。何も無い。日曜日なので遠くでリトルリーグの少年達の声が聞こえる程度。
街……人口の多い住宅街が近いので全くの静かな環境ではない。雑多な雑音も聞こえる。
別に何も珍しくは無い風景の中で、その風景のパーツの一つとして溶け込むのが彼女たちにとってはリフレッシュするために必要な環境だった。
夏や秋には条件が揃えばアウトドアレジャーに出ることも有る。入門者向け登山コースを攻略して記念撮影したり、海で釣りをして大漁だったのなら同じハイツの住人に近所付き合いとして分ける。
表向きの顔を演出する為に考案したレクリエーションの真似なのに、いつの間にか、室内とは違う空気を吸って気分を入れ替えることの重要性と必要性を思い知った。
命の遣り取りだけに明け暮れる世界だからこそ、心のメンテナンスは絶対に必要だ。
自分だけの心の取扱説明書を少しでも完成に近づけないと、不健康で不健全で代わり映えのしない毎日に嫌気が差して気分が滅入る。
この世界は嫌気が差しても、簡単には抜け出せない。抜ける方法より生き抜く方法を考えた方がはるかに簡単だ。
裏の暗い世界に埋没したからこそ、物理的に明るい太陽の明かりが必要になろうとは皮肉な話しだ。
良子も夏喜も心身の健康の維持が長生きする秘訣だと感じ始めている。この世には何も不要な物は無い。その物を自分のライフスタイルに上手く組み込めるか否かだ。
良子のように人の命を奪う卑しい仕事を生業にしていても、高い質の仕事を提供するには普段から心と体をケアして万全の状態を維持することにタスクを割きたい。
夏喜もソロバンの弾き方次第で、札束が右へ左へと移動する仕事に就いている以上、計算ミスは即座に不要者の烙印を押されて『処分』されかねない。
荒事師や裏の世界の住人だから、干し肉を齧り酒を浴びるように飲んで夜更かしをして、空腹になったら起きると云う生き方こそが大敵。野獣のような生活リズムをした裏の世界の住人は、今では映画の中でしか存在しない。
時代が変われば生き方も変わる。色即是空。
不自然な体勢からの無理な発砲。
右手一杯に伸ばしたS&W M6904がマグナムのように暴れた。
背中と左手、大きく伸ばした両足で地面に対する衝撃をできるだけ軽減する。受身に右手の助力が無かったので不完全。
「がっ……」
その人影は呻いた。
数滴の血飛沫が良子の頬を汚す。
良子は背中を軸に両足を大きく開いて回転させてその遠心力でブレイクダンスのダンサーのように立ち上がる。
「……戸城」
「があああっ!」
右肘が9mmの直撃を受けて千切れ飛びそうな状態でぶら下がっていた。
戸城裕也。
心許無い光源でも確認できた。
血を吐き飛ばさん形相で右肘を押さえて苦悶している。
その場に転がって悶えたいのだろうが、目前の敵性脅威である良子の射程に納まっているので背中を見せての撤退は死を意味すると理解したらしい。
S&W M6904を右手で構えながら視線を地面にサッと落とす。サプレッサーが銃口に捻じ込まれたコルトウッズマンが枯れ葉に埋まりかけていた。
戸城がこれほどの腕前だったとは驚き……と云うより、現場主義の武闘派として鉄火場を潜ってきたのだろう。
元の組織で謀反を起こしたときに多数を殺傷したのも、手下や協力者が居たからでは無さそうだ。居たとしてもそれを否定したくなる。
これだけの腕前があれば、直ぐにでもヒットマンとして大成功を収めるだろう。尤も、利き手である右手を失ったも同然の彼には今後に就ける職は限られてくるだろう。
良子は戸城の顔面右側の虚空に向けて発砲した。
「くっ!」
戸城はS&W M6904の至近距離からの銃火で顔面を焼かれて右肘を押さえていた左手で咄嗟に顔を庇った。勿論間に合わない。顔の表面をガスで焼かれた。
その隙に良子は一足飛びに1mも無い距離を縮めて、体重がたっぷりと乗った右膝蹴りを戸城の鳩尾に叩き込む。
戸城は目を剥いて気絶した。
戸城とこのまま睨み合っていたのでは戸城が危険だ。
右肘からの出血で失血性ショックを引き起こす。良子は直ぐに戸城のベルトやハンカチを使って応急的な止血をする。
この賞金首は生死不問の添え書きがされていない。生きたまま捕らえれば報酬以外にボーナスが出る。助けたくて戸城を助けたのではない。金のためだ。
※ ※ ※
「何も無いっていいねー」
「そうね……」
夏喜が口にコーヒーの入った保温マグカップを運びながら言う。良子は目を細めて冬には珍しい汗ばむ陽気を享受していた。
午後2時。
自宅より近所の公園。日曜日。
昨夜の天気予報で季節外れなほどの好天に恵まれると聞いて、急遽、自転車で公園まで来た。
児童公園ではない。芝生が植えられ、整地されたスポーツ公園。ジョギングやウォーキングのコースとして申し分ない。フェンスで囲われたエリアではテニスコートや野球のグラウンドが並んでいる。
自宅のハイツがある場所から自転車で10分。名目上は公園だが、災害時には防災用の避難場所として使用されることを想定している。一定以上の人口密度になると、法律ではそれに比例した面積の防災公園を作るように明記されている。防災の機能を持った公園だ。
特に風光明媚と云うわけではない。
広い芝の上でアウトドア用の折り畳みチェアを展開して、自宅で淹れてきた熱いコーヒーを飲むだけの時間だ。
摘む為にウイスキーボンボンやホワイトチョコレートなど、家中に散らばっていたチョコレートを掻き集めて持って来た。良子も夏喜も頭脳労働を主軸にするので、手っ取り早く疲労回復したり、脳にエネルギーを供給するのに適したチョコレートはこまめに買い足している。
今日は珍しく、二人ともオフの日だ。
世間を晦ませる表の仕事も休みと云う設定で、裏の世界の仕事もたまたま、『何もない日が重なった』。
良子は食指が動く依頼が見つからず、夏喜は世界的疫病の流行で海の向こうの取引相手が出荷停止状態なので荷物が届かずに、勤め先の武器屋自体が臨時休業だ。
夏喜が眩しそうに太陽を仰ぐと、口にチョコレートを押し込む。
良子はここならば誰も何も文句は言うまいと、ドライシガーのグアンタナメラ・プリトスをくゆらせている。
賃貸のハイツだと隣近所に気を使うだけでなく、室内でも非喫煙者の夏喜に気を使ってドライシガーに悠々と火を点ける機会が見つからない。
結果的に風の強い日にベランダでさっさと吸って自室に戻るのが常なのだが、寒い日に屋外でせかせかと葉巻を吸っても今一つ、満足感に欠ける。なにより、風の強い日にベランダで火気を扱うと火種が飛んで火事の元にならないかと気が気でない。
良子は久し振りに、遠慮なく紫煙を吐いて心から安息を得ている。
好天とはいえまだ冬だ。
二人ともダウンコート、マフラー、ニット帽など着込んだ上に腋や背中、鳩尾に小型の使い捨てカイロを貼り付けている。その上で、折り畳みチェアに座り、腰からハーフブランケットを巻きつけている。
街中の運動公園だ。何も無い。日曜日なので遠くでリトルリーグの少年達の声が聞こえる程度。
街……人口の多い住宅街が近いので全くの静かな環境ではない。雑多な雑音も聞こえる。
別に何も珍しくは無い風景の中で、その風景のパーツの一つとして溶け込むのが彼女たちにとってはリフレッシュするために必要な環境だった。
夏や秋には条件が揃えばアウトドアレジャーに出ることも有る。入門者向け登山コースを攻略して記念撮影したり、海で釣りをして大漁だったのなら同じハイツの住人に近所付き合いとして分ける。
表向きの顔を演出する為に考案したレクリエーションの真似なのに、いつの間にか、室内とは違う空気を吸って気分を入れ替えることの重要性と必要性を思い知った。
命の遣り取りだけに明け暮れる世界だからこそ、心のメンテナンスは絶対に必要だ。
自分だけの心の取扱説明書を少しでも完成に近づけないと、不健康で不健全で代わり映えのしない毎日に嫌気が差して気分が滅入る。
この世界は嫌気が差しても、簡単には抜け出せない。抜ける方法より生き抜く方法を考えた方がはるかに簡単だ。
裏の暗い世界に埋没したからこそ、物理的に明るい太陽の明かりが必要になろうとは皮肉な話しだ。
良子も夏喜も心身の健康の維持が長生きする秘訣だと感じ始めている。この世には何も不要な物は無い。その物を自分のライフスタイルに上手く組み込めるか否かだ。
良子のように人の命を奪う卑しい仕事を生業にしていても、高い質の仕事を提供するには普段から心と体をケアして万全の状態を維持することにタスクを割きたい。
夏喜もソロバンの弾き方次第で、札束が右へ左へと移動する仕事に就いている以上、計算ミスは即座に不要者の烙印を押されて『処分』されかねない。
荒事師や裏の世界の住人だから、干し肉を齧り酒を浴びるように飲んで夜更かしをして、空腹になったら起きると云う生き方こそが大敵。野獣のような生活リズムをした裏の世界の住人は、今では映画の中でしか存在しない。
時代が変われば生き方も変わる。色即是空。