『憐れかどうかは私が決める!』
夏喜とは家事は分担か日替わり制だ。互いの長所短所と担当を明確にしている。
互いに信頼している人間だからこそ弱点を曝け出せる。
不思議と彼女たちに友情を育む大きなエピソードは殆ど無い。
日常の中の小さな譲り合いと妥協が結果として現在の関係を築いた。
自分は独りではないし、独りでは何も出来ない。
それに気付く大きな要因も無い。
ただ、互いにルームメイトの関係である人間が居ないと、すぐに死んでいたことを悟った。
自ずと、いつの間にか、悟っていた。
ただの利害関係が一致した関係。
それがスタート。
そして、利害を維持するのに互いが絶対に必要だと確信。
それは荒事を生業にする万ず屋だとか、いつでも武器弾薬を融通してくれる窓口を持っている武器屋だとかは関係ない。
きっと表の明るい世界で互いが出会っても、同じ関係性を構築していただろう。
私は守られている。
だから彼女を守らなきゃ。
それこそが人としての信頼と信用の根本だと思う。
「……何よ? まだ痛む?」
「あ、いや……半額野菜だけで作った野菜炒めに心を打ちひしがれているの」
「は?」
良子と夏喜は互いが顔を合わせる形で座ったクラシックな円形の卓袱台でいつもの静かな会話を交わす。
良子の左胸骨に入った皹は完治していない。いまだに鎮痛剤と胃壁を守る中和剤を飲んで痛みに耐えている。仕事に行かなきゃ、収入無いしね。たまには仕事を休まないと働けなくなるよ。そんな会話だ。その会話に挟まれる、良子は自らの調理技能の低さに叩きのめされている自虐。
いつもの食卓。
いつもこうであってほしい食卓。
確かに、偶には適度な負傷は良い骨休みだ。
骨に皹が入っているだけに。
※ ※ ※
左胸の痛みがかなり引いた。
鎮痛剤に頼らなくともアドレナリンが痛みを掻き消してくれる。呼吸が荒くなっても皹に影響は無い。当初は深呼吸するだけでも痛かった。 腹式呼吸に切り替える方法を修得していなければ、とてもじゃないがポテンシャルを発揮できなかった。
S&W M6904の弾倉を交換。スライドは後退していない。
何発撃ったのか計算していなかったが、重心バランスの変化から、弾倉には2、3発しか残っていなかっただろう。今、いつでも弾倉は満タンにしておきたい。何処で何が起きるか分からない。
久し振りの内職……賞金稼ぎ。
賞金稼ぎとして内職に勤しむのは珍しいことではない。
特に荒事なら何でも御座れの万ず屋の良子には手頃だった。
街の外から回状が来て、それを当該の組織の名の下に賞金を懸けて街中にばら撒かれる。
裏の世界での賞金稼ぎのシステムとは意外とロジカルだ。
『頭にキタ』組織のトップが勢いだけで手配することは少ない。大々的に動員すると標的に逃げられる恐れがある。
故に、近隣の街や縄張り外や隣接する組織に対して、不埒者を捕らえて欲しい、或いは殺害して欲しいとお願いとお伺いを立てるための書状を行き渡らせてから手配が始まる。
一つの組織の権威が利くのは、飽く迄自分の縄張りだけ。隣のシマに逃げられたら勝手に振舞う事ができない。だから充分に広い包囲網を形成してから手配書を出す。
頼まれた近隣や隣接する組織としても、それは好都合に転じる場合が多い。
相手の組織に恩と義理を売れる可能性が出てくるからだ。
頂点や頭目の居ないインターポールとさえ揶揄される。その意味は、回状を回すが、実質、当該組織の構成員がそのシマで活動するわけにはいかないので、そのシマに逃げ込んだ標的はそのシマを管理する組織の構成員が探し出す。
それが頂点や頭目の居ないインターポールと言われる由縁だ。
インターポールに捜査官は居ない。捜査してほしいとインターポールに資料を持って頼みに行く連絡要員が一般的にその国の警察機構の人間が担当するので、捜査官と呼称されているだけだ。嘗て、連絡手段が電話しかなく、資料の往復は人員が航空機に乗ってインターポール本部へ届けていた時の名残だが、まさにそのままに当て嵌まる。
そして当該組織の回状を受け取った組織は人員を割きたいが、そんな余裕も無いので、賞金を懸けて街中の荒事師を動員させる。
尤も、街中に手配書を出しても賞金が魅力的でなければ、実働する荒事師は少ない。
標的を捕らえれば良し。捕らえられなくとも、義理を果たしたのは事実なので次回の交渉の糸口になる。
賞金稼ぎの仕事が多いのは、昨今の疫病の流行は予想以上に深刻な問題を根付かせているゆえの現象だ。
先日の轍は踏まない。
良子には意地がある。
森の中で同じく別件の賞金首を追いかけていたら、思わぬ反撃を受けて仮死状態かと思うほどの深い気絶に倒れてしまった。
賞金稼ぎは自分には合わないと云う例を一つでも作ると、それを挽回しようとどうしても心が逸る。
あたかも、たったそれだけの失敗が人生の汚点であるかのように。
心が半分、ツァイガルニック効果にとりつかれている。
ツァイガルニック効果とは、沢山の栄光よりもたった一つの失敗だけがいつまでも心に残り、それを埋めようと奮起する心の作用だ。定年間際の刑事が過去に挙げられなかった真犯人を執拗に追いかける心理もこの効果の典型例だ。
それにジンクスを作りたくない。
賞金稼ぎだけは、自分には、鬼門と云う勝手な思い込みは晴らしたい。
この業界は割りと信心深い人間が多く、誰もが自分だけのまじないや験担ぎを持っている。
矛盾している心理だが、表の世界でも裏の世界でも、無宗教や無心論者ほどこの傾向は強い。
自分だけのまじないや験担ぎを持つことは、自分だけに通用する体験談と成功談に基づく、個人の主義がある。『自分の世界だけに通用する宗教』とさえ言い換えできる。それを宗教と云う昇華に変換できていないだけだ。
良子は無宗教でも無神論者でもない。その証拠に毎週、地方競馬の中継を見ながら買った馬券が当たるように地球上のあらゆる神に祈りを捧げている。……心の中で。
そんな一般的日本人の宗教観を持った良子だから過去の泥は濯ぎたい。
右手に握ったS&W M6904。
掌にじっとりと汗をかく。
山中に逃げ込んだ賞金首。
数分前にタグホイヤーを確認したら午後11時を少し経過していた。
硝煙の匂い。鼻を擽る。近い。自分は風下。辺りは光源に乏しい。
この辺りはハイキングコースに近いので、足元を照らすための照明が割と豊富だが、街中と違って、整然と照明が並んでいないので光源で距離を計るのは難しい。
冬の空気。二十四節気の上では春の訪れではあったが、まだまだ寒い。夜の山の風は質が違う。心も体も思考も凍りつかせる冷たさを孕んでいる。雪がちらつかないだけ幸いだろう。
賞金稼ぎとしてこの山中に入ったのは自分を除き、目視できただけで4人。
手柄を独り占めしたがる、動作が素人の若年層ばかりだ。
見た目が自分よりも年下なのに、散弾銃やカービンを携えている。良子はそれを見て別段何も思わない。
誰しも模索の頃はある。
経験を積んで工夫して大成していくのだ。大成するまで生きているかどうかは知らないが。
4人はチームではない。個人経営だ。先を急がねば。
下手をすれば、先に誰が首を盗ったか否かで殺し合いが始まる。明確に自分が盗ったと宣言せねば。
互いに信頼している人間だからこそ弱点を曝け出せる。
不思議と彼女たちに友情を育む大きなエピソードは殆ど無い。
日常の中の小さな譲り合いと妥協が結果として現在の関係を築いた。
自分は独りではないし、独りでは何も出来ない。
それに気付く大きな要因も無い。
ただ、互いにルームメイトの関係である人間が居ないと、すぐに死んでいたことを悟った。
自ずと、いつの間にか、悟っていた。
ただの利害関係が一致した関係。
それがスタート。
そして、利害を維持するのに互いが絶対に必要だと確信。
それは荒事を生業にする万ず屋だとか、いつでも武器弾薬を融通してくれる窓口を持っている武器屋だとかは関係ない。
きっと表の明るい世界で互いが出会っても、同じ関係性を構築していただろう。
私は守られている。
だから彼女を守らなきゃ。
それこそが人としての信頼と信用の根本だと思う。
「……何よ? まだ痛む?」
「あ、いや……半額野菜だけで作った野菜炒めに心を打ちひしがれているの」
「は?」
良子と夏喜は互いが顔を合わせる形で座ったクラシックな円形の卓袱台でいつもの静かな会話を交わす。
良子の左胸骨に入った皹は完治していない。いまだに鎮痛剤と胃壁を守る中和剤を飲んで痛みに耐えている。仕事に行かなきゃ、収入無いしね。たまには仕事を休まないと働けなくなるよ。そんな会話だ。その会話に挟まれる、良子は自らの調理技能の低さに叩きのめされている自虐。
いつもの食卓。
いつもこうであってほしい食卓。
確かに、偶には適度な負傷は良い骨休みだ。
骨に皹が入っているだけに。
※ ※ ※
左胸の痛みがかなり引いた。
鎮痛剤に頼らなくともアドレナリンが痛みを掻き消してくれる。呼吸が荒くなっても皹に影響は無い。当初は深呼吸するだけでも痛かった。 腹式呼吸に切り替える方法を修得していなければ、とてもじゃないがポテンシャルを発揮できなかった。
S&W M6904の弾倉を交換。スライドは後退していない。
何発撃ったのか計算していなかったが、重心バランスの変化から、弾倉には2、3発しか残っていなかっただろう。今、いつでも弾倉は満タンにしておきたい。何処で何が起きるか分からない。
久し振りの内職……賞金稼ぎ。
賞金稼ぎとして内職に勤しむのは珍しいことではない。
特に荒事なら何でも御座れの万ず屋の良子には手頃だった。
街の外から回状が来て、それを当該の組織の名の下に賞金を懸けて街中にばら撒かれる。
裏の世界での賞金稼ぎのシステムとは意外とロジカルだ。
『頭にキタ』組織のトップが勢いだけで手配することは少ない。大々的に動員すると標的に逃げられる恐れがある。
故に、近隣の街や縄張り外や隣接する組織に対して、不埒者を捕らえて欲しい、或いは殺害して欲しいとお願いとお伺いを立てるための書状を行き渡らせてから手配が始まる。
一つの組織の権威が利くのは、飽く迄自分の縄張りだけ。隣のシマに逃げられたら勝手に振舞う事ができない。だから充分に広い包囲網を形成してから手配書を出す。
頼まれた近隣や隣接する組織としても、それは好都合に転じる場合が多い。
相手の組織に恩と義理を売れる可能性が出てくるからだ。
頂点や頭目の居ないインターポールとさえ揶揄される。その意味は、回状を回すが、実質、当該組織の構成員がそのシマで活動するわけにはいかないので、そのシマに逃げ込んだ標的はそのシマを管理する組織の構成員が探し出す。
それが頂点や頭目の居ないインターポールと言われる由縁だ。
インターポールに捜査官は居ない。捜査してほしいとインターポールに資料を持って頼みに行く連絡要員が一般的にその国の警察機構の人間が担当するので、捜査官と呼称されているだけだ。嘗て、連絡手段が電話しかなく、資料の往復は人員が航空機に乗ってインターポール本部へ届けていた時の名残だが、まさにそのままに当て嵌まる。
そして当該組織の回状を受け取った組織は人員を割きたいが、そんな余裕も無いので、賞金を懸けて街中の荒事師を動員させる。
尤も、街中に手配書を出しても賞金が魅力的でなければ、実働する荒事師は少ない。
標的を捕らえれば良し。捕らえられなくとも、義理を果たしたのは事実なので次回の交渉の糸口になる。
賞金稼ぎの仕事が多いのは、昨今の疫病の流行は予想以上に深刻な問題を根付かせているゆえの現象だ。
先日の轍は踏まない。
良子には意地がある。
森の中で同じく別件の賞金首を追いかけていたら、思わぬ反撃を受けて仮死状態かと思うほどの深い気絶に倒れてしまった。
賞金稼ぎは自分には合わないと云う例を一つでも作ると、それを挽回しようとどうしても心が逸る。
あたかも、たったそれだけの失敗が人生の汚点であるかのように。
心が半分、ツァイガルニック効果にとりつかれている。
ツァイガルニック効果とは、沢山の栄光よりもたった一つの失敗だけがいつまでも心に残り、それを埋めようと奮起する心の作用だ。定年間際の刑事が過去に挙げられなかった真犯人を執拗に追いかける心理もこの効果の典型例だ。
それにジンクスを作りたくない。
賞金稼ぎだけは、自分には、鬼門と云う勝手な思い込みは晴らしたい。
この業界は割りと信心深い人間が多く、誰もが自分だけのまじないや験担ぎを持っている。
矛盾している心理だが、表の世界でも裏の世界でも、無宗教や無心論者ほどこの傾向は強い。
自分だけのまじないや験担ぎを持つことは、自分だけに通用する体験談と成功談に基づく、個人の主義がある。『自分の世界だけに通用する宗教』とさえ言い換えできる。それを宗教と云う昇華に変換できていないだけだ。
良子は無宗教でも無神論者でもない。その証拠に毎週、地方競馬の中継を見ながら買った馬券が当たるように地球上のあらゆる神に祈りを捧げている。……心の中で。
そんな一般的日本人の宗教観を持った良子だから過去の泥は濯ぎたい。
右手に握ったS&W M6904。
掌にじっとりと汗をかく。
山中に逃げ込んだ賞金首。
数分前にタグホイヤーを確認したら午後11時を少し経過していた。
硝煙の匂い。鼻を擽る。近い。自分は風下。辺りは光源に乏しい。
この辺りはハイキングコースに近いので、足元を照らすための照明が割と豊富だが、街中と違って、整然と照明が並んでいないので光源で距離を計るのは難しい。
冬の空気。二十四節気の上では春の訪れではあったが、まだまだ寒い。夜の山の風は質が違う。心も体も思考も凍りつかせる冷たさを孕んでいる。雪がちらつかないだけ幸いだろう。
賞金稼ぎとしてこの山中に入ったのは自分を除き、目視できただけで4人。
手柄を独り占めしたがる、動作が素人の若年層ばかりだ。
見た目が自分よりも年下なのに、散弾銃やカービンを携えている。良子はそれを見て別段何も思わない。
誰しも模索の頃はある。
経験を積んで工夫して大成していくのだ。大成するまで生きているかどうかは知らないが。
4人はチームではない。個人経営だ。先を急がねば。
下手をすれば、先に誰が首を盗ったか否かで殺し合いが始まる。明確に自分が盗ったと宣言せねば。