『憐れかどうかは私が決める!』
その血液の正体は姿が見えなかった4人目の人物だ。
フロアに入るなり、確かに7人居て、3人仕留めて、4人が遮蔽に飛び込んだ。
4箇所に向かって1発ずつ銃弾を叩き込み、3人を遮蔽から炙りだして1人の損害の有無を確認していなかった。
その存在が消えていた1人がパーテーションの陰で頭部を撃ち抜かれて既に絶命していた。
その死体の頭部から流れる濃厚な血液を踏みつけ、視線を奪われた瞬間に2人は絶好の掩蔽に逃げ込んだわけだ。
――――面倒臭いなぁ。
――――今日の星座占いは下から3番目だったのよね。
良子は遮蔽と視界を邪魔する障害を伝いながら、弾倉交換をする。
連中からは死角になっている場所を伝っているので、銃撃が襲い掛かってこない。
人間の認識は想像以上に鈍感で、慣れた場所やリラックスできる場所に闖入者が踊り込むと、『地の利』を活かした行動に移り難い。学校がテロリストに占拠されても、実際には想像しているよりはるかに鈍重な行動や思考しかできない。……虚を衝かれた人間の生理的反応だといえる。
連中のホームグラウンドなのに、連中は案山子の如く撃ち倒された。一概に彼らが無能だと笑う事はできない。
良子とて風邪を引いてゆっくり寝込んでいる最中に襲撃に遭えば何もできないだろうし、最も気の緩む性行為や排泄中に襲撃されれば、為す手立ては有っても、即座に行動に移せないだろう。
人間は必ずリラックスできる場所を心理的に求める。
そこでの安息経験を積めば積むほど、その場所を勝手にリラックスできる場所だと思い込んで、集中力や警戒心が心理的に低下する。
対テロ特殊部隊が突入する建物内部で、最高のパフォーマンスを発揮する一因として、『慣れぬ、見知らぬ場所だから神経を研ぎ澄ませている』という理由もある。
パーテーションや観葉植物といった障害物や遮蔽を移動しながら2人を仕留めるポイントを探す。
2人は連携しているようには見えないが、背中同士を預けているので自ずと、ある程度以上に死角が少なくなる。
彼らの片手側は鉄筋の柱なので銃弾を貫通しない。従って、安心して注意を前方に向ける事ができる。
咄嗟の判断か偶然か、厄介なことには違いない。
2人の殺害が目的ではない。
手首側に文字盤を回しているタグ・ホイヤーの腕時計を見る。
――――もう直ぐ時間切れね。
――――潮時かも。
徹底した殺戮は無意味だ。
ふと、そのように考えた時に、肩から力が抜けて『視界が一段、広くなった』。
雑念や杞憂が晴れた時に似ている感覚。
いつも以上に余計な力を抜いてS&W M6904の引き金を2度引いた。
2人の男に被弾。
一人は柱から突き出ている爪先に。もう一人は余計にグロック26を持つ手を伸ばして射角を確保しようとしている左手の尺骨の辺りに。
いずれも致命的ではない。鶏を絞め殺したような悲鳴が聞こえたが、死にはしない。
2人がグロック26を投げ捨てて痛みに悶絶して床を転がっている間に、壁や調度品を弾倉に残った銃弾で破壊していく。
依頼は飽く迄、『適度な損害』だ。
適当に銃弾をばら撒けばいい。適当であって手抜きではない。
人的損害を与えた。壁や天井に弾痕を穿った。官憲にこの場所をマークさせられるだけの被害を与えた。
良子は視線を左手首に落とす。
腕時計が、撤収の時間を無言で告げる。
新しい弾倉を叩き込み、フロア内部の死角付近に銃口を走らせながら後退。
そのまま、スタッフオンリーの札がかかったドアを開けると走り出す。走りながら今更ながらに酸素不足の金魚のように空気を欲してマスクの隙間に指を差しこんで、大量の外気を取り入れる。
侵入と撤収とでは明らかに使う肺活量が違うといつもながらに辟易して、心の中で苦笑い。
昼前の繁華街。
防犯カメラに移らない路地裏。
ショットバーの表にはクローズの札。
誰も何も気付かない日常。
防音壁で守られた貴重な取引場所はこうしてまた一つ、叩き潰された。
叩き潰したのは敵対組織で、実行したのは外注の荒事師。
荒事師を目の仇にしても何も解決しない。
寧ろ、その荒事を生業にする人間を探し出して、鮮やかな手並みを褒めてスカウトする機会のほうが多い。……その庇護を受けるにはもっと評価される仕事をしなければと思う良子だったが、その反面、フリーランスで自由を謳歌していたい気分もある。
※ ※ ※
一匹狼は孤独を友として、孤高に在り、孤立を常とする。
確かに聞こえはいいし、昔は逸れ者や風来坊といった個人経営のアウトローは若手の憧れの的だった。
……20年くらい前までは。
今では個人経営や零細企業や一人親方でも、バディやトリオ単位で活動する人間が増えてきた。
理由は簡単。
一人は弱いからだ。
一人では一つの方向の得意分野しか能力を発揮できない場合が多い。互いをカバーしあう仲間が居れば効率よく仕事がこなせる。
良子にしても夏喜と云うルームメイトが居るから、風邪でダウンしても身の回りの世話をしてくれた。もはや野獣のような精神で独りで艱難辛苦と戦う時代ではない。
『独り』と云うより、『一人』は弱い。
自分に足りないものを即応的に与えてくれる存在が無ければ誰も生きていけない。
それを勘違いしている人間が多い。
一人でも生きていけると豪語する人間であっても、飲食と睡眠を断てば、死ぬ。それに対して対価として金を払う手段と儲ける手段を持っているだけで、社会に依存して生きていると言える。
故に、『独り』ではなく『一人』だ。
社会の輪から離れたから……離れるしかなかったから、アンダーグラウンドに来たと云う人間は直ぐに実情を知って、表の世界へ帰っていく。 誰もが人目を憚って生きている暗い世界では、運命共同体で一蓮托生だ。
一人がヘマをすれば連鎖的に自分たちが危なくなるので、危険な要素を含む人間は直ぐに爪弾きにされる。
高いコミュニケーション能力は今では必要不可欠なスキルだ。
個人経営の良子でさえ、ビジネスでは情報屋とは縁が切れないし、負傷した折には闇医者を頼るし、武器弾薬の経路として武器屋を頼り、稼いだ金をロンダリングするのに地下の銀行を使う。
更に、『中堅企業で働くOL』と云う表向きの顔を設定している以上、源泉徴収や様々な控除、納税額を記す書類を偽造代行してくれる地下の計理士や会計士とは絶対に仲たがいしたくない。
……そんな事を考えながら、自分は独りではなく一人だった事実を噛み締めて、キッチンに立つ夏喜の尻を見ながら考える。
最初は夏喜の尻は安産型に近いな、と考えていたはずなのに、気が付けば、社会派な論理に転がっていた。
今日の夕食作りの当番は夏喜だ。
午後7時。
夏喜が使う材料も器具も同じなのに、自分の作る料理のほうが味が一段劣る錯覚がしていたので夏喜の尻を見ながら、夏喜の腕前や夏喜の存在の在り難さを考えて感謝していたら、似つかわしくない社会派な話題に転がっていた。
いい匂い。
同じ野菜炒めでも、何故かもう一歩でこの美味しさに負けてしまう。
キャベツとモヤシを中心に玉葱、人参、ピーマン、豚の細切れ。調える程度の塩胡椒。
野菜や肉の刻み方か? 火力の調整か? 具材をフライパンに放り込むタイミングか? 調味料に謎が?? 何が違う? ソースや焼肉のタレを垂らさなくとも味が滲み出て美味いのは匂いで分かる。
フロアに入るなり、確かに7人居て、3人仕留めて、4人が遮蔽に飛び込んだ。
4箇所に向かって1発ずつ銃弾を叩き込み、3人を遮蔽から炙りだして1人の損害の有無を確認していなかった。
その存在が消えていた1人がパーテーションの陰で頭部を撃ち抜かれて既に絶命していた。
その死体の頭部から流れる濃厚な血液を踏みつけ、視線を奪われた瞬間に2人は絶好の掩蔽に逃げ込んだわけだ。
――――面倒臭いなぁ。
――――今日の星座占いは下から3番目だったのよね。
良子は遮蔽と視界を邪魔する障害を伝いながら、弾倉交換をする。
連中からは死角になっている場所を伝っているので、銃撃が襲い掛かってこない。
人間の認識は想像以上に鈍感で、慣れた場所やリラックスできる場所に闖入者が踊り込むと、『地の利』を活かした行動に移り難い。学校がテロリストに占拠されても、実際には想像しているよりはるかに鈍重な行動や思考しかできない。……虚を衝かれた人間の生理的反応だといえる。
連中のホームグラウンドなのに、連中は案山子の如く撃ち倒された。一概に彼らが無能だと笑う事はできない。
良子とて風邪を引いてゆっくり寝込んでいる最中に襲撃に遭えば何もできないだろうし、最も気の緩む性行為や排泄中に襲撃されれば、為す手立ては有っても、即座に行動に移せないだろう。
人間は必ずリラックスできる場所を心理的に求める。
そこでの安息経験を積めば積むほど、その場所を勝手にリラックスできる場所だと思い込んで、集中力や警戒心が心理的に低下する。
対テロ特殊部隊が突入する建物内部で、最高のパフォーマンスを発揮する一因として、『慣れぬ、見知らぬ場所だから神経を研ぎ澄ませている』という理由もある。
パーテーションや観葉植物といった障害物や遮蔽を移動しながら2人を仕留めるポイントを探す。
2人は連携しているようには見えないが、背中同士を預けているので自ずと、ある程度以上に死角が少なくなる。
彼らの片手側は鉄筋の柱なので銃弾を貫通しない。従って、安心して注意を前方に向ける事ができる。
咄嗟の判断か偶然か、厄介なことには違いない。
2人の殺害が目的ではない。
手首側に文字盤を回しているタグ・ホイヤーの腕時計を見る。
――――もう直ぐ時間切れね。
――――潮時かも。
徹底した殺戮は無意味だ。
ふと、そのように考えた時に、肩から力が抜けて『視界が一段、広くなった』。
雑念や杞憂が晴れた時に似ている感覚。
いつも以上に余計な力を抜いてS&W M6904の引き金を2度引いた。
2人の男に被弾。
一人は柱から突き出ている爪先に。もう一人は余計にグロック26を持つ手を伸ばして射角を確保しようとしている左手の尺骨の辺りに。
いずれも致命的ではない。鶏を絞め殺したような悲鳴が聞こえたが、死にはしない。
2人がグロック26を投げ捨てて痛みに悶絶して床を転がっている間に、壁や調度品を弾倉に残った銃弾で破壊していく。
依頼は飽く迄、『適度な損害』だ。
適当に銃弾をばら撒けばいい。適当であって手抜きではない。
人的損害を与えた。壁や天井に弾痕を穿った。官憲にこの場所をマークさせられるだけの被害を与えた。
良子は視線を左手首に落とす。
腕時計が、撤収の時間を無言で告げる。
新しい弾倉を叩き込み、フロア内部の死角付近に銃口を走らせながら後退。
そのまま、スタッフオンリーの札がかかったドアを開けると走り出す。走りながら今更ながらに酸素不足の金魚のように空気を欲してマスクの隙間に指を差しこんで、大量の外気を取り入れる。
侵入と撤収とでは明らかに使う肺活量が違うといつもながらに辟易して、心の中で苦笑い。
昼前の繁華街。
防犯カメラに移らない路地裏。
ショットバーの表にはクローズの札。
誰も何も気付かない日常。
防音壁で守られた貴重な取引場所はこうしてまた一つ、叩き潰された。
叩き潰したのは敵対組織で、実行したのは外注の荒事師。
荒事師を目の仇にしても何も解決しない。
寧ろ、その荒事を生業にする人間を探し出して、鮮やかな手並みを褒めてスカウトする機会のほうが多い。……その庇護を受けるにはもっと評価される仕事をしなければと思う良子だったが、その反面、フリーランスで自由を謳歌していたい気分もある。
※ ※ ※
一匹狼は孤独を友として、孤高に在り、孤立を常とする。
確かに聞こえはいいし、昔は逸れ者や風来坊といった個人経営のアウトローは若手の憧れの的だった。
……20年くらい前までは。
今では個人経営や零細企業や一人親方でも、バディやトリオ単位で活動する人間が増えてきた。
理由は簡単。
一人は弱いからだ。
一人では一つの方向の得意分野しか能力を発揮できない場合が多い。互いをカバーしあう仲間が居れば効率よく仕事がこなせる。
良子にしても夏喜と云うルームメイトが居るから、風邪でダウンしても身の回りの世話をしてくれた。もはや野獣のような精神で独りで艱難辛苦と戦う時代ではない。
『独り』と云うより、『一人』は弱い。
自分に足りないものを即応的に与えてくれる存在が無ければ誰も生きていけない。
それを勘違いしている人間が多い。
一人でも生きていけると豪語する人間であっても、飲食と睡眠を断てば、死ぬ。それに対して対価として金を払う手段と儲ける手段を持っているだけで、社会に依存して生きていると言える。
故に、『独り』ではなく『一人』だ。
社会の輪から離れたから……離れるしかなかったから、アンダーグラウンドに来たと云う人間は直ぐに実情を知って、表の世界へ帰っていく。 誰もが人目を憚って生きている暗い世界では、運命共同体で一蓮托生だ。
一人がヘマをすれば連鎖的に自分たちが危なくなるので、危険な要素を含む人間は直ぐに爪弾きにされる。
高いコミュニケーション能力は今では必要不可欠なスキルだ。
個人経営の良子でさえ、ビジネスでは情報屋とは縁が切れないし、負傷した折には闇医者を頼るし、武器弾薬の経路として武器屋を頼り、稼いだ金をロンダリングするのに地下の銀行を使う。
更に、『中堅企業で働くOL』と云う表向きの顔を設定している以上、源泉徴収や様々な控除、納税額を記す書類を偽造代行してくれる地下の計理士や会計士とは絶対に仲たがいしたくない。
……そんな事を考えながら、自分は独りではなく一人だった事実を噛み締めて、キッチンに立つ夏喜の尻を見ながら考える。
最初は夏喜の尻は安産型に近いな、と考えていたはずなのに、気が付けば、社会派な論理に転がっていた。
今日の夕食作りの当番は夏喜だ。
午後7時。
夏喜が使う材料も器具も同じなのに、自分の作る料理のほうが味が一段劣る錯覚がしていたので夏喜の尻を見ながら、夏喜の腕前や夏喜の存在の在り難さを考えて感謝していたら、似つかわしくない社会派な話題に転がっていた。
いい匂い。
同じ野菜炒めでも、何故かもう一歩でこの美味しさに負けてしまう。
キャベツとモヤシを中心に玉葱、人参、ピーマン、豚の細切れ。調える程度の塩胡椒。
野菜や肉の刻み方か? 火力の調整か? 具材をフライパンに放り込むタイミングか? 調味料に謎が?? 何が違う? ソースや焼肉のタレを垂らさなくとも味が滲み出て美味いのは匂いで分かる。
