『憐れかどうかは私が決める!』
殺害ではない。負傷だ。
負傷させた結果、救急救命が間に合わずに死亡したのならそれは仕方が無い。
速い歩みを進める。
頭の中にこの建物全ての見取り図は叩き込んだ。消火栓やスプリンクラー、空調や室外機置き場まで。
バックヤードに続く通路だけに薄暗いが、荷物の搬入を考慮して足元は障害が無く、歩き易い。
やや黴臭い臭い。
鼻からの一定の呼吸を崩さない。
疫病の流行とともにマスクとの付き合い方もなんとか慣れてきた。従来の呼吸法が全て使えないわけではない。応用と利用次第で何とでもなる。一つの方策にしか使えない手段など、手段ではない。
心拍数の上昇は防げない。
それを意図的に制御するのが、ヨガや瞑想で取り入れられる鼻による腹式呼吸だ。口は閉じるのではなく、やや開き気味に。
心臓の鼓動が脳内に響く。
耳栓をしているからこその体内の雑音だ。
話し声はカットせずに、騒音雑音をカットする高性能な耳栓でも体内の雑音ばかりはどうしようもない。
腋や股間や臍、背中の辺りで体温気温を感じる。この温度変化で自分の緊張具合が分かる。
少し息を呑んで、左手で目前のドアノブを開ける。
トイレから出てきたばかりというような、焦りも慄きも無い速さでドアを開ける。
――――ABC。
アモ。ブリット。カットセフティ。
銃火器を発砲する上での基本の頭文字を心の中で唱える。確かにそれを行ったという確認。
その部屋……ショットバーのメインフロアに入り込むなり、天井に向けて発砲。
「!!」
メインフロアに居た数人の人影がこちらを見て一瞬膠着した。
――――1、2、3、4……7人。
スポットライトが主な光源。
薄暗いフロア。半地下の物件の為、窓からの日光は殆ど無い。フロアの広さは数字の上なら45㎡。
カウンター、ボックス席、ストゥールなどの障害物や遮蔽物が多く、その全容を見渡すのは難しい。
その中でたった1発の発砲で、こちらを見て挙動を停止した人影は7人分。障害物や遮蔽の陰に隠れているのは要注意。
少なくともその7人は『素人』だ。
1秒強の時間。
アソセレススタンスに切り替えた良子は真正面に立つ20代後半と思しき風貌の青年の腹を撃った。その青年が倒れる音を聞きながら右手側に少しばかり銃口を素早く振ると5mほど先に立っていたモップを手にした中年男性を撃った。
更に左手側に大きく銃口を向けて発砲。アクリル製パーテーションの向こうに居た人影の胸部に命中する。
短い銃身から発せられる9mmパラベラム独特の突き抜けるような銃声も閉鎖された空間ではくぐもって響く。耳栓が無ければ本当に鼓膜が傷む。
3人を案山子を倒すように無力化させた。
その頃になって漸く膠着が解けた残りの4人は、それぞれ遮蔽や障害物に身を飛び込ませて頭を伏せていた。
矢張り、『素人』だ。
カタギと言う意味での素人ではない。鉄火場に慣れていない三下や準幹部だと分かる。
最近ではこのように暴力を外注する余り、組織内部に暴力や鉄火場に慣れた人材が不足しており、更に半グレの台頭で組織の構成員の年齢層は年々高くなり、斜陽を辿りつつある。
これは組織なら零細でも大手でも同じ現象だ。
だからこそ、暴力を生業とするフリーランスと契約を交わして雇って荒事を任せる事態を招いている。しかも不景気なので大量に雇用できず、選りすぐりの腕利きだけを引き抜こうとハイレベルなフリーランスの奪い合いを呈している。
『素人』。
自分の身が相手から確認できなければそれで安心だと思っている。
最後にはトリガーハッピーになる前に、ガタガタ震えて戦力にならない。
遮蔽は確かに便利で脅威だ。
良子からはその全身や全体を見渡す事ができないので、何処に誰がどれだけ潜んでいるか分からない。
ただ、遮蔽は掩蔽壕ではない。『銃弾で貫通できる物体の場合が多い』のだ。
良子はサングラスとマスクの下で無表情のまま引き金を引く。
室内用の、耐久性が必要とされない建材を10m以下の距離から発砲されれば簡単に貫通する。そこに誰が隠れていようとも、負傷させられる。
4人はことごとく、9mmパラベラムの洗礼を受けて悲鳴を挙げた。悲鳴の数は3つ。
――――命中。一人、『まだ』。
3人の男達はそれぞれの遮蔽から、再び銃弾で炙りだされてフロアに飛び出た。今度はさすがに手に得物を持っていた。
グロック26が2挺。コルトガバメントが1挺。
途端に良子の脳内に見取り図が浮かび上がり、自分の位置から見えない角度に斜線が引かれて『暗部』になる。
『暗部』に指定されていない部分が直線で見通せる距離。
コンマ数秒。
体がゆらりと右手側に倒れる。
元いた位置から3人は連携の成っていない乱射を始める。
乱射の合図も何もなしだ。
誰かが先走ったのを先途に行われた無為な乱射。
血走った目。もう直ぐトリガーハッピーに変貌する。
今までに何度もこの表情は見てきた。
誰よりも生を望みながら、誰よりも先に死ぬ顔だ。
良子の体が右手側に倒れてそのまま床に寝そべるかと思いきや、右足の膝と足首で体を『深い屈伸に似た姿勢』で停止させて、上体も右側面を床にすれすれの位置で停止させて、発砲を開始した。
コルトガバメントを誰よりも早く撃ち尽した男が、右膝と左大腿部内側に被弾してカエルを踏み潰したような悲鳴を挙げて仰向けに倒れた。
3人とも良子の挙動に追いつけないでいる。
目前から良子の体が消えたように見えたのだ。
実際には、清掃の為にどかされていたパーテーションの足場に体全体を潜ませただけに過ぎない。
それでも膝下程度の低いパーテーションの足場に、トレンチコートを着た全身がするりと『消える』とは思わなかった。そして無駄に中空にまき散らかした銃弾。
銃声が派手に連なるが、決定打は皆無。
パーテーションに身を潜ませ、その僅かな隙間からコルトガバメントの男を狙撃したのだ。
この体勢での発砲は車体下部の隙間から標的の足首や脛を狙う時に用いられるスタンスで、角度次第では隙が大きいのが難点だ。
少なくとも目の前の三下には有効だった。トリッキーな構えを使う相手とは対峙した事が無いのだろう。
右手側と左手側の遮蔽の近くに1人ずつ。
それぞれが遮蔽に飛び込まずに、後退りを始めながら乱射。この距離では遮蔽は銃弾を防げないのを思い知った為に、遮蔽に対する信頼度が落ちている。
遮蔽に飛び込むのは確かに賢い選択の一つだが、それは敵に察知されていないからこその価値だ。
遮蔽は体を覆い隠し、存在の有無を一時的に視界から消すだけの方法。防弾効果は殆ど無い場合が多い。
警察の特殊部隊が、室内で突然現れた畳1枚分の面積をしたブルーシートに警戒する理由でもある。
『その遮蔽の向うに何が有るのか? 誰か居るのか否か?』それが瞬間的に見通せないからこその脅威だ。
イニシアティブを握られてから、防弾効果の無い遮蔽に逃げ込むのは賢くない。
襲撃者の良子からすれば、頭隠して尻隠さずの状態だ。
2人は弾倉を交換して防弾足りえる70cm四方の鉄筋の柱の陰に体を押し込んだ。2人とも同じ柱の向うに隠れる。今度こそ9mmパラベラムは貫通しない。
その2人を仕留め損なって鉄筋の柱の陰に逃げられた直接の原因は足元に違和感を覚えたからだ。
「ちっ……」
マスクの下で舌打ち。
靴裏から違和感を覚えたので足元に視線を移すと、遮蔽の陰から流れ出る大量の血液を踏みつけて、軽く滑りそうになった。
負傷させた結果、救急救命が間に合わずに死亡したのならそれは仕方が無い。
速い歩みを進める。
頭の中にこの建物全ての見取り図は叩き込んだ。消火栓やスプリンクラー、空調や室外機置き場まで。
バックヤードに続く通路だけに薄暗いが、荷物の搬入を考慮して足元は障害が無く、歩き易い。
やや黴臭い臭い。
鼻からの一定の呼吸を崩さない。
疫病の流行とともにマスクとの付き合い方もなんとか慣れてきた。従来の呼吸法が全て使えないわけではない。応用と利用次第で何とでもなる。一つの方策にしか使えない手段など、手段ではない。
心拍数の上昇は防げない。
それを意図的に制御するのが、ヨガや瞑想で取り入れられる鼻による腹式呼吸だ。口は閉じるのではなく、やや開き気味に。
心臓の鼓動が脳内に響く。
耳栓をしているからこその体内の雑音だ。
話し声はカットせずに、騒音雑音をカットする高性能な耳栓でも体内の雑音ばかりはどうしようもない。
腋や股間や臍、背中の辺りで体温気温を感じる。この温度変化で自分の緊張具合が分かる。
少し息を呑んで、左手で目前のドアノブを開ける。
トイレから出てきたばかりというような、焦りも慄きも無い速さでドアを開ける。
――――ABC。
アモ。ブリット。カットセフティ。
銃火器を発砲する上での基本の頭文字を心の中で唱える。確かにそれを行ったという確認。
その部屋……ショットバーのメインフロアに入り込むなり、天井に向けて発砲。
「!!」
メインフロアに居た数人の人影がこちらを見て一瞬膠着した。
――――1、2、3、4……7人。
スポットライトが主な光源。
薄暗いフロア。半地下の物件の為、窓からの日光は殆ど無い。フロアの広さは数字の上なら45㎡。
カウンター、ボックス席、ストゥールなどの障害物や遮蔽物が多く、その全容を見渡すのは難しい。
その中でたった1発の発砲で、こちらを見て挙動を停止した人影は7人分。障害物や遮蔽の陰に隠れているのは要注意。
少なくともその7人は『素人』だ。
1秒強の時間。
アソセレススタンスに切り替えた良子は真正面に立つ20代後半と思しき風貌の青年の腹を撃った。その青年が倒れる音を聞きながら右手側に少しばかり銃口を素早く振ると5mほど先に立っていたモップを手にした中年男性を撃った。
更に左手側に大きく銃口を向けて発砲。アクリル製パーテーションの向こうに居た人影の胸部に命中する。
短い銃身から発せられる9mmパラベラム独特の突き抜けるような銃声も閉鎖された空間ではくぐもって響く。耳栓が無ければ本当に鼓膜が傷む。
3人を案山子を倒すように無力化させた。
その頃になって漸く膠着が解けた残りの4人は、それぞれ遮蔽や障害物に身を飛び込ませて頭を伏せていた。
矢張り、『素人』だ。
カタギと言う意味での素人ではない。鉄火場に慣れていない三下や準幹部だと分かる。
最近ではこのように暴力を外注する余り、組織内部に暴力や鉄火場に慣れた人材が不足しており、更に半グレの台頭で組織の構成員の年齢層は年々高くなり、斜陽を辿りつつある。
これは組織なら零細でも大手でも同じ現象だ。
だからこそ、暴力を生業とするフリーランスと契約を交わして雇って荒事を任せる事態を招いている。しかも不景気なので大量に雇用できず、選りすぐりの腕利きだけを引き抜こうとハイレベルなフリーランスの奪い合いを呈している。
『素人』。
自分の身が相手から確認できなければそれで安心だと思っている。
最後にはトリガーハッピーになる前に、ガタガタ震えて戦力にならない。
遮蔽は確かに便利で脅威だ。
良子からはその全身や全体を見渡す事ができないので、何処に誰がどれだけ潜んでいるか分からない。
ただ、遮蔽は掩蔽壕ではない。『銃弾で貫通できる物体の場合が多い』のだ。
良子はサングラスとマスクの下で無表情のまま引き金を引く。
室内用の、耐久性が必要とされない建材を10m以下の距離から発砲されれば簡単に貫通する。そこに誰が隠れていようとも、負傷させられる。
4人はことごとく、9mmパラベラムの洗礼を受けて悲鳴を挙げた。悲鳴の数は3つ。
――――命中。一人、『まだ』。
3人の男達はそれぞれの遮蔽から、再び銃弾で炙りだされてフロアに飛び出た。今度はさすがに手に得物を持っていた。
グロック26が2挺。コルトガバメントが1挺。
途端に良子の脳内に見取り図が浮かび上がり、自分の位置から見えない角度に斜線が引かれて『暗部』になる。
『暗部』に指定されていない部分が直線で見通せる距離。
コンマ数秒。
体がゆらりと右手側に倒れる。
元いた位置から3人は連携の成っていない乱射を始める。
乱射の合図も何もなしだ。
誰かが先走ったのを先途に行われた無為な乱射。
血走った目。もう直ぐトリガーハッピーに変貌する。
今までに何度もこの表情は見てきた。
誰よりも生を望みながら、誰よりも先に死ぬ顔だ。
良子の体が右手側に倒れてそのまま床に寝そべるかと思いきや、右足の膝と足首で体を『深い屈伸に似た姿勢』で停止させて、上体も右側面を床にすれすれの位置で停止させて、発砲を開始した。
コルトガバメントを誰よりも早く撃ち尽した男が、右膝と左大腿部内側に被弾してカエルを踏み潰したような悲鳴を挙げて仰向けに倒れた。
3人とも良子の挙動に追いつけないでいる。
目前から良子の体が消えたように見えたのだ。
実際には、清掃の為にどかされていたパーテーションの足場に体全体を潜ませただけに過ぎない。
それでも膝下程度の低いパーテーションの足場に、トレンチコートを着た全身がするりと『消える』とは思わなかった。そして無駄に中空にまき散らかした銃弾。
銃声が派手に連なるが、決定打は皆無。
パーテーションに身を潜ませ、その僅かな隙間からコルトガバメントの男を狙撃したのだ。
この体勢での発砲は車体下部の隙間から標的の足首や脛を狙う時に用いられるスタンスで、角度次第では隙が大きいのが難点だ。
少なくとも目の前の三下には有効だった。トリッキーな構えを使う相手とは対峙した事が無いのだろう。
右手側と左手側の遮蔽の近くに1人ずつ。
それぞれが遮蔽に飛び込まずに、後退りを始めながら乱射。この距離では遮蔽は銃弾を防げないのを思い知った為に、遮蔽に対する信頼度が落ちている。
遮蔽に飛び込むのは確かに賢い選択の一つだが、それは敵に察知されていないからこその価値だ。
遮蔽は体を覆い隠し、存在の有無を一時的に視界から消すだけの方法。防弾効果は殆ど無い場合が多い。
警察の特殊部隊が、室内で突然現れた畳1枚分の面積をしたブルーシートに警戒する理由でもある。
『その遮蔽の向うに何が有るのか? 誰か居るのか否か?』それが瞬間的に見通せないからこその脅威だ。
イニシアティブを握られてから、防弾効果の無い遮蔽に逃げ込むのは賢くない。
襲撃者の良子からすれば、頭隠して尻隠さずの状態だ。
2人は弾倉を交換して防弾足りえる70cm四方の鉄筋の柱の陰に体を押し込んだ。2人とも同じ柱の向うに隠れる。今度こそ9mmパラベラムは貫通しない。
その2人を仕留め損なって鉄筋の柱の陰に逃げられた直接の原因は足元に違和感を覚えたからだ。
「ちっ……」
マスクの下で舌打ち。
靴裏から違和感を覚えたので足元に視線を移すと、遮蔽の陰から流れ出る大量の血液を踏みつけて、軽く滑りそうになった。