『憐れかどうかは私が決める!』

   ※ ※ ※
 風邪が治った。
 ……治ったと思いたい。
 病み上がりの仕事だから、程度の軽い仕事を幾つかこなして早く休みたい。……この業界に入って一番楽なのは、自分の都合で仕事の難易度をある程度選べることだった。
 舞い込む依頼を選別して気に入った上位を引き受けて、後回しできる仕事は幾らでも後回しにして、時には同業者に依頼を廻して紹介料を貰うこともできる。
 信用商売には違いないが、体は一つしかない。
 依頼する相手もその辺りは了解している。……よほど、裏の世界に詳しくない人間でない限り。
 体は一つしかないのだから、消化できるタスクの数も知れている。
 零細企業の一人親方なので、依頼が無い時は同業者に紹介料を払って仕事を融通してもらうことも日常茶飯事。凄腕の一匹狼的な存在は数多く聞くが、実情は、『今自分が片付けるべき仕事を見抜ける能力』を持った人間ばかりだ。
 大きな仕事を10割の力で一つ片付ける事よりも、中程度の仕事を7割の力で効率的に、2つ3つ素早く片付ける。
 結果的に成功度は高くなり、名前も売れる。……商売をしている以上、出るコストと入るペイの計算ができないと、贔屓にしている闇医者や運び屋や地下銀行に払う金も捻出できない。
 選りすぐって高難易度な仕事だけを引き受けるのは、どちらかと云えば、この業界でも功名心に焦った新参や、失敗続きで挽回を狙っている落ち目の人間だ。
 慎重な人間ほど目立たない。
 それを理解するのに長い時間が掛かった。
「さて」
 と言いながら、良子は自室のデスクから立ち上がった。
――――最近、小さな動作のたびに一言言うようになったわね……。
――――歳かしら。
 午前0時になる少し前。
 ノートパソコンをスタンバイにして閉じる。
 汗臭いパジャマを脱ぎ、足早にバスルームへ向かう。
 風邪から回復したと思い込んで初日。
 幸いにも、そこそこに楽な仕事が幾つかメールボックスに届いていた。
  ※ ※ ※
 午前11時丁度。作戦開始。
 予備に買っておいたブラウンのトレンチコートの裾をはためかせて、繁華街中心部のアーケード街へ。
 防犯カメラの位置、人の混雑具合、道幅や直線の長さを歩きながら再確認。
 肩下まであるロングの黒髪は緩く結わえてまとめている。
 短時間で有りっ丈の銃弾をばら撒くだけの簡単な仕事。
 依頼内容はシマ荒らし。
 シマを荒らした後の犯行声明は依頼主が出す。
 自分の組織で動員できる鉄砲玉が居ない場合や、鉄砲玉に使えるほどの練度が無い場合に暴力を外注するのだ。
 珍しくは無い。寧ろ、最近では暴力の外注はスタンダードに近い。
 昔の鉄砲玉は組織の三下が必死で敢行した。だが、それに見合う効果が得られず、結果的に抗争や対立を激化させて、嫌がらせの応酬だった。
 それよりも、口止めや撹乱で体制や公僕に払う金の方が安いのに気がついて、足が付き難く足を切り捨て易い、外注を多用するのが効果的だった。
 場合によっては現場で、同業者が敵味方に分かれて撃ち合いを展開するが、お互いに敵意は有っても殺意は無い。
 仕事だから障害を排除しているだけの感覚。
 ゆえに、翌日に飲み屋で撃ち合った者同士が出会っても何も無かったように振舞う。……明日にはその者同士が協力して違う現場で働いているのかもしれない。
――――病み上がりには助かるわー。
 使い捨てマスクの下で口元が緩む。
 左腋に吊るしたS&W M6904が軽い。体の回復具合を教えてくれているようだ。
 今回の現場は半地下のショットバー。
 新規で開拓された取引現場で、今までに何度かの非合法な取引が行われたが、警察の重点警戒リストには掲載されていない。
 今回襲撃するのは、取引を邪魔するのではなく、取引が行われる前に、この場所であたかも『壮絶な銃撃戦』が展開されたように見せかける為に銃弾を壁や天井に叩き込み素早く撤収。
 こうしておけば、このショットバーを傘下に収める組織はここで起きた銃撃戦の事実を隠蔽するのに大金を注ぎ込む。
 注ぎ込む大金が無ければ警察に目を付けられて、折角見つけた新しい取引現場が使いづらくなる。
 組織同士の抗争は兎に角、手頃な報酬で難易度も高度ではなく、契約を履行する上で全部の罪を組織が被ってくれる。
 組織としても「この事件は我々が起こした。我々の実力ならばこれくらいはいつでもできる」というアピールをしたいので、暴力を誰に外注したとは口が裂けてもいえない。
 それを言うと、甘く見られた上に、戦力や資金を読まれてしまう。虚勢を張るのも組織の仕事だ。
 繁華街に入るアーチから徒歩5分。
 撤収ポイントも押さえた。実働時間5分。
 ショットバーの店舗があるビルの裏手へ回り、関係者用の勝手口に入る。勝手口付近を捉えた防犯カメラが無いのが、ショットバーが取引用の物件に選ばれた理由だ。
 顔が隠れてしまうような黒いサングラスを掛け、両耳にプラグ型の耳栓を押し込む。
 狭い空間で派手に銃声を轟かせると、聴覚障害を引き起こす。
 老年まで生き残れるとは思っていないが、ケアできると分かっている上にそれに適した道具が有るのなら使わねば馬鹿だ。それに、耳元で発砲されても、鼓膜が破れる可能性を抑える事ができる。
 鼓膜の破損は耳が聞こえなくなるだけでなく、急激な気圧の変化で気絶したり、平衡感覚を失って立って歩く事が難しくなる。
 銃を使う上では耳は守りたい器官の一つだ。
 顔の殆どがサングラスと使い捨てマスクで覆われた良子。右手を左脇に滑らせながら左手で勝手口のドアノブを捻る。
 通行人は遠くに散見できる程度のタイミングを見計らってのブレイクスルー。
 ショットバーの裏手口。
 通路は左右に分かれる。
 他の店舗や階上に繋がる通路だ。
 鼻から息を大きく吸い込む。
 最近の使い捨てマスクは金に糸目をつけずに単価が高い物を選べばマスク特有の息苦しさをかなり軽減できる。
 右手側の通路へ。
 迷わず足早に歩く。
 右手を音も無く抜く。ウイーバースタンスを保持。マットブラックの肌をしたS&W M6904が獰猛に存在感を誇示。
 全長172mm、重量660gのコンシールドガン。9mmパラベラム12+1発。薬室には予め実包を送り込んでいる。
 持ち歩く時は小型軽量が望ましく、使用時には9mmの停止力ができる限り必要。
 その上で煩雑な操作はできるだけ省きたい。
 そしてスチールの堅牢性。
 この条件で武器屋で勤務する夏喜に相談したところ、在庫にあったのがこのS&W M6904だった。
 今から6年前になる。
 今直ぐこの条件に合う拳銃を寄越してくれと、武器屋の窓口に駆け込んだところ、勤務して日が浅い新人の夏喜と出会った。
 夏喜とは何度か窓口で顔をあわせているうちに仲良くなり、今に至る。彼女の過去は深く聞いた事がないし、彼女も良子の過去を深く聞いた事は無い。
 今回の依頼ではできるだけ派手に銃弾をばら撒いて欲しいのと『適度な被害』を与えて欲しいのが主軸だった。
 一番、匙加減が難しい。
 仕事の難易度は低いが、依頼人の感覚だけで分量が計測される依頼は少し多めに料金を貰っている。
 『適度な被害』とはこの場合では障害の排除と称して、相手組織の人員を負傷させることが可能ならば、行ってほしいという意味だ。
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