『憐れかどうかは私が決める!』

 加納孝也はコルトキングコブラを人差し指にかけたまま両手で顔を覆っていた。
「クソ! クソ!」
 意識が遠のき始める良子が狭い視界に捉えたのは……中空で357マグナムの弾頭によって砕かれた9mmパラベラムの破片をもろに顔面に受けて両目を負傷している加納孝也だった。
 2人とも、自らの渾身の一発がイコール必殺の一発だと信じて疑っていない集中力を発揮していたのでその直後に訪れた緊張のほつれは非常に大きな代償となった。
 良子は左胸に被弾して意識喪失直前で、加納孝也は一時的に両目が使えなくなった。
 喚く加納孝也を見ながら、良子の体はスローモーションのように仰向けに倒れる。
 倒れる直前に、「さよなら」と心で呟いて力無く、S&W M6904の引き金を引いた。
 良子が倒れるのと、加納孝也の額に風孔が開くのはほぼ同時だった。
 S&W M6904が発砲の反動で右手から滑り飛んだ。
 もう、拾ってファイティングポーズをとる必要はない。その動作すらできない。
 息が静かに退いていく良子には……冷たい地面で体温が急速に奪われていく彼女には必要なかった。



 そして、この場所は再び静寂だけが席捲するただの広い廃墟となった。



 2月も終わろうかという季節。
 季節の変わり目に相応しく、旧い価値観の人間が倒れた。



 これからは新しい時代が到来し、新しい世代が時代を作る。




 そうして歴史は作られてきた。



 彼や彼女が用いたハンドシグナルも新しい世代によって更に先鋭化するだろう。



 2人は暗くて汚くて狭い世界の礎として眠ることになったのだ。

   ※ ※ ※



 眠ることになるはずだった。



「っくしゅん!」
 良子は自室のベッドの上でくしゃみをした。
 風邪だ。
 ここ3日ほど高熱を伴う風邪で寝込んだままだった。
 時節柄、近所の内科医院に駆け込んでも陽性か陰性かを判断する検査が完了するまで小さな医院の建物の中に入れない。
 風邪の高熱と寒気と吐き気と痛みを堪えて、検査完了まで30分も暖房器具が無い医療別館と云う名のプレハブ小屋で鎮座していられる自信がない。
 しかも今度は左胸を酷い圧迫骨折で、負傷しているので身動きするたびに激痛が走る。鎮痛剤だけでは我慢できなかったので闇医者を呼び、ギプスを当ててもらった。
 壁には左胸に孔が開いたトレンチコートがハンガーで掛けられている。
「痛ててて!」
 くしゃみの拍子に左胸骨へ鋭く激しい衝撃が伝わり、冷や汗をかく。
 彼女は結局、生きていた。
 9mmパラベラムとの衝突で程好くエネルギーが割かれた357マグナムの弾頭は彼女の左胸にいつも入れている分厚いB7サイズのメモ帳と買いなおしたばかりのアーマージッポーで停止し、衝撃だけが体に伝わった。
 結果的に、激しい痛みで気を失い、凍てつくように寒いショッピングモールで暫く寝転がっていたものだから風邪を引いた。
 鎮痛剤を飲んで千鳥足で歩いて帰宅したが、半分くらいは意識が無い。帰宅して玄関で倒れ込むなり、驚いた夏喜が駆け寄り、衣服を脱がしてベッドに放り込んで半日後に高熱が出た。
 その上、今度は激しい痛みを伴う胸骨の骨折。
 どうしようもなく、夏喜は闇医者を呼んで処置をしてもらった。
 またも良子は生き残ってしまった。
 最早、生かされていると解釈した方が正しい。
 後に曾孫に囲まれて過去を述懐しても、口癖のように何故自分が生き残ったのか分からないと繰り返すのみ。
 前世で善行を積み過ぎたにしては大判振る舞いが過剰だ。
 一つだけ言える事は……良子の解釈ならば、表の明るい世界で生きていたら早々に死んでいた。
 裏の世界だから長生きできたと思っている。
 釈然としない。
 だが、理不尽ではない。
 生きていればいい事がある。
 荒事師としてたくさんの命を刈り取ってきたが、それに対する贖罪の意識は無い。今も昔もこれからも。誰もが生きる為に必死の世界で当たり前の生き方をしただけ。
 今自分の居る場所で最善の行いを選択しないさいと、彼女は後塵を拝する者たちに教えるのだが、それはもう少し先の話し。

 それは良子が伝説に謳われる荒事師の末席に名前を残す直前の話。

 今の良子は風邪と激痛と闘いながら、夏喜の作ってくれた玉子粥を食べるので精一杯だった。



 これは、二つ名『ミズ・ラッキーパンチ』の若い頃のエピソードの一つ。

《憐れかどうかは私が決める!・了》
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