『憐れかどうかは私が決める!』

 良子と加納孝也が敵と思しき存在を撃退すれば、それを弱り目として国外組織との金額の交渉がしやすくなる。2人がここで倒れれば国外組織は国内の組織に戦闘力や暴力をセールスしやすくなる。
 良子と加納孝也が標的に選ばれたのは恐らく手頃だからだろう。
 直近で活躍した、名の売れた荒事師といえば、先の港湾部で挽回の糸口を掴んだ2人が間違いなくMVPだ。
 良子と加納孝也を雇った組織の内部の内通者が互いに通じ合い、2人を人気の無い場所でバッティングさせるように仕組んだ。
 どうやら……良子と加納孝也はそれぞれの依頼人の上層部での販路や流通経路、派閥争いの道具として利用されているだけらしい。
 義理だの恩だの仁義だのが通用する世界の話ではないらしい。
 汚い大人の話に巻き込まれた外注同士、仲良くしたいところだ。……良子と加納孝也だけでなく、この場に居る人影に対しても。
「!」
 銃声。マグナムではない。短機関銃。この特徴的な発射レートは最近聞いた。
――――まさか!
――――本当に!?
 HK MP5。
 この銃声は間違いない。
――――この業界、狭くない?!
 僅かな光源を頼りにコンパクトで遮蔽の外の世界を拾う。40m以上向うで走りながら発砲する影が二つ。
 一方はHK MP5。
 一方は独特の咆哮を挙げる357マグナム。
 加納孝也は既に交戦状態に入っている。加納孝也が今現在相手にしているのは1人。
 良子のコンパクトに映し出された影も、一つ。
 奇縁か奇遇か仕込まれたか。
 加納孝也が相手にしている影の足の運び方や3バーストではなく、指切り連射による発砲など、どれも馴染みがある。まともな訓練を受けた人間の身のこなしだ。
 業界の狭さを痛感する。
 先日に港湾部で撃退した組織に所属する現場担当だろう。
 同一人物か別人かは不明。同じ訓練を受けているのは確かだ。
 撃退しても、殺されても、依頼人の将棋の駒として利用される気分の悪さは拭えない。
 どうせなら生き残った方が得だ。
 加納孝也ほどの人間と真っ向勝負で生死の際を定められるのなら本望とさえ思っていた自分の純情を返してほしい。
 S&W M6904を強く握り直して、自分の相手を探す。
「…………!」
 人影、一つ。
 複数ではない。一つだ。
――――耳栓ほしい。
 音響が広がり易い天井が高い閉鎖空間では銃声は武器にも邪魔にもなる。轟く音で位置や数を把握させ辛いと云う意味では有利に働くし、鼓膜を聾するので細かい音を聞き取り難いという意味では邪魔だ。
 伏兵の存在に充分に気をつけた。気配も足音も無い。廃墟同然のショッピングモールの床から埃が舞い上がっている様子も無い。
「!」
 遮蔽伝いに……幸い、柱や店舗を区切る壁など遮蔽と掩蔽を兼ねた障害物には困らない。
 その陰を伝いながら加納孝也がこちらに向かってくる。
「!」
 彼は短機関銃で追い立てられていた。
 それを無様に転げるように逃げ回っているような滑稽な様だった。
 彼が脱兎さながらに逃げ回りながらも目だけは……眼光だけは鋭かった。
 良子も当面の目標となる人影に向かって牽制の意味込めて発砲した。遮蔽から出てもよし、引き篭もってもよし。こちらの意志を伝えたい。
 長く広いショッピングモールの中央。
 その真ん中を通るメインフロアの通り。
 右手側の広い通路を彼が通過しようとし、左手側の広い通路を……良子は直線で走りながら彼と交差する。
 良子の耳が正しければ、牽制の発砲2発で遮蔽に隠れていた影は飛び出て発砲すべく或いは着弾点を模索すべく飛び出ているはずだ。
 背後を振り向いたわけではない。正確には何もわからない。
 直線に愚直に逃げると見せかけ、遮蔽の隙間をジグザグに走る。少なくとも数秒間は自分の体を背後の1人の敵に晒した。
「……」
「……」
 彼と彼女は、2人だけの時間を過ごしていたメインフロア通りの中央に差し掛かったときに互いに同時にハンドシグナルを出す。
 一度は彼の幸運に賭けた。
 そして彼の幸運に与った。
 だから港湾部での倉庫街では生き延びる事ができた。
 ハンドシグナルはどちらが先に出したか、覚えていない。
 自然と良子の手が動いた。
 彼に伝われと。
 加納孝也もまた、良子に咄嗟に何事か伝えた。
 数瞬後、彼と彼女は、すれ違う。
 彼を追っていた人影は咄嗟に銃を構え直し、彼女を追っていた人影もまた、咄嗟に銃を構え直した。
 自分が目前の標的を追いかけていたら、目前から真っ直ぐこちらへ愚直にやってくるもう一つの標的が目に入った……人影2人からすればそんな感覚だ。
 だから腰溜めの弄ぶ乱射ではなく、咄嗟に肩にストックを押しつけてサイティングした。
 その直後に人影は彼と彼女が擦れ違った直後に左右に分かれながら銃を乱射するのが見えた。
 人影は2人とも、発砲の機会を失った。
 失ったが何も焦ってはいない。優位性は変わらない。連中は何処に向かって撃っているのかと、鼻で笑う。
 優位性は変わらないと思い込んでいる。
 今でも。
 ……その薄ら笑いの頭上からガラス片が土砂降りのように降ってきた。
「!」
「!」
 反射的に2人の灰色の戦闘服を着た人影は頭を覆い、駆け出そうとするが、ガラスの土砂降りが激しくて地面で粉々に砕けるガラスとともに創傷で飛び散った血飛沫を撒き散らす。
 彼らは理解していただろうか? 彼らは間隔を保って火線が重ならないように離れていたのに、目前を走る標的を弄ぼうとして追い立てた挙句、それぞれの距離が直径5mの縁の中に入っていた事を。
 彼らは互いの視界の端に、互いが近距離で立っているという点に気がつくと、降り止んだガラス片を確認するのも構わず、ガラス片で軽くない負傷を負ったのにも関わらず、HK MP5を構えようとして……それぞれの背後から撃たれた。
 3発ずつ。バイタルゾーンに。
 良子が撃ったのは加納孝也を追っていた男。
 加納孝也が撃ったのは良子を追っていた男。
 2人とも断末魔の代わりに引き金を引き絞って、地面に弾痕を穿ちながらうつ伏せに倒れる。
「……」
 肩で息をしている加納孝也。
 呼吸は荒いが、手元でコルトキングコブラを補弾している。
 良子も弾倉を抜き、残弾を確認するまでも無く、新しい弾倉と交換する。
 このショッピングモールの中央の天井は高く、天板は強化ガラスで拵えたステンドグラスを模したもの。彼と彼女はそれを銃弾で叩き割り、敵の頭上から振り注がせた。ひび割れ難いアクリル素材でないのがラッキーだった。
 勿論、計算してのことだが、ここまで思い通りに進むと自分の今後の運を全て使い果たしたような錯覚がする。
 良子も加納孝也も擦れ違う手前で交わしたハンドシグナル。
 それがこの作戦の概要だった。
 しかも、国際的に通用する軍隊や警察で用いられるハンドシグナルではなく、良子や加納孝也、そしてその界隈が使うハンドシグナルは国内のアンダーグラウンドで暗黙の了解的に作られて使用されて改良されてきたメイドインジャパン……さながら、ガラパゴスサインだ。
 国外で世界共通のハンドシグナルを学んでいるであろう彼らには何の事かサッパリだ。
 偶々、彼がハンドシグナルを使い、良子がそれを理解し、実行して、成功した。
 それだけだ。
 それだけのことで、この界隈で用いるべき幸運を全て使い果たしたと錯覚しても思い違いではないだろう。
 良子と加納孝也は共通の敵を打倒するという一点で言葉を交わさず、互いのコミュニケーションの距離感だけでそれを察知し、この作戦に及んだ。
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