『憐れかどうかは私が決める!』

 彼我の距離20m。
 もう直ぐ完全に日が暮れる。
 そうなればこの場所では光源は期待できなくなる。
 ショッピングモール内部中央。メイン通り。左右には寒々しい店舗がシャッターも閉じずに放棄されている。
 この広いだけの空間を時折、冬の風が強く吹きぬける。近くに海があるので余計に風が強い。
 嘗ての賑わいを見せた場所も、嘗ての賑わいを見せた時間も、廃墟になれば何もかもが空虚に見える。さながら、道端に捨てられて朽ちていく屍骸のようだ。誰かが始末しなければいけない。
 そんな大きな屍骸の腹の中で二人は対峙していた。
「……」
「……」
 お互い、『知らない顔』でもない。先日の国外勢力を撃退した時は一致団結した仲だ。依頼人が変われば衝突する理由も目的も意味も違ってくる。
 お互い、プロだ。
 話し合いをする心算は無い。
 話し合いでカタを付けられないからこそ自分たちが動員されたのだ。
 加納孝也。コルトキングコブラの青年。
 目測で身長173cm。肩幅が広く、盛り上がった筋骨がセンターレッドのスタジアムジャンパーを少し盛り上げる。コルトキングコブラが飾りでないのは見ただけで分かる。右手の人差し指と親指付近にリボルバー胼胝。年齢はプロフィール上25歳。若く見える顔だからその年齢を提示している可能性も有る。
 両足を軽く左右に開き、両手を脱力して下げている。左腋が膨らみ、その左裾からショルダーホルスターの先端が見える。
 この期に及んで拳銃を隠して携行する意味は無い。それは良子も同じで、彼女もショルダーホルスターを使用していた。
 野性味を少し纏った幼い顔。モデルにはなれないが、異性には受ける顔つきだった。
 シャープな鼻筋が顔の輪郭を引き立たせている。最近の若い男性に多い柔らかそうな髪質ではなく、針のように硬く強そうな素直でない髪。……ツーブロックをそのまま放置したような髪形。
 それが加納孝也。
 お互いに顔には出していないが、腹の中は煮えくり返っている。
 互いが互いを憎んでいるのではなく、命懸けの鉄火場を潜り抜けた、実力を認めあった者同士が、金の力で磨り潰されようとしている。
 人の命は……『人的損耗』は回復しない。
 自分たちにそれだけの価値が有ると自惚れていないが、人間の心情として背中を預けあったもの同士が次に顔をあわせたと思ったら殺し合いをせよとは理不尽だった。
 互いに目の前の人間を倒すべき理由は知らされている。
 敵組織が雇った『新しい殺し屋』を黙らせろ、と。
 敵戦力を阻害謀殺するのは常套だ。
 その職掌に文句は無い。
 文句が出てこない部分で釈然としないものを抱えているだけだ。
 それは殺害を依頼されたのにも関わらずに、お互い、隠れもせずに堂々と正面から対峙していることでも分かる。
 どうせ殺し合いをするのなら真正面から撃ち合いたい。
 20mの距離。良子はその距離で歩みを止めた。彼も止めた。お互いの必殺の距離。
 良子は東側出入り口を背中に。
 加納孝也は西側出入り口を背中に。
 お互いがお互いの情報を調べていたのだろう。これから殺し合いをしようとする対象の下調べをするのは当然だ。その中で互いを初めて知った。……互いの名前を初めて知った。
 乾いた冷たい空気が意志を持つかのように、彼と彼女の体を足元から凍てつかせる。
 その冷たさとは別に、腸が煮えくり返るのとは別に、脳内は氷のように冷静になっている。
 2人とも、表情が無い。
 2人とも、同時にゆるりと両脇を軽く開いた。
 次の動作で懐の拳銃が抜ける。
 進んでも退いても停滞しても放棄しても何も改善しない。好転しない。解決しない。先送りにもならない。
 依頼人が『新しく雇った殺し屋』の抹殺を依頼して契約を交わしたのなら、ビジネスライクに頭を切り替えるべきだ。
 20mの距離を保ち、1分経過して漸く2人は同じ思考に落ち着いた。
 殺すか殺さないかではない。
 この後に必ず発生する、蟠りに自分が押し潰されそうな気がしたのだ。……理不尽の度合いが大きすぎる。
 情が移ったと言えばそうかもしれない。
 その人情を振り切ったから、逸早く拳銃を抜く構えをとろうとしたら、彼も同時に両脇を緩く開いた。その時間が『先ほどの1分間』なのだ。
 僅か1分で全ての感情を処理して、ビジネスとして処理する事を選んでバイタルとメンタルとフィジカルも動員する。
 こいつ、強い。かなり強い。
 良子の頸筋が引き攣る。
 加納孝也の喉仏が上下に動く。
 胃が痛いのも、喉が渇くのも、背中に不快感を覚えるのも相手も同じだろう。
 条件は何もかも同じと捉える。
 違うのは拳銃の種類だけ。
 腕前も拮抗していると見た方がいい。……相手がブラフでこんな演技をしているはずが無い確信がある。
 喉が渇く。たった一口でもスキットルの水を呷れば解決しそうな渇き。
 2人の爪先が『何か』を先途に素早く動く。
 彼と彼女は、睨む。
 彼と彼女の背後に人影を察知し、それぞれが左手側に素早く移動した。体を向けてのダッシュではない、カニのように体を滑らせる。
 そのまま、遮蔽に困らない状況を駆使して、それぞれがそれぞれの背後に見かけた人影に対して意識を集中する。
 2人とも、それぞれの遮蔽の陰で、既に相棒を抜き放っていた。
 良子は抜き放ったS&W M6904のセフティをカットした。この場で直ぐに鉄火場が形成されると思っていたので予め、薬室に実弾を送り込んでいる。
 視野の狭窄と甲高い耳鳴り。
 異質な緊張の連続で自律神経が高揚している。
 直ぐにスキットルを取り出して器用に片手で開栓すると中身の水を呷る。冷たい水が舌の付け根から喉をスッと胃まで流れ落ちるのを実感するとともに、幾分か余計な緊張が解れて邪魔な視野狭窄や耳鳴りが遠のいた。
 良子は加納孝也を疑おうとしなかった。
 今でも疑っていない。
 彼は手下を連れてこの場にやってきていない。
 それは彼の態度から分かる。
 勿論、直ぐに答えは出た。
「……嫌な話ね」
 保険と外注。
 まず、この場では誰も生きて返さない、生きて帰っては困る、どちらかの勢力が保険として暴力稼業に生きる人間を別口で雇った。
 両者の共倒れを願う組織……消去法で言うと、第三勢力だ。
 第三勢力が良子か加納孝也、どちらかの組織と組んで、彼と彼女を殺害する。
 その最大の目的は良子と加納孝也よりコストパフォーマンスの優れた戦闘力の披露だ。
 直ぐに心当たりを思いつく。
 たった2人で……良子と加納孝也が港湾部の倉庫街で国外組織から派遣された戦闘員を撃退した手並みを評価されたのだ。
 評価したのはこれも消去法で考えると、国外組織。国外組織が自分の戦闘員を押し返した手練として良子と加納孝也に注目した。
 その良子と加納孝也を更に強力な戦闘員を、更に安い金額で差し向けて仕留める事ができれば、国外組織の宣伝効果は高い。
 そうなれば自ずと、良子と加納孝也を直接雇ったそれぞれのクライアントには第三勢力に通じるスパイが居ることになる。高い金を払って単純に良子か加納孝也が死亡すれば払い損だ。
 この場で殺し合いをしてもらうという、見かけだけのお膳立てが必要だった。
 そして睨みあっている最中、不審な人影を確認して無言の内に加納孝也とは一時休戦となった。
 不審な影に国内勢力にも、国外からの内通者が潜まされている事実を見る。
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