『憐れかどうかは私が決める!』
良子たちが追ってこないのを見越しての、当たらない乱射を繰り返しつつ撤退したのならば、敵は退き方も知っているという事になる。勝ち方と負け方の両方を知っている人間は、いつの時代のいつの界隈でも腕っ節が強いのは定番だ。
2人が去ってから思い出したようにその場に尻餅を搗くように座り込んで、沸き起こる恐怖に震える指で懐からスキットルを取り出して水を飲む。
喉を濡らす冷たい水が喉を食道を通過し、胃に到達したのを思い知らされる。
生きている。水が冷たい。自分は、生きている。
今日の出来事と経験は恐らく一生忘れない。今までにも同じ経験もしたし、その度に同じ思いをした。そしてその度に、過去の記録を上書きする。
上書きすることで心のダメージを軽減させる。
良子も人間だ。心が有る。どんなに体が頑健でも心が不健康なら指一本動かせなくなる。
生きているという実感、生き残った事実、勝利した経験を強く念じ、意識を強く持つ。
「なんだこれ?」
「!?」
いつの間にか自分の手からスキットルが奪われていて、コルトキングコブラの青年がスキットルを呷っていたが、中身が水だったので拍子抜けの感想を述べた。
緊張の糸が切れて、良子はその青年の残念そうな顔を見て爆ぜるように笑った。
※ ※ ※
国外勢力が国内に橋頭堡を築こうとしている。
先日の銃撃戦は早くも情報屋の間で高く売買された。国外勢力の動向自体は昔から情報網に幾らでも引っ掛かっていたが、あれだけ憚らない活動に出たのは衝撃が大きかった。国外勢力を戦力として補おうとする組織が情報屋を用いて情報の売買が繰り返されている。
良子たちが相手にしていたのは矢張りパフォーマンスだった。
それを何処かで撮影していた情報屋専属の情報収集屋が居たのだろう。
自分の与り知らぬ場所で、自分の顔が写っているかもしれない動画が拡散されているかと思うと気分が穏やかでない。
広くも狭い街だ。誰にサインをねだられるか分かったものではない。
S&W M6904を自室でクリーニングしながら今後のことも考える。『地下でのメディア』で有名になったからには一定の宣伝効果はある一方で、潜まなければならない身分が表沙汰になるので、優位不利が表裏一体だった。
『国外勢力と戦って撃退した万や屋』として宣伝すれば一時的に依頼は増える。
自分の意図しないプロモーションビデオが出回っているとなると、アシがつくのを恐れて大手からの依頼は減る。
なんとも面倒な話しに巻き込まれたと嘆息。
クリーニングするために通常分解したS&W M6904は勿論、何も言ってくれない。
今は無心になって、火薬の滓や煤を丁寧に落としてグリスを塗るだけに専念。
いざとなったら、夏喜の紹介で武器屋に転職して、中古銃の手入れだけをして一日過ごそうかと考えてもいる。
その一方で、暴力の現場で自分を見つけた人間が暴力を間接的に見ているだけで大人しくしていられるだろうかと不安もある。
進んでも退いても立ち止まっても明るいビジョンはない。……それがこの世界だ。
情緒不安定。生理が近いからなのかもしれない。今はそう言うことにしておこうと思った。悩んで躊躇して仕事の品質が下がることは即ち、死を意味する。
思い悩むことで選んだ道を進んで失敗すれば、あの時にこちらを選べばよかったと悔悟の念を抱きながら無為に生きて死ぬだけになる。
思い切った選択を自主的に選択し、その方向に全力投球したほうが悔いは残らない。……ような気がする。
悩み方や悩み時、悩む方向……それら全てで人生が左右されるのはまだ幸せなのかもしれない。世の中には選択肢が無く、考える時間も無く、思考するほどの視野も持ち合わせていない人間など幾らでも居る。
個を主張する人間として悩めるのは贅沢な悩みだと自嘲。
「……さて」
S&W M6904のスライドを滑らせるようにスライドレールに差し込む。
思いっきりスライドを引いて、ゆっくり戻す。
その後に可動部位全てに軽くグリスを含んだスプレーを吹いて可動の具合を確認する。
弾倉には仕事の時以外には実包を詰めない。弾倉内部のバネが長い間、実包によって押し込まれているとバネの張力が無くなり、装弾不良を招くからだ。
これが個人で自動拳銃を管理する際の難しいタイミングだった。
コンシールドキャリーとして腋にぶら提げる拳銃ではない。況してや非武装が原則の国内で、街中でも拳銃をぶら提げて歩いている裏の世界の人間は半分も居ない。官憲の要らぬ職務質問でボロが出るのを回避する為だ。
何もかもを憚って生きる世界なのに、その調和と平穏をブチ壊す、国外勢力の上陸とセールスが如何に衝撃的だったのか理解もできよう。
これから暫く荒れるな……。
揮発性のクリーニングリキッドのために開け放った窓を見上げながら溜息をつく。
良子は基本的にデスクで銃の整備はしない。
デスク上で部品が散らばって床に落ちると探して集めるのが面倒なのでその手間を省く為に、床に新聞紙とウエスを広げて胡坐を書いて愛銃を掃除する。
銃というものは基本的に工業製品なので、部品が一つ足りないだけで本来の性能を全く発揮しなくなる。グリップパネルにしても握り易いように人体工学的に計算されたデザインのものが多い。ネジ一つ無くそうものなら大騒ぎだ。
S&W M6904を樹脂ケースに入れてスチールデスクの下に押し込む。
今一つ晴れない顔で窓際へ行くと、胸のポケットからグアンタナメラ・プリトスを取り出して、デスクの抽斗に入れてあったハサミ型シガーカッターでそれを半分に切断。
リングラベルが付いた方を口に銜える。
今日も空の色は冬の鈍い色。雨か雪が降りそうな曇天。気分が晴れる事が殆ど無い。
――――ダメだなぁ。
――――ストレスが溜まってる。
――――また夏喜と晴れた日に公園に行きたいなぁ。
直ぐに思い浮かんだストレスの発散方法が何故か夏喜と公園での日向ぼっこだったのだから、ドライシガーを銜えた唇の端が思わずほころぶ。
※ ※ ※
加納孝也(かのう たかや)。
彼の名前はそれだった。
経歴不詳。それは珍しくない。恐らく名前も偽名。
良子自身も、本名は誰にも明かしていない。
殺すだの殺さないだのの世界で生きていると、偶に発生する事案。
敵味方それぞれが雇った荒事師が鉄火場で命の限り殺し合いを強いられることは珍しくない。
寧ろ、そのための荒事師といえた。
中堅以上の組織は組織の若い人材育成のために、少しでも人的損耗を防ぐべく暴力は外注に頼る事が多くなったが、同時に鉄火場の苦労を知らない若年幹部を生み出す結果になった。
更にその結果として、命の重みや個人の職人芸の価値を知らないクライアントが増えて、荒事師の業界でも腕利きがゴミを掃いて捨てるように磨り潰されている。
先日の港湾部での国外勢力と干戈を交えてから2週間。気圧の変動で耳鳴りが少々鬱陶しい季節。その夕方午後6時に郊外の廃墟同然のショッピングモールで彼と彼女は居た。
加納孝也。
強敵の匂いがして当然だった。
2人が去ってから思い出したようにその場に尻餅を搗くように座り込んで、沸き起こる恐怖に震える指で懐からスキットルを取り出して水を飲む。
喉を濡らす冷たい水が喉を食道を通過し、胃に到達したのを思い知らされる。
生きている。水が冷たい。自分は、生きている。
今日の出来事と経験は恐らく一生忘れない。今までにも同じ経験もしたし、その度に同じ思いをした。そしてその度に、過去の記録を上書きする。
上書きすることで心のダメージを軽減させる。
良子も人間だ。心が有る。どんなに体が頑健でも心が不健康なら指一本動かせなくなる。
生きているという実感、生き残った事実、勝利した経験を強く念じ、意識を強く持つ。
「なんだこれ?」
「!?」
いつの間にか自分の手からスキットルが奪われていて、コルトキングコブラの青年がスキットルを呷っていたが、中身が水だったので拍子抜けの感想を述べた。
緊張の糸が切れて、良子はその青年の残念そうな顔を見て爆ぜるように笑った。
※ ※ ※
国外勢力が国内に橋頭堡を築こうとしている。
先日の銃撃戦は早くも情報屋の間で高く売買された。国外勢力の動向自体は昔から情報網に幾らでも引っ掛かっていたが、あれだけ憚らない活動に出たのは衝撃が大きかった。国外勢力を戦力として補おうとする組織が情報屋を用いて情報の売買が繰り返されている。
良子たちが相手にしていたのは矢張りパフォーマンスだった。
それを何処かで撮影していた情報屋専属の情報収集屋が居たのだろう。
自分の与り知らぬ場所で、自分の顔が写っているかもしれない動画が拡散されているかと思うと気分が穏やかでない。
広くも狭い街だ。誰にサインをねだられるか分かったものではない。
S&W M6904を自室でクリーニングしながら今後のことも考える。『地下でのメディア』で有名になったからには一定の宣伝効果はある一方で、潜まなければならない身分が表沙汰になるので、優位不利が表裏一体だった。
『国外勢力と戦って撃退した万や屋』として宣伝すれば一時的に依頼は増える。
自分の意図しないプロモーションビデオが出回っているとなると、アシがつくのを恐れて大手からの依頼は減る。
なんとも面倒な話しに巻き込まれたと嘆息。
クリーニングするために通常分解したS&W M6904は勿論、何も言ってくれない。
今は無心になって、火薬の滓や煤を丁寧に落としてグリスを塗るだけに専念。
いざとなったら、夏喜の紹介で武器屋に転職して、中古銃の手入れだけをして一日過ごそうかと考えてもいる。
その一方で、暴力の現場で自分を見つけた人間が暴力を間接的に見ているだけで大人しくしていられるだろうかと不安もある。
進んでも退いても立ち止まっても明るいビジョンはない。……それがこの世界だ。
情緒不安定。生理が近いからなのかもしれない。今はそう言うことにしておこうと思った。悩んで躊躇して仕事の品質が下がることは即ち、死を意味する。
思い悩むことで選んだ道を進んで失敗すれば、あの時にこちらを選べばよかったと悔悟の念を抱きながら無為に生きて死ぬだけになる。
思い切った選択を自主的に選択し、その方向に全力投球したほうが悔いは残らない。……ような気がする。
悩み方や悩み時、悩む方向……それら全てで人生が左右されるのはまだ幸せなのかもしれない。世の中には選択肢が無く、考える時間も無く、思考するほどの視野も持ち合わせていない人間など幾らでも居る。
個を主張する人間として悩めるのは贅沢な悩みだと自嘲。
「……さて」
S&W M6904のスライドを滑らせるようにスライドレールに差し込む。
思いっきりスライドを引いて、ゆっくり戻す。
その後に可動部位全てに軽くグリスを含んだスプレーを吹いて可動の具合を確認する。
弾倉には仕事の時以外には実包を詰めない。弾倉内部のバネが長い間、実包によって押し込まれているとバネの張力が無くなり、装弾不良を招くからだ。
これが個人で自動拳銃を管理する際の難しいタイミングだった。
コンシールドキャリーとして腋にぶら提げる拳銃ではない。況してや非武装が原則の国内で、街中でも拳銃をぶら提げて歩いている裏の世界の人間は半分も居ない。官憲の要らぬ職務質問でボロが出るのを回避する為だ。
何もかもを憚って生きる世界なのに、その調和と平穏をブチ壊す、国外勢力の上陸とセールスが如何に衝撃的だったのか理解もできよう。
これから暫く荒れるな……。
揮発性のクリーニングリキッドのために開け放った窓を見上げながら溜息をつく。
良子は基本的にデスクで銃の整備はしない。
デスク上で部品が散らばって床に落ちると探して集めるのが面倒なのでその手間を省く為に、床に新聞紙とウエスを広げて胡坐を書いて愛銃を掃除する。
銃というものは基本的に工業製品なので、部品が一つ足りないだけで本来の性能を全く発揮しなくなる。グリップパネルにしても握り易いように人体工学的に計算されたデザインのものが多い。ネジ一つ無くそうものなら大騒ぎだ。
S&W M6904を樹脂ケースに入れてスチールデスクの下に押し込む。
今一つ晴れない顔で窓際へ行くと、胸のポケットからグアンタナメラ・プリトスを取り出して、デスクの抽斗に入れてあったハサミ型シガーカッターでそれを半分に切断。
リングラベルが付いた方を口に銜える。
今日も空の色は冬の鈍い色。雨か雪が降りそうな曇天。気分が晴れる事が殆ど無い。
――――ダメだなぁ。
――――ストレスが溜まってる。
――――また夏喜と晴れた日に公園に行きたいなぁ。
直ぐに思い浮かんだストレスの発散方法が何故か夏喜と公園での日向ぼっこだったのだから、ドライシガーを銜えた唇の端が思わずほころぶ。
※ ※ ※
加納孝也(かのう たかや)。
彼の名前はそれだった。
経歴不詳。それは珍しくない。恐らく名前も偽名。
良子自身も、本名は誰にも明かしていない。
殺すだの殺さないだのの世界で生きていると、偶に発生する事案。
敵味方それぞれが雇った荒事師が鉄火場で命の限り殺し合いを強いられることは珍しくない。
寧ろ、そのための荒事師といえた。
中堅以上の組織は組織の若い人材育成のために、少しでも人的損耗を防ぐべく暴力は外注に頼る事が多くなったが、同時に鉄火場の苦労を知らない若年幹部を生み出す結果になった。
更にその結果として、命の重みや個人の職人芸の価値を知らないクライアントが増えて、荒事師の業界でも腕利きがゴミを掃いて捨てるように磨り潰されている。
先日の港湾部での国外勢力と干戈を交えてから2週間。気圧の変動で耳鳴りが少々鬱陶しい季節。その夕方午後6時に郊外の廃墟同然のショッピングモールで彼と彼女は居た。
加納孝也。
強敵の匂いがして当然だった。