『憐れかどうかは私が決める!』

 奥歯で舌の根を噛んで、平静を取り戻そうと試みる。
 残存メンバーの配置は大きく分けて4方向。
 良子と同じ車を遮蔽としているのは、まだ経験の浅そうな青年。彼だけだ。右手後方、左手後方のパンクした車やパレットの陰などの遮蔽に3名から4名。後方……というより、警護の幹部が引き連れて行った人員が1名。それと戦力に数えられない、気絶から目覚めた負傷した幹部。FN P90を肩から提げているが、恐らく使いこなせるほど体力は回復していないだろう。
 敵連中が要人を警護している本丸を後回しにしているのは、増援が駆けつけられない事情を作り出したからだ。
 通信通話がジャミングで不能なら増援を要請できない。
 要人を警護する幹部と1人の雇われ警護では、遮蔽で篭城するしか方策は無い。何しろ、組織の要人の負傷が恐らく深刻だろうと推測されるからだ。
 要人の階級や役職は聞いていない。そこまで知る必要は無い。現場の指示に従うまでだ。
 それが雇われの辛いところだ。
 頭を使わなくていい分、危険だらけで、なりたくもない指示待ち症候群に甘んじないと報酬がもらえない。
 この場合は要人がこの場を脱するまで、連中を足止めして……あわよくば撃退撃滅などの反攻戦に転じて口を割らせる。
 人数で勝っていても、経験で劣っていては勝てよう筈が無い。
 良子は過去の経験や記憶や勘からそれを学んだ。
 連中が軽機関銃をハリウッド映画の主人公のように振り回さない点を見ても分かる。
 即座に短機関銃に切り替えて距離を詰めたのも、こちらを全員殺害するのが目的だからだ。
 長くて重い軽機関銃では取り回しが不便だ。何より、軽機関銃は援護にこそ最適の火器で、それを携えて発砲しながら最前線に吶喊するのは運用としては失策の場合が殆どだ。スクリーンの中で観るほど軽機関銃は万能ではない。
 6人3組。
 その編成と援護の有無から6人だと断定できた。
 狙撃銃を持っているのなら距離詰めるというリスクは犯さない。
 距離を詰める6人の背後から、援護するはずの軽機関銃の発砲は皆無。資金が潤沢な国外の組織から派遣された集団だと断定できる。
 胃が痛い。
 鳩尾の辺りが異様に冷たい。
 腰に張った使い捨てカイロだけが頼りになると錯覚する。
 冬場に体温以外に温暖を供給する物があるというのは、心理的に強い。
 遁走の機会を窺うので精一杯だったので、懐の相棒は抜き放っていない。
 ここで戦って華々しく死ぬ。
 ……そんなことは一切考えていない。なんとしても生き残る。
 『たかが、相手のほうが火力と腕前が上なだけで、いつもと何も変わっていない』。
 良子は脳内で利点と弱点を列記して計算する。
 勝っているのは人数と遮蔽の数。決定的に劣っているのは相手の腕前に対するこちらの連携と練度。
 急造の警護警備チームなので、全員が指示を前提に行動する。その指揮官が健全なのは利点とは言い難い。指揮通りに動く駒とは限らない。指揮官が期待する練度とは限らない。大元を正せば指揮官の能力も判然としない。
 だからと言って個人プレーで切り抜けられるとも思っていない。
 銃声。良子、思わず振り向く。
 同じ車の遮蔽に隠れていた青年が、懐からコルトキングコブラと思しき4インチのマグナムリボルバーを抜いて応戦し始めた。良子達の前面に隠れもせず軌道の読めない移動だけを繰り返して圧してくる2人は一瞬、足を止めた。
 彼我の距離15m。
 こちらは拳銃2挺。相手はHK MP5。
 昔の誰の言葉だったか、銃火器の性能が全てを決するのなら元から作戦も訓練も不要だ、と。
 良子は自らをそんな言葉で鼓舞させた。
 左腋からS&W M6904を抜く。
 何も知らぬ顔をしているような鈍い肌を晒していた。スライドを引く。薬室に送り込まれる実包。空かさず左手の小指と薬指で予備弾倉を抜いて軽く握る。
 ダブルアクションオート。
 引き金の重さが人の命の重さだと今まで驕り昂ぶっていた。
 こちらが一方的に暴力を振るい、命を奪うだけの仕事。
 警護警備の仕事にしても、これだけの数が居るのだから優位だろうと高を括っていた。
 今は違う。
 このトリガープルの重さが、自分の命の重さなのだ。
 一方的な暴力に対抗する為に相棒が居てくれた事を感謝する。
 肌が焼ける。
 曇天の下なのに直射日光を浴びているかのように肌がひりつく。
 緊張が原因の脳内麻薬の分泌で、自律神経が誤作動を起こしている。寒い季節なのにトレンチコートを脱ぎたい。体の芯が熱い。呼吸が少し浅くなり、視界が狭窄を始める。五月蝿い鼓動が心地よく聞こえる。どうしようもなく昂ぶる感情。
 左手側で発砲していた青年が、良子の顔に再装填の際に掌に移した6個の空薬莢を叩きつける。
「!?」
「おいあんた! 『目がイッてんぞ!』 ちゃんとマトを見てるか!?」
 良子は慌てて、突き出し気味になっていた頭を引っ込めた。
 拳銃を握ったまま、不気味なにやけ面になっていた良子に何が起きているのか察した青年が、良子の顔に空薬莢をぶつけて正気に戻したのだ。
「あ、え、ええ。ごめんなさい」

 直ぐに口元を引き締めてポーカーフェイスに移行する良子。自分より若いであろう隣の青年が意外と頼もしく、男の顔に見えたものだから完全に頭を冷やされた。
 S&W M6904のグリップから軽く力を抜く。
 余計な力みは緊張を生む。
 前歯で舌先を噛んで痛覚を刺激する。
 集中するのは敵であって自分に対してではない。
 15mからの距離で2人のHK MP5使いは左右に分かれて木製のパレットを遮蔽にした。
 左右、更に大きく広がられると収拾がつかなくなる……と思ったが、ふと、左右に首を振って大きく見る。左手後方、右手後方のそれぞれ30m以上離れた遮蔽では既に味方が交戦中だ。先ほどから間断ない銃声が聞こえる。
「……」
――――圧さない?
――――圧してこない?
――――圧せない?
 敵の火力と練度は明らかに圧倒しているのに、合計6人の敵は弄ぶように距離を詰めようとしない。
 S&W M6904で試しに右手側のパレットの遮蔽に向かって発砲。
 そこには一人の敵が潜んでいるはずだ。
 9mmの弾頭は木製パレットを叩き壊すように表面が爆ぜたが、貫通には遠く及ばない。遮蔽の陰に居る人物が、驚いたり慄いたりした雰囲気は伝わってこない。
 隣では遠慮なくコルトキングコブラの青年が発砲している。発砲して伏せる。伏せてから違う位置に移動して発砲。狭いながらも、遮蔽からの発砲する際の基本はできている。
 その青年が放つ357マグナムで15m先にあるドラム缶に孔が開く。ドラム缶を遮蔽とする敵は全く、怯まない。弾頭の直撃以外では致傷しない自信が伺えた。
 背後の凄まじい銃撃戦の様相が軽く遊離感を覚えさせる。
 非日常を常とする職業だが、非日常が日常過ぎて、それ以上の非日常が別の世界のように視界に映る。
 どんどん遊離する意識を繋ぎ止めるように左手をぐっと握って、予備弾倉で自分の頬を殴る。
 違和感だらけ。
 否、直感は有るといえば有る。
 それはここでは解決しない。
 なぜなら、遥か上の政治的問題の影を見たからだ。
 この銃撃戦は……否、ロケットランチャーから機銃掃射から接近戦までは全てパフォーマンスだ。それも『敵対組織が雇った、国外の組織』だと信じていた。
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