聴け、死の尤度を。

 感情と勢いだけで、何でも行動に移す柔軟さは長所といえた。統率者が不在或いは、曖昧で状況や惰性で行動してしまうのは短所といえた。
 半グレ連中の下手な鉄砲は、あれだけの銃弾を銃身が焼ききれんばかりに乱射しているのに、江利子の潜む遮蔽とは無関係の方向を狙っていた。
 いつまでも同じ場所で停止しているはずがない。
 自分達と同じく、相手も考えて行動する生物であると云う観念が欠落している。
 全く無駄な銃弾。その9mmパラベラム1発の公的適正ルートでの国内価格を知れば、連中は少しは顔色を変えるだろうか。
 あの恥知らずな乱射を見ていれば、実包の代金が払えずに荒事師と並行して表世界で1時間900円でパート従業員をしている同業者が憤怒するだろう。
 全てにコストがかかる。
 これを失念すると、手足が捥がれたのと同じ状態になる。
 この場で江利子が射殺されたとしても、その後のことは連中は何も考えていないだろう。
 表の甘い世界で育った人間に死体処理や情報撹乱は先ず無理だ。
 それらを手配するにしても専門の業者を雇わねばならない。
 コストがかかる。
 持っている銃火器を処理するにも隠蔽するにも、コストがかかる。
 コストの計算ができない奴は早くに死ぬ。
 アンダーグラウンドで圧倒的物理的火力を振るえば、誰もが自分に膝を衝くはずがない。
 その行いの代償はコストの浪費と云う形で襲い掛かってくる。逆から言えば、地獄の沙汰も金次第で何とかなる。
 江利子が爪に火を灯して、表の顔と裏の顔を使い分けているのもそのためだ。
 ちゃんと税金を払う。
 ちゃんと関係各所に代金を払う。
 金の切れ目が縁の切れ目。
 そして命の切れ目。
「…………」
――――に、さん……。
 左手側に迂回して左肩下を木製のパレットに委託した江利子は3回引き金を引いた。目前13m先で側頭部に孔を開けた若者が脳内の圧力で耳や鼻から血を吹き出させて崩れ落ちる。
 江利子にとってスナブノーズのS&W M351cで13mの距離は遠い距離ではない。
 静止標的同然の『案山子』なら可也の確率で命中させられる。
 集団で戦線を押し上げる場合は、真正面から見て横一列でも横から見れば前後に大きく広がっている陣形を選択するのが普通だ。
 さもなくば、狙い易い標的でしかない。
 相手に距離感を計らせないのが鉄則。
 半グレ連中は一気に3人に減ったが、左右に立つ仲間が仕留められたのを認識して遁走を図るのがあまりにも遅すぎた。
 生き残りが3人しか居ない事実を確認するやいなや、きびすを返して恐慌を顔色に浮かべながら日本語を成さない喚き声を挙げて逃走を計る。
 直線距離15m。動体目標。普通なら外れる。普通の人間なら外れる。
 普通でない腕前を持ち、普通でない日常を生きて、普通でない環境で鍛えられた江利子ならば造作もない。
 否、それを造作もなくやってのけるからこそ荒事師として腕を売り込む事ができるプロなのだ。
 当てられる。
 引き金を3回、落ち着いて引く。
 殺す、ではなく、当てる。
 3人とも背後から軸足大腿部に被弾して、その場に仲良くつんのめって地面に顔をぶつけるように倒れる。
 15m先の標的に当てられるが、頭蓋骨や頚骨といった比較的硬い部分を破壊するだけのエネルギーが弾頭に残っているか怪しい距離だったので、機動力を奪った。
 人間は利き足が健在でも、その反対の軸足を負傷していれば途端に自由な行動を奪われる。
 3人は改造短機関銃を放り出し、地面に爪を立てて芋虫のように這う。
 その軌跡を描くように、腹のベルトに差した予備弾倉がポロポロと零れていく。
 江利子は表情を消してS&W M351cに補弾する。
 別に彼らに恨みは無い。
 殺す必要が有るから殺すだけだ。
 偶発的な目撃者を消すのもプロの務めだ。
 それは此方のミスなので追加料金を請求できないのが少々辛い。
 こう言った小さな出費が、年末の確定申告の時期に面倒臭くなる。
 アンダーグラウンドにも『表の世界向けの顔』を持つ人間のために様々な公的書類を偽造代筆する職業がある。主に地下銀行と呼ばれる職種の職掌の一つだ。
 公式に通用する書類を、公式公的なルートに捻じ込んでくれるので料金は高いが、地下銀行の書類代行のお陰で表の世界を、一般人を装って歩くことができる。
 そのためにも工作するのに必要な書類や材料を提出しなければならない。
 地下銀行は危ない橋を代わりに渡ってくれるだけに真剣そのものだ。必要な書類や材料が揃っていないと、どんなに金を積んでも引き受けてくれない。
 そうなればランクが落ちる偽造書類の制作になるのだが、此方は税務署に挙げ足を取られ易い。『入った金と出た金』は検算を繰り返せば人力で検出可能なのだ。
 そうなれば全てのリスクは真っ先に依頼人に向く。
 間に入っている地下銀行はそうなるように、自分たちの身に危険が迫らないように細工してあるのだ。
 江利子は爪先からも感情を消していた。
 人間に止めを刺すのではなく、殺虫剤で弱らせたゴキブリを叩き潰す為に新聞紙を丸めているのと同じ顔だ。……ところで最近ではゴキブリとコオロギの区別もつかない若者が居るらしいが本当だろうか。
 ……そんなことでも考えているように他人事で関心が無く、事務的で抑揚無い顔。
 あれほど威勢の良い調子で罵詈雑言を並べていた若者たちだったが……それぞれが、違う方向に逃げて、誰しもが他の仲間を生贄にしている間に逃げようとしているかのような這いずり回り方を見ても、何も感じない。
 生死の境地で少しでも生存率が高くなる方法を、生理的に反応して選択して実行するのは生物として当然の行動だからだ。
 無様な命乞いだとは思わない。
 今度生まれ変わる事が有れば、怖い物を知っている人間に生まれて来いとも思わない。
 江利子は特に感情も感動も無く、引き金を3度引いた。
 後頭部の頚部の付け根付近、盆の窪と呼ばれる部分を破壊された若者たちは恐らく苦しむ暇も無かっただろう。
 痛みや衝撃も感じていない最期を迎えた。
 盆の窪は針の一刺しで絶命する、人間の最大の弱点の一つだ。この部位を狙う攻撃を反則や禁じ手とする打撃系格闘技も多い。
 風が腐った潮の臭いを海から運んでくる。そこに馴染み深い血の臭いが混じって自分が仕事をしていたのだと思いだした。
 深夜の港湾部は、今夜も何も見ていない、何も知らない顔をしているかのように静かになった。
 転がっている改造短機関銃にされたアサルトピストルを見ても特に食指が動かなかった。
 横流しの横流しは場合によっては要らぬ敵を作る。
 それにしても、最初に仕留めた三下の人望の無さは悲劇だった。
 頼りにしていた半グレに銃火器を巻き上げられたのと同然の扱いで、救い何も無い。標的の三下にだけはほんの少し同情した。
 S&W M351cを左懐に差し込んで、替わりに右手にはセロファンで包まれたドライシガーが摘まれていた。ハバナ産の安物だったが珍しく安定して供給されているので贔屓にしている。
 今夜の撤収しながら吸う葉巻は心持ち、味が薄かった。
   ※ ※ ※
 朝。
 決まった時間。午前5時起床。
 まっとうに企業に勤める人間ならば忙しい時間帯。それは実感する。江利子も忙しい。
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