聴け、死の尤度を。
ジャケットの下に見える、白いワイシャツに茶褐色の革製ショルダーホルスターがアンバランスに映える。
アンダーグラウンドの序列や権威が疫病の蔓延と共に響かなくなり、暇を持て余したカタギの若者が、悪ふざけでヤクザの事務所に放火してそれを動画で撮影し動画サイトで視聴者数を稼ぐ時代なので今更驚きはしないが、最近では金に困った暴力団の三下が麻薬や銃火器を法律上カタギの半グレに横流しして小遣いを稼いでいる。
今夜もその不義を犯した三下を殺害する仕事を請け負い、標的は早々に仕留めたのだが、その三下が雇った半グレ連中が、新しく手にしたオモチャで遊ぶのと同じ感覚で銃火器を乱射している。
割増料金が欲しいほどに手を焼いている。
逃走経路に偶々、半グレが居座っていたのが全てのタイミングがずれる切っ掛けだった。
連中が手にしているのは、嘗てはアサルトピストルと呼ばれた見掛けだけは短機関銃のピストル。
嘗ては、だ。今は違う。
非合法な改造が施されて、短機関銃の性能を呼び戻したフルオートの火器だ。
80年代のアクション映画で度々画面に出てきたようなスタイルのアサルトピストルばかりだ。AAアームスAP―9。イントラテックTEC9。イングラムM11ピストル。どさくさ紛れにキャリコM950も混じる。
人を殺す呵責の念を感じないトリガーハッピー。発砲による狂乱状態のトリガーハッピーでも、そのパターンは幾つか有る。
典型的なのは、発砲している間だけは命の保障が有ると思い込むタイプ。だが連中は違う。風で大きく揺れる案山子を的にタマをばら撒いているだけの射的屋感覚なのだ。
初めて発砲する快感に酔い痴れるタイプのトリガーハッピーだ。
脳内のA9やA10といった報酬系神経が極限まで刺激されているので、恐怖の概念を忘れ去り、快楽に浸っているだけなのだ。
一番厄介なタイプ。
素人が銃を持つとガンコンシャスもトリガーディシプリンも何も無く、弾倉が空になるまで撃ちまくる。
先の読めない素人の銃撃はプロから見れば、トリッキーの極みなのでタイミングがずれる一方なのだ。
弾倉が空になれば普通は、遮蔽に身を隠して弾倉交換を行うが、その訓練を受けていないのでその場で突っ立ったまま弾倉交換をする。この素人丸出しの挙動が、あらゆるパターンであらゆるタイプを見せ付けられると江利子は発砲の機会を見失う。
狭い港湾地区。廃棄された資材や船が放置される区画。
人の気配は無いはずの、静かなはずの深夜1時になんとも低レベルな銃撃戦が始まってしまった。
半グレ連中は何れも若い。十代後半から二十代前半だろうか。法律上、カタギに分類される身分には手出ししたくないが、火の粉を振り払うのに遠慮はしない。適度に火の粉が払えればさっさと逃げるし、その前に逃げ出してくれることを願う。
たった一人の標的を仕留めるのに使用した弾薬は1発だけ。
その直後に銃撃された。
標的が潜む廃船から出て、桟橋を岸に渡り切ったところで、突如、激しい銃撃の洗礼を受けた。
直ぐに三下が雇った人間だと悟った。
その動作や挙動が素人丸出しだったので、標的の三下は半グレか走る道を制限されてフラストレーションが溜まった暴走族でも雇ったのだろうと云う読みも当たっていた。
標的の三下にとって予想外だったのは……三下から自分を守れと銃を渡された社会不適合者たちは三下を守るどころか、主を見捨てて、仕留めにきた荒事師を的に新しいオモチャを試したがっていたことだろう。 それが半グレの恐ろしいところだ。
恐ろしい物を知らないのが恐ろしい。
脱力系プロを自覚する江利子は、曲がりなりにもプロと戦う前から駆け引きをするプロだ。
その上で常套や王道や常識外れは理解している。
それらの範疇外に居るのが素人の半グレだった。
不良の高校生程度であれば、もっと思考がシンプルで必ず恐怖に似た感情を抱いているので『何とかなる』が、人殺しに躊躇を見せないタイプの半グレは或る意味、理想の『使い捨て』だった。
恐ろしい物を知らないマインドを保ったままアンダーグラウンドに身を沈めれば都合のいい『鉄砲玉』となる。
江利子を追い立てる半グレ連中は放っておいても碌な死に方をしないだろう。尤も、今の状況では江利子の方が早く死にそうだ。
改造短機関銃と化したアサルトピストルは、何れも違法改造が施せないようにメーカーが何らかの手を加えて販売している物だ。それを強行して改造したとなると耐久性は低いが、だからと言って銃弾一発の殺傷力が劇的に低下するとは考えられない。
9mmパラベラム一発分の殺傷力は9mmパラベラム一発分なのだ。
幸い、辺りは遮蔽に困らない。
困るのは幾つか用意していた撤収ルートが塞がれていたこと。増援ではない。元からこの数がこの辺りに潜んでいただけだ。
銃を持とうが群れようが、自分たちの数が多いから自分たちは強く相手は問答無用で弱いと決め付ける簡単な思考は、アンダーグラウンドでは中々お目にかかれない。
思考と教義からして構造が違う相手を前に、江利子は苦戦を強いられている。
心にいつも余裕を携える江利子だが、優雅にコーヒーを飲みながら銃撃戦をする意味での具体的物理的余裕はない。
飽く迄、呼吸一拍分の余裕だ。
勝負の世界は……博打でも将棋でも内向的作業でも、必ず何かしらの『一拍分』が勝負を決める。
それは余裕かもしれない。
それは速さかもしれない。
それは判断力かもしれない。
勝って生き残る人間は、必ず何かの行動教義を根底に信念を概念で構築する。
江利子が、数の分からない半グレ連中に追い立てられても焦ることはあっても怯みはしない。
プロの矜持なのか、自信の力を信じているのか。本当の危機が迫った時に全てを放出して尚且つその奥底に残るモノがその人間が自力で掴んだ生存能力なのだ。
S&W M351cを右手に、肘を引き両手の小脇を締めて体幹を揺すらないように走る。
暑い空気が肺に侵入してくる。潮の腐った臭いが顔を撫でる。
先日、大雨が漸くあがったが、その後の猛暑は沢山の熱中症患者を生み出した。
疫病でパンク状態の救急外来のある病院でも沢山の医療従事者が過労で倒れた。その殺人的猛暑の中での銃撃戦ともなると精神だけでなく、体力も荒いヤスリで削られる。
帰宅すれば、念入りにうがいと手洗いをしなければと、ふと思う。何故か衛生観念が思い浮かんだので、江利子はまだまだ心の余裕は消失していないと心の中で微笑した。
S&W M351cを右に保持しつつ銃口は空へ。左手の小指と薬指の間にスピードローダーを1個挟む。
距離、不明。戦闘区域、不明。敵戦力、不明。敵脅威度、不明。光源、問題無し。遮蔽、問題無し。風力、無視。疲労度、注意。心理的負担、注意。継戦能力、注意。残弾、要注意。その他不安要素及び注意点、速やかな水分と塩分の補給が必要。追記、葉巻への渇望がピークを迎えるまでにカタをつけたい。
遮蔽から遮蔽へと移る。
後を追うように、下手な鉄砲が追いかけてきては、着弾の激しい粉塵を巻き上げる。
身長より高く積んだ木製のパレットが銃弾に叩かれ、パレットが悲鳴を挙げる。
「…………じゅう……」
江利子は呟く。
半グレの影や足音や歩幅で漸く戦力の総数が判明した。
アンダーグラウンドの序列や権威が疫病の蔓延と共に響かなくなり、暇を持て余したカタギの若者が、悪ふざけでヤクザの事務所に放火してそれを動画で撮影し動画サイトで視聴者数を稼ぐ時代なので今更驚きはしないが、最近では金に困った暴力団の三下が麻薬や銃火器を法律上カタギの半グレに横流しして小遣いを稼いでいる。
今夜もその不義を犯した三下を殺害する仕事を請け負い、標的は早々に仕留めたのだが、その三下が雇った半グレ連中が、新しく手にしたオモチャで遊ぶのと同じ感覚で銃火器を乱射している。
割増料金が欲しいほどに手を焼いている。
逃走経路に偶々、半グレが居座っていたのが全てのタイミングがずれる切っ掛けだった。
連中が手にしているのは、嘗てはアサルトピストルと呼ばれた見掛けだけは短機関銃のピストル。
嘗ては、だ。今は違う。
非合法な改造が施されて、短機関銃の性能を呼び戻したフルオートの火器だ。
80年代のアクション映画で度々画面に出てきたようなスタイルのアサルトピストルばかりだ。AAアームスAP―9。イントラテックTEC9。イングラムM11ピストル。どさくさ紛れにキャリコM950も混じる。
人を殺す呵責の念を感じないトリガーハッピー。発砲による狂乱状態のトリガーハッピーでも、そのパターンは幾つか有る。
典型的なのは、発砲している間だけは命の保障が有ると思い込むタイプ。だが連中は違う。風で大きく揺れる案山子を的にタマをばら撒いているだけの射的屋感覚なのだ。
初めて発砲する快感に酔い痴れるタイプのトリガーハッピーだ。
脳内のA9やA10といった報酬系神経が極限まで刺激されているので、恐怖の概念を忘れ去り、快楽に浸っているだけなのだ。
一番厄介なタイプ。
素人が銃を持つとガンコンシャスもトリガーディシプリンも何も無く、弾倉が空になるまで撃ちまくる。
先の読めない素人の銃撃はプロから見れば、トリッキーの極みなのでタイミングがずれる一方なのだ。
弾倉が空になれば普通は、遮蔽に身を隠して弾倉交換を行うが、その訓練を受けていないのでその場で突っ立ったまま弾倉交換をする。この素人丸出しの挙動が、あらゆるパターンであらゆるタイプを見せ付けられると江利子は発砲の機会を見失う。
狭い港湾地区。廃棄された資材や船が放置される区画。
人の気配は無いはずの、静かなはずの深夜1時になんとも低レベルな銃撃戦が始まってしまった。
半グレ連中は何れも若い。十代後半から二十代前半だろうか。法律上、カタギに分類される身分には手出ししたくないが、火の粉を振り払うのに遠慮はしない。適度に火の粉が払えればさっさと逃げるし、その前に逃げ出してくれることを願う。
たった一人の標的を仕留めるのに使用した弾薬は1発だけ。
その直後に銃撃された。
標的が潜む廃船から出て、桟橋を岸に渡り切ったところで、突如、激しい銃撃の洗礼を受けた。
直ぐに三下が雇った人間だと悟った。
その動作や挙動が素人丸出しだったので、標的の三下は半グレか走る道を制限されてフラストレーションが溜まった暴走族でも雇ったのだろうと云う読みも当たっていた。
標的の三下にとって予想外だったのは……三下から自分を守れと銃を渡された社会不適合者たちは三下を守るどころか、主を見捨てて、仕留めにきた荒事師を的に新しいオモチャを試したがっていたことだろう。 それが半グレの恐ろしいところだ。
恐ろしい物を知らないのが恐ろしい。
脱力系プロを自覚する江利子は、曲がりなりにもプロと戦う前から駆け引きをするプロだ。
その上で常套や王道や常識外れは理解している。
それらの範疇外に居るのが素人の半グレだった。
不良の高校生程度であれば、もっと思考がシンプルで必ず恐怖に似た感情を抱いているので『何とかなる』が、人殺しに躊躇を見せないタイプの半グレは或る意味、理想の『使い捨て』だった。
恐ろしい物を知らないマインドを保ったままアンダーグラウンドに身を沈めれば都合のいい『鉄砲玉』となる。
江利子を追い立てる半グレ連中は放っておいても碌な死に方をしないだろう。尤も、今の状況では江利子の方が早く死にそうだ。
改造短機関銃と化したアサルトピストルは、何れも違法改造が施せないようにメーカーが何らかの手を加えて販売している物だ。それを強行して改造したとなると耐久性は低いが、だからと言って銃弾一発の殺傷力が劇的に低下するとは考えられない。
9mmパラベラム一発分の殺傷力は9mmパラベラム一発分なのだ。
幸い、辺りは遮蔽に困らない。
困るのは幾つか用意していた撤収ルートが塞がれていたこと。増援ではない。元からこの数がこの辺りに潜んでいただけだ。
銃を持とうが群れようが、自分たちの数が多いから自分たちは強く相手は問答無用で弱いと決め付ける簡単な思考は、アンダーグラウンドでは中々お目にかかれない。
思考と教義からして構造が違う相手を前に、江利子は苦戦を強いられている。
心にいつも余裕を携える江利子だが、優雅にコーヒーを飲みながら銃撃戦をする意味での具体的物理的余裕はない。
飽く迄、呼吸一拍分の余裕だ。
勝負の世界は……博打でも将棋でも内向的作業でも、必ず何かしらの『一拍分』が勝負を決める。
それは余裕かもしれない。
それは速さかもしれない。
それは判断力かもしれない。
勝って生き残る人間は、必ず何かの行動教義を根底に信念を概念で構築する。
江利子が、数の分からない半グレ連中に追い立てられても焦ることはあっても怯みはしない。
プロの矜持なのか、自信の力を信じているのか。本当の危機が迫った時に全てを放出して尚且つその奥底に残るモノがその人間が自力で掴んだ生存能力なのだ。
S&W M351cを右手に、肘を引き両手の小脇を締めて体幹を揺すらないように走る。
暑い空気が肺に侵入してくる。潮の腐った臭いが顔を撫でる。
先日、大雨が漸くあがったが、その後の猛暑は沢山の熱中症患者を生み出した。
疫病でパンク状態の救急外来のある病院でも沢山の医療従事者が過労で倒れた。その殺人的猛暑の中での銃撃戦ともなると精神だけでなく、体力も荒いヤスリで削られる。
帰宅すれば、念入りにうがいと手洗いをしなければと、ふと思う。何故か衛生観念が思い浮かんだので、江利子はまだまだ心の余裕は消失していないと心の中で微笑した。
S&W M351cを右に保持しつつ銃口は空へ。左手の小指と薬指の間にスピードローダーを1個挟む。
距離、不明。戦闘区域、不明。敵戦力、不明。敵脅威度、不明。光源、問題無し。遮蔽、問題無し。風力、無視。疲労度、注意。心理的負担、注意。継戦能力、注意。残弾、要注意。その他不安要素及び注意点、速やかな水分と塩分の補給が必要。追記、葉巻への渇望がピークを迎えるまでにカタをつけたい。
遮蔽から遮蔽へと移る。
後を追うように、下手な鉄砲が追いかけてきては、着弾の激しい粉塵を巻き上げる。
身長より高く積んだ木製のパレットが銃弾に叩かれ、パレットが悲鳴を挙げる。
「…………じゅう……」
江利子は呟く。
半グレの影や足音や歩幅で漸く戦力の総数が判明した。