聴け、死の尤度を。
炸薬の煤が溜まれば様々な作動不良を起こすばかりか、自動拳銃のようにスライドを何度か引けば何とかなるレベルの作動不良ではなく、本格的な分解が必要なレベルの不具合を来たす。何より、銃身内部に煤がこびり付くと命中精度や初速、初活力にも影響する。
S&W M351cは錆び難い金属を用いているだけで、錆びないとは言っていない。
念入りに火薬滓を落とす。
ロスナイが効いた空間なら、快適な環境でクリーニングが出来る。クリーニングに必要な液体は揮発性の物が多く、引火や中毒の危険性が有るために自宅でのクリーニングやメンテナンスだとどんな季節でも窓を全開にしなければならないが、レンタルスペースのオフィスなら関係ない。勝手に換気してくれる。
S&W M351c。22WMR7連発の護身用を主眼としたダブルアクションオンリーの輪胴式。
銃身の長さは2インチ。全長も掌に収まる程度の小型で16cm以下だ。
即応性を追及した結果、撃鉄は内蔵式で、少しばかり重い引き金。
結果的に全体に直線的ながらもスムーズにホルスターから抜く事ができ、埋め込み凹型のリアサイトでもフロントサイトが視認性が高い工夫が凝らされているので咄嗟の照準も困らない。
本体に使用される金属の質は、軽量を追及したために耐久性は劣るが、長丁場の鉄火場や銃撃戦を想定していない江利子には問題ない。
装弾する22WMRは二昔前までは十把一絡げに弱装な22ロングライフル弾と同列視されていたが、近年では相手を致死ではなく、無力化させるにはハイパワーな小口径が注目され始めて復権を得ている。
拳銃の弾薬としては小口径ながらも、薬莢の長さが小指ほども有りそうなので大量の炸薬を詰める事が出来る。
統計で見れば、10mの距離で太腿に命中すれば、筋肉を貫き、大腿骨を破損させる例も多い。純粋な初速だけの勝負なら大口径のマグナム弾にも劣らない。それを7発装填する。
7発。
これが江利子にとって、精神的に余裕を持たせる数字だった。
S&W M351cと同じ寸法で、様々な口径違いのバリエーションを発売している。勿論、357マグナムも存在する。だが、5発しか装弾できない。
理屈ではなく感情として心許無いのだ。
別メーカーで327フェデラルマグナムを6発装填するS&W M351cに近い寸法のスナブノーズも有るが、弾薬が特殊過ぎて入手が困難だった。
S&Wは22WMRより威力が数段劣る22ロングライフル弾を8発装填するモデルも発売している。
威力か装弾数か? と悩んだ末に折衷案としてS&W M351cを選んだ。
マグナム弾並みの初速で国内の銃砲店でも手に入る実包。
理屈の上では、22WRMが使える輪胴式は22WMRより薬莢の長さが短いリムファイヤー式の22ロングライフル、22ロング、22ショートと云う弾薬も使えるので非常手段として使うのなら心強い。
精神的に安心感が得られる7発。
ダブルタップを3回行っても、万が一の1発が温存できる装弾数。
心に余裕が無ければ……先日の夜に仕留めたケルテックSUB-2000の女のように、緊張の糸がピンと張った瞬間が持続すると誤った判断を下しやすい。
自分の意思で下さなくとも、体が無意識のうちに反応する。
常に心の片隅に一呼吸できる余裕を設けておくのは大事だ。
護身用としては最適な22口径でも、人を致死たらしめる必要が有る職業を生業としている……フリーランスの殺し屋で派遣ヒットマンを兼業する江利子の実包に込めた心情は、『一撃必殺を旨としない』だった。
初撃で必ず仕留めると云う緊張感は常に心に携えているが、一呼吸を置いて、次弾が有るからリラックスしろと言い聞かせるようにしているのだ。
プロならば確実に仕留める。然し、薩摩示現流ではない。初撃が決まらなかったから即敗北とは考えない。プロだから余裕も懐に飲み込みたい。
どこか脱力系を思わせる江利子だからこその、S&W M351cと言えた。
「…………」
無心になってS&W M351cをクリーニングして後始末。ゴミは全て持ち帰る。
一応、OLらしく薄い紺色のパンツスタイルのスーツを着ているので見た目には企業勤めに見える。
このフロアは全て、個人経営やテレワークのためにレンタルされているのでどの部屋に居る人間も皆、何かの訳有りだった。
脛に傷の有る人間と、そうでない人間が混じり合いながら、誰もが詮索せず、孤独に、或いは孤立して仕事をしている。若しかしたら、隣の部屋の借主はカタギを装った同業者かもしれない。アンダーグラウンドは狭い世界だが、一切のプロフィールが不明の人間も多数居る。
世知辛い。
人付き合いも出来ないようでは暗い世界も歩けない。この世界ではコミュニケーションのとれない人間の死亡率は異常だ。
江利子は本来の仕事用のノートパソコンを事務用スチールデスクの上に広げて作業する。
仕事の依頼や報酬の振込み、それに仕事上の付き合いで必要な業種や出入りしている業者に払う料金の金額を確認。
金の切れ目が縁の切れ目なので、支払いを滞ればその分、信用の看板が下がる。
逆も然りで報酬の振込みが遅れている依頼人に対しても、同じように信用のランクを下げる。事前に契約や合意が成されていても自分の願いが成就した途端に、他の事などどうでも良くなる自分勝手な人間も多い。
この業界にも専門の債権回収業が存在して、わざと高額で雇って報酬を回収する。
債権回収業を生業とする人間は、殺し屋のほうが慈悲深いと思われる方法であらゆる金を回収してくる。
江利子とは、そんな悪魔のような連中を平気で雇う残酷な人間だと言う側面を印象付けるためだ。
舐められたら殺す。殺す前にいただく物はいただく。いただく物をいただけば殺さないでもない。
時として人間の恐怖心はビジネスとして大きな武器になる。
結局、業務は滞りなく進む。
馬鹿正直に8時間勤務を装うが、『この部屋の中で8時間も大人しくしているとは限らない』。
帰宅時間になれば電子タイムカードが退勤を打刻する。勿論、不正なbotを用いている。
今日は……否、今日も不漁な一日だ。
昨今の疫病の流行で景気がめっきり冷え込んでしまった。
それは表も裏も同じだ。
表の世界から金や権利をせしめて儲けているはずの、本来のクライアントの立場の人間や組織が、冷え込んだカタギから簒奪する事ができずに、自分の営業範囲や組織を縮小して出費を抑えている。
弱小な個人や組織は数え切れないほど倒産破産し、アシを洗ったり転職したり、官憲へ罪歴を暴露して自ら刑務所に入った。
明日はわが身。心を引き締めなければ。
※ ※ ※
銃声が轟く。
図太く長く引く。
空気に滲みこむような轟音。
――――参った!
江利子は等間隔で植えられた街灯の下を走りながらS&W M351cのシリンダーを開き、発砲した幾つかの空薬莢を抜き、その分を補弾する。
「…………」
――――どこの半グレ?
廃材や錆びたドラム缶が整然と並べられた港湾部の岸壁、廃船桟橋で彼女は居た。
クリーム色の麻のサファリジャケットの裾を翻しながら走る。夏物の生地で仕立てられたデニム風パンツに運動靴。
S&W M351cは錆び難い金属を用いているだけで、錆びないとは言っていない。
念入りに火薬滓を落とす。
ロスナイが効いた空間なら、快適な環境でクリーニングが出来る。クリーニングに必要な液体は揮発性の物が多く、引火や中毒の危険性が有るために自宅でのクリーニングやメンテナンスだとどんな季節でも窓を全開にしなければならないが、レンタルスペースのオフィスなら関係ない。勝手に換気してくれる。
S&W M351c。22WMR7連発の護身用を主眼としたダブルアクションオンリーの輪胴式。
銃身の長さは2インチ。全長も掌に収まる程度の小型で16cm以下だ。
即応性を追及した結果、撃鉄は内蔵式で、少しばかり重い引き金。
結果的に全体に直線的ながらもスムーズにホルスターから抜く事ができ、埋め込み凹型のリアサイトでもフロントサイトが視認性が高い工夫が凝らされているので咄嗟の照準も困らない。
本体に使用される金属の質は、軽量を追及したために耐久性は劣るが、長丁場の鉄火場や銃撃戦を想定していない江利子には問題ない。
装弾する22WMRは二昔前までは十把一絡げに弱装な22ロングライフル弾と同列視されていたが、近年では相手を致死ではなく、無力化させるにはハイパワーな小口径が注目され始めて復権を得ている。
拳銃の弾薬としては小口径ながらも、薬莢の長さが小指ほども有りそうなので大量の炸薬を詰める事が出来る。
統計で見れば、10mの距離で太腿に命中すれば、筋肉を貫き、大腿骨を破損させる例も多い。純粋な初速だけの勝負なら大口径のマグナム弾にも劣らない。それを7発装填する。
7発。
これが江利子にとって、精神的に余裕を持たせる数字だった。
S&W M351cと同じ寸法で、様々な口径違いのバリエーションを発売している。勿論、357マグナムも存在する。だが、5発しか装弾できない。
理屈ではなく感情として心許無いのだ。
別メーカーで327フェデラルマグナムを6発装填するS&W M351cに近い寸法のスナブノーズも有るが、弾薬が特殊過ぎて入手が困難だった。
S&Wは22WMRより威力が数段劣る22ロングライフル弾を8発装填するモデルも発売している。
威力か装弾数か? と悩んだ末に折衷案としてS&W M351cを選んだ。
マグナム弾並みの初速で国内の銃砲店でも手に入る実包。
理屈の上では、22WRMが使える輪胴式は22WMRより薬莢の長さが短いリムファイヤー式の22ロングライフル、22ロング、22ショートと云う弾薬も使えるので非常手段として使うのなら心強い。
精神的に安心感が得られる7発。
ダブルタップを3回行っても、万が一の1発が温存できる装弾数。
心に余裕が無ければ……先日の夜に仕留めたケルテックSUB-2000の女のように、緊張の糸がピンと張った瞬間が持続すると誤った判断を下しやすい。
自分の意思で下さなくとも、体が無意識のうちに反応する。
常に心の片隅に一呼吸できる余裕を設けておくのは大事だ。
護身用としては最適な22口径でも、人を致死たらしめる必要が有る職業を生業としている……フリーランスの殺し屋で派遣ヒットマンを兼業する江利子の実包に込めた心情は、『一撃必殺を旨としない』だった。
初撃で必ず仕留めると云う緊張感は常に心に携えているが、一呼吸を置いて、次弾が有るからリラックスしろと言い聞かせるようにしているのだ。
プロならば確実に仕留める。然し、薩摩示現流ではない。初撃が決まらなかったから即敗北とは考えない。プロだから余裕も懐に飲み込みたい。
どこか脱力系を思わせる江利子だからこその、S&W M351cと言えた。
「…………」
無心になってS&W M351cをクリーニングして後始末。ゴミは全て持ち帰る。
一応、OLらしく薄い紺色のパンツスタイルのスーツを着ているので見た目には企業勤めに見える。
このフロアは全て、個人経営やテレワークのためにレンタルされているのでどの部屋に居る人間も皆、何かの訳有りだった。
脛に傷の有る人間と、そうでない人間が混じり合いながら、誰もが詮索せず、孤独に、或いは孤立して仕事をしている。若しかしたら、隣の部屋の借主はカタギを装った同業者かもしれない。アンダーグラウンドは狭い世界だが、一切のプロフィールが不明の人間も多数居る。
世知辛い。
人付き合いも出来ないようでは暗い世界も歩けない。この世界ではコミュニケーションのとれない人間の死亡率は異常だ。
江利子は本来の仕事用のノートパソコンを事務用スチールデスクの上に広げて作業する。
仕事の依頼や報酬の振込み、それに仕事上の付き合いで必要な業種や出入りしている業者に払う料金の金額を確認。
金の切れ目が縁の切れ目なので、支払いを滞ればその分、信用の看板が下がる。
逆も然りで報酬の振込みが遅れている依頼人に対しても、同じように信用のランクを下げる。事前に契約や合意が成されていても自分の願いが成就した途端に、他の事などどうでも良くなる自分勝手な人間も多い。
この業界にも専門の債権回収業が存在して、わざと高額で雇って報酬を回収する。
債権回収業を生業とする人間は、殺し屋のほうが慈悲深いと思われる方法であらゆる金を回収してくる。
江利子とは、そんな悪魔のような連中を平気で雇う残酷な人間だと言う側面を印象付けるためだ。
舐められたら殺す。殺す前にいただく物はいただく。いただく物をいただけば殺さないでもない。
時として人間の恐怖心はビジネスとして大きな武器になる。
結局、業務は滞りなく進む。
馬鹿正直に8時間勤務を装うが、『この部屋の中で8時間も大人しくしているとは限らない』。
帰宅時間になれば電子タイムカードが退勤を打刻する。勿論、不正なbotを用いている。
今日は……否、今日も不漁な一日だ。
昨今の疫病の流行で景気がめっきり冷え込んでしまった。
それは表も裏も同じだ。
表の世界から金や権利をせしめて儲けているはずの、本来のクライアントの立場の人間や組織が、冷え込んだカタギから簒奪する事ができずに、自分の営業範囲や組織を縮小して出費を抑えている。
弱小な個人や組織は数え切れないほど倒産破産し、アシを洗ったり転職したり、官憲へ罪歴を暴露して自ら刑務所に入った。
明日はわが身。心を引き締めなければ。
※ ※ ※
銃声が轟く。
図太く長く引く。
空気に滲みこむような轟音。
――――参った!
江利子は等間隔で植えられた街灯の下を走りながらS&W M351cのシリンダーを開き、発砲した幾つかの空薬莢を抜き、その分を補弾する。
「…………」
――――どこの半グレ?
廃材や錆びたドラム缶が整然と並べられた港湾部の岸壁、廃船桟橋で彼女は居た。
クリーム色の麻のサファリジャケットの裾を翻しながら走る。夏物の生地で仕立てられたデニム風パンツに運動靴。