聴け、死の尤度を。
彼女……170cmの身の丈。
しなやかさと柔らかさを具えた筋肉が無言で多くを物語る。
狭い肩幅に重く鎮座し存在する双球は、肌の艶を表面に湛えて生命的な神々しさを放つ。
なだらかな腹筋から蜂の如く引き締まった腰、水密桃のように瑞々しい果肉を連想させる尻。そして鞭のような撓りを思わせる躍動を想像させる太腿。白い肌に刻まれる創傷と銃創。何度も死地を潜ってきた歴戦の勲章。
その勲章が見事なまでに……美しい裸体とマッチしていない。
彼女の原石ならではの美貌が、彼女の鍛えられながらも育んでいる裸体が、どうしても生々しい傷と噛み合わないのだ。
日射よりケアされた白い肌と年齢を隠蔽するかのような美貌。無駄なだけの美貌。そこへ闇社会のレッテルの代名詞である『傷跡』が力強く誇示。
彼女は質素なレースが幾重にも束ねられた白雪のような下着姿だ。
右手にフラットブラックのスナブノーズ。
パンツの腰辺りに数発の細長い予備実包が差し込まれている。
「……」
彼女の眼光は既に警戒を解いている。
この場には自分しか居ないと直感で悟ったからだ。
下着姿でソックスに運動靴だけを履き、右手に気だるそうにS&W M351cを握ったその彼女はパンツの尻辺りにS&W M351cを挟むと、右側頭部に射入孔を開けて倒れている宏枝の衣服を脱がせ始めた。
早く脱がせないと緩む筋肉のせいで糞尿が漏れて衣服を汚してしまう。
アルカイックな印象すら覚える眉と深い鼻筋。
筆で引いたような眉と老獪な山猫に似た瞳。
顎先の細い小さな輪郭に精悍にまとめられた顔のパーツ。
風貌の印象だけなら宏枝と同じ年齢で通用する。
肌と黒いセミロングの色艶や、およそ銃を撃つどころか家庭用の包丁よりも重い物を持った事がないような指先。
目を凝らせばリボルバー使い特有の胼胝が出来ているが、定期的にナイフで削られて角質落としで用いられるヤスリで処理されている。
宏枝から剥ぎ取った衣服を身に纏う女の名は高塚江利子(たかつか えりこ)。彼女の形だけの身の上調書を信じるなら今年で28歳に成った。
江利子は、元々着ていた衣服は即席チームの同業者の遺体を『機を見てタイミングよく吊るし上げるロープ』として利用する為にアーミーナイフで切り裂いたので無残なものだった。
貴重品や装備は別の場所に置いて、既に宏枝に打ち倒されていた男の体を首吊り死体よろしく、引き上げて、緊張に叩き込まれていたであろう宏枝の神経を更に刺激して反射神経で『攻撃的防御』を行うように仕向けたのだ。
その作戦に乗ってくれた同じチームの男は結果的に命を落としたが、江利子が生き残ったので万々歳だ。
兎角、人と云うのは緊張が高まれば、硬直するか咄嗟に動くかのどちらかだ。標的である宏枝の経歴を事前に調べていたので、状況を作り出せば簡単に罠に嵌ると最初から見通していた。
経験が豊富であれば有るほど陥る錯覚と緊張と反応。それを利用した。プロは意識よりも先に体が先に動く。宏枝が経験豊な腕利きの殺し屋だったからこその敗因だ。
勿論、江利子も同じ罠を張り巡らされれば、同じ失態を犯しただろう。
先に誰が何処でどのようにどのような罠を打つ策に出るかが分かれ道だ。
先に標的であるケルテックSUB―2000を使う女にわざとイニシアティブを握らせた辺りで勝負は大きく動いていた。
イニシアティブを先に握れば必ずしも勝てるとは限らない。イニシアティブに拘るのもプロらしい思考だ。
即ち、プロ同士の勝負は将棋盤を見ずに将棋をするのと同じだ。
相手よりも先を読む。更に先を読み、その先の先も読む。……と、見せかけて、先を読ませている錯覚を違和感無く覚えさせる。
確かにケルテックSUB―2000の女は強敵だった。
初弾で引き連れていた同業者を撃ち倒した。
夜目が利くのだろう。サイトに蓄光ドットを埋めていても、野生動物のような素質が無ければ難しい。それに、迷いの無い見事な射撃。美しさすら覚えた。
だからこそ、この若い女ヒットマンをここで討ち取れて幸いだった。
生かしておけば必ず大きな障害になっただろう。
ここで骸を晒す結果になってもこの女は満足だろう。
彼女の衣服を着た江利子はきびすを返し、立ち去ろうとしたが、再びきびすを返す。
……しかし、プロの矜持と台所事情は別物なのだ。
江利子は有沢宏枝の所持していたケルテックSUB―2000とグロックG17と弾薬を奪い、後日、地下の武器屋に中古品として売り払った。
※ ※ ※
高塚江利子。自称28歳。
中堅外資系企業の下請け業で庶務を担う。
勿論、表向きの顔。
日常に潜むアンダーグラウンドの住人は夜型人間だけではない。
カタギの人間と混じって、軋轢も衝突も発生させずに生き延びる技能が要求される。
表向きの顔を維持するために商業区域にあるオフィスビルに毎日通勤している。
その為に通勤用と生活の足を兼ねた軽自動車を買った。通勤ルートも毎日同じ。身の危険を感じながら生きる人間は毎日の生活のあらゆるパターンを不規則にして、襲撃者に予測不能を報せるが、それを天秤に掛けた結果、江利子は表向きの顔を重要視した。
通勤しているオフィスビルも実際に存在するが、彼女が毎日通うのはそのビルのレンタルスペースで電話線とエアコンが有るだけの空間だ。 その部屋の床面積は10m平米。
会議室以外に使い道が無さそうな空き部屋。
そもそもそのオフィスビルのそのフロア全体が、他業種に多目的に活用してもらうために設けたものだ。
オフィスビルは地上7階地下1階。
商業区域に並ぶビル群に埋もれてしまい個性に欠ける。ビルの地元が最近流行の疫病で大手の契約主を失い、空きビルになったのを何とか維持するために居抜きのまま利用して多目的スペースを作り、兎に角、誰かに有料で利用してもらいたい苦肉の策が続いているのだ。
お陰で江利子はレンタルスペースを安く借りる事が出来た。
嘗ての隆盛を誇った名の有る企業でさえ、疫病が蔓延した現在ではネット回線を多用した文明の利器を用いれば、社員が出勤しなくとも業務遂行は可能で一定の業績や成果が挙げられる事を業腹ながら実証してしまい、街の中心部は人々で賑わった風景を忘れようとしていた。
言うなれば、裏の世界でも表の世界でも一人親方だ。
社員を名乗っているが、『会社』を、合法非合法を織り交ぜて創立して入社した、『書類上の事実』を工作した。
「…………さて」
――――今日も一日頑張ろう。
この殺風景な空間に出勤してくると江利子は仕事道具の詰まった小型のスポーツバッグを置く。
表向きの設定上、彼女は帰宅途中のジムで運動不足を解消している、少し健康意識高い女性を演じている。
そのバッグの中から小型のノートパソコンを3台取り出して、更に2個のポケットWi-fiを取り出して電話線や飛ばし携帯に接続していく。
幾つかは表向きの仕事をする為の機材。
幾つかは裏の顔をする時の為の機材。
これらの機材の中で一番高価なのは飛ばし携帯だ。アシの付かないクリーンな回線で非合法な取引が出来る強みは大きい。
しなやかさと柔らかさを具えた筋肉が無言で多くを物語る。
狭い肩幅に重く鎮座し存在する双球は、肌の艶を表面に湛えて生命的な神々しさを放つ。
なだらかな腹筋から蜂の如く引き締まった腰、水密桃のように瑞々しい果肉を連想させる尻。そして鞭のような撓りを思わせる躍動を想像させる太腿。白い肌に刻まれる創傷と銃創。何度も死地を潜ってきた歴戦の勲章。
その勲章が見事なまでに……美しい裸体とマッチしていない。
彼女の原石ならではの美貌が、彼女の鍛えられながらも育んでいる裸体が、どうしても生々しい傷と噛み合わないのだ。
日射よりケアされた白い肌と年齢を隠蔽するかのような美貌。無駄なだけの美貌。そこへ闇社会のレッテルの代名詞である『傷跡』が力強く誇示。
彼女は質素なレースが幾重にも束ねられた白雪のような下着姿だ。
右手にフラットブラックのスナブノーズ。
パンツの腰辺りに数発の細長い予備実包が差し込まれている。
「……」
彼女の眼光は既に警戒を解いている。
この場には自分しか居ないと直感で悟ったからだ。
下着姿でソックスに運動靴だけを履き、右手に気だるそうにS&W M351cを握ったその彼女はパンツの尻辺りにS&W M351cを挟むと、右側頭部に射入孔を開けて倒れている宏枝の衣服を脱がせ始めた。
早く脱がせないと緩む筋肉のせいで糞尿が漏れて衣服を汚してしまう。
アルカイックな印象すら覚える眉と深い鼻筋。
筆で引いたような眉と老獪な山猫に似た瞳。
顎先の細い小さな輪郭に精悍にまとめられた顔のパーツ。
風貌の印象だけなら宏枝と同じ年齢で通用する。
肌と黒いセミロングの色艶や、およそ銃を撃つどころか家庭用の包丁よりも重い物を持った事がないような指先。
目を凝らせばリボルバー使い特有の胼胝が出来ているが、定期的にナイフで削られて角質落としで用いられるヤスリで処理されている。
宏枝から剥ぎ取った衣服を身に纏う女の名は高塚江利子(たかつか えりこ)。彼女の形だけの身の上調書を信じるなら今年で28歳に成った。
江利子は、元々着ていた衣服は即席チームの同業者の遺体を『機を見てタイミングよく吊るし上げるロープ』として利用する為にアーミーナイフで切り裂いたので無残なものだった。
貴重品や装備は別の場所に置いて、既に宏枝に打ち倒されていた男の体を首吊り死体よろしく、引き上げて、緊張に叩き込まれていたであろう宏枝の神経を更に刺激して反射神経で『攻撃的防御』を行うように仕向けたのだ。
その作戦に乗ってくれた同じチームの男は結果的に命を落としたが、江利子が生き残ったので万々歳だ。
兎角、人と云うのは緊張が高まれば、硬直するか咄嗟に動くかのどちらかだ。標的である宏枝の経歴を事前に調べていたので、状況を作り出せば簡単に罠に嵌ると最初から見通していた。
経験が豊富であれば有るほど陥る錯覚と緊張と反応。それを利用した。プロは意識よりも先に体が先に動く。宏枝が経験豊な腕利きの殺し屋だったからこその敗因だ。
勿論、江利子も同じ罠を張り巡らされれば、同じ失態を犯しただろう。
先に誰が何処でどのようにどのような罠を打つ策に出るかが分かれ道だ。
先に標的であるケルテックSUB―2000を使う女にわざとイニシアティブを握らせた辺りで勝負は大きく動いていた。
イニシアティブを先に握れば必ずしも勝てるとは限らない。イニシアティブに拘るのもプロらしい思考だ。
即ち、プロ同士の勝負は将棋盤を見ずに将棋をするのと同じだ。
相手よりも先を読む。更に先を読み、その先の先も読む。……と、見せかけて、先を読ませている錯覚を違和感無く覚えさせる。
確かにケルテックSUB―2000の女は強敵だった。
初弾で引き連れていた同業者を撃ち倒した。
夜目が利くのだろう。サイトに蓄光ドットを埋めていても、野生動物のような素質が無ければ難しい。それに、迷いの無い見事な射撃。美しさすら覚えた。
だからこそ、この若い女ヒットマンをここで討ち取れて幸いだった。
生かしておけば必ず大きな障害になっただろう。
ここで骸を晒す結果になってもこの女は満足だろう。
彼女の衣服を着た江利子はきびすを返し、立ち去ろうとしたが、再びきびすを返す。
……しかし、プロの矜持と台所事情は別物なのだ。
江利子は有沢宏枝の所持していたケルテックSUB―2000とグロックG17と弾薬を奪い、後日、地下の武器屋に中古品として売り払った。
※ ※ ※
高塚江利子。自称28歳。
中堅外資系企業の下請け業で庶務を担う。
勿論、表向きの顔。
日常に潜むアンダーグラウンドの住人は夜型人間だけではない。
カタギの人間と混じって、軋轢も衝突も発生させずに生き延びる技能が要求される。
表向きの顔を維持するために商業区域にあるオフィスビルに毎日通勤している。
その為に通勤用と生活の足を兼ねた軽自動車を買った。通勤ルートも毎日同じ。身の危険を感じながら生きる人間は毎日の生活のあらゆるパターンを不規則にして、襲撃者に予測不能を報せるが、それを天秤に掛けた結果、江利子は表向きの顔を重要視した。
通勤しているオフィスビルも実際に存在するが、彼女が毎日通うのはそのビルのレンタルスペースで電話線とエアコンが有るだけの空間だ。 その部屋の床面積は10m平米。
会議室以外に使い道が無さそうな空き部屋。
そもそもそのオフィスビルのそのフロア全体が、他業種に多目的に活用してもらうために設けたものだ。
オフィスビルは地上7階地下1階。
商業区域に並ぶビル群に埋もれてしまい個性に欠ける。ビルの地元が最近流行の疫病で大手の契約主を失い、空きビルになったのを何とか維持するために居抜きのまま利用して多目的スペースを作り、兎に角、誰かに有料で利用してもらいたい苦肉の策が続いているのだ。
お陰で江利子はレンタルスペースを安く借りる事が出来た。
嘗ての隆盛を誇った名の有る企業でさえ、疫病が蔓延した現在ではネット回線を多用した文明の利器を用いれば、社員が出勤しなくとも業務遂行は可能で一定の業績や成果が挙げられる事を業腹ながら実証してしまい、街の中心部は人々で賑わった風景を忘れようとしていた。
言うなれば、裏の世界でも表の世界でも一人親方だ。
社員を名乗っているが、『会社』を、合法非合法を織り交ぜて創立して入社した、『書類上の事実』を工作した。
「…………さて」
――――今日も一日頑張ろう。
この殺風景な空間に出勤してくると江利子は仕事道具の詰まった小型のスポーツバッグを置く。
表向きの設定上、彼女は帰宅途中のジムで運動不足を解消している、少し健康意識高い女性を演じている。
そのバッグの中から小型のノートパソコンを3台取り出して、更に2個のポケットWi-fiを取り出して電話線や飛ばし携帯に接続していく。
幾つかは表向きの仕事をする為の機材。
幾つかは裏の顔をする時の為の機材。
これらの機材の中で一番高価なのは飛ばし携帯だ。アシの付かないクリーンな回線で非合法な取引が出来る強みは大きい。