聴け、死の尤度を。

 1分経過して、彼は口をゆっくり開いた。
「有沢宏枝を知っているか?」
 江利子ははっきり即答した。
「知らない」
 江利子は躊躇無く引き金を引いた。
 1発。
 彼の額に風穴が開き、射出孔から真っ赤な脳漿が吹き出る。
 江利子に特に深い感慨は無かった。生きていく上での妨害を一つ排除した、程度の想いしかない。
 至近距離から処刑スタイル同然の格好で額を撃ち抜かれた男は死んだ目に僅かな光を灯していた。……それは満足感を得た顔に近い。その表情にだけは江利子はシンパシーを感じる。『彼は敵討ちで反撃されても、尚だ』。
 存分に戦った上で満足する死に方を遂げる事ができた人間の顔。
 やり遂げた人間の顔。
 自分を討ち取りに来る脅威と、真っ向から向き合った者の顔。
 それだけは素直に羨ましいと思った。
「…………?」
 既視感。この感覚はどこかで……。
 江利子はきびすを返して、左腋にS&W M351cを収め、屋上出入り口へと向かって歩く。
 雨が強い。風も強くなってきた。今夜は大雨との予報だ。
 足元の水溜りに薄っすらと血が混じっているのを見た。
 単発拳銃の男のものと加納武一のものが混じったのだろう。
 気配も血の臭いも掻き消してしまう大雨が降る前に江利子は高層マンションから去った。



 先日の高層のマンションの件。
 この街を仕切る中核祖組織の一つから金一封が出た。
 なんでも、上層部の身内が人質に取られて交換条件に、高層マンションを貸切にした上、そこで起きたことには目を瞑り、更に後始末を押し付けられていたと云う。
 その首魁が、コルトウッズマンの男で、名前を最後まで名乗らなかったとらしい。
 詳しい経緯は情報屋を使って調べる気が起きなかった。
 少し興味が有ったが、良く考えれば、大手の中核組織が言葉を曖昧にするほどの一件だ。知らない方がいいに決まっている。
 脳の奥底に仕舞った方がいい出来事だと、忘れることにした。


 それから数日後。
 江利子は地下の商店で目を瞠った。
「お。高塚。それ、いいだろー」
 店主の小太りな中年のオヤジは愛想のいい顔でカウンターの向こうで営業用ではない、親しみのある声で使い捨てマスク越しに言った。
 22WMRの実包を買いに、いつもの店で見かけたコルトウッズマン。
 その横には既に何処かの誰かが、別の店で買い取ったはずのケルテックSUB―2000が並んで鎮座していた。
 壁やカウンターにずらりと並ぶ銃火器の中で、その2挺だけが異彩を放っていた。
 普通の銃なのに、普通でない毛色。
「あ……」
 全く関係ないと思っていた糸が繋がる。
 あの男は、あの時の女の身内か。
 コルトウッズマンの男が言っていた『アリサワ ヒロエ』なる人物は少し前に仕事で『排除』した標的の女の事を言っていたのだと今更ながらに理解した。
 彼と彼女の死に顔に残った、どこか満足そうな微笑が似ていると思ったのは……そう言うことだった。
「妹は……弱くなかった……」
 あの男は確かにそう言っていた。
――――きょうだい、か……。
 妹の敵討ちに兄が出てきた。
 筋書きは簡単だ。
 その簡単な筋書きに、落とし前を求める人間も今では希少だ。
 惜しい男を討ち取ったのかもしれない。
 暫し仲良く並ぶ銃を見ていたが、アクリル板の向こうからカウンターに注文していた22WMRの紙箱が押し出されると、キャッシュレス決済を済ませて店を出る。
 今日はこの後から忙しい。
 疫病対策に乗り出した『互助会』が手配した大量の闇ワクチンの運搬警備に雇われている。襲撃が予想される危険な仕事だ。
 自分たち闇社会の人間にも一分の生きる権利があるのだと少し心が和んだ。
 闇ワクチンやワクチンの横流しは、最近では大きなシノギになりつつある。
 弾は除けられてもウイルスは除けられない。
 厄介な時代になってきたものだと心の中で愚痴りながら使い捨てマスクを付けて往来に紛れ込む。
 繁華街の雑踏を見なくなって久しい繁華街中央部。
 まだまだ世間は外出自粛を『お上』より要請されている。
 非合法に流通する、まっとうなワクチンはやがて自分も接種するだろう。
 それを思えば、裏の世界のインフラとして機能する荒事師の未来にも少しだけ光明が見えたような気がする。
「……」
 ふと、日曜日の繁華街の人気が極端に少ない雑踏で太陽を見上げた。
 少し、日差しが柔らかくなっている。



 もう少しで秋が来る。


 それはそれで従来の風邪の季節なのだろうと、江利子は季節の移ろいを風邪で知る年齢になったのか自嘲気味に微笑んだ。

《聴け、死の尤度を。・了》
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