聴け、死の尤度を。

――――……一つ。
 引き金を引く。
 9mmパラベラムが勢い良く弾き出される。
 ハイベロシティのフルメタルジャケットだ。
 拳銃とは比べ物にならない長い銃身で加速された弾頭は過たず、25m先を、此方に向かいながら歩く男の頭部を穿つ。
――――……二つ!
 数mm、銃口を左に振り、慌てふためく女の影の胸部に2発叩き込む。女の体が2度、大きく震えてその場に崩れ落ちる。
――――まあ、そうでしょうね。
 残りの男女の影が視界から消えていた。
 勿論、大雑把に状況と位置は把握している。残りの男女は左右に展開して潅木に飛び込んだ。
 またも沈黙。
 有沢宏枝が先制を仕掛けたことで、大きくイニシアティブは変動した。
 今までは連中が数に物を言わせて追撃してきたフェイズだが、今度は此方が茂みから狙撃して圧倒的火力を見せ付ける番だった。
 二手に分かれた男女の得物は確認していないが、先ほどまで……山間部にまで逃げてくるまでの鉄火場では少なくとも全員、拳銃を使っていた。
 可愛らしくも、そこに参加していた敵側の女の一人はスナブノーズだった。顔ははっきり見ていないが、命を懸ける鉄火場に臨むのにスナブノーズを携えるとは、所詮はどこの界隈でも長生きできないタイプだろう。
 宏枝は移動した。
 ケルテックSUB―2000を両手に携え、軽々と潅木を超えて大木を遮蔽として男女が分かれた辺りまで前進する。
 膠着して増援を要請されるより、先に停滞しそうな雰囲気をブチ壊した方が良いと直感が囁く。
 辺りに血の臭いが漂い始める。湿度の高い空気が血の臭いの不快な成分だけを倍増させているかのようだ。
「…………?」
――――おかしいわね。プロなのに……『プロの動き』じゃない。
 宏枝は違和感を覚え始めていた。
 前進すればするほど、強くなる血の臭いと湿度の不快感。
 足の裏に纏わりつく泥。衣服の端を引っ掻く細い枝先。状況は何も変わっていない。変わりようが無い。なのに……残りの男女の動きが読めないのだ。
 気配はする。
 確実にこの近辺に潜んでいる。
 宏枝の違和感の大きな要因は足跡の乱れ具合だった。
 連中が前進してくるときは、確かに距離を開けて包囲網を形成するはずだったのに、今では残存の男女がパニックに陥って逃げ惑う足跡を残している。
 女のほうは確かに素人だろう。スナブノーズを持ち込んでいた女だ。シルエットで分かった。
 そして男の方は大型自動拳銃を手に握っていたが、足跡が……一致しない挙動を残していた。
――――女の足跡は浅くて『軽い』……。
――――男の足跡は進む方向に迷いが無いのに『重く』踏ん張っている。
――――感情と動作が一致しない……まさか、指揮してる人間が居る?
 宏枝の背中に冷たい汗が一筋、流れる。
 罠の匂いを嗅ぐ。
 具体的且つ抽象的な罠。
 宏枝を左右から挟み撃ちを仕掛けるのが、この場合のセオリーだろう。……連中が殺しを生業としているのなら。それが即席の混合チームでも。
 男女の気配が激しく左右に、綾の字を描くように移動を繰り返すとそこで気配が止まる。
 人の気配は消えていない。殺気や敵意を感じる。悪意も感じる。
――――20m四方……?
 宏枝は即座に自分達が納まる戦闘区域を割り出す。
 月明かりが届き難い木立の隙間。潅木と倒木が足元の状況を悪くしている。夜目が利く自信が有る宏枝でも苦労する。
 身の丈ほどの茂みで遮蔽だらけ。気配の探りあいになるかと思っていたが、誰も気配を消す気が無さそうだ。手を伸ばせばそこに誰か居るような錯覚。
 時折冷たい風が先ほど始末した殺し屋やヒットマンの血の臭いを運んでくる。
 雨上がりのひとときの涼しい時間帯だが、高温多湿の今の季節では直ぐに腐敗するだろう。死臭をまともに吸い込むのは精神衛生だけでなく身体衛生にも悪い。肺にバクテリアを吸い込むのと同じなのだ。
 ケルテックSUB―2000を握る手に汗が浮き出す。
――――左から……一人? 雑草のせいで体重と歩幅が計り難いわね。
 確かに、前進して二人と距離を縮めたのは宏枝のほうだ。
 なのに、その判断の甘さを今更ながらに後悔しはじめるが、直ぐに脳内の抽斗しに仕舞う。
 事実に対して後悔は無意味だ。起きた事に対して善処することを最善とするのが彼女である。
 まるで目隠しして鬼ごっこをしているかのような感覚。敵の男女の挙動も読み難い。
 読めないのではない。読み難いのだ。
 確かに移動を繰り返している。確かにそこに存在している。
 鳩尾が引き締められるように痛くなる。何度経験してもこのような手探りは生きた心地がしない。
 宏枝も男女もお互い、金を貰って仕事をしている手前、逃げ出すのは信用に関わる。
 大粒の汗が首筋を不快に濡らす。
「…………」
――――女……。
 ふわりと鼻腔を甘い香りが擽った。微香料の香水か化粧水。
 鉄火場に赴くのなら、自分の気配を少しでも消す為に微温湯で体臭を落としてから赴くプロも多いが、女の場合は日常でのカバーを巧みに行う為に、香料を含む化粧品を少なからず使用する。
 男のような雑な体のメンテナンスではカタギに紛れて生活するのは難しい。
 宏枝の汗が不快感が緊張が、その香りで緩んでしまう。心地よく神経に染み入る。
「………………あ」
 ケルテックSUB―2000を持つ手から僅かに力が抜ける。
――――!
 然し、自分でない誰かが即座に、『全身を操縦する操縦桿を奪って操縦したかのように』体が勝手に動いた。
 視界がスローモーションのような処理落ちを見せる。
 タキサイア現象を引き起こしている。
 命の危機。
 全身の緊張が解れた瞬間こそが連中の狙いだったのだと、メタ認知の世界の宏枝が危険を察知して宏枝の意識から宏枝の体を奪った。
 ケルテックSUB―2000が吼える。回転速度が少々遅い短機関銃のように吼える。セミオートオンリーの限界だ。
 銃火が咲き狂い、竜の吐息のような炎を暗い世界に灯す。
 空薬莢が茂みに弾き出されているその風景が、本来の宏枝には酷く現実と解離した世界に見えた。
 誰かが誰かを撃っている。
 誰かが何か喚きながら倒れて、逆方向から現れた誰かが何かをする前に右手だけで保持している何かが酷く五月蝿く吼え狂ってそいつを蜂の巣にした。
「……あ……え?」
 呆然とする宏枝。
 硝煙を纏ったケルテックSUB―2000は沈黙した。
 だのに、引き金を、壊れたオモチャのような指先が壊れたオモチャのように何度も引いていた。
 彼女の体に『脳内の誰か』が彼女に操縦桿を返すと言ったように思えた。
 沈黙。静寂。
 硝煙。漂う、血煙。
 不快極まりない湿度。
 時々、涼しい風。
 喉が急激に渇く。
 瞳孔が開いたままの宏枝。状況の把握に3秒も時間を有した。
 自分が撃っていたのは『吊り上げられた射殺体』。
「……そう……か」
――――そうなの……ね。
 右手一杯に広げて片手でケルテックSUB―2000を保持していた彼女は、吹っ切れたように唇に満足な微笑を浮かべた。
 ……そして右側頭部を撃たれて死んだ。
 軽い銃声が轟く現実。消える命。これも当たり前の日常。
 彼女は、右側頭部を至近距離から撃たれて頸を不自然に左側へ折りながら笑みを浮かべたまま、うつ伏せに倒れた。
「……」
 勝者は『彼女』だった。
 宏枝の右手側……ケルテックSUB―2000よりも右手側5mの茂みに潜んでスナブノーズで狙撃した彼女だった。
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