聴け、死の尤度を。

 彼の拳銃の構え方から察するに……型を持っていない。
 素人同然。
 足を半歩軽く開き、腰を落として重心を安定させて小脇を締めた両手で銃を保持して視線と銃口の向きを一致させる『常識』が守られていない。
 その素振りすら見せない。
 直立不動で左手をだらんと下げ、伸ばしただけの右手にコルトウッズマン。
 肩幅は呼吸のペースから見るとカタギや素人がエアガンを握っている方が余程、実戦的に見えた。
 顔を何度見ても名前すら出てこない。
 残念で驚きなことに、彼の腕前は確かだ。
 あの射撃姿勢で、庭先で空き缶を撃つ感覚で的確に江利子の出鼻を挫く発砲をしている。
 ……ただ。
 ただ、不思議なのは、その射撃の腕前を圧倒的に奮って一瞬でカタをつけるべく攻撃に転じない事。それと……時々、上の空で死んだ目を中空に向けてぶつぶつ呟いていることだ。
 その間隙に発砲しようと身を乗り出すと、彼は突如発砲し、先ほどのように危うく被弾しそうになる。
 コートがバサバサと一瞬の強風に煽られる。
 あのコートの生地がはためく音が耳障りだ。
 裏生地を縫い付けていないのか、良く見ると薄っぺらいハーフコート。
 何か……違う。おかしい。怪しい。
 それだけじゃない。……それだけか?
 この街での逸れ者と嫌われ者を雇って、負傷させて美味しいところを掻っ攫うような姑息な人間ではないはずだ。
 最初に投じた単発拳銃の名前を失念した男と加納武一はまるで……江利子がどれくらい腕が立つのかテストするために雇った使い捨てのような扱いだ。
 あの二人は決して弱くは無い。腕も確かだ。性格性分や主義に難有りでも、依頼人には関係ない。まともに依頼を遂行してくれればそれでいいのだから。
 江利子は少しずつ遮蔽を匍匐前進で移動する。
 頭を上げたくない。
 全ての非常階段は罠だと思うべきだ。
 『何も打破できないから、博打を打つ感覚でここへ来てやった江利子には最後まで彼に付き合う義理は無いが、ここでこの話を無視すればもっと状況が悪化するのでさっさと解決しに来た』のが、本来の目的だ。
 拳銃使いの間で、落とし前の付け合いは日常茶飯事だ。
 落とし前をつけなきゃ生きていけない人間と、深く考えない人間が存在するだけ。
 気になる奴はとことん気になる。
 気にしない奴は自分が殺されても気にしない。
 風が少しだけ止む。
 彼の位置をコンパクトで確認しながら移動。
 彼は『こちらをじっと見ている』だけ。
 射撃のチャンスでは? こちらも、あちらも。
 その先手を打つが、こちらの思考が読まれているように発砲されてしまう。
「…………」
 尻を叩かれたように、口をへの字に結んで匍匐前進から中腰になり走り出す。……なのに、江利子の後を追う事が無い銃弾。
「?」
 遮蔽の角から伺うが、彼はコルトウッズマンを携えて前進移動する気配がない。
 足音は聞こえる。
 水溜りの雨水を踏む音。
 頭の中でその音の方向を読む。
――――『読めない!』
――――いや、読める! 凄く簡単!
――――『フェンスの際』を歩いてるだけ!
――――『その狙いが読めない!』
 何が目的なのか、それが目的なのか、彼の存在意義がそれなのか……コルトウッズマンの男は頑なに屋上の縁付近から離れようとしなかった。
 加納武一のように臭いを嗅いでいるわけでは無さそうだ。
 気配を操るタイプでもない。
 拳銃程度で狙える近距離の狙撃が得意なのは理解した。
 どんなトリックを使って、江利子の『頭を抑えるかのように射撃ができる』のか?
 バサッと彼のコートがはためいた。
 はためく音が聞こえた。
 その直後に……。
 銃声。着弾。目の前に火花が飛び散る。
「!」
――――『この角度からはほんの1度か2度の角度の違いで狙撃できるはずが無い!』
――――なのに、『撃ってきた……いや……当てることも可能な範囲に私が居た!』
 不思議な現象の全てを集める。
 江利子の頭を抑えるべく牽制にも似た銃撃。
 殆ど至近距離に着弾。
 『見えない角度から飛来する銃弾』。
 ……何より、彼が屋上の不利なはずのフェンス付近から移動しない理由。
 移動しないのではない。
 そこが彼にとって、この鉄火場での最上のポジションだったのだ。
 室外機やダクトの群れの上では駄目。
 『背中に風を受ける、その場所だから有利に立てる』。
 そしてフェンス際を移動している限り、遮蔽の隙間を縫って……『その方法なら正確な着弾も可能だ』。
 それをこの距離でやってのける事ができるのは22口径のロングライフルだから可能だった。
 荒事師だから、殺し屋だから少しでも殺傷力が高いハイベロシティの実包を使うと思い込んでいた。
 プロゆえの思い込み。
 プロゆえの意識の誘導。
「……なるほど」
 江利子は遮蔽を気にせず、その場から立ち上がり、大胆にも大きなモーションで走り出した。
 遮蔽を全く利用していない。障害物の隙間を縫うような走り方。
 唇を小さく舐めて湿らせる。
――――やっぱり!
 S&W M351cの牽制射撃2発。残弾4発。
 再装填の余地なんてくれないだろう。残弾4発。
 それで充分だと根拠の無い自信が有った。
 彼女にしては珍しい、直感だけに頼った行動。……計算は邪魔だ。
 計算して動くことを、『彼に計算されている』。
 計算の放棄。
 破れかぶれではない。
 目的がある。
 撹乱や挑発ではない。
 無駄弾を撃たせることではない。
「!」
「!」
 江利子はフェンス際に来ると真っ直ぐ、『彼に向かって走った』。
 大きく迂回したために悠に40mは離れている。『彼にとって絶好の射撃位置』から江利子は走った。……彼に向かって。
「!」
 彼は酷く狼狽した。
 初めて人間らしい顔を見せた。
 右手に伸ばしたコルトウッズマンを発砲。
「ち!」
 江利子の右肩の肉をほんの少し削る。
 どんどん縮む距離。
 次々に発砲する男。
 彼のコートが突然の強風ではためく。
「どうしたの? 『撃って』みなさいな!」
「……!」
 彼の唇が強く引き絞られる。
 発砲3発。
 22WMR。
 2発は彼のそれぞれの大腿部に。
 1は彼の上腕部付け根に。
 彼は腕の被弾で、スライドが開いたまま停止したコルトウッズマンを滑り落としてしまった。
「あなた……凄い『技』を持ってるじゃない。『この場所でなら無敵』のはずだったのにね」
「……」
 両太腿に被弾した彼は、自ずと両膝をついて左手で右腕の被弾箇所を押さえながら、ゆっくりと歩いてくる江利子を見上げた。
 彼の得意とする『技』は『風』だ。
 22ロングライフルのプリンキング用弱装弾を使っていた。
 スライドを作動させるだけのガス圧がある、ひ弱な実包だ。
 有り得ない角度からの射撃と命中精度。
 彼は神通力を使っていたのではない。
 風で風で流されるほどの軽い弾頭を、風を読んで発砲していた。
 風に曲げられた弾頭は遮蔽の陰に潜む江利子を的確に抑え込み、行動範囲を狭くしていた。
 破れかぶれに真正面から飛び出るように、『誰が見ても通り易いルート』だけは江利子の目の前にあった。
 江利子は結果的に走った。それは風の吹かない隙間の時間に、フェンス際を一直線に走り、彼に急接近した。
 『風の力』を受けていないほんの隙間の時間。
 彼のコートがはためかなくなった僅かな時間。
 彼が予想していなかったルートを、彼が自分だけの縄張りだと思っていた道を江利子は走り抜けてきた。
 暫しの睨み合い。
 『死んだ目を捨てた彼』と、肩で息をしている江利子。
19/20ページ
スキ