聴け、死の尤度を。

 その何れもが15m先に立つ加納武一の体に命中しなかった。
 彼はわざと男の方を向いて、大声でへらへらとした口調で聞いた。神経の逆撫でを加速させる為だ。
 『その作戦に乗ってやった』。
 殺意の高い牽制を撒き散らした後に、直ぐさま遮蔽に飛び込んでリロード。
 これではいけないと奥歯で舌を噛んで、昂ぶる神経を鎮静させる。
 直情を煽られては負けだ。
 挑発に乗ってやっても、遊ばれては意味が無い。
 遊ばれている演技をしなくては。
 加納武一のルガーブラックホークは357マグナムの6連発。
 単純な破壊力は22WMRとは桁違いに上だ。再装填のロスが大きいのが問題。そして……江利子は加納武一と云う人物を『知っている』。
 手口や戦法、性格や行動パターンを噂では聞いている。
 噂通りの人物だと飲み込んではいけないが参考になる。何れの噂も、再装填を頻繁に繰り返す……6発撃ち尽くしてから再装填する姿を見た者は少ない。
 こまめなリロードを繰り返すのが常だ。
 長丁場の鉄火場でも長生きできている秘訣はそこに有る。
 鉄火場での継戦能力の維持に関する因子は再装填にかかっている。落伍する奴は殆どの場合、再装填のロスを衝かれて致傷する。
 S&W M351cの予備の実包は心配ない。
 心配ないほどの実包が心配。
 腰周りや右腋が重くて、咄嗟に機動する場合の錘になる。
 映画やドラマのように、予備弾薬の重量による疲労は無視できない。この業界にはたった1発の銃弾を発砲するために、鉄火場のど真ん中で全裸になる豪傑が幾らでも居る。それくらい、予備の弾薬類の重量は課題なのだ。
「……」
 室外機の遮蔽からコンパクトを翳して反転した世界を確認。
 加納武一もコルトウッズマンの男の姿もない。
 場の膠着が解けた。……これからが本番だ。
 加納武一に対しては躊躇を見せない。
 彼は確かに「なあ、この女ぁ、殺しても良いだろ?」と発言した。コルトウッズマンの男に雇われていると『看做せる』。つまり、江利子は仕事場で邪魔されたから邪魔者を排除する為に正当に加納武一を銃弾で排除できる大儀を得た。
 江利子の信用の看板に傷は付かない。
 重要な点を抑えた。
 心に憂いがあるうちはそれがノイズとなり、判断や把握を遅らせる。
 唇が冷たく上がる江利子。
 高層マンションの屋上に設置された室外機の配置はさすがに脳内に展開できなかった。
 迷っている暇は無い。走り出す。
 江利子をくぐもる銃声が追う。加納武一だ。
 この際、再装填の速度は考えない。
 コルトウッズマンの男が江利子に対して含みのあるモノを呑み込んでいるのなら、加納武一と協力して江利子を仕留めにこないと断言できる。
 コルトウッズマンの男の、死んだ目が印象深い。
 悲嘆に暮れて明けたばかりの人間は皆、あのような目をする。何が有っても止めは彼が差しに来る。
 加納武一が止めを刺そうものなら、加納武一を殺すだろう。
 それでも加納武一と云う人間を雇った理由は……悔しいが理解できる。
 『江利子を見定める為』だ。
 自分が親しい人間を仕留めた人間が居たら、どんな人間がどんな手法で止めを刺したのか確認して脳裏に刻みたい。
 こうして親しい人は殺されたのだと理解したい。
 風。強くなる。
「……」
――――加納……長くは付き合ってられないし付き合いたくない!
 江利子は左手をジャケットのポケットに突っ込んだ。
 遠くで銃声が聞こえる。狙撃を思わせる。距離が有る。
 此方の警戒心をコントロールする作用がある。
 実際に狙撃してもよいし、銃声だけが届けばよい。
 加納武一の戦法の一つだろう。
 銃声はルガーブラックホーク。
 風上に向かって発砲するので音が流される。
 加納武一の姿が見えないだけに不気味に聞こえる。音から居場所や距離を計り難くするための撹乱。
 勝負は……焦らなくとも一瞬でつく。
 江利子は遮蔽を伝いながら右手に保持したS&W M351cを突き出しながら、右手側に遮蔽を維持したまま小走りに加納武一を追う。
 途中、右足の運動靴を脱ぎしゃがむ。そして立ち上がり遮蔽を意識して走る。数m走ると今度は左の運動靴を脱ぎしゃがむ。そして立ち上がり、走り出す。
――――加納は想像以上に賢い……。
――――だから、ここに来る!
 『綿の黒い靴下が破れる』のも構わずにきびすを返して、遮蔽にしていた右手側を反転。
 今度は左手側に遮蔽の室外機の壁が来る。
 そのまま走り、剥き出しのダクトが整然と並ぶ位置で急ブレーキをかける。
「……!」
 江利子の鼻の奥を馴染みの匂いが微かに刺激する。
 硝煙の匂い。
 自分が愛用している香水の匂い。
 江利子は無造作にS&W M351cの引き金を右手側に突き出して引き金を引いた。
 1発。その方向を見ていない。
 狙撃するならこの位置。
 狙撃されるならこの位置。
 信じていた。
 加納武一は、直感で動く『自分自身』を理解している。
 直感の使い方と使われ方も理解している。
 ゆえに、直感の大きな判断材料を逃しはしない。
 数拍の鼓動。
 時間が滞る。
「……」
 右手に握ったS&W M351cの銃口から薄っすらと硝煙が立ち昇る。
 たった一発の発砲。
 充分だった。
 充分だと思った。
 充分だと信じていた。
 右手側、肩関節が大きく右へ開き右斜め後方へ銃口が向いている。顔も視線もそちらには向けていない。
 銃口の先には加納武一が立っていた。
 勝利を疑わない、それでいて軽佻浮薄なへらへらとした顔。
 その顔に血飛沫が飛び散っている。
「……やべえ……ノールックでこれかよ……」
 加納武一の左頚部の体側根元に22WMRの弾痕が穿かれている。
 致命的な負傷。
 今直ぐ救急救命を施せば半々の確率で助かる。
 尤も、疫病が流行している昨今で、直ぐに手配した救急車が直ぐに救急搬送できる救急救命病院を見つけられるか否か怪しい。この街がある自治体の医療体制は医療崩壊同然だと騒がれ、自治体の議会でも問題視されている。自治体ですら『お上』のお達しで外出自粛を強く要請され、景気の悪化と防げない人流に悩まされている。
 そんな世間世情で、頚部を『破損』した人間を医療的に救う方法は望みが薄い。
 加納武一は両膝からコーティングされたコンクリの地面に落ちて顔面から崩れた。
 尚、彼が右手に握っていた撃鉄が起きたままのルガーブラックホークは、彼の死後5時間後に死後硬直によって引き金が引き絞られ、随分と遅い反撃を試みた。
 加納武一が弱かったのではない。
 加納武一より江利子のほうが一枚上手だった。
 加納武一は風を利用して銃声を無為に鳴らしていたのではない。風で流される銃声のくぐもった音と『体臭』を利用していた。
 江利子は彼と対峙するのは初めてだったが、直感から確信へと変わった。
 加納武一は見た目は派手な衣服で、今時の若者の風貌で街中の半グレ同然の遊び人を装っているが、不自然だったのは、『匂い』が判別不能なほど、感じ取る事ができなかった。
 衣服が派手なのに反して男性化粧品や汗、新陳代謝からの体臭が神経質なほどに消されていた。
 そして、加納武一が現れる位置と、彼が存在をアピールする位置は全て風下だった。
 彼は一度として、遮蔽の室外機が並ぶこの場所で風の吹き溜まりになる位置を通過しなかった。
 江利子は遮蔽を伝いながら、いつも愛用している表の顔の嗜みとしての香水を垂らしながら移動し、最も体臭が集中する靴を脱いで裸足で走り回り、臭いを大きく振りまいた。
 加納武一が侵入し、近寄り、狙撃し易い位置をそれらで江利子は用意した。
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