聴け、死の尤度を。
この殺し屋と思われる拳銃使いは恐らく後者だろう。
足元に落ちている細長いシリンジを見て悟る。
刹那的快楽を覚えるためでなく、自身の身体能力を引き出すために『人間を辞めた』タイプだ。
これだけの腕前の人間は元からメンタルが強い。それでも尚薬物に手を出すのなら、それは自身の何かしらの向上しか考えていない事が多い。
哀れみはしない。
生きる方向を間違えればここに倒れているのは……薬物に頼り、果てに打ち倒されているのは江利子だったかもしれない。
尻餅を搗きながらも、脳内で『事件』の奥行きや真相が見えてきた。三下自体は本当に三下だったのだろう。
問題はその三下が横流ししていた『ブツ』だった。
それは事前に与えられていた資料や情報で判明していた。
主にその組織が取り扱っている薬物の不正な横流しが漏洩する前に三下は大量の麻薬を持って逃げ出した。……そこまでの情報は正しかった。
それ以外に付記されていなかったのは。三下が何処の誰を顧客にしていたか、だ。二次三次の客層を追いかけるのは中堅組織では少し負担が大きい。
その客層の何れかに、この拳銃使いが居た。
異なるサプレッサーを装着した2挺拳銃は珍しい。情報屋を使えば何処の街の誰であるかは直ぐに判明するだろう。
その拳銃使いは標的の三下が売り捌く薬物が無ければ生きていけない体になっていた。それは人間としてか、拳銃使いとしてかは、今となって不明だ。
標的の三下が報酬に薬物をちらつかせて2挺拳銃の男を雇ったのは簡単に想像できた。
標的の三下は少しは頭が回ったのか、それ以外にも雇っているボディーガードは居なかった。
三下なりに情報の統制を敷いたのだろう。
声を掛ける人間が多ければ多いほど情報は広く漏れる。一番の腕利きだと思われる2挺拳銃の男を雇ったのだと分かる。
その後に、逃走ルートに就こうとしていた、長屋の奥で潜伏していた三下を発見して、射殺した。頭に2発。心臓に2発。
最近ではこのように後味の悪い仕事が多発している。
簡単に裏切る三下。
その三下に金や薬物で踊らされる部外者やプロ。
先日の違法改造のアサルトピストルを使う半グレもそうだ。武器を与えられて、襲撃者を撃退しろと言われたにもかかわらず、半グレゆえに忠誠心は無く、雇い主を見殺しにして襲撃者で試し撃ちを愉しむ。
どこか遣る瀬無い。
嘗ての仁義や忠誠心が金で取引できるようになってから、アンダーグラウンドの『治安』や『自浄』は怪しくなり、昨今の疫病の流行で加速した。自分の信念や矜持に則って真正面からハジキを抜く荒事師は少ない。
少し前にケルテックSUB―2000を使う女が居たが、あの女は久し振りに見る『本当に腕の立つ、腹に一本の鉄を飲み込んだ女』だった。
大手の組織は防御に入り、煽りを受けた二次以降の中小組織は末端から崩壊の兆しを見せている。
江利子にも哲学や矜持はある。その道、この道、あの道……それに殉じる事無く無様にも銃を捨てて表の明るい世界で平穏安寧な生活を享受するのは想像できないし、『還ってはいけない世界、馴染んではいけない世界』だと信じている。
数え切れないほどの人間を殺し、どれくらい生きてきたのかも忘れるほどの人間が、自分の職業に一家言も持たないのは有り得ない。
江利子も『旧いタイプ』の荒事師の世界に埋没している一人だ。
※ ※ ※
先日の夜、長屋が並ぶ住宅街で拾得したサプレッサー付きのベレッタM3023を地下の武器屋で中古価格で引き取ってもらった。その折に世間話程度に、中古屋の店主とマスクを付けてアクリル板越しに会話したが、気になる情報を耳にした。
「最近、ここら辺一帯の解散した『団体』が『互助会』を作って寄り合い所帯で仕切り直しをするそうだ……一枚噛んでみないか? いい小遣い稼ぎになるかもよ」
蒸し暑くくぐもる使い捨てマスクの下で、武器屋のオヤジは確かにニヤッと笑った。
フリーランスの殺し屋としては、新しい組織が旗揚げした際に自分をセールスするのは常套だ。
今は断れても、名刺の一枚残しておけば、後から都合のいい使い捨てとして利用してくれる。
フリーランスの殺し屋の世界で『使い捨て』と云う言葉や扱いはネガティブな意味は含まれない場合が多い。今日はこの組織の鉄砲玉として雇われて、明日はその襲撃した組織の警備顧問として雇われるなどと云う事は日常茶飯事だ。
技術と経験を惜しみなく契約料で発揮するのが『使い捨て』だ。
ゆえに、顔も名前も聞いていない前任者の後を任されて、作戦立案の骨子を見せてもらうと、この作戦を立てたのは何処の誰でいつ頃のものなのか分かってしまう場合が多い。
荒事師の業界では、昨日の敵は今日も敵と云う感情論は通用しない。寧ろ、昨日は敵だが今日から親友と云う神経の図太さが求められる。
良くも悪くも旧き良き時代の名残が長く続いていた。その時代が変遷しようとしている。
今は黎明期とも過渡期とも判然としない。
何かがどのように変わるか分からない。
義理、人情、忠誠、仁義。今の江利子のフィルターを通せば、その後に残るのは淘汰された時代遅れの人間だけだった。
半グレの台頭を見ても分かる。棲み分けと仲間意識と云う守るべきルールの分からぬ者が生まれて、流入していることからも伺える。
どうせ自分も消えるのなら、殺し屋らしく路地裏に骸を晒してドブネズミに処分される死に方がいいとさえ思っている。
江利子にとって死ぬことは恐怖ではない。
満足のいく死に方が迎えられない事や時が恐怖だ。
生きていると云う証明を得る為に、恐怖を感じて必死で足掻いて打つ手が無くなり、奇跡も幸運も使い果たした時に心の中で笑いながら死ぬと思う。
あの夜のケルテックSUB―2000を使う女の最期に見せた、全てを悟った微笑が忘れられない。
生きる努力をして、生きるために足掻いた者だけが浮かべられる微笑。
羨ましくもある。
さあ、この命を奪いに来るのは何処の誰だ?
※ ※ ※
久し振りにコーヒー片手に葉巻を吸っているような気がする。
条例では分煙の義務だけで済んでいるコーヒーチェーン店の分煙室。暖色のやや薄暗い落ち着いた間接照明。
近所に喫煙可能な喫茶店が有るとそれだけでQOLが維持されている気がする。
心に余裕を持とうと思っても、余裕と云う精神的作用は一朝一夕で身に付かない。普段からの生活習慣がカギだ。体が覚えないと意識して余裕を保とうとは心が動かない。
いつものハバナの機械巻き葉巻。グアンタナメラ・デシモス。
ニコチンの作用により、記憶と直結した安息を与えてくれる。
4席のカウンター席と2つのボックス席がある分煙室には他に客が2人しか居ない。
この微妙な客入りも理想的だった。誰も居ない分煙室に一人だと顔を覚えられ易い。昨今の疫病のお陰で、使い捨てマスクがすっかり浸透して顔を堂々と晒して歩ける事も少なくなった。家屋外の食事では食べる時でもマスクをしろと云う『お上』のお達しだ。
世知辛い世の中の空気を忘れられるひとときを堪能する。
足元に落ちている細長いシリンジを見て悟る。
刹那的快楽を覚えるためでなく、自身の身体能力を引き出すために『人間を辞めた』タイプだ。
これだけの腕前の人間は元からメンタルが強い。それでも尚薬物に手を出すのなら、それは自身の何かしらの向上しか考えていない事が多い。
哀れみはしない。
生きる方向を間違えればここに倒れているのは……薬物に頼り、果てに打ち倒されているのは江利子だったかもしれない。
尻餅を搗きながらも、脳内で『事件』の奥行きや真相が見えてきた。三下自体は本当に三下だったのだろう。
問題はその三下が横流ししていた『ブツ』だった。
それは事前に与えられていた資料や情報で判明していた。
主にその組織が取り扱っている薬物の不正な横流しが漏洩する前に三下は大量の麻薬を持って逃げ出した。……そこまでの情報は正しかった。
それ以外に付記されていなかったのは。三下が何処の誰を顧客にしていたか、だ。二次三次の客層を追いかけるのは中堅組織では少し負担が大きい。
その客層の何れかに、この拳銃使いが居た。
異なるサプレッサーを装着した2挺拳銃は珍しい。情報屋を使えば何処の街の誰であるかは直ぐに判明するだろう。
その拳銃使いは標的の三下が売り捌く薬物が無ければ生きていけない体になっていた。それは人間としてか、拳銃使いとしてかは、今となって不明だ。
標的の三下が報酬に薬物をちらつかせて2挺拳銃の男を雇ったのは簡単に想像できた。
標的の三下は少しは頭が回ったのか、それ以外にも雇っているボディーガードは居なかった。
三下なりに情報の統制を敷いたのだろう。
声を掛ける人間が多ければ多いほど情報は広く漏れる。一番の腕利きだと思われる2挺拳銃の男を雇ったのだと分かる。
その後に、逃走ルートに就こうとしていた、長屋の奥で潜伏していた三下を発見して、射殺した。頭に2発。心臓に2発。
最近ではこのように後味の悪い仕事が多発している。
簡単に裏切る三下。
その三下に金や薬物で踊らされる部外者やプロ。
先日の違法改造のアサルトピストルを使う半グレもそうだ。武器を与えられて、襲撃者を撃退しろと言われたにもかかわらず、半グレゆえに忠誠心は無く、雇い主を見殺しにして襲撃者で試し撃ちを愉しむ。
どこか遣る瀬無い。
嘗ての仁義や忠誠心が金で取引できるようになってから、アンダーグラウンドの『治安』や『自浄』は怪しくなり、昨今の疫病の流行で加速した。自分の信念や矜持に則って真正面からハジキを抜く荒事師は少ない。
少し前にケルテックSUB―2000を使う女が居たが、あの女は久し振りに見る『本当に腕の立つ、腹に一本の鉄を飲み込んだ女』だった。
大手の組織は防御に入り、煽りを受けた二次以降の中小組織は末端から崩壊の兆しを見せている。
江利子にも哲学や矜持はある。その道、この道、あの道……それに殉じる事無く無様にも銃を捨てて表の明るい世界で平穏安寧な生活を享受するのは想像できないし、『還ってはいけない世界、馴染んではいけない世界』だと信じている。
数え切れないほどの人間を殺し、どれくらい生きてきたのかも忘れるほどの人間が、自分の職業に一家言も持たないのは有り得ない。
江利子も『旧いタイプ』の荒事師の世界に埋没している一人だ。
※ ※ ※
先日の夜、長屋が並ぶ住宅街で拾得したサプレッサー付きのベレッタM3023を地下の武器屋で中古価格で引き取ってもらった。その折に世間話程度に、中古屋の店主とマスクを付けてアクリル板越しに会話したが、気になる情報を耳にした。
「最近、ここら辺一帯の解散した『団体』が『互助会』を作って寄り合い所帯で仕切り直しをするそうだ……一枚噛んでみないか? いい小遣い稼ぎになるかもよ」
蒸し暑くくぐもる使い捨てマスクの下で、武器屋のオヤジは確かにニヤッと笑った。
フリーランスの殺し屋としては、新しい組織が旗揚げした際に自分をセールスするのは常套だ。
今は断れても、名刺の一枚残しておけば、後から都合のいい使い捨てとして利用してくれる。
フリーランスの殺し屋の世界で『使い捨て』と云う言葉や扱いはネガティブな意味は含まれない場合が多い。今日はこの組織の鉄砲玉として雇われて、明日はその襲撃した組織の警備顧問として雇われるなどと云う事は日常茶飯事だ。
技術と経験を惜しみなく契約料で発揮するのが『使い捨て』だ。
ゆえに、顔も名前も聞いていない前任者の後を任されて、作戦立案の骨子を見せてもらうと、この作戦を立てたのは何処の誰でいつ頃のものなのか分かってしまう場合が多い。
荒事師の業界では、昨日の敵は今日も敵と云う感情論は通用しない。寧ろ、昨日は敵だが今日から親友と云う神経の図太さが求められる。
良くも悪くも旧き良き時代の名残が長く続いていた。その時代が変遷しようとしている。
今は黎明期とも過渡期とも判然としない。
何かがどのように変わるか分からない。
義理、人情、忠誠、仁義。今の江利子のフィルターを通せば、その後に残るのは淘汰された時代遅れの人間だけだった。
半グレの台頭を見ても分かる。棲み分けと仲間意識と云う守るべきルールの分からぬ者が生まれて、流入していることからも伺える。
どうせ自分も消えるのなら、殺し屋らしく路地裏に骸を晒してドブネズミに処分される死に方がいいとさえ思っている。
江利子にとって死ぬことは恐怖ではない。
満足のいく死に方が迎えられない事や時が恐怖だ。
生きていると云う証明を得る為に、恐怖を感じて必死で足掻いて打つ手が無くなり、奇跡も幸運も使い果たした時に心の中で笑いながら死ぬと思う。
あの夜のケルテックSUB―2000を使う女の最期に見せた、全てを悟った微笑が忘れられない。
生きる努力をして、生きるために足掻いた者だけが浮かべられる微笑。
羨ましくもある。
さあ、この命を奪いに来るのは何処の誰だ?
※ ※ ※
久し振りにコーヒー片手に葉巻を吸っているような気がする。
条例では分煙の義務だけで済んでいるコーヒーチェーン店の分煙室。暖色のやや薄暗い落ち着いた間接照明。
近所に喫煙可能な喫茶店が有るとそれだけでQOLが維持されている気がする。
心に余裕を持とうと思っても、余裕と云う精神的作用は一朝一夕で身に付かない。普段からの生活習慣がカギだ。体が覚えないと意識して余裕を保とうとは心が動かない。
いつものハバナの機械巻き葉巻。グアンタナメラ・デシモス。
ニコチンの作用により、記憶と直結した安息を与えてくれる。
4席のカウンター席と2つのボックス席がある分煙室には他に客が2人しか居ない。
この微妙な客入りも理想的だった。誰も居ない分煙室に一人だと顔を覚えられ易い。昨今の疫病のお陰で、使い捨てマスクがすっかり浸透して顔を堂々と晒して歩ける事も少なくなった。家屋外の食事では食べる時でもマスクをしろと云う『お上』のお達しだ。
世知辛い世の中の空気を忘れられるひとときを堪能する。