聴け、死の尤度を。

 有沢宏枝(ありさわ ひろえ)はこの業界では若い方だ。
 厳密には、年齢は若くても経験は長い。
 今年で25歳。
 どうしようもない生活環境から兄と逃げ出し、街から街へと放浪していた十代。放浪しつつ覚えた『決して関わってはいけない世界』の住人が必要とする技能を自然と体得していた。
 経験は長い。年齢は浅い。
 誰も彼もが彼女を年齢だけで判断して痛い思いをした。
 彼女自身は、暴力団子飼いのヒットマンとして現在の糊口を凌ぐ糧としているが、背後に居る暴力団の名前を聞いたくらいで怖気づく同業者は少ない。
 寧ろ、どこの組織の二つ名持ちを討ち取って、自分の名前に箔を付けようとするか考える同業者の方が多い。
 暗黙の了解的に使い分けられる『殺し屋』と『ヒットマン』。
 前者はフリーランスで後者は子飼い。言葉の綾を防ぐ為に誰かが使い分けたのが発端だが、その歴史を掘り下げる物好きは居ない。
 故に、今でも『殺し屋』と『ヒットマン』は別のニュアンスを持つ用語で通用している。
 彼女は地方の中堅暴力団に在籍するヒットマンだが、年間契約で雇ってもらっているだけで組織自体に愛着や忠義は感じていない。サラリーのタネ程度の背景が欲しかった。
 ……それに中堅程度の暴力団でも、アンダーグラウンドの様々な職種に融通が利くので仕事道具の調達にも困らない。
 深夜2時の山間部での銃撃戦でも……今のように真夜中の銃撃戦でも存分に腕が奮えるのは、後ろ盾があるからこその精神的余裕だ。
 折角、焦げ色の強いブラウンに染めたマッシュウルフ気味な無造作ショートカットも、大雨が去った後の冷たく強い風に撫でられて更に無造作に乱れる。
 ……彼女が無造作ヘアーを好むのはそれが大きな理由だ。髪が少々乱れても手櫛を通すだけで簡単にリカバリできる。
 頭上では雲間から月明かりが注ぐ。
 繁華街と違って光源に乏しい山間部では月の明りは非常に助かる。辺りに村落が確認できないので街灯も期待できない。
 麻の夏物の生地で拵えた水色のシャツに、膝下までの丈しかないデニムパンツ。薄利多売の中国製運動靴。背中に背負ったアウトドアで使う折り畳み椅子のケース。後ろ腰近くのベルトに通したカイデックスのグロックG17にはフラッシュライトを装着している。先ほどまで散々扱き使っていた相棒だ。
 後ろ盾になる暴力団が居ると、どんなに弾をばらまいても目標を達成すれば経費の一言で解決するので組織に飼われるのは悪く無い。
――――ここらで……迎え撃とうかしら……。
 潅木の間に身を潜めながらゆっくりと背中に掛けた細長いケースに手を伸ばす。
 円筒形のそれ。
 何処のホームセンターのアウトドア用品コーナーでも見かける折り畳み椅子のケース。
 有沢宏枝は耳元の薮蚊を払うような大きなモーションで、細長いケースを肩から外して無造作に中身をズルッと抜き出す。
 『折り畳まれたそれ』はケースを振り払った勢いで折り畳みナイフを展開するように倍近くの長さに『拡がった』。
 ケルテックSUB―2000。
 宏枝が相棒とするグロックG17と弾倉の互換性がある、ピストルカービン。
 銃本体を中ほどで折り畳むことにより、コンパクトな状態で携行できるうえに各部のロック機能も確実で、海の向こうでは民間でもLEでも一定の市場を持つ。
 ポリマーフレームメインの安価で軽量な外観だが、今現在ではかつてと違い、孫の代まで長く使う銃など需要が低い。
 予算の都合で定期的に買い換えた方が長く『人的戦力』を運用できる分野では、ポリマーフレームのコストは決して馬鹿に出来ない。特定の条件が揃わねば、高いハードルをクリアせねば確保維持運用できない銃火器など、不便で足手まといだ。
 何処の軍隊や警察でも一定の評価が得られて、バトルプルーフもクリアしている火器こそが有沢宏枝が望む相棒だった。
 腰に提げたグロックにしてもパーツの交換率が20パーセントを超えると、いつまでも執着せずに買い換える。ポリマーフレームは寿命が短いといわれるが、その程度の維持費も満足に出せぬのなら元から『この世界』に足を踏み込むべきではない。
 ケルテックSUB―2000のスチール製鉄パイプのようなストック下部のコッキングピースを弾くように引く。
 作動方式は昔ながらのブローバック方式。
 兵器と云うのは有り体に言えば、求められるのは信頼性と操作性と生産性と低価格であって、独創性や新機軸ではない。レガシーとまで言われる技能を現代の技術で再統合し再編成すれば、ケルテックSUB―2000のような『美しい銃火器』が生まれる。
 セフティはカット済み。
 いつも通りの頼もしい重量感。
 今なら誰にも負けない自信が湧いてくる。
 心理的優位性と云うのは重要で、喩え拳銃弾を用いる折り畳み式カービン銃でも、両手でしっかり構えて確実に狙えて引き金を引けば必ず弾が出て、目指す方向へと弾頭が飛ぶと云う当たり前を当たり前のように保障してくれる銃火器は頼もしい。
 当たらない大砲より当たる豆鉄砲。
 1発でダメなら10発撃てばいい。
 暫し、呼吸を整える。暑い季節が終わろうとしている。終わりを告げる大雨が降った後の山林は独特の爽快な匂いがする。……はずもなく、日中に光合成を行っている植物の排気がマイナスイオンだの植物特有の青臭く苦い香りが鼻腔を擽るからこその値打ちだ。
 光合成を行わない夜では、その恩恵の半分も受ける事が出来ない。
 肺の奥に湿度が高い空気が流れ込むのを感じる。
 歳は若いが経験は長い。
 その自負が、彼女を冷静にさせている。
 目前に気配を帯びた不審な影が幾つも見え始める。有沢宏枝はゆっくりと数と位置を頭に叩き込む。
――――4人……少し多いかな?
 ここへ来るまでに可也の人数を巻いたはずだが、相手の追跡の方が優秀だったのか、思った成果が挙げられていない事実に唇を苦笑に歪める。
 ケルテックSUB―2000を構える。セミオートオンリー。
 だが、長い銃身から得られるパワーは9mmパラベラムでも一味違う。
 拳銃弾での銃撃戦ならば、単純に銃身の長さが戦闘力に直結し易い。マグナム拳銃でも銃身が短ければガスを有効に活かせない上にライフリングに弾頭が食い込まないので、大した加速が得られずに見掛け倒しで終わる。
 その弾薬の最大のパフォーマンスを引き出すのには難解な公式が必要だが、グロックG17弾倉が共用できるケルテックSUB―2000は理想のカービンだった。
 メインアームとサイドアームの弾薬が共用できたからこそ西部を開拓した銃として広まったレバーアクションライフルが有るくらいだ。長丁場の鉄火場を生き抜くには継戦能力の維持が必要不可欠。
 彼女がその歳でそれだけの知識を会得するのには勿論、辛酸を舐めた結果、体が覚えたものが殆どだ。
 影からその気配の戦闘力を推し量る。
 女が二人。男が二人。
 相手は敵対組織の暴力団が放ったヒットマンと、即席で雇ったフリーランスの殺し屋。
 先ほどの別の場所での鉄火場で何人か打ち倒し、生き残ったうちで更に追いかけてきたのがこの4人だ。
 此方も組織から数名の三下を与えられたが呆気無く『盗られた』。
――――ふーん。
――――ちゃんとフィジカルディスタンスを保ってるじゃない。えらいえらい。
 口元が自然と綻ぶ。
 連中は勿論、昨今の厄病対策のために厚労省が流布する適切な距離の確保を守っている訳ではない。緩やかに包囲しようとしている動向を嘲り、笑っただけだ。
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