キサラギ・バラード

 薬室には既に1発送り込んでいる。
 セフティを解除すればいつでも発砲できる。
 フィクスドナイフの鞘のように長い弾倉のお陰で多少、重心バランスが悪くなったベルサM25。使い難いと云うレベルではないので無視する。
 狭い室内に突入するのに、10連発程度の通常弾倉の方が心配だった。
 再装填の時間や遮蔽が都合よく確保されるとは考えられない。
「じゃ、行こう」
「ええ」
 市倉が静かに言う。三代は静かに応えた。
 二人は即座に二手に分かれる。
 ビルの狭間に姿を消す市倉。
 明るい蛍光灯が点っている正面出入り口の自動ドアから堂々と大股で侵入する三代。
 事前の調査と、クライアントが寄越してくれた情報では、ここに13人の標的が居る。
 殺害が目的だ。
 正確に言うと、人が死ぬ程度の暴力をお望みなのだ。
 三代が建物ロビーに入る。背後で自動ドアが寒風をシャットアウトする。
「なんじゃ、ワレ」
 早速、左手側の管理人室から2人の中年ヤクザが出てきた。
 襟にバッジは無い。中年ヤクザは三代の右手にダラリと提げられたベルサM25が長い弾倉のお陰でシルエットが把握し辛く、初見で拳銃だと見抜けなかった。
 三代は3mの距離から中年ヤクザの鳩尾と臍下に22口径を叩き込む。
 もう一人の中年ヤクザは元から威嚇する為に、右手に携えていた特殊警棒を振り上げるが、その右腋の大動脈やリンパ腺が通る辺りに2発叩き込み、ヤクザは怪鳥のような悲鳴を挙げる。
 惰性が発生する前に、更に警棒のヤクザの喉に2発叩き込む。
 何れも腕を伸ばしきっての発砲ではない。ベルサM25を保持する右手の肘を折り曲げ、肘先をやや後ろに引いて距離を取っての発砲だった。
 狭い空間では拳銃より殴った方が遥かに有効な場合が多い。
 プロの喧嘩師なら、こちらが短ドスで相手が5m以下で拳銃を抜いたのなら、確実に相手の喉笛を切り裂いているという。よく聞く噂だが、強ち、鼻で笑える逸話ではない。
 二人も派手に『無力化』されて黙っているはずが無く、1階フロアの奥の廊下や2階3階が騒然とする。
 真っ直ぐ伸びる廊下の向こうから、1階で待機していた不寝番の青年たちが木刀や水平2連発の散弾銃を持って押し寄せてくる。
 狭い廊下に犇き合う。
 罵詈雑言を撒き散らしているのは、恐怖を紛らわせる為か戦力の分析が出来ていないだけか。
 両足を1歩ずつ開いて腰の重心を落とし、ベルサM25のグリップを右手で保持し、左手の人差し指をトリガーガードに差し込む。
 次の瞬間。
 ベルサM25の銃口から銃火が短機関銃のように迸る。
 発砲の反動を利用した速射の一種だ。
 擬似フルオート。
 咳き込むように空薬莢が弾き出されて壁に当たり、床に跳ね返る。
 勿論、普段なら使わない。
 命中精度が期待できないからだ。
 だが、こんなに狭い一本の通路を大挙して押しかける標的には『外しようが無い』ので、弾倉の残弾分を撒き散らせば、下手な鉄砲よりは当たる。
 それに一人ずつ悠長に狙っている暇は無い。イメージ的には機関銃の制圧力よりも散弾銃の散弾が近い。
 数十発の22口径の洗礼を受けた三下ヤクザたちは呻きながら前のめりに倒れ込む。
 呻くだけの余力が有る。
 長い空弾倉を引き抜き、後ろ腰に差して背中に背負うように装着するロングマガジン専用のポーチから、もう一本の30連発弾倉を刃物でも抜くように取り出して差し込む。
 後退したままのスライドを戻す。
 30連発弾倉は頼りになるが、1発ずつ装弾するのに専用の器具を用いないと確実に30発も装填できないので少し面倒だ。
 新しい弾倉を差し込み、床で芋虫のようにのたうち、死に切れないで居る4人のヤクザの頚部や後頭部に1発ずつ撃ち込んで静かにさせる。
「……!」
――――お、始まったな……。
 3階の非常口から侵入したと思われる市倉が暴れ出したのか、上階からも罵声怒声が聞こえる。
 ……凡そ、日本語を為していない喚き声だ。
 三代は1階フロアのテナントを次々とクリアリングしていく。1階の3つのテナントは何れも無人だった。
「さて……と」
 一番奥まったテナントから踵を返して2階へ向かおうとする。
 刹那。
 前髪が風に揺れる。
「!」
「ちっ……」
 女の舌打ち。
 トレンチコートと思しきシルエットが人の形を象る。黒い影がカラスの羽のように大きく広がる。
――――ヤバイ!
 目前の視界が塞がれただけでなく、視界の頼りにしていた光源の右側一部が欠けてしまった。
 この方向が視えないのは『拙い』。
 女の……自分よりも少し背が高く、ロングの黒髪が印象深く、黒いトレンチコートが不気味な女。
 顔は昨今の疫病を警戒してなのか、それとも顔を隠す為なのか黒い生地のマスクをしている。
 何もかもが黒い女。鋭い目。手負いのネコ科の猛獣を連想させる獰猛な眼光。
 殺意を湛えるための両目。
 その女の左手首が最大の特徴だった。
 背筋に寒気が走る。全身の毛が逆立つ。
「お前は!」
 思わず叫びながらバックステップを踏んで、その女から距離を取ろうと目論む。
 狭いテナントの一室。ソファとスチールデスクしかない『光源が確保されたこの部屋の何処に潜んでいた?』
 2度3度と床を蹴って素早く後退する。
 その度に女の『切っ先』が三代の喉笛を切り裂かんと秋水が閃く。
 その黒尽くめの女の左手は手首が無く、代わりに、十手のような鉤が取り付けられたフェンシングサーブルを思わせる護拳が付いており、その先から切っ先勤皇刀造りの45cm程の脇差が伸びていた。重厚で幅広の刀剣。
――――聞いてないわ!
 三代は額に珠のような汗を噴き出した。
 尚江頼子。
 義手の『拳銃使い』。
 否、『拳銃使いだった女』。
 過去の凄惨な殺し合いゲームで左手と愛する人を失った悲劇の人。
 この業界の人間なら誰でもプロフィールだけは知っている。
 嘗てはベレッタM96Dを使う拳銃使いで、地下組織が開催する殺し合いのゲームで生き残り、大金を手に入れた事から次々と望まぬ殺し合いゲームに参加するように、有力者に脅迫されて戦って生き残った猛者。
 最後には恋人を失い無気力に陥り、姿を消したが、数年前から再びこの業界に戻ってきた。
 過去の一部を知る同業者は、彼女を語る時にはいつも「あの優しい女は何処にも居ない。『あの女は死んだ』よ」と語る。
 尚江頼子との対面は初めてだが、三代が知る全ての特徴と一致する。そして三代の知る、この業界でまともに戦ってはいけない人間リストの上位に入っている。
 『この人間が出張ってきたら兎に角逃げろ』と云う社外秘のリストは三代のような荒事師なら誰もが持っているが、尚江頼子はその最たる例だった。
 ベレッタM96Dを捨てたのか。
 彼女の嘗てのトレードマークだったダブルアクションオンリーの40口径は見当たらない。
 もしも所持しているのなら、三代が背後を見せていた時にとっくに発砲している。
 頼子は、小刻みに切るモーションから小さな幅で突く攻撃に切り替えた。
「!」
 バックステップを何回踏んだのか数えていなかった三代は背中に壁が当たり、目を見開いた。
 三代の目に、上半身のバネだけの捻りで鋭い突きを繰り出そうとする尚江頼子の姿が映る。
 咄嗟に左手側に立ったまま壁を背に転がった。鈍い音を立てて三代の体が壁から突き出た柱に当たる。
――――!
――――まさか!
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