キサラギ・バラード
無力化させたが、念のため左足大腿部に外側にも1発ずつ叩き込む。腹部の負傷が浅くとも、機動力の要である軸足を負傷していれば戦力に数えるのは無理がある。
弾倉交換。最後の予備弾倉だ。
踵を返して侵入してきた経路を逆に辿りながら歩く。
この撤収ルートも内通者が用意してくれた。
ルートの洗い出しだけでなく、安全度が高くなるように様々な手引きをしてくれている。毎回このようなクライアントの協力があれば苦労しないのにと苦笑いを浮かべる。
ベルサM25を左脇に戻し、空弾倉にバラ弾を1発ずつ詰めていく。硝煙臭く冷たい廊下に装弾する無機質な小さい金属音だけが足音のように聞こえていた。
※ ※ ※
全国紙の地方版の片隅に、昨夜の銃撃戦が小さく報道されていた。その陰で三代が増援を遮断した為にクライアントが望むままの結果に終わった。
三代は新聞を折り畳んだ。
ネットで手に入る情報の方が情報量が多い昨今、新聞を買ってまで読む習慣の有る23歳女性は希少だろう。
彼女が新聞を購読している理由は簡単で、新聞ではなく、新聞紙が欲しいのだ。
彼女が幼少の頃に過ごしていたインドネシアの干渉地域では何もかもが不足していた。新聞紙すら万能の必須に感じられるほどに。
他国が、隣国が、国軍がひっきりなしに蹂躙する争いの絶えない村では生きるために自分から銃を取り、傭兵稼業に投じる若者は年少者が多かった。
その理由も様々で、家族の口減らしや家族への仕送りを稼ぐ為、はたまた民族的地位向上を狙う為……。
毎日のように国境沿いの村は壊滅し、壊滅した村の跡に逃げてきた部族が住み着いて新しい村が出来た。
その頃に三代は初めて銃を手に取り、初めて人を殺した。
友原三代と云う名前は日本に密入国した後に得た名前だ。
自分が日本人なのか否かも判然としない。両親が日本人だった。それだけだ。
日本に密入国した理由……それは自分の倫理観が崩壊したことによる。
世界には輸入してまで食べ物を廃棄する国が存在する。
その事実を知ってから初めて『国外と云うものを認識した』のだ。
そして興味の赴くまま世界と云うものを学んだ。
学校に通うことに強く憧れた。
自分が所属する村を『脱出』した夜に、自分を家族だと申請して無理矢理三代を娘にしていた現地人の男を射殺して逃げ出した。
落ちていた密造銃を拾い、見よう見まねで引き金を引いたら弾が出た。
弾が、父親面して家族分の食料と薬をNGOから騙し取っていた男の顔面を破壊した。
この地域では珍しくない。孤児を引き取り養子として申請し、家族分の援助を貰い受けるくせに援助を全て換金し、遊興費に宛がう詐欺行為だ。
この国では部族によって、一夫多妻や親類一同が同じ屋根の下に住む超大型の大家族制も珍しくない。
外国からやってきた、倫理観も民族性も違うNGOでは誰が何処の部族なのか見分けるのは不可能に近い。
垢と汗と泥で汚かった当時の三代は現地の子供と見分けがつかない。こんなところに一人だけ日本人の子供が居るとは、白人だけで構成されるNGOには思いもよらないだろう。
マカオ経由で香港に入り、密入国するまでは凄惨な、思い出したくも無い思い出しか無い。今でも時々悪夢にうなされる。日本へさえ来る事が出来れば飢えることも、明日を捨てて生きることもしなくていい。
全てが約束された国なのだと信じてこの国へ来た。
密入国者として来日したのは10歳の時。
ヤクザと呼ばれる反社会組織に買い取られたらしいが、売買価値が下がってはいけないと、人身売買部門を統括する『部長』と呼ばれている凄みの有る貫禄豊かな中年は、自分たちのように騙されて密入国させられた『商品たち』を最大限にもてなした。
衣食足りて住を知ると云う概念を教えてもらった。
この国で生きていくのに必要なワクチンを接種させられ、体を隅々まで消毒させれたかと思うと、貸切の銭湯という場所で連日体や髪を洗い、その後には決まって動物性たんぱく質をメインにした食事を鱈腹食べさせてもらった。
接するヤクザは『部長』も含めて全員、乱暴で言葉も汚く、粗野で粗暴だった。
与えられる衣服は訳有りとかいう、未使用品ばかりで寝床は山奥のように静かな場所だった。コンクリの壁ではない。木製の暖かい雰囲気の壁だったのを覚えている。
更に、年齢性別や既往症疾病障害別に分けられ……教育まで行われた。
村の学校で見た風景があった。
この国では子供でも文字の読み書きと数の数え方を知っていると言う。
教育自体は厳しさを極めた。
厳しかったが、物覚えが良かったり良い成績を出すと更に美味しい食べ物を与えてくれた。
だから三代と名乗る前の少女は、必死でこの国の言葉を覚え、それを基礎としてこの国の一般教養や中学生と呼ばれる学年階層までの基本教育を圧縮するように暗記した。
何十人も居た密入国者は徐々に減っていった。
後に知ったが、『部長』……というより『部長』が所属する組織では、一定以上の教養を与えて日本の倫理観を理解している、『再教育が必要ない即戦力』を育てる方針だったらしい。そう言えば、消えていく密入国者は成績上位の者ばかりだった。
三代と名付けられる前の少女は或る日、『部長』の配下に呼び出された。
自分が『出荷されるのを直感した』。
不思議と恐怖や不安は無かった。
暗い部屋にただ一人立たされて、足元の床がゆっくりと回転しだした。
足元が不安定と云う恐怖感は有ったが、今直ぐ自分が殺されるような具体的恐怖は何も感じなかった。
やがて床の回転が止まり、暗い部屋の奥から呼ばれる声がしたのでそちらへ向かった。
記憶は一旦、そこで途切れた。
唐突な巨大な爆発音。
体が宙に浮いたのを感じた瞬間に意識が消えた。
次に目を覚ました時は、非常に喧しく非常に煙たい空間に居た。
そして後に三代と名乗る少女は、負傷して自慢のスーツが破れている『部長』に抱きかかえられていた。
『部長』の右手には小型の短機関銃。カタログで見た、ヘッケラーなんとかと云うメーカーの銃だ。
「済まない。客の一人が『モグラ』だった。お前を高い値で買うからこちらとしては万々歳だったが……『敵にこちらのシノギ』を奪われるたぁな……お前だけでも売り飛ばして逃走費用にしたい」
『部長』は倒れたスチールデスクの裏で大きな独り言を話す。
聡い彼女は理解した。
『部長』の『シノギ』を荒らすスパイが手引きして、自分たちの安息の場所を壊された。
だから逃げる金を集めるために『商品』の自分を回収して、この場を脱する心算なのだと。
そして後年にさらに悟る。あの時『部長』が誰にでも察せられる情報を端的に短く纏めて、三代と名乗る前の少女に話したのは……何も知らずに死ぬ事になれば、少しでも無念や疑念を持たずに、蟠りを持たずに最期を迎えて欲しいという親心に似た心境だったのだろうと。……それは『親心』と云う概念を知ったきっかけになった。
『部長』は少女のズボンのポケットに3通の封筒の束を捻じ込むと、反撃の膂力を全て用いて、少女のズボンのベルトを掴んで窓から片手で彼女を投げ飛ばした。
彼女は窓ガラスをブチ破って屋外へ放り出された。
建物から落下する時に見た光景は、銃火が瞬く窓で、一人の貫禄有る中年が蜂の巣になっているシルエットだった。
弾倉交換。最後の予備弾倉だ。
踵を返して侵入してきた経路を逆に辿りながら歩く。
この撤収ルートも内通者が用意してくれた。
ルートの洗い出しだけでなく、安全度が高くなるように様々な手引きをしてくれている。毎回このようなクライアントの協力があれば苦労しないのにと苦笑いを浮かべる。
ベルサM25を左脇に戻し、空弾倉にバラ弾を1発ずつ詰めていく。硝煙臭く冷たい廊下に装弾する無機質な小さい金属音だけが足音のように聞こえていた。
※ ※ ※
全国紙の地方版の片隅に、昨夜の銃撃戦が小さく報道されていた。その陰で三代が増援を遮断した為にクライアントが望むままの結果に終わった。
三代は新聞を折り畳んだ。
ネットで手に入る情報の方が情報量が多い昨今、新聞を買ってまで読む習慣の有る23歳女性は希少だろう。
彼女が新聞を購読している理由は簡単で、新聞ではなく、新聞紙が欲しいのだ。
彼女が幼少の頃に過ごしていたインドネシアの干渉地域では何もかもが不足していた。新聞紙すら万能の必須に感じられるほどに。
他国が、隣国が、国軍がひっきりなしに蹂躙する争いの絶えない村では生きるために自分から銃を取り、傭兵稼業に投じる若者は年少者が多かった。
その理由も様々で、家族の口減らしや家族への仕送りを稼ぐ為、はたまた民族的地位向上を狙う為……。
毎日のように国境沿いの村は壊滅し、壊滅した村の跡に逃げてきた部族が住み着いて新しい村が出来た。
その頃に三代は初めて銃を手に取り、初めて人を殺した。
友原三代と云う名前は日本に密入国した後に得た名前だ。
自分が日本人なのか否かも判然としない。両親が日本人だった。それだけだ。
日本に密入国した理由……それは自分の倫理観が崩壊したことによる。
世界には輸入してまで食べ物を廃棄する国が存在する。
その事実を知ってから初めて『国外と云うものを認識した』のだ。
そして興味の赴くまま世界と云うものを学んだ。
学校に通うことに強く憧れた。
自分が所属する村を『脱出』した夜に、自分を家族だと申請して無理矢理三代を娘にしていた現地人の男を射殺して逃げ出した。
落ちていた密造銃を拾い、見よう見まねで引き金を引いたら弾が出た。
弾が、父親面して家族分の食料と薬をNGOから騙し取っていた男の顔面を破壊した。
この地域では珍しくない。孤児を引き取り養子として申請し、家族分の援助を貰い受けるくせに援助を全て換金し、遊興費に宛がう詐欺行為だ。
この国では部族によって、一夫多妻や親類一同が同じ屋根の下に住む超大型の大家族制も珍しくない。
外国からやってきた、倫理観も民族性も違うNGOでは誰が何処の部族なのか見分けるのは不可能に近い。
垢と汗と泥で汚かった当時の三代は現地の子供と見分けがつかない。こんなところに一人だけ日本人の子供が居るとは、白人だけで構成されるNGOには思いもよらないだろう。
マカオ経由で香港に入り、密入国するまでは凄惨な、思い出したくも無い思い出しか無い。今でも時々悪夢にうなされる。日本へさえ来る事が出来れば飢えることも、明日を捨てて生きることもしなくていい。
全てが約束された国なのだと信じてこの国へ来た。
密入国者として来日したのは10歳の時。
ヤクザと呼ばれる反社会組織に買い取られたらしいが、売買価値が下がってはいけないと、人身売買部門を統括する『部長』と呼ばれている凄みの有る貫禄豊かな中年は、自分たちのように騙されて密入国させられた『商品たち』を最大限にもてなした。
衣食足りて住を知ると云う概念を教えてもらった。
この国で生きていくのに必要なワクチンを接種させられ、体を隅々まで消毒させれたかと思うと、貸切の銭湯という場所で連日体や髪を洗い、その後には決まって動物性たんぱく質をメインにした食事を鱈腹食べさせてもらった。
接するヤクザは『部長』も含めて全員、乱暴で言葉も汚く、粗野で粗暴だった。
与えられる衣服は訳有りとかいう、未使用品ばかりで寝床は山奥のように静かな場所だった。コンクリの壁ではない。木製の暖かい雰囲気の壁だったのを覚えている。
更に、年齢性別や既往症疾病障害別に分けられ……教育まで行われた。
村の学校で見た風景があった。
この国では子供でも文字の読み書きと数の数え方を知っていると言う。
教育自体は厳しさを極めた。
厳しかったが、物覚えが良かったり良い成績を出すと更に美味しい食べ物を与えてくれた。
だから三代と名乗る前の少女は、必死でこの国の言葉を覚え、それを基礎としてこの国の一般教養や中学生と呼ばれる学年階層までの基本教育を圧縮するように暗記した。
何十人も居た密入国者は徐々に減っていった。
後に知ったが、『部長』……というより『部長』が所属する組織では、一定以上の教養を与えて日本の倫理観を理解している、『再教育が必要ない即戦力』を育てる方針だったらしい。そう言えば、消えていく密入国者は成績上位の者ばかりだった。
三代と名付けられる前の少女は或る日、『部長』の配下に呼び出された。
自分が『出荷されるのを直感した』。
不思議と恐怖や不安は無かった。
暗い部屋にただ一人立たされて、足元の床がゆっくりと回転しだした。
足元が不安定と云う恐怖感は有ったが、今直ぐ自分が殺されるような具体的恐怖は何も感じなかった。
やがて床の回転が止まり、暗い部屋の奥から呼ばれる声がしたのでそちらへ向かった。
記憶は一旦、そこで途切れた。
唐突な巨大な爆発音。
体が宙に浮いたのを感じた瞬間に意識が消えた。
次に目を覚ました時は、非常に喧しく非常に煙たい空間に居た。
そして後に三代と名乗る少女は、負傷して自慢のスーツが破れている『部長』に抱きかかえられていた。
『部長』の右手には小型の短機関銃。カタログで見た、ヘッケラーなんとかと云うメーカーの銃だ。
「済まない。客の一人が『モグラ』だった。お前を高い値で買うからこちらとしては万々歳だったが……『敵にこちらのシノギ』を奪われるたぁな……お前だけでも売り飛ばして逃走費用にしたい」
『部長』は倒れたスチールデスクの裏で大きな独り言を話す。
聡い彼女は理解した。
『部長』の『シノギ』を荒らすスパイが手引きして、自分たちの安息の場所を壊された。
だから逃げる金を集めるために『商品』の自分を回収して、この場を脱する心算なのだと。
そして後年にさらに悟る。あの時『部長』が誰にでも察せられる情報を端的に短く纏めて、三代と名乗る前の少女に話したのは……何も知らずに死ぬ事になれば、少しでも無念や疑念を持たずに、蟠りを持たずに最期を迎えて欲しいという親心に似た心境だったのだろうと。……それは『親心』と云う概念を知ったきっかけになった。
『部長』は少女のズボンのポケットに3通の封筒の束を捻じ込むと、反撃の膂力を全て用いて、少女のズボンのベルトを掴んで窓から片手で彼女を投げ飛ばした。
彼女は窓ガラスをブチ破って屋外へ放り出された。
建物から落下する時に見た光景は、銃火が瞬く窓で、一人の貫禄有る中年が蜂の巣になっているシルエットだった。