キサラギ・バラード

 田沼博久の肩と肘から力が抜けた。
 小脇を締める。
 重心位置が変化し、いつでも駆けることができる。
 三代も同じく、肩の力を抜く。軸足に重心を僅かに移動。
 極僅かに右半身に構える。
 いつでも駆けながらベルサM25を構えられる。
 先に駆けた方が有利なのか不利なのかが判然としない。
 暫しの静かな空間。風が止み、再び、不意に強い横薙ぎが吹く。
 目の前7mの位置に有るゴミ箱から空き缶が落ちた。
 甲高い音。異様に響く軽い金属音。
「!」
「!」
 あたかも、それが合図であったかのように、二人は同時に駆けた。全力を乗せた足の裏で地面を蹴り飛ばし、体当たりも辞さない勢いで互いが互いを目指す。
 三代は走りながらパンプファイヤを繰り出す。
 弾倉1本を消費してスライドストップがかかるまで撃ち尽くす。
 勿論それで田沼博久に命中したとしても、アドレナリンが噴出しているであろう相手を激痛で停止させるの無理だと分かっていた。
 命中しなくとも、半歩でも怯ませれば、付け入る隙を抉じ開ける事が出来ればいいと考えていた。
 田沼博久も片手を一杯に伸ばしてベレッタ・ミンクスを乱射した。彼も自分の弾がラッキーパンチで突進する女を仕留められるとは思っていないだろう。
 両者は走りながら弾倉交換をした。同じタイミングでスライドが作動する。
 両者の拳銃の薬室には実包が送り込まれた。
 自動販売機まで3mという距離で両者は発砲した。
 これも乱射。
 動体標的同士が乱射しても、このような至近距離であっても掠りもしないことなど珍しく無い。
 一呼吸早く、三代のベルサM25が撃ち尽くす。
 スライドが後退し停止する。
 予備弾倉は最後の一本。
 それは既に抜き出してある。
 優位。イニシアティブはこちらに有る!
「!」
――――え?!
 突然、横から差し出された棒切れに足を取られるように前のめりにつんのめる。
 そのまま衣服前面をアスファルトに擦り付けてスライディング。予備弾倉を引き抜く隙に田沼博久が鉄パイプをアンダースローで放り投げてそれに足を取られた結果に地面に転倒したのだ。
 ハッと頭を上げた途端、田沼の顔がはっきりと見えた。その田沼が左の足元で癇癪玉を踏みつけたような爆発音と共に、驚愕の顔で、同じく前のめりに蹲るように倒れる。
「……!」
――――ここは!
 自動販売機前。煌々と明るく夜道を照らす。
 尻のポケットを針金で破いてしまい、数発の22口径の実包が転がっている辺りだ。
 田沼博久はそのバラ弾を踏みつけて暴発させたのだ。
「……あ!」
 三代は自分がつんのめって倒れた時に、左手に待機させていた最後の予備弾倉を何処かに放り出してしまっていたことに気がついた。
 転倒し、うつ伏せになったままで首をめぐらせて前方を見ると、眼の前3mの位置に同じ体勢でこちらを見ている田沼博久の顔があった。
 目が合う。
 両者とも同じタイミングで右手を突き出し、射撃フォームも何も無く発砲すべく引き金を引いた。
「!」
「!」
 三代の引き金は沈黙。スライドが停止したままで、弾倉交換する途中だった。
 田沼博久のベレッタ・ミンクスのロングバレルモデルは空引きをした。弾切れだった。
 更に両者の視線が僅かに下を向き、自動販売機の灯かりでキラキラと輝いている数発の22ロングライフル弾を凝視する。
 三代の破れたポケットの孔から零れたバラ弾だった。
 二人とも早かった。
 無様な、ゴキブリのような匍匐全身だ。
 恥も外聞も無い。プロらしい身のこなしも何も無い。
 転がる、数発の22ロングライフルのうち、1発でも先に拾った方が勝つ。……否、発砲できる。今は発砲して牽制し、少しでも距離を稼いで体勢を整えなければ!
 二人とも猛犬に追いかけられているような必死の形相で少し、あと少しと左手を伸ばす。
 アスファルトの地面に爪で引っ掻く思いだ。
 歯を食い縛る。
 二人の指先に、それぞれ同時に別々の22ロングライフル弾が当たる。
 更に腕を伸ばす。
 あと1cm。
 あと数mm。
 伸びる指が実包を同時に掴み、お互いの状況を確認せずに、人生の中で最速の行動を取った。
 三代が排莢口から22ロングライフルを押し込んで、スライドを引こうとしたときに、カチッと小さな音を聞いた。
――――まずい!
 田沼博久のベレッタ・ミンクスの最大の特徴はチップアップバレルと呼ばれる機構を備えていることだ。
 トリガーガード付近のレバーを操作すれば、銃身がスライド先端を中心にして折れて、薬室から安全に薬莢を取り出す事が出来る。
 その逆の方法も可能で、薬室に1発安全に装填することも出来る。
 更に、この方法を使えば、弾倉を使わなくとも、直接薬室に22ショートより長い薬莢の22ロングライフルを押し込めて発砲出来る。
 背筋にゾッとした寒気が吹き出る感覚に襲われながら三代はスライドを引き、ろくに狙わずに腕を田沼博久の方向に向けて引き金を引いた。
 銃声が二つ重なる。
「……」
「……」
 短い沈黙。
 2人の銃口から硝煙が流れ、黒い空に舞い上がる。
 スライドや銃身に纏わりつくガスの残りも霞のように消える。
 三代の右手がぱたりと地面に倒れる。
 右手に握られていたベルサM25から指が離れる。
「……へへ」
 田沼博久は不敵に笑う。
 何もかもが勝った勝者の笑み。笑みに余裕は無い。やるべき事をやり遂げた末に得た笑いだった。
 田沼博久は『破壊された左眼球から涙のように脳漿の、細かな欠片を含んだ血液を垂らし』、そのまま頭部を力無く項垂れさせて硬い地面に音を立てて頭部をぶつけた。
 そのままピクリとも動かなかった。
 三代は自分の左顔面に張り付いた左手首を剥がすのに苦労した。
 衝撃が強過ぎて激しい痺れに襲われている。
 またも『左手首に皹が入ったらしい。今度は骨折かもしれない』。
 咄嗟に頭部だけでも守ろうと左手を顔面に翳した。
 その左手に22ロングライフルの弾頭が命中した。
 左手のフライトジャケットの袖を右手で捲る。
「ちっ……」
――――どいつもこいつも……。
 左手首には文字盤のど真ん中に、22口径の弾頭がめり込み完全に機能を停止した純金のロレックスが輝いていた。
「……私のロレックスに恨みでも有るの!」
 思わず叫ぶ。
 叫ぶことで左手首の激痛を少しでも発散させようとする。
 咄嗟とはいえ、左手首に頑丈な腕時計が無かったら、目の前にいる田沼博久は自分の姿だったのかもしれない。
 三代はおもむろに上体を起こして、初めて、職務中にシガリロを銜えて火を点けた。
 いつものチョコレートフレーバーの紫煙が全身に染み渡る。



 この後、痛みで不自由になった左手を堪えながら、5人の男達が所持していた懐中拳銃や予備弾倉で暴力のレンタル屋として仕事を果たした。



 勿論のこと、田沼博久を拷問前に殺害してしまったのは報酬に響き、後金は幾らか減った。
 ……それは帰宅して、更に後の話だ。




 皮肉な話しに。
 左手首にギプスを嵌める羽目になったので暫くは休業で、明るい世界で言うところの、確定申告に相当する書類整理に没頭する時間は幾らでも捻出できた。



 彼女が左手首を骨折して、書類整理と申請に追われた短い期間中に3回も脳疲労でダウンした。
 その度に何処かの組織の庇護を受けて、源泉徴収で何とかならないか? と真剣に考えた。

 尚、未だにロレックスは修理に出していない

 《キサラギ・バラード・了》
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